獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

対話ブログ【番外編】TSさんとの対話 (2)

2023-01-05 01:12:40 | TSさんとの対話

アンチの中にもファンが多いTSさんが、鯛焼きさんのブログのいちコーナーを借りて、アンチの方との対話を呼びかけていました。

【要注目】対話ブログの常連さんへ(2018/09/16 09:16)管理人鯛焼きさん

●はTSさんの記事「対話ブログの常連さんへ」についたコメントのつづきです。

 


●下心で功徳を求めるものですか? (TS)

 功徳欲しさに活動のめり込むって、どんな信仰心で活動していたのですか、、、。

 順序が逆ではありませんか、、、?

 仏の使いとしての真心の思い、行動が自身の仏の生命を薫発し功徳としてあらわれるものではありませんか、、、?

 舌切り雀の意地悪ばあさんの発想と変わりないじゃないですか、、、?

 戸田先生もそういうのを乞食信心といって戒められていましたよ、、、。

 もうその心根が卑しいというか、彼の信仰心が如実に表れていることにおそらく気付いていないことに失笑してしまいます。

 そんな心で朝晩の祈りのときに、今日の活動報告を宗祖に恥じなく報告できたのでしょうか、、、?

 シニフィエさんを支持している元活動家という方に問いかけたいです。

 そんな下心満載の思いで、御本尊に祈っていたのですか、、、?
2018/09/20(15:30) 


●シニフィエさんの主張が正しいと仮定します (TS)

 常連の美玲さんからも制止なのが残念ではありますが、私の呼びかけのコメントを読んでいただいていると前向きに捉えさせていただきます。

 今日は罰論で脅すMCの何が偏見かを話そうかと思いましたが、美玲さんのコメントを読んでタイトルどおりに考えてみました。

 お隣でも仮定の話で盛り上がっていますが、そちらの主張が100パーセント正しく、中枢が会員から時間とお金を巻き上げる詐欺集団として、崩壊の序曲が始まろうとしていると、、、。

 と仮定しましょう、、、。

 末端の活動家にそれで何か不利益を被ることがあるのでしょうか、、、?

 悪い中枢がいなくなって会員中心の組織に生まれ変わり、日蓮仏法を真摯に学ぶきっかけになるのでは、、、。

 詐欺集団の創価が崩壊すれば、日蓮仏法を求める方々が新生の創価を作り上げることだって考えられ、会員のためには良いことだらけと思うのですが、、、。

 なぜそのように考えられると思いますか、、、。

 シニフィエさんの主張に大きな勘違いがあるからです、、、。

 私どもの信仰対象は日蓮大聖人の仏法であり、創価学会の組織を信仰対象にしていませんし、池田先生も教祖ではないですし、ある意味私たちと同じ日蓮信徒です。

 世界に妙法を広めたという卓越した指導者で、多くの会員を激励され、多くの会員からの敬愛されているわけですが、とかく世間でいう池田本仏論、池田教というのは偏見に過ぎません、、、。

  本題はここからです、、、。

 詐欺集団の創価の中枢が一掃され、会員のための組織、人間のための宗教として日蓮仏法を真摯に学ぶ教団に生まれ変わったときに、あなた方は戻ってくるのでしょうか、、、?

 あなた方が創価をやめた理由がなくなったからといって、おそらく信仰は捨てたままで戻ってくることはありませんよね、、、?

 何が言いたいか、

 創価をやめた理由はシニフィエさんの主張に気付いたから、覚醒したからではないのではありませんか、、、?

 信仰心もなく、法を求める求道心もなく、妙法の信仰を体得できず、組織の人間関係や自身の怠惰な姿勢を棚に上げてシニフィエ論に責任転嫁しているだけと言ったら言い過ぎでしょうか、、、?

 私は創価の将来はそれほど悲観しておりません。宗祖の本尊と題目があれば四苦八苦の解決を求める方はいつの世にもいなくなることはないと思っているからです、、、。

 活動家の減少という危機感から中興の祖があらわれ中枢が変わる可能性もありますし、仮に崩壊したらしたで、新生創価という私が期待する組織を築く捨て駒に残りの人生捧げていきたいですしね、、、。
2018/09/22(18:27) 


●天ぱさん、梵我一如さん (TS)

 コメントありがとうございます。

 シニフィエさん方のように宗祖までインチキ坊主とまでいってしまうと、梵我一如さんやお隣の正宗信徒の方がアンチ創価とは思えなくなってしまいますね。

 しかしお二方のコメントはふざけているようで、事の本質を鋭くついているこのブログの寸鉄のようですね、、、。
2018/09/22(18:57) 


●功徳も罰も仏の慈悲 (TS)

 シニフィエさんも鯛焼きブログの話題に触れるなといったかと思えば、自分から話題を振ったりと気持ちが揺れているようなので、目を通していただいていることは確かなわけですから続けていこうと考えてます。

 罰論でMCかけるとの発想が仏法を学んだ方からの捉え方としたら、宗祖も嘆かわしいことと思っていることでしょう、、、。

 仏の思いは元活動家の方なら日々の勤行の祈りで理解しているはずですよね、、、?

 自我偈の最後のところです。衆生が無上道の仏身に得入できるよう仏はいつも念じているという慈悲の言葉で締めくくられていますよね、、、。

 妙法を讃嘆する功徳、謗る罰など経典に種々例えとしてありますが、縁に紛動されやすい凡夫が成仏の直道から外れないようにとの仏の慈悲の思いからのお言葉ではありませんか、、、?

 それを会員のMCに利用しているという考えに行くこと自体、どのような思いで会員さんと関わってきたのかという疑念が生じてしまうわけです。

 お子様を育てた経験のある方なら、お分かりかと思いますが、わが子の健やかな成長を願い誉めたり、厳しくしたりすることは人として生きるしつけとして当たり前のことですよなね、、、。

 これもMCになってしまうのでしょうか、、、?

 私の親からも
「しっかり勉強しないとまともな人生歩めないよ」
 くらいの脅しはよく言われたものです。

 当時はうるせいなあと思っても時と共に親の愛情からの言葉と理解できるのでは、、、。

 受験産業、公教育も国民に対する緩やかなMCになってしまうのでしょうか、、、?

 親のしつけでもそうでしょうが、根底に会員を思う慈悲の心があるかどうかということではないでしょうか、、、?

 とかく六道、二乗のエゴにすぐ陥りやすい私ども凡夫ではありますが、信仰体験のドラマが生まれるかげには菩薩、仏の一念の心をもった方々の同志の存在があったことは間違いありません。

 学会組織は、エゴの一念か、慈悲の一念なのか簡単そうで難しい凡夫の一念のあり方を教えていただける校舎なき総合大学と私は思っております、、、。
2018/09/23(08:21) 


●天ぱさんの疑問に共感 (TS)

>正義を貫く為には必要なのでしょうか?
打倒〇〇宗?<

 私も多分に内部アンチ的要素があると言いましたが(笑い)、破門当時、日○の替え歌を座談会で歌ったり、退座要求なるものの署名など、私はひいていましたよ、、、。

 正式離婚したんだから、いつまでも別れた相手の悪口言うのはみっともないし、未練がないなら相手から別れなきゃよかったと思われる道をこちらが堂々と歩みましょうと言ったもんですが、大勢にはなりませんでしたね、、、。

 シニフィエ論からすれば、中枢の方針に逆らうと罰の恐怖があって、活動家はみんな打倒日○の不幸を祈りまくると脳内変換するのでしょう、、、。

 中枢が打ち出したからって一人一人の活動家の考えや捉え方が違うという当たり前のことが、元活動家の常連さんはわかっているはずなのに、MCされた創価脳と決めつけちゃうから困ったもんです。ウソは言わないでくださいよ、、、。

 逆にMCされた活動家ばかりなら、幹部なんて打ち出しをどう下ろすか咀嚼して悩む必要なんてなく、苦労なんか何もなくなりませんかね、、、?

 常連さんに問いたいですね、中枢の打ち出しを下ろせば功徳に釣られ、罰の恐怖で何の疑問も感じず活動家の人は簡単に動いてくれましたか、、、?

 そんなことはないのは、自身の心に問いかければわかることでしょう、、、?

 MCというより日本の同調圧力に弱い異なる本音の意見を言えず大勢に合わしてしまう和の文化という方が近いような気がしますけどね、、、。(日本のどの組織にも見受けられることです)

 外部や未活の方に申し上げたい、シニフィエ論は現実を相当膨らませた事実誤認の偏見ですよと、、、。
2018/09/23(17:21) 


●病的なものに感じてしまうシニフィエ論 (TS)

>何故ならばそういう方を作り出したところに、今のシニフィエさん達を産んだ一因があると思うからです。<

 梵我一如さんの見解をもう少し突っ込んで聞いてもよろしいでしょうか、、、?

創価の組織文化に非活、脱会する要因があることは、別のスレッドでお話ししたとおり認めております。

 組織から距離を置いて信仰されている方、宗門に行かれた方は、信仰を失っていない方なので理解できます。

 会社の上司、社長、社の気風に嫌気がさして辞めた方が悪口、不満を言うのも理解できますし一過性のものと感じます。

 しかしシニフィエ論には異質というか何か怨念というか病的なものを感じてしまうのです。

 特に元幹部という最前線の組織の実態を把握されている方が、私たち元同志に対し

 「おまえら、MCされているのを自覚できないから詐欺集団の片棒かついでいるんだって言ってんの。
 おまえらは創価脳に侵されているから対話は不可能。
 創価に関わっているみなさん、これに気付いたら静かに去りましょうね、、、。」

 とこんな感じですよね、、、。

 本音でそう思っているなら、幹部といっても信仰者の仮面を被った組織運営の活動屋さんとしか考えられないんですよ、私には、、。

 不満の感情を匿名のブログでぶつけてシニフィエ論に乗ったというならまだわかります。

 そのあたりの所を対話できればと思い呼びかけてみようと思いました。この文面に自覚のあるかたで、こちらの敷居が高いならそちらでお話ししてもらってもい構いませんよ、、、。
2018/09/24(08:26) 

 


解説

私も多分に内部アンチ的要素があると言いましたが(笑い)、破門当時、日○の替え歌を座談会で歌ったり、退座要求なるものの署名など、私はひいていましたよ、、、。

 正式離婚したんだから、いつまでも別れた相手の悪口言うのはみっともないし、未練がないなら相手から別れなきゃよかったと思われる道をこちらが堂々と歩みましょうと言ったもんですが、大勢にはなりませんでしたね、、、。

TSさんの意見はまっとうだと思います。

 

MCというより日本の同調圧力に弱い異なる本音の意見を言えず大勢に合わしてしまう和の文化という方が近いような気がしますけどね、、、。(日本のどの組織にも見受けられることです)

(中略)

創価の組織文化に非活、脱会する要因があることは、別のスレッドでお話ししたとおり認めております。

 組織から距離を置いて信仰されている方、宗門に行かれた方は、信仰を失っていない方なので理解できます。

 会社の上司、社長、社の気風に嫌気がさして辞めた方が悪口、不満を言うのも理解できますし一過性のものと感じます。

 しかしシニフィエ論には異質というか何か怨念というか病的なものを感じてしまうのです。

信仰を失っていない私の立場からすると、TSさんの主張はよく分かります。

 


獅子風蓮