獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

石橋湛山の生涯(その72)

2024-09-28 01:34:04 | 石橋湛山

石橋湛山の政治思想に、私は賛同します。
湛山は日蓮宗の僧籍を持っていましたが、同じ日蓮仏法の信奉者として、そのリベラルな平和主義の背景に日蓮の教えが通底していたと思うと嬉しく思います。
公明党の議員も、おそらく政治思想的には共通点が多いと思うので、いっそのこと湛山議連に合流し、あらたな政治グループを作ったらいいのにと思ったりします。

湛山の人物に迫ってみたいと思います。

そこで、湛山の心の内面にまでつっこんだと思われるこの本を。

江宮隆之『政治的良心に従います__石橋湛山の生涯』(河出書房新社、1999.07)

□序 章
□第1章 オションボリ
□第2章 「ビー・ジェントルマン」
□第3章 プラグマティズム
□第4章 東洋経済新報
□第5章 小日本主義
□第6章 父と子
□第7章 政界
■第8章 悲劇の宰相
□終 章
□あとがき


第8章 悲劇の宰相

(つづきです)

10月19日、鳩山の念願だった「日ソ共同宣言」が調印の運びになった。ソ連を訪問した鳩山は、日ソの戦争状態の終結と国交の回復を決定したのだった。これが鳩山引退の花道になった。後は、3人の総裁候補が、いつ立候補を明らかにするか、多数派工作をどうするか、それだけであった。それまで水面下で動いてきた多数派工作が一挙に表面化した。
最初に公式の席上で立候補を表明したのは、湛山であった。11月9日、大阪での関西経済倶楽部創立20周年記念パーティに出席しての表明であった。
これを受けて、翌日には岸、石井が立候補を表明し、河野はいち早く岸支持を明確にした。
「石田君、選挙の作戦は君に任せる。資金は宮川三郎君に頼んである。いつも金のことになると、宮川君頼みだ。経済の石橋も金になると付き合いが狭いなあ」
「宮川会長といえば、バカヤロー解散の選挙でも我々はかなりお世話になりました。宮川会長は雑司ヶ谷のご自宅を借金のカタに入れ、ご自分の退職金まで前借りして分党派自由党の資金作りに……。今回も、申し訳ないことです」
石田が目をしばたたかせた。宮川は、湛山が東洋経済新報社を辞めた後、社を背負っていた。東洋経済新報社では湛山の一番の側近であった。
そうはいっても湛山は「電力の鬼」と呼ばれた電力界の重鎮である松永安左ヱ門と菅礼之助の二人に会って、今回の立候補に対して「財界の理解と援助」を依頼した。これだけが湛山の「選挙運動」であった。湛山の支持者のなかには、他の二候補に比べて湛山の動きが鈍いのではないか、という声もあった。だが石田は、
「先生は自分が立候補することが日本のためにいいのだと思っての出馬だ。正しいと信じたからこそ立候補したんだ。もちろん立ったからには勝ちたいさ。しかし勝敗は問わない。敗れれば喜んで当選した人に協力するよ。そういう人だよ、石橋湛山という人物は。だが、僕は違う。勝たなければ意味はないと思っているんだ。全力を尽くすよ」
そう、湛山の人柄を代弁した。そのとおりであった。湛山は「無私・公平」であった。

(つづく)


解説

自民党最初の総裁選挙からも目が離せません。


獅子風蓮