友岡さんが次の本を紹介していました。
『居場所を探して-累犯障害者たち』(長崎新聞社、2012.11)
出所しても居場所がなく犯罪を繰り返す累犯障害者たち。彼らを福祉の手で更生させようと活動する社会福祉事業施設の協力で、現状と解決の道筋を探った。日本新聞協会賞を受賞した長崎新聞の長期連載をまとめた一冊。
さっそく図書館で借りて読んでみました。
一部、引用します。
□第1章 居場所を探して―累犯障害者たち
■第2章 変わる
■変わる刑事司法と福祉~南高愛隣会の挑戦をめぐって
□山本譲司さんインタビュー
□おわりに
第2章 変わる
変わる刑事司法と福祉~南高愛隣会の挑戦をめぐって
(つづきです)
電話から数日後。
東京都内で開かれた山本の講演会に、田島は厚労省の幹部たちと連れ立って出掛けた。
山本は「刑務所の中は障害者だらけです」「刑務所が福祉施設化している」と言った。その内容は極めて具体的で、迫真的で、説得力があった。田島は打ちのめされた気分になった。それまでの自信やプライドは粉々に砕け散った。
講演会の帰り道、喫茶店に立ち寄った。
幹部の1人が重い口を開いた。
「……もし、彼の話が事実だとすれば、大変ですね」
別の幹部は
「行政は一体何をしていたのか、と批判されるでしょうね」とうつむいた。
「大変なことになったな」
誰かがそう言ったきり、全員下を向いて、黙り込んだ。
運ばれてきたコーヒーはすっかり冷めていた。
田島は、しばらくショックを引きずっていた。
長崎県島原半島北部の雲仙市瑞穂町(当時南高来郡瑞穂町)に障害者福祉施設「コロニー雲仙」をつくった頃のことをぼんやりと思い出していた。
1978年、33歳の時、政治家になる夢をあきらめ、障害者福祉の世界に飛び込んだ。「社会の中で、最も生きる力の弱い人たちのために生きよう」と決めた。当時、最大の弱者が「精神薄弱児・者」(知的障害者)だと考えていた。
妻と3歳の息子と一緒に、施設の厨房の控室に住み込み、寝食を共にしながら、障害者たちの「思い」や「願い」を叶える活動を始めた。
「コロニー雲仙」をつくるまでには4年の歳月を要した。地元の人たちの反発が大きかったからだ。「ノーマライゼーション」「障害者との共生」―そんな耳障りのいいスローガンや考え方などない時代。
「障害者は何をするか分からない。危ない」「汚い」「気持ち悪い」―
一方的な偏見や差別の言葉を浴びせられた。
田島は必死に説いて回った。
「知的障害者が罪を犯すことはない。天使のようにかわいらしく、仏様のように穏やかな人たちなのですから!」
以来、がむしゃらに障害者のために働いた。障害者たちが「普通に暮らしたい」と望めば、グループホームをつくった。「働きたい」と言えば、就労のための施設をこしらえた。「結婚したい」と願えば、結婚相談の部署を立ち上げそのための環境を整えた。田島の後を追い掛けるように、障害者の法律や制度ができていった。
(つづく)
【解説】
社会福祉法人南高愛隣会理事長の田島良昭氏は、山本譲司氏の講演を聞いて、ショックを受けました。それまでの自信やプライドは粉々に砕け散ったのです。
獅子風蓮