獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

藤圭子へのインタビュー その30

2024-03-15 01:05:20 | 藤圭子

というわけで、沢木耕太郎『流星ひとつ』(新潮社、2013年)を読んでみました。

(目次)
□一杯目の火酒
□二杯目の火酒
□三杯目の火酒
□四杯目の火酒
□五杯目の火酒
□六杯目の火酒
□七杯目の火酒
□最後の火酒
■後記

 


後記

(つづきです)


温泉宿の滞在が2週間ほど過ぎたときのことだった。午後、執筆に疲れ、一休みするため部屋のテレビをつけると、ワイドショーのような番組をやっており、そこで「藤圭子引退!」というニュースが取り上げられていた。
私はそれを見て、強い衝撃を受けた。私はその数ヵ月前に、偶然、藤圭子と会っていた。その場に共通の知人がいたところから言葉をかわすこともできていた。
そのときのことだ。知人がトイレに立ち、藤圭子と二人で話をするという状況が訪れた。話の内容はとりとめもないことだったと思う。しかし、その最後に、ぽつりと藤圭子が言ったのだ。
「もうやめようと思うんだ」
それは、話の流れからすると、その前に「歌手を」、あるいは「芸能界を」とつくはずのものだった。私は思わず訊ねていた。
「どうして?」
そこに、知人が戻ってきたため、話はそれまでになった。
ワイドショーのニュースを見て驚いたのは、言葉にすれば、こういう思いだったろう。
〈あのときのあの言葉は本物だったのだ……〉
そして、次にこう思った。
〈あのとき得られなかった、「どうして?」という問いに対する答えを手に入れたい……〉
私は即座に伊豆の山を降り、知人を介して藤圭子に直接連絡を取ることに成功すると、 インタヴューをさせてもらう約束を取り付けた。
そのインタヴューの準備をしながら、私はノンフィクションのまったく新しい書き方を試せるのではないかと思うようになった。
時代の歌姫がなぜ歌を捨てるのか。その問いと答えを、彼女の28年間の人生と交錯させながら、いっさい「地」の文を加えずインタヴューだけで描き切る。そして、タイトルを『インタヴュー』とする。
私はその思いつきに興奮した。

この作品の原型となるインタヴューが行われたのは、1979年の秋の一夜だが、それ以後も、事実の正確さを期すため、また細部に膨らみを持たせるため、最後のコンサートが行われた12月26日まで、さまざまなところでインタヴューを重ねた。
その過程で、私は藤圭子が語る話の内容に強く心を動かされることになった。とりわけ、彼女が芸能界を「引退」したいと思う理由には、私がジャーナリズムの世界から離れたときの思いと共通するものがあった。
藤圭子は最後のコンサートを終えると、その年の暮れのうちにハワイに発った。
直後から、私は『一瞬の夏』の執筆を中断し、『インタヴュー』と名付けた藤圭子についての原稿を書き上げることに熱中した。
当初は原稿用紙にして200枚くらいのものと思っていたが、とてもそのようなものでは収まらないことがわかってきた。
2月になり、3月になっても終わらない。そのうちにも朝日新聞の連載開始日が近づいてくる。私は、すでに書き終えていた部分を一日分の長さに区切りながら新聞社に送り、それ以外の時間を『インタヴュー』の執筆に充てつづけた。
すると、ようやく、5月に入って、500枚近い分量のものが書き上がった。
しかし、「方法」への熱狂的な興奮が収まり、落ち着いて完成した作品を読み返したとき、果たしてこれでよかったのだろうかという疑問が湧き起こってきた。
藤圭子が「引退」するという理由はわかった。それが並の決意でないことも理解できた。
とはいえ、これから先、どういう理由で芸能界に「復帰」せざるを得なくなるかわからない。私が1年間を海外で過ごし、しかし、やはり日本に戻ってふたたびノンフィクションを書きはじめることになったように、藤圭子も芸能界に戻って、歌うようにならないとも限らない。
そのとき、この『インタヴュー』が枷(かせ)にならないだろうか。自分で自分にブレーキをかけてしまうことになるかもしれないし、実際に「復帰」したらしたで、マスコミに「あれほどまでの決意を語っていたのに」と非難されたり嗤われたりするということがあるかもしれない。
それに、藤圭子は、自分の周囲の人たちについて、あまりにも好悪をはっきりと語りすぎている。その人たちとの関係を難しくさせてしまうのではないか。
要するに、これから新しい人生を切り拓いていこうとしている藤圭子にとって、この作品は邪魔にしかならないのではないか、と思ってしまったのだ。
あるいは、それだけだったら、思い切って発表することにしたかもしれない。
だが、その『インタヴュー』には、ノンフィクションとしての問題があった。
私が、500枚近い大部のノンフィクションを書き上げることができたというのも、そこにノンフィクションの書き手としての強い野心があったからだった。いっさい地の文を混じえず、会話だけで長編ノンフィクションを書き切る。いま自分は、かつて誰も試みたことのない、少なくとも眼に触れるかたちでは存在していない、まったく新しい方法で書いている。
その野心が、私に『一瞬の夏』と『インタヴュー』という二つの長大な作品を並行して書くという、自分では経験したことのない困難を乗り越えさせるエネルギー源になっていた。
確かに、会話体だけで書き切ることはできている。それによって、藤圭子という歌手が芸能界を去ることの、本当の理由がわかるようになっている。だが、藤圭子という、実際にインタヴューをするまでは自分でも想像をしていなかったほどの純粋さを持った女性の姿を本当に描き得ただろうか。私は、私のノンフィクションの「方法」のために、引退する藤圭子を利用しただけではないのか。藤圭子という女性の持っている豊かさを、この方法では描き切れていないのではないか……。

(つづく)


解説
私はノンフィクションのまったく新しい書き方を試せるのではないかと思うようになった。
時代の歌姫がなぜ歌を捨てるのか。その問いと答えを、彼女の28年間の人生と交錯させながら、いっさい「地」の文を加えずインタヴューだけで描き切る。そして、タイトルを『インタヴュー』とする。
私はその思いつきに興奮した。

なるほど、そういう経緯で、いっさい「地」の文のない会話だけの本が出来上がったのですね。

 

落ち着いて完成した作品を読み返したとき、果たしてこれでよかったのだろうかという疑問が湧き起こってきた。
藤圭子が「引退」するという理由はわかった。それが並の決意でないことも理解できた。
とはいえ、これから先、どういう理由で芸能界に「復帰」せざるを得なくなるかわからない。……
そのとき、この『インタヴュー』が枷(かせ)にならないだろうか。

確かに、藤圭子は子ども(宇多田ヒカル)が生まれたあと、子どものために芸能界に復帰していますものね。
沢木耕太郎さんの懸念は、正当なものでした。

 

私は、私のノンフィクションの「方法」のために、引退する藤圭子を利用しただけではないのか。藤圭子という女性の持っている豊かさを、この方法では描き切れていないのではないか……。

この心情の吐露も、沢木耕太郎さんの誠実さの現われでしょう。


獅子風蓮



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