獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

友岡雅弥さんの「異者の旗」その2)'Michael, Row the Boat Ashore'

2025-01-13 01:21:47 | 友岡雅弥

友岡雅弥さんのエッセイが読める「すたぽ」より

いくつかかいつまんで、紹介させていただきます。


カテゴリー: WAVE MY FREAK FLAG HIGH

ギターの歴史を変えたジミ・ヘンドリクス作曲の“If 6 was 9”の歌詞の中に出てくる言葉をヒントにしています。
(中略)
この曲は、そういう「違う生き方」を象徴する曲とされています。「異者の旗を振ろう」という意味ですね。
このタイトルのもとで、繁栄のなかの息苦しさを突破する「違う生き方」の可能性、また3.11以降の社会のありようを考える哲学的、宗教的なエセーを綴ろうと思っています。

freak1 - カギはマイケル

2018年2月8日投稿
友岡雅弥

「漕げよマイケル」 という歌をご存知でしょうか?
英語のタイトルは、そのまま'Michael, Row the Boat Ashore'です。

始めてギターを練習したときの曲がこれでした。とても簡単で、繰り返しの多いコード進行だったからでしょう。
黒人霊歌(ニグロ・スピリチュアル)なので、日本の民謡と同じように、歌詞には、バリエーションがあります。

公民権運動や、ネルソン・マンデラ解放のために尽力した世界的歌手、ハリー・ベラフォンテの歌で、世界的ヒットしたのですが、その時の歌詞は、

Michael row the boat ashore, hallelujah
This old world's a mighty big place, hallelujah
It's got satan all over its face, hallelujah
Jordan's river is chilly and cold, hallelujah
But it warms the human soul, hallelujah
So, Michael row the boat ashore, hallelujah
Michael row the boat ashore, hallelujah
*繰り返しは省略しました。

さて、この歌に出て来る「マイケル」ですが、だれのことか――?それがカギです。
「ああ、友だちのマイケル君かな。がんばれマイケル君!という意味だろう」
――というように、ほのぼのしたイメージをもっているかたも多いと思います。確かに、英語の発音は「マイケル」ですが、意味的には「ミカエル」と読んだ方がいいかもしれません。
「大天使ミカエル」です。
キリスト教では、天使(天の使いです。神からのミッションを伝えに来る存在です)の長である大天使は、ガブリエルとミカエル。イスラムでいうジブリールとミーカーイールです。ジブリールは、ムハンマドに「クルアーン(コーラン)」を伝えた天使です。
それに外典などにでてくるウリエルと、ラファエルを加え、キリスト教では、四大天使が知られています。日本でよく出てくる女性とか赤ん坊の天使というのは、本来の 「天使」とは、かなり離れたイメージです。

この「漕げよマイケル」は、「マイケル君がんばれ!」 ではなく、「ミカエルよ。私たちを救って、向こう岸に渡してください」という意味なのです。だから、“row”は、「祈願文」なのですね。三単現の 's'がつかないんです。(ちなみに、アメリカの教育局は三単現の's'を廃止しようと計画しているとか)

いちおう、初期に収集・採譜された文献から、歌詞の一部を紹介しますと。

Michael row de(the) boat ashore, Hallelujah!
Michael boat a gospel boat, Hallelujah!
I wonder where my mudder (mother) deh (there).
See my mudder on de rock gwine(going) home.
On de rock gwine home in Jesus' name.
(中略 ガブリエルが勝利のトランペットを吹くなど、天国のイメージが描写される)
When de riber(river) overflow.
O poor sinner, how you land?
Riber run and darkness comin'.
Sinner row to save your soul.

"SLAVE SONGS OF THE UNITED STATES", New York:A. SIMPSON & CO., 1867

この歌が作られたのは南北戦争の時。作られたといっても、作詞者・作曲者がいたというものではなく、「読み人知らず」。つまり、誰からともなく歌われ伝えられてきたのです。一応、最初は、南北戦争の時、一つの島に隔離状態にあった黒人奴隷たちが、ボートで脱出をはかるときに、歌い出されたという説が有力です。

歌詞の中では、川はヨルダン川になっています。ヨルダン川を大天使ミカエルの漕ぐ船にのって、対岸に渡れば、そこには、天国があり、死んだ父母もまっているというのです。(なにか、今のパレスチナに生きる人たちの心も表しているような不思議な符合がある感じです)

しかし、最後のほうになると、川が溢れ、哀れな罪人の私は、死んでしまい、向こう岸に着かないかも、と歌われます。

天国に行けないかも、という意味もあるし、どこかで、またつかまり、逃亡奴隷として、殺されるかもという具体的な意味もあります。

生きている間続く奴隷としての境遇は、死んで楽園に行けばなくなるのか、また北軍が解放してくれるのか(解放してくれるはずの戦争ですが、戦火のなか、奴隷たちも逃げ惑います)、逃亡が失敗して、水死するのか、つかまるのか。

そのような、切迫した思いが、この歌には込められているのです。


解説

友岡さんは、アメリカの音楽の背景にも詳しいのですね。

歴史を学ぶと、同じ曲でも違って聴こえます。


友岡雅弥さんのエッセイが読める「すたぽ」はお勧めです。


獅子風蓮