鯛焼きさんのブログ「シニフィエさんとの対話」から、シニフィエさんと鯛焼きさんの「対話」に引き続く文章を時系列で拾っていきます。
■の文章は、鯛焼きさんの記事からの引用です。
(私は鯛焼きさんの主張に必ずしも賛同するものではありません)
●の文章はそれについたコメントです。一部、かいつまんで引用します。
■シニフィエさんとの対話を通じて思ったこと(2018/08/03 20:48)
鯛焼きです。
本ブログも、ようやくグーグルさんから好かれはじめ、検索したら上位でひっかかるようになりました。ありがとうございます。
さて、雑感的になりますが、今日はアンチ創価のシニフィエさんと対話してみて、思ったことを書いてみようと思います。
色々ありますが、今回は「シニフィエさんは創価を抜けてから知らない事実や、まだ不明確な事柄についてはとことん対話を拒否する点」についてです。
シニフィエさんとの対話の中で、彼は「会則変更の際の本門の本尊」についての事実誤認がかなりありました。ですので「それは違いますよ」と説明させていただこうと思いました。そして少しやり取りしたところで「いやいや創価は詐欺だから教義なんてない」と急に対話するのを拒んだのです。
あれあれ?と思いましたが「そっか、新たな本尊論を聞いてしまうと、自分がこれまで勝手に抱いていた本尊論が壊れてしまう、これはマズイと感じたんだな」と思いました。知らない事実にはとことん拒絶する。これがアンチ創価の大きな特徴です。
それと「創価をやめたあと、いったい何を信じてるのですか?」と聞いた時も、ニーチェ以降の哲学と原始仏教という答えを出してきましたが、おそらく煮詰まってないその場しのぎの回答だと感じました。つまり創価にいるときは、まかりなりにも創価信仰というか確固たる生き方を必然的に身に着けていたはずです。それが嫌になったのは別にして。
でも、やめたあとは、それに代わる生き方の理念などが無くもぬけの殻状態なんだと思います。だから痛いところを突かれたんだと思います。私も悪気があって聞いたわけでなく、本当に自然な疑問で聞いただけだったんですが。
で、彼は確固たる信念がない状態なので、色々とハチャメチャな言い訳をしてきたわけです。
シニフィエさんに限らずですが、シニフィエさんの信者の皆様も、よーく考えたほうがいいです。
自分は何を信じて生きているのか? 何を根本に、どんな思想や哲学を持って人生を歩んでいこうとしているのか?
シニフィエ信者さんのコメントを読んでも、現世だけ楽しければいい、といった方が数名いたような。
刹那主義はよくありませんよ。街の不良と一緒です、というと不良に失礼ですが(笑)
ということで随時書いていきますが、私は創価学会の信仰を信じていること自体、非常にすごいこと、感謝すべきことなんだと改めて実感しております。これを「創価脳」と呼ぶなら、ぜひ対案を出してくださいね(笑)
●No title
鯛焼きさん
私は創価を詐欺とは思いませんが、その教えを信じられなくなったアンチです。
ただ信じて必要としている人は否定しません。
何を信じようと自由と思います。
私は、会則変更だの本尊論だの教義だのに、全く興味のないタイプのアンチです。
詐欺だからどうでもいいと言ってるんじゃなくて、「そんなもの何でも同じ」と思っているんですね。
かつて創価では「信じる心が大事なのではなく、何を信じるかが大事」と叩き込まれましたが、その根本を「ちがうな」と思ったから脱会しました。
私は会員だった頃、少なからず教えに力を感じていましたが、それは曼荼羅やお経そのものではなく「これだけが絶対的に正しい!唯一信じられるもの」という強い信仰心のお蔭だったと、今は思っています。
祈る対象が、それこそカラーコピーでも、誰かのいう「邪宗」でも、お経が題目じゃなくて念仏だったとしても、アーメンだったとしても、同じ力は感じたと思います。
これはおそらく話しても平行線と思いますので、言い合いしたいとは思いませんが、私がなぜ辞めたかといえばそういうことです。
何でもいいなら、選挙だの新聞だのやりたくないことがある団体にいたくない。
世間からも、決してよい目で見られているわけでもない集団にいたくないと思いました。
それから鯛焼きさん
特定の宗教を信じていないからって、確固たる信念がないとか、理念がなくてもぬけの殻だとか、不良というのはちがいますよ。
鯛焼きさんは子どもの頃から学会員でしたっけ?
そうであるなら、そんなふうに教えられた知識で、そういうことを仰っているのではないでしょうか。
本当に自分が無宗教を実体験してみて、それから言うならわかりますけどね。
人によっては、そうかもしれないけど、全員がそうじゃないですよ。
自分の心の拠り所や思索なんて、特定の宗教を信じてなくてもいくらでもできます。
>私は創価学会の信仰を信じていること自体、非常にすごいこと、感謝すべきことなんだと改めて実感しております。
これについては、そうですか!よかったですねと素直に思います。
なんら反論はないです。
鯛焼きさんの人生に、これからもプラスになればよいと思います。
ただし、未成年に強要するのはやめて頂きたいです。
いろいろなことを知る以前に、「これが正しい、あれはダメ」という先入観を植え付けていいことありません。
これは経験上いえることですね。
それから「シャッター」や「スイッチ」「××脳」っていうのは、何に限らずあると思っています。
もちろんアンチにもあります。
創価をどう思うかなんて、信者とそうでない人では見方が違う。
例えば、「お金を振り込む」という客観的な行為に対して、学会員は
「寄付」「真心」「お礼」「役立ててほしい」
という気持ちと思います。
一方でアンチは
「貢いでいる」「カモられている」「巻き上げる」「カツアゲ」
と言います。
こんなふうに、立場が違えば見方がちがうのにも関わらず「貢いでいる」が客観的で正しいかのように思いこむのが「アンチ脳」でしょうか。
尊重と言いつつ、信者を見ると無理にでもこっちに振り向かせよう、論破しようと無視できないのが「スイッチ」でしょうか。
こんな気持ちでは交わることなんてあるわけないのに、学習しても学習しても理解できない。
私は同じアンチでも、そういう人が理解できません。
まあ私自身、やめてからいろんな心情の変化がありました。
最初から、こんなふうに言えたわけじゃありませんでしたけどね。
鯛焼きさんとは何かの縁と思い、ここにコメントすることで心の整理をつけたいと思いました。
アンチもいろいろと思います。
何かの参考になればよいかと思います。
2018/08/04(21:37) アイスティー
●Re: No title
コメントありがとうございます。色々と参考になりました。本当に人それぞれです。アンチだとか創価だとかでくくってはいけない、改めて感じさせていただきました。
> 特定の宗教を信じていないからって、確固たる信念がないとか、理念がなくてもぬけの殻だとか、不良というのはちがいますよ。
この部分ですが、確かに言い方がちょっと子供じみてましてすみません。言いたかったことは、シニフィエさんは学会のころは(彼にとってどうであれ)信念のようなものがあったと理解してます。でも脱会したら創価思想的なものがスポっとなくなったようなイメージを私は持ってます。そのスポっと抜けた部分を、いったい何で埋め合わせたのか? もしくはそのままの抜けた状態なのか? 特に三世の生命観まで否定されてたとしたら、その代替案は何なのか? そんな点が気になってました。
で、シニフィエさんのブログの読者さんのコメントを読むと、今さえ楽しければ、といった内容を書いた方がおりましたので、それについてはどうなんでしょう? という趣旨で書きました。自分自身まとまってないまま書いたのかも、ですが、誤解されたらすみません。、
> ただし、未成年に強要するのはやめて頂きたいです。
> いろいろなことを知る以前に、「これが正しい、あれはダメ」という先入観を植え付けていいことありません。
私は学会三世で1歳の時の入会です。当然記憶にありません(笑) 確かに強要はよくないです。私は両親から「勤行しなさい」みたいには少し言われましたが「しないと夕飯抜き」とかはさすがにありませんでした。親がやっている姿を見て、何となく自然に入っていき、さらに青春時代にある体験を掴んだことで本気で信心に目覚めました。
強要はダメですが、歌舞伎役者が子供に歌舞伎を教えるように、親がよいと思ったことは子に教えても良いと思います。そのうえで子供が大きくなって、自分の判断でやるやらないを決めても、それはそれでいいと思います。
2018/08/04(23:45) 創価鯛焼き君
●アイスティーさんへ
アンチの方の冷静なご意見ありがとうございます。
平行線のところと思うところはあえて触れません。
鯛焼きさんも素直にお答えしているので、対話を続けてもいいのではとは、と思いましたが、、、。
私は20歳で自分の意志で入った1世です。嫁は2世の福子ですが、信仰、組織に対しての意識の違いは多々感じるところはあります。
私が入信したころは、自衛隊か創価に入れれば鍛えられるなんて揶揄された時代ですし、入った男子部の組織も体育会系の勢いだけで中身薄いなと、仏法の教義の深さとの落差に驚いたものです(笑い)。
入会するというも、謗法払いもしっかりして敷居の高さを超える相当な決意が必要でした。
半信半疑どこではなく、99%の疑いと1%の紹介者の誠意を信じ、やるからには中途半端はよくないと思い真剣に実践しました。
ここで得た体験で確信を深め、話せば長くなりますし止めますが、信仰は義務ではなく権利だという池田氏の言葉は納得いくものです。
一方嫁はというと、親がやっていたから何となくやっていて、やらないとバチが当たると言われて育ち、どちらかというと権利というより義務感の方が強いのかなと感じています(笑い)。
ですからアイスティーさんの仰るこどもに信仰の強要はいけないというお気持ちは理解しております。
どこの家庭もそうでしょうが思春期になれば組織や親の信仰に反発してやらない時期があり、そのあと仕事の行き詰まり、病もあり精神的に落ち込んだらしく、そこで思い出したように御本尊に祈りたくなったそうです。
正直その辺の感覚は理解しにくいところではあります。世間の感覚が強い方なので、納得しないのに素直に実践できちゃうところは、私にはできません(笑い)。
バリ活の鯛焼きさんとあえてユル活と言った私の違いは当然ありまして、創価の疑問そのいくつ?シリーズになるかわかりませんが、疑問に答えるなかで、おそらく活動家のなかでも意識の違いも出てくると思います。
学会の公式な教えや池田氏の書物スピーチ等納得できることなのですが、実際の現場の組織文化には付いていけない醒めているところもあるので、クチコミでいうなら3.5くらいでしょうか(笑い)。
ですから創価のすべてが絶対正しいなんて思いませんし、あくまで信仰対象は日蓮大聖人の妙法の信仰であり、決して池田氏や創価学会の組織を信仰しているわけではありません。
ですがこの信仰の素晴らしさを現実社会のなかで生かし開いていく善縁、善知識としては創価の組織以上のものはないという意識もありまして、
会員さんに対しては何としても信心根本で乗り越えてお互い励まし、刺激、触発できる組織にしていきたいと思っているところです。
2018/08/05(09:22) TS
●No title
鯛焼きさん、TSさん
返信ありがとうございます。
鯛焼きさん
>シニフィエさんは学会のころは(彼にとってどうであれ)信念のようなものがあったと理解してます。
>でも脱会したら創価思想的なものがスポっとなくなったようなイメージを私は持ってます。
私はそのようなイメージをもっておりません。
おそらく、自分が大切に思っていることを否定されたので、そのような感情的な言葉が出るのではないかな?と思いますが。
それから「スポッとなくなったもの」が、鯛焼きさんにとってはよいことしかない、という前提でお話をされているようですが、そうではない場合があるんですよ。
私など「スポッとなくなった」先入観や固定観念のお蔭で、ものすごくスッキリして救われました。
「スポッとなくなったもの」ということに対しても、もっと発想を広げてみては?と思います。
子どもの入会に関しては、口ではどういおうと強要していないバリ活を、私は聞いたことがありません。
勤行を教えるなんて、布教以外の何がありますか?
実際創価では、公式に「未来部」が発足していて、担当のお兄さんやお姉さんがしっかりと任務につきます。
小学生の子どもを、ニコニコしてお菓子やゲームでつりながら、実に巧みに誘導します。
「嫌いにさせない」「毛穴から」ってやつでしょうか。
「強要していません」という見た目より、これが何より効果抜群ということを、確信犯的にやっていますね。
これで、ネットなどなかった時代は、三人いれば一人は強信者になりました。
こういうやり方は、どう考えても賛成できません。
>そのうえで子供が大きくなって、自分の判断でやるやらないを決めても、それはそれでいいと思います。
これも非常にずるい言い方です。
大人になって、自分で決めればいいことなら、子ども時代に教えることなんて全くない。
親のエゴか、あるいは子育ての自信のなさかなと思います。
子ども時代に、そんな先入観は知らないというのが、子どもにとって有難いこと、と私は思いますけど如何でしょうか。
>色々と参考になりました。
>本当に人それぞれです。アンチだとか創価だとかでくくってはいけない、改めて感じさせていただきました。
これはとてもうれしい言葉でした。
ありがとうございました(^^)
2018/08/05(11:42) アイスティー
【解説】
なかなか有意義な対話が繰り広げられていますが、すべては収録できません。
シニフィエさんに絡むところだけ、ピックアップしていきたいと思います。
獅子風蓮