獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

藤圭子へのインタビュー その2

2024-01-13 01:56:37 | 藤圭子

というわけで、沢木耕太郎『流星ひとつ』(新潮社、2013年)を読んでみました。

(目次)
■一杯目の火酒
□二杯目の火酒
□三杯目の火酒
□四杯目の火酒
□五杯目の火酒
□六杯目の火酒
□七杯目の火酒
□最後の火酒
□後記


一杯目の火酒

 

   2

__あなたの手記、というやつが載ってる記事がありましてね、ここにそのコピーがある。

「手記?」

__タイトルは〈私の引退について最後に明かしたい事〉というんだけど。

「そんなの書いたことないよ、あたし。嘘だなあ、いやだなあ、ほんとに情けなくなるよ」

__竹山純子、って本名のサインもある。これ、あなたの筆蹟でしょ?

「本名のサインを下さいっていうんで、そのへんの紙に書いただけなのに……」

__たとえば、あなたと噂されたプロ野球の選手に関して、〈あれはもう終ってしまったことで、私の中に何の痕跡も残していません〉と書かれてあるんだけど、そんなこと書いてない?

「うん、絶対に。あたしなら、そんな言い方はしないと思う」

__あなただったら、どういう言い方になるの?

「……」

__しゃべりにくい?

「ひとことじゃ、無理だよ」

__もちろん、ひとことじゃなくても、結構ですよ、こちらは。

「……」

__オーケー、わかった。話題を変えましょう。

「わざとらしく変えなくてもいいけど……」

__ハハハッ。でも、いい。

「うん……」

__だけど、こんなふうにして、あなたたちの挿話とか伝説が作られていくんだということが、よくわかるな。それにしても、あなたは、実にいろいろな挿話が語られてきたけど、それもどうやら怪しくなってきた。

「たとえば、どんなの?」

__そうですねえ……たとえば……そう、あなたがね、楽屋で鏡を見ながら、これで憂い顔に見えるかしらって、ひとりごとを言ってたとか。

「ありえないね、そんなこと」

__絶対に?

「だって、その話の意味っていうのは、そうやって自分を作ってた、というんでしょ? その頃も、いまも、自分を作るなんて考えたこともないもん」

__そうか。

「そういうのって、ほかにも似たような話があるんだよね。このあいだ、俳優の石立鉄男さんに会ったら、同じようなこと言うんだよね。あたしがデビューしたての頃、マネージャーがね、この子はちょっと眼を離すとすぐ明るくなるんで困るんですって、こぼしたらしいの。いや、そうこぼしたって書いてある本だか雑誌だかを、石立さんが読んだんだって」

__その話、かなり有名な伝説なんだけど、あなたは知らなかったの?

「石立さんに言われて、初めて知ったの。それで、まさか、そんなことがあるわけないじゃないですか、と言って笑ったんだ」

__へえ、それは面白い。

「そういう話って、こっちの知らないところで、勝手に作られちゃうんだよね」

__話はよくできているんだけどな。

「ありえないよ、そんなこと」

__そうかな。

「たとえばさ、あたしの歌を、怨みの歌だとか、怨歌だとか、いろいろ言ってたけど、あたしにはまるで関係なかったよ。あたしはただ歌っていただけ」

__そこに、あなたの思い、みたいなものはこもっていなかった?

「全然、少しも」

__何を考えながら歌ってたのかな?

「何も」

__何も?

「ただ歌ってた」

__何も考えずに、何も思わずに?

「うん」

__ほんと?

「無心だったんだよ」

__無心?

「それがよかったんだと思う。デビューしたての頃、ほんとに、あたし無心だった。無心でやってるときが一番いいみたい、なんでも、あたしは。歌もそうだし……麻雀もそうだなあ」

__麻雀をやるの、あなたは。

「最近はやらないけど、ね」

__どこで覚えたの?

「沢ノ井さんの家に下宿していて覚えたんだ」

__沢ノ井さんて、沢ノ井龍二さんのこと?

「そう。下宿してたのは二階だったんだけど、下で麻雀が始まって、面子が足りなくなると、すぐ呼ばれるわけ」

__簡単に覚えられた?

「すぐ。ほんとに、すぐ覚えた。覚えないわけにいかなかったの。一回ざっとルールを教えてもらって、二回目からは本式のをやらされたから。でも、そうやっているうちに覚えた。ほんと、あっという間だった」

__賭けて?

「もちろんよ。安い麻雀だったけど、ちゃんとお金を賭けてたよ。その頃だろうな、あたしがいちばん強かった時代は。だって、負けても払うお金がないんだから。たった十円もない。だから、必死になって、負けないように打ってた。しかし、不思議と負けなかったんだ、これが」

__凄いね。

「その頃のことを知ってる人は、まだ強いと思い込んでるの。でも、もう駄目。あの頃の必死さがないもん。勝っても負けてもどっちでもいいでしょ、いまは。だから駄目。楽しめればいいとか、手の内をどうにかしようなんて考えるようになったら、ほんと勝てなくなった。昔は、必死にやってたから」

__なるほど。

「競馬も同じ。馬のことなんか何も知らないときは、とてもよく当たってた。ほとんど勘だけなんだよ。すごく勘が鋭かったと、自分でも驚くくらいがよかった。でも、馬についてなんとかわかるようになったら的中しなくなった。歌もそう。無心で歌っているときが一番いいときだったんだろうね」

__無心かどうかはわからなかったけど、あの頃のあなたはいつでも無表情に歌ってたという印象はあるな。

「うん……」

__さみしそうで、つまらなさそうで、それでいて無表情のような……不思議と記憶に残る顔だった。いま、眼の前にいるあなたより、むしろ鮮かなくらい。

「それはひどいなあ」

__ふだんでも、あんな顔してたの?

「それが地顔なんだ、あたしの」

__地顔、ですか。

「あたしが、何も考えないでぼんやりしていると、どうしたの、何かあったの、なんて人から言われるんだ」

__別に、どうもしないのに?

「そう。あたしのお母さんもよく言われたんだって。ぼんやりしてると、どうしたの、心配事があるのって言われたんだって。何も考えてなんかいないのに。親子二代なんだよ、この顔は」

__親子二代、とは面白い。……いつも、楽屋なんかではどうしてるの?

「黙ってる」

__どうして?

「つまらないから」

__つまらないから、黙ってるの? みんなとおしゃべりなんかしないの。

「うん、しない。本を読んでるか、寝てるか、付き人の艶ちゃんと少し話すか……」

__化粧は?

「十分くらいで終っちゃう。あたし、早いんだ。いつもそれでほかの人に驚かれるけれど。タレントさんの中には、1時間も2時間も鏡を見ててちっとも飽きない人がいるんだよね。あたしなんか、10分以上、自分とにらめっこしてるのはいやだな」

__女としては、見てる方が、案外、普通なんじゃないかな。

「そうかなあ。でも、それ、女の人だけじゃないんだよ。男の人も、髪をとかしながら、じっと何時間でも鏡の前に坐って自分の顔を見つめているの」

__なんだか、気味悪いね。

「ほんとなの」

__まるで怪談だね、現代の。

「でもね、スターっていうのは、それくらいでなくてはいけないのかもしれないよ」

__そうかな。

「だって、凄いんだよ」

__何が。

「相手が。扱う相手が、もの凄く大きいんだもん」

__ああ、そういうことか。スターが相手としている……つまり、商売の相手ですね。

「たとえば、ここで、あたしのレコードが流れてたとするでしょ……」

__えーと、少々まぜっかえすようですが、ここでは、さすがにあなたの歌は流さないんじゃないかな。ホテルのバーというか、カクテル・ラウンジなんだから。

「それはわかってるの。だから、かりに、って言ってるじゃない。かりにね、ここに流れていたとしても、あたしは少しも嬉しくない」

__どうして?

「一軒の店で流れていようがいまいが、そんなことじゃどうしようもないの、この世界は。そんなことで嬉しがったり悲しがったりしてたら、しょうがないの」

__ぼくだったら、電車の前の席で、ぼくの書いた文章を読んでくれている人がいたら、その日、一日中幸せだろうけどなあ。

「それとは全然ちがう世界なんだよ。海に魚がいるでしょ。その魚に、何十万本もの釣り針をつけた糸を流して、一度に釣り上げなくちゃあいけないの」

__一本、一本なんて、駄目か。

「一匹、一匹、ひとり、ひとりなんて、確かめながらやる商売じゃないの」

__そんな話も、あなたの口から出てくると、冷徹で凄味があるね。

「よく、福引とかクイズとかで、壜の中の硬貨を片手で掴むというゲームがあるでしょ」

__掴み取りだね。

「そのとき、誰も綺麗なおかねだけよりわけて掴なんてこと、しないでしょ。どれだけ多く、一気に掴めるか、必死じゃない。しかも時間はないから、早く、早く、と焦るし、ね。あたしたちの仕事って、それと同じなんだよね」

__なるほど、とてもわかりやすい譬えですね。

「チャンスといっても、この世界には、あんまりないと思うんだ。ほかの世界にあるような、小さなチャンスというのが、ほとんどない。でもね、一度掴んだら、それはとても大きいんだ。ほんとに、とっても大きい」

__それだけに、ひどいことや、凄いことや、信じられないようなことが起こるわけだ。

「そうだと思う」

__つい最近なんだけど、渋谷の名画座で〈アイス・キャッスル〉っていう映画を見たんですよ、暇つぶしにと思って。

「あたし、知らないなあ。どういうの、それ。アメリカの映画?」

__そう、アメリカの、フィギュア・スケートの選手の物語。昔、よく、少女漫画なんかに、バレリーナ物というのがあったじゃないですか。鬼のようなコーチと可憐な少女とか、意地悪なライバルと主役を争うとか、いろいろなパターンで。

「よくあったね、そんなの」

__その映画も実にくだらないストーリーだったんだけど、一箇所だけ面白いなって感じる部分があったんですね。主人公の、とても可愛い少女が、田舎から出てきて一躍スターになる。あの札幌オリンピックのときのジャネット・リンみたいにね。すると、もう、いろんなパーティーなんかに引っ張り出されて、モミクチャにされるわけ。慣れないことだから、その子は困惑して、パーティーから抜け出してきて、ある人に訊ねる。どうして、みんな、私のこと、あんなに触ろうとするの、って。すると、そいつが答える。人は、自分にないものを持っている人っていうのが、不思議なんだよ……。

「その話、少しわかるような気がするな」

__あなたも、人から滅茶苦茶に手を差し伸べられ、触られ、モミクチャにされたんだろうなと思って、ね。

「ほんと、そうだった。若いときは、ね」

__若いときは、ですか? 若いときは、なんていう齢でもないだろうと思うけど、まだ。

「そういう齢だよ、もう。28になったもん」

__まだ、28じゃないですか。

「もう、ですよ。絶対に、もう」

__ほかの世界だったら、まだ、ひよっことしても、数えてくれないだろうになぁ……。

「まだでも、もうでも、どっちでもいいんだけど、本当に、若いときは凄かった。だから、婚約したり、結婚したときなんか、怖いくらいだった。殺してやる、とかいう手紙がきたりしてね。可愛さあまって憎さ百倍、とか、そういう感じで、恐ろしかった。漫才の人にね、うちの息子もファンだったけど、婚約したとたん部屋のポスターをビリビリに引き裂いてしまったんですよ、という話を聞かされて、ドキッとしたな。ファンの心理としては当然なんだけど、心が冷くなるようだった、そのときは」

__巨大なものを相手にしていると、凄まじいことが起こるんだろうな、それは。

「仕方ないんだよね」

__そうかもしれない。

「うん……」

__よく、週刊誌に、あなたの年収を5千万とか6千万とかしているのがあるけど、あれはだいたい当っているの?

「うん、そのくらいかな」

__ほんと! 凄いですね。

「いくらあたしだって、そのくらいの年収はありますよ」

__やはり凄い世界だな。二十代の女の子に、五、六千万の金を、ポンと投げ出すんだから。

「チャンスって、そうは転がってないけど、掴めば大きくて長つづきするんだよね、この世界のチャンスって」

__しかし、それが全然なくなるわけでしょ、引退すれば。……ああそうか、全然じゃないか。レコードの印税が入るかな。

「そんなの、引退したら、もうないよ。売れなくなるもん、レコードなんか」

__それでは、ますます大変なことになるんだろうけど、その五、六千万が入らなくなって、どうやって生活していくつもりなんですか。 やっていけるの?

「1年か2年は、仕事をしないでも食べていけるだけの貯えはあるけど、もちろん、一生、働かないですむわけじゃない」

__だったら、どうするの? また歌うわけ。

「まさか! でも、そのうちに、何かの仕事につこうとは思ってるんだ。お母さんだっていることだし、困らせるわけにいかないじゃない」

__大変ですね。

「別に」

__そうかな。

「そうだよ。だって確かに、いままで、贅沢はしてきたよ。だけど、それはそれ、そういうこともありました、そういう時代もありました、っていうだけのことだよ。やっぱり、あたしは、家で御飯と漬物を食べるのがいちばん好きだし、親子丼とかカツ丼とか、御飯の上に何かがのっかっている簡単なものが好物だし、服だって、セーターとシャツとズボンがあれば、それでいいし……自信があるんだ、あたし」

__普通の水準の生活ができる?

「できる。どんな生活にだって、耐えられると思う」

__耐えられる?

「うん、耐えられる」

__歌っていさえすれば、そんなに頑張って、耐える、なんて言わなくてもすむのに。

「歌いつづけていたら、もっと……」

__もっと?

「……」
__もっと、何なの?

「……別に」

__何なのかなあ……。

「別に、何でもないよ。……でも、とにかく、いくらお金がなくても、平気、あたしは」

 


解説
沢木耕太郎さんは新しいこころみとして、いっさい「地」の文を加えずインタヴューだけで描き切るという方法をとることに決めました。

たとえば、冒頭の文章は、著書ではこのようになっています。

「呑み物は、どうします? 酒でいいですか?」
「うん」
「何にします?」
「ウォッカ、あるかな?」
「それはあるんじゃないかな。とりあえず、ここはホテルのバーなんですから」
「それなら、ウォッカトニックをもらおうかな、あたし」
「ウォッカ・トニックって、ウォッカにトニック・ウォーターを混ぜただけのもの?」
「そう、それにレモン」

でも、これって、読みづらいんです。
膨大な会話の途中で読み始めると、どれが誰の発言か分からなくなります。
なので、私の記事では、沢木耕太郎さんの発言のみ__(アンダーバー)を頭に付けて、区別するようにしました。
また、会話と会話の間に1行いれて、読みやすいようにしました。

 

__大変ですね。
「別に」
__そうかな。
「そうだよ。だって確かに、いままで、贅沢はしてきたよ。だけど、それはそれ、そういうこともありました、そういう時代もありました、っていうだけのことだよ。やっぱり、あたしは、家で御飯と漬物を食べるのがいちばん好きだし、親子丼とかカツ丼とか、御飯の上に何かがのっかっている簡単なものが好物だし、服だって、セーターとシャツとズボンがあれば、それでいいし……自信があるんだ、あたし」
__普通の水準の生活ができる?
「できる。どんな生活にだって、耐えられると思う」
__耐えられる?

藤圭子さんは、このように語り、「とにかく、いくらお金がなくても、平気、あたしは」と言い切ります。

貧乏な生活を知っている私としては、藤圭子さんのそういうところに惹かれます。共感します。

 


獅子風蓮



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