最初のころのようにアンチブログに過度の思い入れをしなくなった今なら分かります。
アンチブログに集まる人の言葉には偏りがあるということを。
創価学会にいるときに、あることを見たり聞いたりしたとします。
でも学会をやめた人が、そのことを振り返って、全く反対の評価をしたりします。
そこに同調圧力が加わったりすると、コメントに違和感を抱いたとしても、なかなかそれを言えなかったりします。
勇気をもって違和感を表明した人を袋叩きにしたりします。
そういう目で対話ブログを読み返してみると、公明党の国会議員だった沢たまきさんの死亡について、コメント者の間で意見が分かれた個所を見つけました。
ある人(Aさん)が次のように書いています。
2019年5月13日 23:47
~中略~
女性議員で亡くなったのは元女優の、沢たまきさんです。
創価では幹部でしたし議員にまで昇格しながら、なんと最期は議員宿舎のふろ場でした。
創価で言うところの境涯の高い沢さんも最期は誰にも看取られず結婚もせず、「全裸」でした。
現場検証の間中、全裸状態で多くの警察関係者の目にさらされて、、、これが、成仏の姿なんですかね?
これに対して、別の人(Bさん)が次のようにコメントしています。
2019年5月15日 12:45
お久しぶりでございます。
対話ブログにはもうコメントしないという姿勢は一貫して通してきたつもりでしたが、自ブログから意見を書くのも、陰険な気がして今回ばかりは正面から投稿させていただきます。
どうぞご理解くださいm(_ _)m
Aさん、いかなる思いや正義感からであれ、人様の死に関する冒とくはシンパ、アンチ関係なく失礼ではないでしょうか。
人がどのような場所で亡くなろうと幾つで生涯を閉じようと、その人にとってはかけがえのない人生です。
少なからず、見ず知らずの他人が貶める領域ではないのでは思います。
お風呂場で亡くなる高齢者は多いですが、私の知り合いでも身体をキレイにした直後で理想の亡くなり方だと絶賛される人もいましたよ。
(中略)
古巣を遠目からなんだかんだ言われたくないので、率直に申したところです。
誰にどうこうなんて他意は一切ありません。
これからもよいブログになるように尽力してください。
応援しています。
私としては、Bさんの意見の方が常識的で正しいと思うのですが、その後のコメントの流れとしてはAさんを擁護する意見が多かったように思いました。
それでも、おかしいと思ったことはおかしいと声をあげることを信条としているBさんが発言した意味は大きいと思います。
もともと創価学会では、やめた人を退転者と呼んで「ロクな死に方をしない」などと誹謗することが少なくありません。
アンチとしては、許せない言葉です。
Bさんの発言がなければ、アンチの人たちも同じ誤りをなんの疑問も持たずにやってしまうことになるからです。
新生「対話ブログ」では「論争はしない」とのことですが、このような有意義な「論争」も封じ込めてしまうのでしょうか。
前回引用した私のブログは次の言葉で締めくくられます。
__相手の信仰と信仰の対象に対する最低限の敬意ははらってほしい。
私が投げかけたボールは、けっこう重要なものだったのです。
シニフィエさんは、正々堂々と「対話」でもって、私に打ち返してきてほしかったと思います。
獅子風蓮でした。
こと「信仰」に関しては、それぞれ思うところがあると思うのですが、新生「対話ブログ」において「論争」を封じ込めた場合、シニフィエさん独自の無神論を一方的に押し付ける場になってしまうような気がして、心配しています。
つづく
>勇気をもって違和感を表明した人を袋叩きにしたりします。
これはあくまで私の私見ですが、勇気なんてたいそうなものじゃなくて、なぜこういう意見があるのか?それに対しての反応はどうなのか?異論を書くとどうなるのか?という好奇心のようなものが強かったんです。
これは真向、書きたくなりますね。
今も何が嫌いって、規制された偏向報道が嫌いで、広く意見を聞きたいんですよね。
いろんな意見が混沌として、どうやっても統制なんかつかない。
これが良くも悪くもこの世の自然な現実で、私はそういう苦労を含む、決して甘くないものが「自由」と思ってるんですよ。
これを一方方向に誘導して、そうでないものを弾圧するのが大嫌いなだけです。
規制、統制、袋叩きができたらラクチンでしょうねえ。
でも創価がファシズムならアンチのファシズムはノーと言いたいし、書きたいことはこれからも書き続けます。
>なぜこういう意見があるのか?
>それに対しての反応はどうなのか?
>異論を書くとどうなるのか?
>という好奇心のようなものが強かったんです。
私も、自分が感じる違和感を大事に、好奇心を失わずに、書いていきたいと思います。
海さんも頑張ってください。
応援しています。
獅子風蓮