獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

対話ブログ・ステージⅢ:いよいよ再開です(7)

2022-05-26 01:04:57 | 対話ブログ

財務という名のカツアゲ 2」についたコメントのつづきです。


●ラザリス (2016年12月4日 01:18 )
御本尊の解釈を180度変えるということをやった時点で、宗教として終わってますが、創価は元々が詐欺を目的とした団体なので、当然といえば当然ですね。
東大とか早稲田とか卒業したエリートが、会員を騙す屁理屈をこね回すことにその優秀な頭脳を無駄に使っているとは、なんとも情け無い限りです。
札束でほっぺたを叩いて社会のあらゆる組織を黙らせている現実があるとすれば、その札束がだんだん薄くなれば言うことを聞かなくなるということですね。
だから「財務」はやっちゃダメってことです。
それがフェアな世の中につながるせめてもの道筋なのかもしれません。
どなたかのコメントにありましたが、自分の周りでも創価の会員はガンで早死にする人が多いです。
それが罰なのかどうなのかは証明できませんが、事実はそうです。
自分が入会した30年ほど前は、この信心で末期ガンを克服したとか、医者から見放された病状が奇跡的に回復したとかの体験談がよくありましたが、最近はガンで早死にしたけど満足しきった人生だったとかに功徳の中身が変わってきてるみたいですね。
祈りとして叶わざるなしの信心でなかったの?
創価で無報酬のブラックバイトをしようと、3桁の財務をしようと、無宗教の人間とさして変わらない結果しかでません。これが事実です。
というわけで、
「財務、いつ辞めるの?」
「今でしょ!」
まだ言うか。
(ー ー;)

●signifie (2016年12月4日 01:29 )
・本部職員の財務は副会長であっても一律2万円という決まりがある。
・財務の一口1万円は決まりではない。
・1円をATMで振り込んでも何の問題もないし、組織にはバレずに領収証が来る。
現役学会員さん、この3点を幹部に確認してみませんか?もしかしたら知らない幹部だっているかもしれません。そしたらそのまた上の幹部に確かめてもらってください。たくさん財務をすればするだけ功徳があると言って3桁4桁を会員に迫る幹部自身が2万円しかしてないってどゆこと?って(笑)
ついでに、創価の収支は幹部が本部に請求すれば教える決まりになっているそうですが、まだそんな会員はいないそうです。というか、いてもいろいろ言われて諦めさせるんでしょうね。「創価を疑うとバチがあたるぞ、地獄行きだぞ」って。誰か本部に行って「地獄に落ちてもいいから収支を見せろ」って言ってみませんか?その対応で実態に気付くと思いますよ。

●debrainwashing (2016年12月4日 04:44 )
遅ればせながら、本日図書館で週刊ダイヤモンドのバックナンバー「創価学会と共産党」を手に取りページをめくったところ、本部職員をしていた大学の後輩が懲戒解雇され、学会も除名となり、学会に対する抗議活動をしていることを知り、彼らのブログを見ているうち、久しぶりにこちらのブログに辿り着きました。
彼らは大作氏のことはまだ信じてるんですよね。もう目は覚めないのかな…。3人のうちひとりは、大学の後輩として直接関わる機会があり、人柄を知ってますが、純粋で真っ直ぐ過ぎて猪突猛進キャラだったので、要領良く立ち回るのは難しかったのかな…。この件でご両親まで離婚までされたようだけど、もう学会に関わるのをやめて、新しい道で地道に頑張ればいいのにな…と感じてしまいました。でも学会職員からアラフォーで転職とか、かなり難易度高そうですが…。
財務の話でしたね。財務の時期になると、財務した後に宝クジがあたっただの体験談発表会が種々催されますが、めっちゃドン引きした体験談をふたつ。
1つ目は、支部か圏の婦人部長さんだったかな?財務後、夫が仕事中機械の操作ミスだかで、指が切断されてしまったと…。でも、無事労災認定され、財務額以上の一時金が手に入ったとみんなの前で嬉々として語っていました。夫が指失ったことより金?
2つ目は、低給のOL女子部さんがコツコツ貯めて100万円の財務をした後、自動車で人身事故を起こし、相手は瀕死の重体になったが、息を吹き返し、相手の家族も良い人たちで激しく責任を問われることはなかった。財務のおかげで守られたというもの…。さすがにこちらは嬉々としては語ってなかったけど…。
以上財務のモチベーションがダダ下がりになった体験談でした。

●フッポウシ (2016年12月5日 08:22 )
皆様、おはようございます。現役支部長の役職ブン投げたフッポウシです。聖教配達後遺症で相変わらず早起きです。(笑) どなたか3000円の振り込みで地区で噂になったとの書き込みがありましたが勿体ないし、変ですね2~3月のあのくっそ忙しい時期に誰が封筒開けて金額確認しているんでしょう、あの時期選挙関係や他の雑多な書類に紛れて一緒に受け取って各地区毎に配っていましたから。意図的なもの感じてましたネ。振り込みまではあたかも大変な事のように大げさにやってて済んだらポイっと後は末端にやらせる。本当に悪どい信濃町幹部共ょ。
志茂田景樹氏の小説に『折伏鬼』で戸田さんが刑務官に「娑婆に出たら宗教を大たい的にやるそれが儲かる世の中になる」と言った言葉を読んで、獄中の悟達の中身は宗教を利用して大儲けする事だった。
『新折伏鬼の野望』では池田大仏の青年室長時代に「イケダのアホンダラが広宣流布なんて絵に描いた餅ですょと言って笑っていた」との元担当刑事の話など読むと、ホント詐欺師の師弟不二ですょ。此の二冊の小説は志茂田氏が学会員当時の体験やその後にフリーライター当時に丹念に取材して小説風に描いたものですが裏の学会史みたいで皆さんの体験とダブリますね。アマゾンのキンドルで数百円でダウンロードできます。

 


解説
今は海さんとともに反ワクチンや陰謀論にどっぷりつかっているラザリスさんがコメントしています。
この時は、切れ味のするどいいい文章を書いていますね。

「3人組」の一人を後輩として持つdebrainwashingさんが、貴重な情報を寄せています。
財務の体験談発表、めっちゃドン引きした体験談……気が滅入る話ですね。

獅子風蓮


対話ブログ・ステージⅢ:いよいよ再開です(6)

2022-05-25 01:01:23 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。
(私はシニフィエさんの主張に必ずしも賛同するものではありません)

●の文章は、それについたコメントの引用です。


■財務という名のカツアゲ 2      投稿日: 2016年12月1日

おかげさまで、再開してから2週間たらずで休止前の勢いを取り戻すことができました。下のグラフにあるように、まるまる4ヶ月休止していたにもかかわらず、12月1日の時点で昨年の総アクセス数を上回ることができました。今年は7ヶ月で去年のアクセス数を超えた計算になります。現在、1日の平均アクセス数が約7000です。この調子でいくと500万アクセスまで、ほぼ2ヶ月。2月の初めには500万アクセス達成のお祝いが皆さんとともにできそうです。
上のグラフの下の数字は今年のビュー、訪問者、コメント数です。今年の1月から11月末までに、 1739467のアクセスと、のべ493978人の訪問者と、7ヶ月で5300ものコメントをいただいたということです。7ヶ月で5300の「創価は詐欺だと気付きました」というコメントが集まっているということです。これ、誰が否定できるでしょう。このコメントを前にして「いや、創価は正しい宗教団体だ」と証明できる人がいるんでしょうか。できるという人の言うことにどれだけの説得力があるでしょう。あるわけないですね。
何度も言いますが、こんなにアクセス数やコメント数での勢いをアピールするのは、自分で考えることを避けている学会員さんに、少しでも目の前の現実に目を向けて欲しいからです。創価の中で言われていることと、現実の社会とのギャップについて、自分は見ようとしていないのではないか。それが果たして正しいことなのかどうかを、自分の頭で考えて欲しいからです。さらに財務というお金のについて考えると、とてもわかりやすいのではないかと思います。例えば「創価のお金の集め方は、宗教法人として正しいのか」という問いを自分に投げかけてください。そこで少しでも考えようとしている自分があったとしたら、それはまだ覚醒する可能性があると思われます。もし「なにをバカなことを言ってるんだ。創価が間違ったことをするはずがないじゃないか。そんなこと考えるなんてどうかしてる」と全く考えようとしないのであれば、残念ながらほとんど望みはないですね。そんな人はこのブログをどれだけ読もうと何の価値もありません。っていうか、そもそもそんな人は読まないですけどね(笑)
とにかくこのグラフにも現れている事実。つまり「創価は詐欺だと気付いた人たちがこんなにいる」という事実とその証言。これは学会員だろうが元学会員だろうが、創価と全く関わりのない人だろうが、誰も否定のしようがないということです。ところが学会員だけは、この否定のしようのないことを否定するんです。つまり創価学会は否定しようのない事実を否定するしかない集団ということです。そんな集団が世界平和を実現できるのでしょうか?と言いますか、そんなこと誰がしようとしているんでしょう。たくさん財務をすればするだけ幸せになれるという教えの教団が世界平和を目指しているなんて誰が思えるんでしょう。会員から集めた莫大なお金の使い道を全く公表しない教団が、いつ世界を平和にしてくれるというのでしょう。そんなことすら考えようとしないのが創価学会員です。とにかく考えない。考えようとしない。考えることを悪だと思い込まされている。自分で何も考えずに組織の言うことを聞いてありったけのお金を貢げば幸せになれると思い込まされている。これ絵に描いたような詐欺の手口ですよ、学会員さん。だからそれに気付いた学会員さんや元学会員さんが、こうやって7ヶ月で5300もの証言をしてくれているんです。このブログが始まってまる5年間で19514の証言です。これだけの証言を無視できること自体が不自然ですよね。
もう創価は衰退・激減の一途をたどっていることは、活動している人の方が身にしみてわかることです。ブロックが消滅し、地区が統合され、幹部の兼務が当然のこととなり、残された会員の新聞啓蒙のノルマが増え、新聞配達員もいなくなって、高齢の会員が身体を酷使して配っている。座談会は何十年経ってもただ年をとっているだけの同じ顔ぶれ。こんな組織に未来があると本気で思っているのでしょうか。思っていなくても思っていることにしなければならないのが現実でしょう。そこまで無理して創価が正しいと思いたい、自分の人生は間違っていないと思いたい。きっとこれが本音だと思います。しかし口が裂けても言えない。言うどころか、自分が思っただけでも怖くてたまらない。そうやって怯えることもしたくないから、とにかく考えないようにする。思考停止に安住の地を求める。それこそ創価の思う壺です。自分で考えましょう。自分で自分の人生のことを考えましょう。自分の子どもに今の自分のような生き方を強制していいものかどうかを考えましょう。それが未来のある子どもに対する正しい人生の選択なのかを自分で考えて欲しいと思います。
私は自分の考えが正しいかどうかはわかりません。なにしろ生まれて50年過ぎてから、自分の人生観、価値観は完全に間違っていたことに気づかされたんです。今さら何が正しくて、何が正しくないかなんて他人に言えた義理ではありません。ただ、自分のこれまでの残念な人生の中で、一つだけわかったことは「創価学会は詐欺だ」ということです。そしてこれはこのブログにコメントをしてくれているほとんどの方と共通の認識だということです。この事実を受け止めるか受け止めないかは読む人次第です。その人が何を信じるのか、何を信じないのか誰も何者からも強制することはできません。何を信じ、何を信じないかは、自分で考えて自分で決めることだと思うからです。
ということで、今回のテーマも引き続き「財務という名のカツアゲ 2」でいきます。財務に関して、これまでの経験や思うことなど、思う存分お話しください。よろしくお願いします。


●れん (2016年12月2日 11:55 )
私は、どうすればいいかわかりません。
学会三世で、子供のころからアンチでした。
でも、結婚を機に、ずっと反発してたけど実際に活動したことない自分ってどうなんだろう?と思い、二年ほど前から熱心に勤行も活動もしています。
私の親戚親含め、学会員はとても元気だし、ポジティブだし、仕事も家庭もうまくいっています。
私の周りの学会員の方も他者のために、というのを日頃から心掛けていて、尊敬できる人ばかりなんです。
たしかに、財務、新聞等お金がからむことはあります。でも、そのおかげで書籍や新聞を通して学べるし、教育や文化などにお金をかけて、創価学会を知ってもらえるという利点があります。たくさんお金を集めるから、それだけ精力的に活動ができます。
私自身も、しっかり題目しはじめたら、うまく説明できませんが、すごく前向きな気持ちになれたし、周囲との関係も良くなってきたし、他者のために尽くせる人になりたいと思えるようになってきました。
でも、思春期のころなどはアンチサイトをよく読んできたから、自分の周りとの差に戸惑ってしまいます。
なにがただしいのかわからなくなります。

●哉文 (2016年12月2日 13:42 )
こんにちは。脱創価→現法華講員の哉文です。
かつて創価学会は、寄付や供養をもらわない宣言をしていました。それはありがたいことですが、会員の中には、お世話になっている大好きな組織に全くお金で貢献できないことを残念に思う人もいたようです。
一度だけ、この掟を破って寄付を募ることがありました。それが、昭和40年、正本堂建立の時です。それを事の戒壇にせんと、たった一度だけの寄付を募ったのです。
このとき、必要な30億程度の金をはるかに凌ぐ、350億円が集められました。創価学会が集めたおのお金の使途を、時の日達上人猊下は、池田会長に任せられました。
予想をはるかに上回る大金を手にした池田は金の亡者へと狂っていきました。
350億円の使途は?
池田の私腹を肥やす以外に、もう一つ大きな使途がありました。
それが、創価学園の建設です。
一切の寄付を貰わない団体が、どうやって私立中学、高校、大学を作ることができましょう?
八王子に巨大な敷地を買い取って、急ピッチで話を進めて、数年後には大学まで作ったわけです。
池田の関心はすでに正本堂にはありませんでした。それで、見かけだけ立派に見える突貫工事をやったのです。正本堂は後に欠陥建築物と認定され、取り壊さざるを得なかったのです。
それからというもの、味をしめた池田創価は、財務を募り、金の力を存分に味わえる組織へと発展。学会員は、とことん金を出すことを池田は知ったのです。

●Toppo (2016年12月2日 14:16 )
Toppoです。
やっぱり「金の力」はものすごいものがありますね。
昔、或るベテランの不動産業者の方と雑談をしていて、聞かされた話ですが、不動産にまつわるありとあらゆるトラブルで、金で解決できないトラブルは一つもないと、その方は断言されました。
実際、世の中、金さえあればなんとかなるんです。
逆に、金がなければ、もうそれこそどうしようもないという事が多々あります。ご存じのように。
60何年生きてきて、遅まきながら思い知った事ですが、やはりお金は大事です。
創価の財務を振り込もうとしているそこのあなた、ちょっと待った。
老後の生活、大丈夫ですか?
「大変な時に守られる」とか「王者のような境涯になれる」とか、池田が言ってますが、あれみんな嘘ですよ。
ところで創価は幼稚園から大学まで、いろいろと学校を建ててますね。
学校、それも大学を建てるとなると、それはそれは大変な話で、福沢諭吉の慶應義塾にしても、新島襄の同志社にしても、やはり最初の頃は、金の苦労は並大抵の事ではなかったようですね。
それに対し、創価の場合はどうでしょう。
池田のツルの一声で、それこそ何千億の金が、マインドコントロールされた信者から、いとも簡単に集まってくる。大学の一つや二つ建てるのはちょろいもんでしょう。
色々と指示は出したことでしょうが、池田本人が金策に東奔西走して資金を工面したわけでもない。ましてや池田が汗水たらして働いて稼いだ金ではない。
金を出したのは学会員達です。
だから、新聞やなんかで学校の事を語る時「創立者」という言葉をやたらと使うのが、どうも引っかかるんです。創立者は池田じゃないよ。無名の学会員達だよ。そう思いませんか。
金の力。それは確かにすごいけど、本当のことは、結局時間がたてば「歴史」が証明してくれることでしょう。

●portfolio (2016年12月2日 16:17 )
学会3世で昨年覚醒しましたportfolioといいます
祖母と父は昭和30年に入会
祖父を戦争でなくし一人で父親を育てました
祖母は65歳で公務員を定年退職になりました
退職金のうち2000万円を我が家を学会の拠点にするために家の増築費・仏壇に使い、さらに自分達家族が入るためのお墓を購入
残りの1000万を財務として使いました
4桁の財務をした翌年祖母は末期がんで吐血して帰らぬ人に
多くの人を折伏し、40年近く学会のために活動したにもかかわらず苦しみながらなくなりました
10数年後今度は父親の会社が経営破たんに
2000万円以上の負債を今でも抱えています
私は財務に使うよりまずは借金に回すように何度もいいますが、父は「財務を精一杯やってきたから負債はこれくらいで済んだ。財務は何倍にもなって福運として帰ってくるんだぞ!」との一点張り
話にならないので最近はお金の話はしないようにしています
財務や福運が何倍にもなる分けない
まるで福運のギャンブルです
財務で出した金額以上に借金を抱え込んでいるというのに
3年前は母親が癌に
入退院を繰り返しながら抗がん剤治療をしています
未入会の妻はこんな家族を見ているため「学会の信仰をしても不幸になるばかりだ」と言っています
私は結婚を期に家を出ましたがご本尊は持っていたけど御安置せず16年経つ今でも押入れの奥にしまったままです
勤行は学生部卒業してからはほぼしていません
我が家は妻も子供たちも入会させていません
学生部時代から少なからず学会とりわけ池田に対する不信があり疑問をもちながらずるずる活動を続けてきてしまいました
折伏もF取りもエア報告 信仰心のない活動家でした
そんな中 学生部時代同じ組織の弓谷君の事件や、大学の先輩丹治さんの金銭問題等々いろいろなことがきっかけで昨年覚醒をしました
覚醒したことを妻に話すと大変に喜んでくれました
家では学会の話はまったくしないことが覚醒させることにつながったのかなと思っています
学会なんぞ宗教を語る詐欺団体としか思えません

●れん (2016年12月2日 21:44 )
シニフィエ様、失礼いたしました。はじめましてです。れんです。
役職なしのヤングミセスです。
すみません、そういうスタンスのブログだったんですね。ジョンソン三号さんもコメントありがとうございます。特に他人にどうこう言うブログではないことがわかりました。
創価学会をやめたい人が相談にきたり、創価学会での嫌な思い出を書いて気持ちを発散させたりしているということでしょうか?
やめた方に質問をします。学会に何年も捧げ、創価学会は自分を価値づける重要な存在だったと思います。やめられた方は、何を支えにして、毎日今過ごされていますか?
創価学会への恨みですか? 愛を憎しみに変えて、なんとか自分を保っているのでしょうか?
はたまた、こうしたブログを、もう人生の半分を終えて立ち上げ、やれ自分が同じ被害者を出さないように助けてやっているんだぞと自身の存在意義を感じながらなんとか過ごしているのでしょうか? 自分の父親と同じぐらいの歳の人が、こんなことに熱心になって、再開したぞ!また救うぞ!とがんばっているのが、なんだか切ないです。
残り短い人生、何に価値を見出だしていますか?
私も、創価学会が正しいのか悩んでいます。でも、身近でやめていった人の様子を見ていると、こんなふうにはなりたくないと思ってしまいます。
もしやめられて、今はこんなに楽しく生きています、こんなに人として成長しています、というのを、教えていただきたいです。

●希望 (2016年12月2日 21:48 )
「白バラ通信パンドラの箱」の希望です。シニフィエ様のブログが盛況なので嬉しい限りです。
 さて、財務の件で、私が、和田公雄元創価学会海外相談部長から伺ったことをお知らせします。
 正本堂建設の際に集まった特別財務の金額は、実は500億円だったとのことです。池田氏は、この時から大きく変わったそうです。

●哉文 (2016年12月3日 01:39 )
哉文
40代脱会→法華講員です。
れんさんこんにちは
ぼくの創価仲間も、いい人ばかりでした。
誰よりも心許しあえる、親友を超えた人たちでした。
創価の組織から離れて15年。久しぶりに訪れた地で、かつて学生部の拠点となっていた家は空き地でした。たくさんいた仲間たちの、誰とも会えませんでした。フェイスブックでも、誰1人ヒットしません。
罰は冥罰が基本。長い時間をかけて現れるのです。
どれだけ周りがいい人であっても、開眼のない偽本尊を長年拝めば、その功力は魔の通力だと知るときが必ずきます。「良い人たち」が十年後も良い仲間であるよう、貴方が教え諭すときです。全員、偽本尊に害される前に、必ず救い出す人が必要なのです。それが、貴方です。学会の話ばかり一方的に聞いたら、次は正宗のお寺を訪ねてみてください。貴方と、周りの良い人たちを救うために。
ここにいる人たちも良い人たちばかりですが、創価を知った程度で、有史以来続くあらゆる宗教をわかった気になって否定している人たちもいます。それに同調することもありません。まず第一には貴方の人生です。貴方にとって、きっとじっくり考える時期が訪れているのです。

●signifie (2016年12月3日 01:39 )
みなさん、れんさんへは管理人の私が対応しますので、すみませんが、皆さんからのれんさんに関するコメントは控えてください。でないとまた荒れますので、よろしくお願いします。
れんさん、すみませんが、このブログが何なのかがわからないままコメントされている気がします。あるいはわかっていながらわざとバカのフリをして議論しようとしているようにも受けとれます。それくらい言われていることが的外れにしか思えないからです。
れんさん。このブログでは冒頭に書いているとおり「創価学会は宗教ではなく詐欺だ」と気づいた学会員や元学会員が、自分が体験してきたことにもとづいた話をする場です。創価が宗教なのか詐欺なのかを討論するような場所ではありません。あなたの質問は、創価が宗教だという立場で出口のない不毛な討論しようとしているように思えます。そんなことをしても無駄に終わることは、このブログを多少とも読んだ人ならわかると思います。だからわかっていながらバカのフリをして遊んでいるんだろうと思いました。私はもうそんな不毛な議論をする気はありません。
れんさんの言うことが本当だとしたら、創価が詐欺だと思わないから活動しているんですよね。私たちは創価が詐欺だと気づいたから辞めたのだし、あるいは辞めようとしているのです。そしてまだ気づかないで不幸になっている人に対して、早く気づいてくださいと言う気持ちでいます。それは読めばわかりますよね。なのに創価を宗教だと信じて活動していると言うあなたが詐欺だとわかった私たちとで、何を話すことがあるのでしょう。
れんさんが質問していることも、このブログの中でたくさんの方が何百回と答えられています。まずはこのブログをある程度読まれてから、それでもどうしてもわからないことや、訊いてみたい具体的なことがあるのであれば質問して下さい。
でも創価を宗教だと信じているれんさんが、なぜ創価を詐欺だと言い切る私たちに話をしようとしているのですか?
私たちはかつては創価を宗教だと信じて活動していたんです。それがどこかの時点で、何かしらのきっかけによって詐欺だと気づいたんです。れんさんと私たちの違いはそれだけのことです。れんさんの質問に対する答えはこれだけです。創価が宗教か詐欺かの違いです。
れんさんは私たちに質問することで、私たちがふたたび創価を正しい宗教だと考え直すかもしれないと思っているのでしょうか?そんなこと思ってませんよね。では、れんさんは何のために、読めばいくらでも答えが書いてあることの質問をするのでしょう。つまり、私にはれんさんがこのブログに来て、答えがいくらでも書いてあるわかりきったことを、なぜあえて質問しているのか、さっぱりわからないのです。でもその答えを私は聞く気はありません。創価を宗教だと信じている人と話が噛み合うわけはないし、わかってもらえるとも思いませんし、わかってほしいとも思いません。
れんさんは最初に「私は、どうすればいいかわかりません。」からはじまりましたが、私からそっけなくされると、ガラリとキャラを変えて批判的な立場で質問してきました。これ、いわゆるいつものウンコタレのワンパターンなんです。このブログでのウンコタレってご存知ですよね。もし知らないなら、そして知りたかったら過去ログをご覧ください。仮にれんさんがウンコタレでなかったにしても、あなたの発言はほぼウンコタレなんです。今回このブログを再開するにあたり、このブログの主旨にそぐわないコメントは即削除すると言っております。これからは、れんさんのコメントもその対象になる場合がありますので、あらかじめご了承ください。承認されない場合はそういうことだと思ってください。よろしくお願いします。
以上、このブログの管理人として、これ以上のお答えはできません。

●signifie (2016年12月3日 02:43 )
創価が詐欺だとわかったら、辞めたほうがいいに決まってます。逆に創価が詐欺だとわからない人に何も言うことはないし、言ったところで平行線です。れんさんが言うことは、私からすれば「悪どいやつの金儲けのために、大切な家族の人生を奪われてもいいのかどうかの判断がつかないので迷ってます。どうしたらいいのでしょうか。あなたたちが創価をやめて、いいことあると言うのなら自分もやめてもいかなと思ってますが、今のところ自分にとっての創価はいいことづくめなんで」なんて言われて、何と答えたらいいんでしょう。私には「わかりません」としか言いようがないです。創価が詐欺だと言い切る私たちにする質問じゃないです。れんさんが創価に疑問がないどころか、いいことづくめだと思っていることこそ、完全に詐欺に引っかかってるとしか見えない私たちに「どうしたらいいでしょう?」って、質問する相手を間違っているか、わざとおかしな話をしてからかって遊んでいるとしか思えません。ジョンソン3号さんや哉文さんがせっかく優しく返事されていて申し訳ないのですが、れんさんに関しては私はこういった考えなのて、ブログの運営上ふさわしくないと判断させていただきました。
れんさん自身が言うように、れんさんが本当に役職のないヤングミセスだとしたら、学会活動の理不尽さの経験がないでしょうから、あんなことを本気で言うかもしれません。何れにせよ話が噛み合うわけはないと思います。

●ぬか漬け (2016年12月3日 03:09 )
財務=(カツアゲ)には言いたい事が山ほどあります!
財務をして功徳を待つのなら、年末ジャンボ宝くじに賭けた方がまだ確率高いんじゃね?と思います(笑)
覚醒して見ればそんなもんなんだな~って。
覚醒出来て本当に良かったと実感してます。大分時間とお金を無駄にして来てしまいましたが、これが私に取っての今までの功徳ですかね。
現会員の方々は、自分の頭で考えてないのかも知れません。思考停止。
年配の方や、ネットしない方以外は、ちょっとアンテナ張れば情報は入ります。
ただ、創価=正義だと教え込まれているからそれ以上深く突き詰める事はしない…
色々な疑問は湧いてくるけどそれを掻き消すように、会合に追われていく日々で事なかれ主義…な思考でやり過ごしている。私の母親や親戚もそういう世代で内部の話が一番で、もうやめた私の話はシャッターを降ろして聞いてくれません。
でも、ちょっといい事があると『○○の件が祈ってた通りになったー、本当に凄い!!』などは言って来ますが、ならもっと祈らなくちゃならない事が他にあるだろーーーー!という突っ込み所満載な次元の話をしてきます。
実際、肝心な事は叶ってないようですが、もう意地になっているのでしょうかね~自分が間違った事をしてるなんて~と。
どうしたものかと頭痛いです。定年して年金暮らしなのに今年も振り込むんでしょうね…
そして今年も原田会長が財務の件で、くれぐれも事故のないように~とか本幹で言ってるんでしょうねー
ATMは使用禁止、窓口のみ。と、お達しがあるんですよね。
お金を沢山もっている層が送金ミスしたりしたら事故ですもんね。
それによく考えると、窓口だとさすがに数千円以上は振り込まなくては…みたいに思ってしまいがちですよね?
一円を振込むにはやはりATMですね!振込み手数料は学会負担ですから、手数料の方が高く付きますね(笑)
しかし、冬のボーナス時期に合わせて財務だなんてホントに宗教詐欺ビジネス。まだ振り込んでない人はすっとぼけたフリをしてやめましょう。

●楽観 (2016年12月3日 16:17 )
海外SGI所属の楽観です。
私の住んでる国でも財務あります。。。財務というか寄付という形ですね。
日本のように1万から一口というようなルールはありません。ちなみに年末ではありません。
寄付?としてなので、いくらでもお好きな額で。
でもやはり日本人メンバーは結構する人も多いです。
現地の人間でもする人は日本でいう3桁する人もいます。
銀行振り込みもありますが、現金もありです。
なので、私は今年まで現金で2ケタやってました。。。(クソォーー返せ~~~!!!)
お礼はもちろん、池田の撮ったといわれる写真とか、池田老人夫婦のうつろ目写真ののったファイル。
もしくは、ノート。はたまた変な池田の若い頃の漫画チックなオリジナルマグネット。。。。(覚醒する前でさえ、いらないですっていったけど、いやー記念なんでって無理やり渡され。。。いらねーーー。)
日本のように財務申し込みの期間の約1ヶ月前くらいから会合で同じように財務で得た体験発表があります。
いかに福運がついたか、守られたか、経済革命できたか。。。。泣きながら体験を語る人もいます。それを聞いて涙する会員もいます。(MCどっぷり時の私です。。恥ずかしい)日本と一緒ですよ。
今年の会合で、ある日本人の幹部が自分の財務の体験を通して幹部指導した後に、「いつか1億できる境涯になりたいです。みなさんもがんばりましょうね~」。。。。っていっててドン引きでした。。人はいい人なので、できればしないでよい境涯になってほしいと切に願います。
後は、3.16とか5.3とか学会の記念の日にも寄付を募ります。会合のときに。。。これも一緒です。
どこまでも、金、金、金です。
聖教新聞的なものもあります。これも、地区で管理されていて、契約が切れた人には更新するようにわざわざ連絡してきます。。日本のようにノルマもあります。ただ、まーできなかったらしょうがないか~的な適当感はあります。
後折伏が最近結構な勢いで進んでます。青年部を対象に。
ただ、すぐ御本尊うけるんですけど、すぐ失踪します。(笑)行方不明。
そして折伏した人も、まーしょうがないねーって感じで。。。(無責任)
仏教と思って入ったけど、違うじゃーん。って思うらしいです。
変なテンションの雰囲気にがっつりはまる現地の人間もいれば、すぐバイバイの人間もいるので、入れ替わりが激しいですね。でも、結局活動家はいつも同じです。
結構会合も週に何回もあり、洗脳活動には怠りません。
寄付という形で海外ではされてるので、日本の財務で集まった金を、海外のSGIに寄付という形で流している可能性もありますね。金を分散させて。なので、海外のSGIが必要なのではないでしょうか。
そして、もちろん、日本の会員に、「すごいなー世界に広がってる~っ」て思わす最高の手段なんでしょうね。海外組織は。
皆さんが新聞で目にする、みんなで集まってる写真ですけど、あれも大きな会合の後、早く帰りたいのに、半ば強制で写真撮られます。しかも毎回。。覚醒するちょっと前ころはめんどくさくて、そそくさ帰ってましたけどね。
「あーー写真入ってってー」って止められます。。。。。人数確保・・・・・
なにかっちゃーパーティーはしますけどね。パーティと称した折伏セミナー的な感じで友人つれてきてねーという感じで。。。。
ほんとに海外の人たちはかわいそーですね。こんな日本発のインチキカルトを純粋な仏教だと思って入って。。。まー日本ほど、金を取られ、票を集めさせられ、新聞啓蒙させられることはないので、仏教サークル的な感じかもですね。日本の会員に広宣流布ひろまってますよーアピールのための存在。
会則変更や創価学会仏とかだれも知りません。。。
後、ちょっと話しが脱線しますが、カジノ法案が内閣委で可決しましたね。
公明党で3人のうち1人賛成。平和の党、民衆のための党の人間が、ギャンブル依存症や利権など絡みそうなカジノ法案に賛成してはだめでしょう。しかも6時間だけの討議って。。。
今後、築地を豊洲に移すことができなくなり、
「どーするーこの巨大な豊洲の使い道~」となり、
「じゃ、もったいないからカジノにしちゃお~っ」てなりそうな予感です。
そこにはまた大きな利権があり、安く買い叩かれてしまうんでしょうか。
都民の血税を使って作った豊洲を。
もしそうなってしまったら、民衆のための公明党は崩れ去りますね。公明は慎重派とか懸念とかいう態度をとってるとしてますが、結局声をあげて反対しないんなら、賛成したも同じ。
自民の言うなり。いやーもしかしたら裏ではできレースだったのではないかとさえ思います。
最初から国民の税金を使って、巨大な豊洲を作って、一部の人間の利益のためにね。
創価と一緒かもしれませんね。

●signifie (2016年12月3日 23:34 )
創価が宗教ではないということは、創価が言ってることとやっていることの違いを普通に見たら小学生だってわかることです。ただ一般の人はそこまで興味もないし、関わるつもりもないから、特に気にもしないわけで、個人的に親戚や友人に学会員がいたりすると、いやでも創価って何なのよってことになるから「ああ、こんなのに関わるなんて嫌だな」と思うだろうし、選挙とか頼まれても「はいはい、わかったよ」と当たらず障らずですませるわけです。だから多少は学会員と関わることがあっても、創価がそれほどまでに極悪集団とその被害者とまではわからない。実際に学会員として活動して、おかしいと感じて脱会したり、脱会しようとしている人でなければ、創価の恐ろしさはなかなか理解できないだろうなと思います。それもそうですよね。関係ない人がわざわざ創価を知ろうなんて思うわけないんです。昔はめちゃくちゃやって嫌われていた学会員も、目立たなくなりました。地元のお祭りにも参加したり、鳥居をくぐることにも抵抗なくなりました。創価の家なのにクリスマスケーキでパーティしたりもしてます(笑)。昔は修学旅行先でお土産に御守り買っただけでもえらい剣幕で怒られたものです。今、創価学会はいわゆる宗教色を極力出さないようにしているみたいですね。創価研究で有名な島田裕巳さんのコラムがあります。
http://toyokeizai.net/articles/-/111672
創価はどうにかして生き延びようと思考錯誤しているようです。
創価が生き延びる=会員を騙し続ける
それが昨今のソフト路線。日蓮正宗から破門され、御本尊が手に入らなくなった。それより大御本尊の解釈を変えなければ創価の存在自体が理屈に合わなくなった。そこで御本尊の解釈を完全にひっくり返してしまった。つまり破門前の教義と破門後の教義を真逆にしなければならなくなった。それまでは日蓮正宗の教えだけが世界で唯一正しい仏法だという教えだったのを、日蓮正宗の教義だけが間違いだと言わなければならなくなった。そして実際に言い出した。じゃあ、それまで間違いだと言い続けてきた日蓮正宗以外の宗教を「それもありだよね」と言い出した。つまり、世界の宗教の正しい間違いは創価学会が決めるということが前提になってしまったんです。すごいですね。絶対に正しい唯一の宇宙の法則だと言っていたのに、これだけは間違いだと言い出したんです。そして今の学会員にそのことを指摘しても「…………」と黙るか、別の話に無理やり変えようとするだけです。このこと一つ取っても、創価がまともな宗教でないことぐらい誰にでもわかることですが、そこは創価脳+創価シャッター。ガラガラガッシャーンと扉を閉じてしまうんですね。日蓮正宗時代は、まだなんとかそれなりの理屈は通っている部分もありましたが、破門後の創価は、宗教として完全に壊れてしまってるんです。いや、もちろん日蓮の教義そのものもとんでもない妄想なんですが、鎌倉時代から続く伝統宗教として、人に害のない分には勝手にしてくださいという感じです。しかし創価はワケが違います。人を騙してお金を巻き上げ、他人の人生を食いものにするとんでもない詐欺集団だからこそ、こうして問題にしているわけです。
島田氏は創価がおとなしくなったと言っていますが、確かにそうかもしれません。しかし創価によって人生をめちゃくちゃにされている人が、今でも何百万人もいることも事実です。これは大きな社会問題として注目されなければならないことだと思いますが、何しろ創価は会員の金を使って権力に入り込み、マスコミも黙らせています。島田氏は創価がおとなしくなってマスコミも取り上げるほどのことがなくなったなどと書いていますが、実際はそうではなく、マスコミが以前よりも創価に牛耳られているということです。創価だけではなく、安倍内閣を牛耳っている日本会議は、もともと生長の家から発生した右翼団体ですが、今では日本と韓国の数々の新興宗教と神道の複合体です。創価も含め彼らがマスコミを完全に黙らせているのです。日本会議の主要メンバーの名簿には数々の新興宗教の代表と、国家神道の重鎮が名を連ねています。さすがにそこに創価の名前はないですが、日本会議の言いなりである安倍自民党は公明党を手中に収め、新聞テレビに対して創価に都合の悪いことを書かせないようにしているだけです。公明党が自民党の言いなりに動くのはそのためです。安保法案だろうが駆けつけ警護だろうがカジノ法案だろうが知ったことではありません。自民に、日本会議に追従して創価の悪行を世間に出さないようにするのが公明党の役割です。公明党は平和の党だというのに、言ってることとやってることが違うじゃないかなどと言っても無駄です。公明党は創価から言われたことをきちんと実行しているだけです。そこに矛盾も何もありません。創価の悪行を世に出さないようにするためには、自民党(日本会議)の言うことを愚直に聞くことが彼らの仕事だからです。公明党は粛々と創価の延命のために、自民党の言われるままになっているだけのことです。そんなこと学会員さんはどうでもいいんですよ。自分に功徳が来るか来ないかしか考えてません。創価の言うことを聞いていれば功徳がもらえて世界も平和になるとしか思ってません。安保だカジノだとどうでもいいことなんですね。興味ない。考えない。それが創価脳。

 

(長くなるのでつづきます)


解説
海外SGI所属の楽観さんが、海外での財務(寄付)の様子を報告しています。
貴重な報告です。

獅子風蓮


対話ブログ・ステージⅢ:いよいよ再開です(5)

2022-05-24 01:58:38 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。
(私はシニフィエさんの主張に必ずしも賛同するものではありません)

●の文章は、それについたコメントの引用です。


■財務という名のカツアゲ          投稿日: 2016年11月28日

皆さん、さっそくお返事いただきありがとうございます。
テーマについては、皆さんのご意見を参考にさせていただきつつ、基本的にはこれまでと同じように、私の方で決めさせていただきます。
要は、このブログの趣旨に賛同された皆さんが、積極的にお話をしていただければ、多少の脱線も含めて多いに結構なことだと思うわけです。いちばん避けたいのは変な雰囲気になったり、妙な気を使わなければならなくなるような事態ですね。挨拶だとか自己紹介だとか管理者として色々言ってきましたが、普通に人と話をする感じで書いてもらえば何の問題もないんです。
私は管理人として、これからの方向性を色々と模索していきたいと思います。皆さんはこれまでどおり、思うところを書き綴っていただければ嬉しいです。
ということで、今回のテーマは、何人かの方が提案されていましたように、また時期的も今が真っ盛りであろう「財務」にしたいと思います。皆さんがこれまでどんな風にして財務を行ってきたか。どれだけのお金が集まって、いったい何に使われていたのかも一切明かさない財務について、なぜ何の疑問も抱かなかったのかなど、これだけとっても話は尽きないし、思い出すだけでも悔しい思いをされる方がたくさんいらっしゃると思います。創価の収入源として、おそらく財務の占める割合が多いと思われます。もちろん、聖教新聞の購読費や、掲載広告による収入や、会員にノルマとして買わせる書籍や、ペット霊園みたいな貧弱な墓を一人で軟区画も買わせたり、ご本尊が変わったからといってただのカラーコピーに買い替えさせたりと、ありとあらゆるいろんな手を使って会員からお金をふんだくっています。職員の給与や会館の維持費にこんなにもお金がかかるわけがありません。本来お金がかかるはずの会館の警備やメンテナンスも会員の無料奉仕です。聖教新聞の配達や集金業務もほぼ無料奉仕。ではいったいそのお金はどこに流れているのか。宗教法人故の非課税。非課税というメリットもさることながら、どれだけのお金が集まっているのかを公表しなくていいという、創価にとっては最大のメリットがあります。パナマ文書にも創価の名前がありましたが、実際はそんな生易しいものではないでしょう。どれだけのお金が集まっていて、何に使われているかも大変な問題ではありますが、そんなことに少しも疑問を感じないまま、言われるがままに毎年毎年組織単位で競争しながらお金を出している一般会員の洗脳ぶりが最大の問題だと私は思います。
皆さんにとっては嫌なことを思い出させることになるとは思いますが、何も考えずに創価にお金を貢ぐような人が一人でも減るように、皆さんの財務にまつわるお話を中心に聞かせていただければと思います。
テーマは「財務という名のカツアゲ」。ちょっと刺激が強いですか?まだ創価を少しでも宗教だと信じている人にとっては「なんてことを言うんだ(怒)」となりそうですが、創価の財務がカツアゲでなくて何なのかと逆に訊きたいくらいです。創価の目的はお金です。何の見返りも与えることなく、ただひたすら会員からお金を巻き上げること。そのための日蓮の教えであり、組織であり、会合であり、聖教新聞であり、創価学会仏であり、池田大作大先生です(笑)。何も疑わずに持っているお金を効率的に差し出させるには、インチキ宗教がいちばん手っ取り早い。創価以外にも怪しい新興宗教が山ほどあるのはこのためです。サラ金やエロ雑誌の販売で小銭を稼いだり失敗したりしていた戸田・池田の悪徳コンビは、もっともっと確実に金儲けをするにはどうしたらいいかという悪知恵を働かせた結果「よし、いっちょインチキ宗教でドカンと儲けてやれ」そう考えたわけです。金儲けのためのインチキ宗教だからこそ、教義の内容なんてどう変わろうが、会則が180度変わろうが、会員が信じてしまえばOK。きっと彼らは自分にこう言い聞かせてきたでしょう。「騙される方が悪い」。そう、騙される方が悪い。それだけです。だからもう騙されないようにしましょうよ。今までは騙されてきたかもしれない。なぜか?それは自分で考えることをやめてしまったから。なぜか?自分で考えると不幸になると言われたから。それが恐ろしくて自分で考えることをやめて、言われたとおりのことをやれば必ず幸せになれる。それが宇宙の法則なんだと。こうして多くの人が幸せになりたいがあまりに自分で考えることをやめて、「お金を出せば出すだけ幸せになれる」と言われたとおりに、お金を出し続けてきたわけです。こうして創価学会は会員が出すお金でどんどん大きくなりました。大きくなりましたが会員は幸せになどなってません。自分で考えないから、幸せになっていないことにも疑問を持てなくなってしまった。たとえ疑問を持っても、疑問を持つと福運が消えるとか、魔が競ってきたとか、適当な脅し文句で黙らされる。日本全国この繰り返しで、創価学会はいまだにお金をいくら持っているのか会員は誰一人知りません。そしてそのことに何の疑問も持ちません。一般のカツアゲはお金を取られた被害者は被害意識がありますが、創価のカツアゲは被害者意識を持てなくしてますので犯罪として立件できません。それも計算ずくです。計算ずくのカツアゲに変わりはありません。
最近まで創価を信じていた人にとって、また、これまで数百万、数千万円の財務をしてきた人にとっては相当なショックでしょうけど、これが現実です。こんなひどい話ってないでしょ。でもこれが現実です。創価が詐欺だと気づいたなら、この残酷な現実をしっかりと受け止めるしかないんです。きちんと受け止めた上で、これから先どう生きていくかを考えなければ、あの3人組のように、苦し紛れの自己正当化行動に走るしかなくなります。白いブランコさんのように、八方塞がりになってしまいます。あるいは精神的に参って、現実逃避の世界に逃げ込んだまま帰らぬ人となってしまいます。辛いけれども辛い現実を辛い現実としてきちんと受け止める。そのためにこのブログで多くの人が気持ちを共有しようと頑張っていらっしゃいます。このブログはそのために存在します。自分が創価にどんな気持ちでどれだけお金を貢いできたか。その現実を受け止めるためにここの皆さんのお話に耳を傾けてみてください。


●signifie (2016年11月28日 21:22 )
今はどうか知りませんが、ラザリスさんがおっしゃるように、自分の生活もままならないくらいお金に困っている人にも「困っているからこそ全てを出しきるんだ。本当の信心かどうかを試されているんだ」などと言って借金させてでもお金をむしり取っていきました。お金を借りてもいないのに巻き上げていくんですから、サラ金よりタチが悪い。昔は銀行振り込みではなくて、会館などに現金を持って行ってました。誰がいくら出したかが筒抜けでした。今は振り込みで、領収書も封書で来ますから、ある程度の幹部しか知られないようですね。どうしても財務をしなければならないような状況の方は、それこそ1円でもいいんじゃないでしょうか。婦人部長が喜んで領収書を持ってきますよ。「今年は一億円振り込みました。来年は2億円振り込みます」とか言ってやればいいんです(笑)財務なんかで大切なお金をドブに捨てるくらいなら、ふるさと納税とかすれば、本当に結構なお返しが確実にもらえますよ。
「真心の財務をしましょう」とか言いながら、「金額が多ければ多いほど功徳がある」と露骨な拝金主義が創価学会です。もうこれ一つとっても創価がインチキ宗教だって、普通ならわかりますが、学会員はわかりません。わからないまま「これで幸せになれる」「これで何倍にもなって返ってくる」「100万円預けたら200万円になって返ってくるんだわ」って、別に預けたわけじゃないんです、あげたんです。何に使っているかも知らされません。創価学会創立85年の間に、財務の使い道を会員に知らせたことはただの一度もありません。教えてくれと言った会員もいません。気持ち悪いですね。何から何まで気持ち悪い。こんなのが宗教であるはずがない。でも会員は気がつかない。というか、がつくのが怖い。散々脅されまくってますから。蓋を開けてみれば単純な詐欺ですよ。

●二郎 (2016年11月28日 21:30 )
社会人になったばかりのころ、「財務の金額が最低1万円って、高くないか?」と思って(実はそれ以下でも問題ないですが、当時は知りませんでした)、地元の幹部に質問してみました。だって、年始に神社にお参り行く人だって
お賽銭はせいぜい100円程度でしょうから。
すると、やっぱり、「こいつ、何言ってんだ」的な雰囲気になりました。
当時は、会館を使わせてもらってるんだから、そのお金と捉えるように努めましたがね。
この考え方をしている人は結構います。
しかし、会館って、活動家は減っているのに、頻繁に建設されていますよね。
ここ数年は聖教新聞とってないのでわかりませんが、少なくとも数年前までは、新聞に会館建設の話が頻繁にのっていました。
そんなに会館は必要はないと思うのですが、会館建設に絡む利権でやめられない事情があるのです。
会館建設には様々な業者が関与しますが、創価はお抱えの業者に発注します。
競争原理がないので、単価は高いです。
その業者は創価がお得意さんですから、見返りに
①S大卒業生の就職先にもなっています(1部上場企業含む)。
②聖教新聞にも広告を出しています。
ここまでは、客観的事実。
これ以下は推測ですが、選挙の際は公明党に入れるよう、業者にお願いしていることは間違いないと思います。その他、私も知らない相互扶助の関係になっていることでしょう。
これらの関係を維持するために、活動家が減っていて会館を作り続けなくてはならないのです。
そのお金は、当然、財務が根源になっています。

●フッポウシ (2016年11月29日 08:58 )
 signifie様、皆様はじめまして フッポウシといいます。学会二世で数年前まで支部長、現在副本部長の50代の壮年です。支部長時代に体調不良を理由(一生奴隷だと気づき)に一切活動を辞め聖教と大白もやめました。会社勤めをしながら朝の4時から聖教の配達も14年もしてました。ここのブログは2年前から拝見してます。signifie様の言う通りやっぱり創価は詐欺だった、騙されていたと確信しました。私の財務は去年は10円です、今年は1円(夫婦で2円)の予定です。領収書の金額は地域の幹部は封筒開けない限り判りません。1円で大丈夫です。困っている皆様も財務は1円にしましょう!本当は1円もしたくないんですが、両親が健在なうちは仕方がないですネ。それと聖教の配達時に公明新聞も一緒に配るのがいまだに腹が立ってます。いずれテーマとして聖教関連を取り上げて戴ければ嬉しいかぎりです。

●希望 (2016年11月30日 20:51 )
 「白バラ通信パンドラの箱」の希望です。
 「財務という名のカツアゲ」というタイトルには感服致しました。私も、シニフィエ様のようなセンスの良さを身に付けたいと感じました。
 裁判所に私が提出した準備書面にも記載したと存じますが、創価学会の副会長の間では、財務の金額に関する申し合わせがあるようです。一律2万円とのことです。
 この申し合わせに関しては、和田公雄元創価学会海外相談部長から、私は、直接伺いました。和田公雄氏は、創価学会の悪行のすべてを知り尽くしている人物です。この方が、真実を語るならば、創価学会は大きな社会問題となり、必ず、一気に崩壊するはずです。

●signifie (2016年11月30日 21:03 )
そういえば、以前このブログで財務の話題の時に、どなたかが「創価の職員の財務は一律2万円と決まっている」という話をされたことがありました。まさか副会長までが2万円で済ませているというのにはびっくりポンですね。一般会員には3桁だの4桁だのとうるさくけしかけておきながら、自分が出すのは2万円。こんな話を聞かされても、創価脳はなんとも思わないんでしょうね。

●satou (2016年12月1日 00:58 )
「世界一楽しい創価アンチブログ」http://blog.goo.ne.jp/kai9055の海さん(旧モニカさん)が書かれている創価の財務に関するたとえがとても分かりやすいと思ったので、こちらでも紹介させていただきたいと思います。
以下転載
「振り込め詐欺シーズン」なのでとことん書いておきます。
①「もしもし俺だよ。会社の金使いこんじゃって…母さん助けてくれ…」
騙されて3桁振り込んだ。
②「真心の御供養です。喜んで出させて頂くという真心を御本尊様は見ています」
騙されて3桁振り込んだ。
受け取る方は双方とも、真っ赤な嘘をついて人を騙し、金を出させるという点で手口は同じである。
だけど①は警察が動くのに②は動かない。
振り込んだらおしまいだ。
会社の金が使い込まれているのが事実なのかは証明できるけど、宗教なんて証明のしようがない。
騙している方が「騙すなんて滅相もない!これは信仰なんです。こちらも本気でそれが御供養だと信じます。その気持ちは嘘じゃないんです」と言い逃れできる。
会員に何か言われたら、元気よく定番を言えばいい。
「詐欺って言うなら警察行けよ」「法に訴えろよ」(^▽^)/
これがドライな宗教ビジネス。
転載終わり
「振り込んだらおしまいだ。」絶妙な表現です。そして振り込んだらそれで終わり。待て暮らせど素晴らしい功徳も福運も何倍ものリターンもやってはきません。良いことがあって財務のおかげだ!と結びつけたくなるようなことがあったとしても、ただの偶然。財務しなくても起こったことです。タイミングが合っただけです。そういう錯覚を起こすように洗脳するのが宗教ビジネス。やめたらよくわかりました。何の因果関係もなかったことが。財務してもしなくても、創価をやってもやめても、良いことと悪いことは普通にあるだけです。恐怖心からカツアゲに屈して財務することが宗教とは思えません。

●おてもやん (2017年5月24日 19:22 )
gkrsnamaさんへ
はじめまして、元学会2世だったものです。
いろいろと大変だったんですね・・。「根性論で体育会系のブラック企業そっくり」とはまさにそのままズバリな表現だと思います。
>年1万円の会費ならごく普通。
この部分に、私の心の古傷が反応してしまいました(^_^;)
財務の時の会合というのを女子部、婦人部とず~っと見てきました。
会費として1万円と謳って徴収するなら誰も文句を言わないと思うのです。
ところが、「真心のご供養は福運、功徳がある、家族は守られる、家は栄える!」なんて池田大作ら学会本部が言うわけです。
会合に行けば
「私は3桁やりましたー!!今、貯金はすっからかんですが清々しい気持ちです!」
なんて話を財務のたびに聞かされる・・・。
すると、「1口だけの私・・・お金を惜しむこの心。これでは真心の財務でなくなる・・・・」と、罪悪感がふつふつと。
前にも書きましたが、忘れられない財務のあの一件。
「あなた、いくらやるの? 2万なの?今年は100年に1度の財務よ!もっと出せないの?」
うちの玄関先でこんな嘘を言って私に20万もの財務をさせた大阪から来た婦人部長、それを傍観してた地区担!
絶対許さん。お金返して!!・・・・・と、今も根に持っています(^_^;)
gkrsnamaさんの言うように「会費」として徴収すれば問題ないのに・・・・と、本当に思います。
「なまじっか金を持つと人はみみっちくなるんだ!財務をケチるな!」
これは、創価学会の大幹部柏原ヤスの指導が大好きだった母がよく私に言っていた言葉です・・・。

 


解説
財務の問題は私も感じていました。
皆さんのコメントの内容に、深く共感しました。

40年前から主張してきたことですが、会としてのきっちりとした会計報告をしてこなかったことが一番の問題だと、私は思います。

獅子風蓮


対話ブログ・ステージⅢ:いよいよ再開です(4)

2022-05-23 01:56:03 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。
(私はシニフィエさんの主張に必ずしも賛同するものではありません)

●の文章は、それについたコメントの引用です。


■ご意見拝借お願いいたします。      投稿日: 2016年11月26日

今回このブログを再開するにあたって、皆さんにあらためてお断りしなければなりません。皆さんのお言葉に甘えて、これからは以前よりもゆっくりとマイペースでやっていきたいと思います。基本的に言いたいことはこれまで繰り返してきましたので、これまで以上に皆さん同士の対話の場にしていただければと思います。コメントをいただいた皆さんへのお返事は、お一人お一人にできないのはこれまでどおりですが、今後はこれまで以上にお返事できる機会が減ると思います。「思い切って初めてコメントしたのに何にも返事がない」とがっかりしないでくださいね。それよりもこれまで以上に皆さん同士の対話場になっていけば嬉しいです。もちろん私もできるだけ対話に加わるつもりでいますが、しょっちゅうブログを覗いているわけではありませんので、そこは勘弁してください。
で、再開後のテーマですが、とりあえず創価で話題になっている「創価学会仏」と「池田大作先生」というお笑いネタで軽くスタートしました。まあ、皆さんの対話のきっかけになればテーマは何だってよかったのでこれにしたわけです。でもいつまでもこんなおチャラケテーマでは話したいことも話せなくなるかもと思い、これからのテーマ設定や方向性について、この間から考えていましたが、なかなかいい案が浮かびませありません。そこで、皆さんにお知恵を拝借したいのです。もう5年もやってきたので、テーマ的には出つくした感があるし、かといって「なんでもいいから話をどうぞ」なんて管理人として無責任だなとも思うし、このテーマの内容によってたどり着く方も少なくないと思うのです。
創価の何が問題なのかははっきりしてます。そのはっきりしたことをどうやったらはっきりしない人にも理解してもらえるのか。あるいは、問題ははっきりしているけれども、この先どうしたらいいかわからない。という方もたくさんおられます。本当に難しい問題なので、これ!といった解決策を明示できないのですが、それでも問題意識を共有するということだけでも、気持ちを整理して前向きに物事を考えることができると思います。私は5年前に創価が詐欺だったということに気がついても、このブログを書かなかったら気持ちの整理がついていたかどうかわかりません。鬱の症状からねけだせないままだったかもしれません。とりあえず今の自分に何が起こっているのか、これを文字にして整理してみる。また、そうした自分の気持ちを理解してくれる人と対話ができる。これほど当時の自分を救ってくれましたのはありません。だから自分のためにも、また創価問題で悩んでおられる方のためにもこのブログは続けたほうがいいなと思いました。ただ、数ヶ月前のような展開になると如何にこうにもならなくなるということも勉強させていただきました。テーマの闇の深さを思えば、それはある意味仕方のないことなのかもしれません。何もかもうまくいくわけがないし、むしろそんなことを乗り越えながら続けていくことの方が、よりリアルな対話が展開されるのではないかとも思います。それなりに辛いですけどね(笑)
いうことで、ブログの方向性はもちろん管理人の私が決めますが、毎回のテーマに関しては、これまで以上に皆さんのアイデアをお聞きしたいと思います。そんなことも含めて、今回のテーマは第3シーズンの「対話を求めて」に関するご意見を皆さんにお伺いしたいです。
よろしくお願いします。


●m (2016年11月27日 10:21 )
初めてコメントいたします。
mと申します。
私は二世です。
両親が狂信的に信心をしています。
最近になってネット情報をむさぼるように見ています。
というのも、情報を見ているうちに私がアダルトチルドレンだとわかったからです。
物心ついた頃から家庭内は創価一色でした。
今思えば私の家族は機能不全家族だったんですね。
朝は勤行から始まり夜は勤行で終わる。
家族の会話も創価の指導的な言葉。
なにかあれば「題目をあげなさい」「功徳があるから」「ご本尊様に守られるから」。
親らしい人間的な言葉なんてありませんでした。
あるブログで見たのですが、私と100%といっていいほどまったく同じ環境体験がありました。
以下がそうですが
(管理人さんすいません。私の境遇を知って頂きたくコピーいたしたいと思います。)
______________
まるで骨董品のような古臭い価値観を持った両親に、ひたすら「自分」というものを押さえつけられ、無理やり従わされ、反抗すらさせてもらえなかった。
ただでさえこのような親を持つと、子供は委縮し、自分を出せなくなり、相手の顔色ばかりをうかがうようになる。そして、自分に対して無価値感、罪悪感などが常につきまとうようになる。
そして、そこに創価学会が入ってくると、その複雑さは10倍、100倍にもなる。
「親の背中を見て育つ」とはよく言ったものだ。
創価学会員の親の背中を見て育てば、自分も自然と創価学会色に染まっていく。
世間一般の常識からたとえ外れていても、自分を取り巻く環境の中では、それが常識なのだ。
私は、小学校に入学する前から、勤行(昔は朝五座・夜三座の長いものだった)ができた。経本を見なくてもできた。そして、そのことについて、大人たちは褒めてくれた。
自分の意思で、やりたくてやっていたわけじゃない。
いつでも、やらされていた。
理由もわからず、とにかくいいからやりなさい、という理由でやらされていた。
そして、見渡す限り学会員の環境の中では、それがあたりまえだった。
毎月部員会に出るのはあたりまえ、月一回の座談会では何か発表をさせられ、よくわからないけど、池田大作氏がすごい人なのだった。
とにかく、理由はわからないけど、池田氏はすごい人で、人生の師匠で、創価学会は正しくて、大人たちは何をしているのかわからないけど、とにかく何か良いことをしているのだった。
「理由はわからないけど」、私たちも同じようにしなければいけなかった。
勤行・唱題をしなければいけなかった。
会合に出席し、創価学会バンザイをして、軍歌のような学会歌を歌い、池田氏の話や幹部の話をありがたそうに聞かなければいけなかった。
「やりたくない」とは言ってはいけなかった。
「どうして?」とは言ってはいけなかった。
・・・聞いたところで、まともな答え、明確な答えなど、返ってくるはずがなかったから。
なぜなら、「学会は正義、日蓮仏法は絶対」だから・・・。
明確な理由、誰もが納得のいく理由なんて、本当は活動家の誰も知らない。
なぜなら、上からそう言われ続けてきたから、彼らもそう思いこまされているに過ぎないからだ。
子供目線の純粋な疑問、質問は、とかく我が家のような妄信的な学会一家の中では、絶対にできないような雰囲気なのだった(父親があのような激しく上から目線でものを言うタイプなら、なおさら恐ろしくて反論できない・・・)。
そうして、結局はなじみのない難しい仏法用語でごちゃごちゃとかき混ぜられて、いつのまにか疑問はかき消されてしまうのが常だった。
両親が私に与えてくれたものは一体、なんだったのか・・・。
両親が、「普通の親としての立場」から、私にいったい何を与えてくれたのだろうか。
今思えば、私はほぼ「創価学会としての立場から」しか、両親から精神的なのものは与えられていないのではないか、とすら思うのだ。
極端な話にも感じるかもしれないが、どう思い返してみても、私が人生の岐路に立たされたとき、逆境に立ち向かわなければならないとき、そういった大事な場面で両親が私に言ったことなどを今考えてみても、どうしても創価学会の指導にしか感じられないのだ。
悲しいけれど、血の通った親がかけてくれる愛情の言葉は、ほとんど与えてもらえなかったように思うのだ。
だから私はいつも悲しいのだろう。
だから私はいつも寂しいのだろう。
本当は、幼い日から、ずっとずっと、親の愛情に飢えているのだろう。
もちろん、親は私を愛してくれてはいるだろうが、「創価学会的なものごとのとらえ方」で話をするのではなく、「両親のありのままの姿」で、言葉で、私にぶつかってきてほしかった。
なぜか、親子の間に創価学会が入り込んでくると、すべてが創価学会のフィルターを通してしか表現できなくなり、自らの思想はもちろん、愛情表現も、言葉も、すべてがそこで「創価学会からの借り物」に置き換わってしまう。
なぜか、心の距離がどんどん離れてしまう。
「ありのままの私」を、両親は認める、認めないにかかわらず、受け入れてくれたことはなかった。
だから孤独だった。
その孤独を振り払いたくて、愛されたくて、一生懸命だった。
本当の悲しみも寂しさも、心の奥底に押し込めて、ただひたすらいい子でいようと思った。
ひたすら相手の顔色ばかりうかがっているうちに、「私自身」の中身はからっぽのまま、大人になってしまった。
子供のころから親を通じて創価の思想をたたきこまれ、「私自身」というものは否定され続けてきた結果、こうして覚醒した今となっては、本当にからっぽになってしまったのだ。
私が自分の言葉だと思って話してきたことは、すべて創価からの借り物にすぎなかった。
自分の頭で考えて、自分の意見として物事を話すことをしてこなかったのだ。
親、そして創価学会にとって都合のいいことしか口から出てこないように、私の思考がプログラミングされてしまっていたのだ。
幼い日から、ずっと原因不明の苦しさ、悲しさを胸に秘め、人間関係が苦しくて、年齢が上がるほど苦しくて、どんどん追い詰められて、そしてその原因が、両親の古臭い時代錯誤な価値観と、創価学会の思想によってもたらされたものだと、ようやくわかったのだ。
35年間かけて、やっとたどりついたのだ。
現在、カウンセリングに通いながら、自分を再構築する作業を続けている。
______________
以上ですが、
これを見た時は身体が震え、涙がいっぱいに溢れました。
私は今でも創価の事や公明党の事を聞くと、胸が息苦しくなります。
それは、嫌な事を「嫌だ」と言葉で言えなかったからなんですね。
私は小学生の頃からずっと宗教ってなんだろう、、、と考えていました。
小学生でこういうことを考えるって異常ですよね。
小学生は遊ぶことで一生懸命のはずなのに。
私の家族や親戚も創価です。
この先どうするか模索しています。
管理人様、長文失礼いたしました。
いてもたってもいられなく書いてしまいました。

●カガテツ (2016年11月27日 11:43 )
いきなりの寒波襲来で、パソコン机には最低時限座って、もっぱら蒲団にもぐり込んで読書していたため、「対話」も数日振りに覗いてみました。
(冷暖房やらストーブ等は、すぐ体調を壊すので(弥生時代人か?)困ったもんだ(-.-))
>どっちにしてもコメントを書く場所が一番下になるのでもとの形に戻しました。
やはり、文章は上から下へ読んで行くので“元の形”(今の状態)が、読み易いです。
第3シーズン再開ということで、何を書いたら良いのか皆さん(ご意見拝借のsignifieさんも?)間誤付かれて居られるようですね。
創価の実勢は聖教宣伝紙と違い、 “飛翔蛟龍”学生部の後輩 2013-02-11を読むと、
http://d.hatena.ne.jp/kumaoo/20130211/1360596960

 組織で学生部はおろか男子部さえ見なくなってきてしまった。…(*要点箇所のみ)
それだけに、公明議員がこれほど多く当選しているのが不思議ですね!
参考:
“裏 ジャーナル” ムサシの正体はGHQが作った選挙システムそのものだ2012-12-20
http://uramedia.blog119.fc2.com/blog-entry-72.html
“かっちの言い分” 2016/11/26に、
今、俄かに衆議院の解散に対しての準備が急がれている。自民と連立を組む公明の山口代表が今日、国会は「常在戦場」だと述べ、選挙準備を強化するように指示した。
(以下省略)
池田博正(大作の長男)支持の正木正明(創大グループ)理事長が、粛清されたという事は、それ以前の段階で“先生が廃人化してた証拠”でしょう?
そして愈々最後の“先生に応える法戦”なのでしょう。もう「お元気です」と騙すのも、さすがに限界でしょう!
(民主・共産・自由党などへは、これからは「仏敵」と公言してくるでしょう!。何せ創価学会(=公明)仏だもの。) ”(-“”-)”
>ルフランさん
資料が幾らかでも(脱会等の)役に立てたら有難いです。
俯瞰的にみて総合力でピカ一なのは、内藤国夫の「月報『創価学会』問題」(月刊諸君1982年1月号~1995年12月号。《14年間161部》)+αのようです。
池田の内面を知り尽くした、創価闇の帝王山友さんの池田の心理分析も一読の価値は有ります。(80年代を中心に色んな雑誌へ手記が載ってます)
そのうち縁があったら投稿したいのですが、なにぶんにも大部過ぎて時機を見ております。

●signifie (2016年11月27日 12:33 )
mさん、コメントありがとうございます。
また紹介してくださった文章も、よくわかります。私も小学校に入る前からソラで勤行ができて、親や周りの学会員から褒められていい気になっていた気持ちの悪い子どもでした(笑)。何かで叱られる時は、いつも仏壇の前に座らされて無理やり唱題させられました。その頃からこの世には、抗うことができない計り知れない強大な力に支配されているという恐怖心のようなものを植え込まれ続けていたのだと思います。騙された親も被害者なのですが、物心つく前から絶対的な恐怖心を植え込まれた子どもとしてはたまったものではありません。それから人生のほとんどを間違った選民思想のままに過ごしてしまったことはいくら後悔してもしきることはありません。いつしか自分の知らないところで傲慢になり、創価でない人を見下す態度は、ふとしたことで周りの人の気付くところとなっていたようです。学会員がそんな気はないのに他人に対して横柄な態度を取ってしまうのは、騙されてきたことが原因となる不可抗力なのかもしれませんが、そうやって社会から一線を引かれていることは悲劇としか言えません。自分の中に創価なしの人生を取り戻す。そんな時間が自分の残りの人生にあるのかどうか、今でもわかりませんが、とにかく今の自分を信じて生きていくしかないと考えています。
>いてもたってもいられなく書いてしまいました。
これってとても大事なことだと思います。そしてmさんの辛い思いはここを見ている方の多くの人に届いていると思います。一人で悶々としていたら、それこそおかしくなってしまいます。創価が恐ろしい副作用が襲ってくる詐欺だと気づいて、自分の人生を取り戻そうと頑張っている人が、こんなにもたくさんいるんだということを知るだけでも、どんなに救いになることか。私はみなさんから寄せられるコメントによってとても救われているし、みなさんからのコメントなしには今の自分はありえません。とても感謝しています。創価被害の実態を体験談として一つでも多く積み重ねていくこと。創価を静かに去る人が一人でも増えること。そうやって学会員の数が組織を維持するための限界に来た時、つまり創価の中枢部が会員を騙し続けることの旨味をなくした時に、創価は崩壊するのだと思っています。できれば自分が生きている間に見届けたいと願っています。これ以上、創価によって不幸な人が増えることのないように、創価被害者ははっきりと声を上げなければならないとも思います。もうすぐこのブログのコメント数は20000に到達します。創価が詐欺だという声がこのブログだけでも20000になります。誰がこれだけの声を「みんな嘘だ。これは正法流布を妨げようとする魔の働きだ」などといった洗脳された学会員の言葉に、どれだけの説得力があるでしょう。私がこのブログでみなさんからのコメントの数を常に報告し、アクセス数を報告し、定期的に目標アクセス数達成をみなさんとともにお祝いするのは、この数こそが創価崩壊へのカウントダウンだと思っているからです。
みなさん、これからもここにどんどん創価の毒を吐き出してください。まだ完全には気づけていない方のためにも、これまで見えなかった現実を目の当たりにしてもらい、その現実をしっかりと受け止めることでしか未来はないのだということを理解してもらいましょう。それには気付いた方の声が一つでも多く積み重なることが、遠回りのようで一番の近道だと私は思います。ただ創価崩壊への都合のいい近道はありません。一人一人の切実な声が、確実に創価を崩壊へと近づかせていく。私たち一人一人にできることは微力かもしれませんが、皆無ではない。こんな微力な私たちでも、これから5万、10万、100万の声を積み重ね、多くの人がこの声を聞くことができる状況が来た時に、現実の創価は崩壊するのだと思います。一人一人の声が創価から不幸な人を救っていくのです。どうか皆さん、自分が体験してきた恐ろしい創価の現実を声に出して訴えてください。その一言が、確実に人を救うことにつながります。創価で苦しむのは今の世代で終わりにしましょう。未来にこんなおぞましい負の遺産を受け継がないようにしたいじゃないですか。子どもたちに申し訳ないです。人を不幸にする新興宗教は創価学会だけではありませんが、少なくとも創価学会が詐欺だということは、実際に創価学会員として活動してきた私たちが誰よりも知っているのです。知っているものが声を上げるべきだと思うし、これほど説得力のある訴えはないでしょう。皆さんのここでのコメントは、決して無駄ではないはずです。mさんのように「いてもたってもいられない気持ち」を多くの人に伝えることが、今現在創価で苦しんでいる人を救うのだと思います。今後ともよろしくお願いします。

●二郎 (2016年11月27日 17:37 )
テーマに関するアイデアではなく、運営に関することになってしまうのですが、今回だけはご容赦ください。本来、部外者が運営に意見するのは好ましいことではないと認識しています(それなら自分でブログ立ち上げれば、というのは正論だと思いますので)。
過去2回、ブログが休止しました。2回目だけではなく、1回目の時の休止もなりすましに対しての対応からおかしくなったと思います。
当時は、アンチ側に2名ほど問題がある人物がいて、彼らがなりすましだと判断した人物に対しては創価新報並みに口汚くののしって勝手に追っ払っていました。私から見ると、どう考えてもなりすましではなかった人もいましたし、そのような口汚い罵りが酷いという意見が噴出し、ブログが荒れて問題の2名は去っていったのです。
ところが、そこからおかしくなった流れをひいて、間もなくブログが休止してしまいました。
このように、2回の休止いずれも、なりすましに関する判断・対応から発生していますので、なりすましに関する意見・判断は、運営者であるシニフィエさんのみの判断とし、他人は意見・コメントしないようにしたほうが良いと思いました。
シニフィエさん、勝手な意見を申し上げてすみません。
レモンさんが復帰されていないことも、とても気になります。
レモンさん、見てますかね?俺、レモンさんがコメントしているか、毎日チェックしているんです。忠犬ハチ公のように、いつまでも待っていますから。
レモンさん、大好きでした(突然の愛の告白!?)。

●signifie (2016年11月27日 20:20 )
二郎さん、ありがとうございます。
そうですね、一回目の休止に至った時は、私もなりすましとか荒らしの闇の深さを知りませんでしたので、何が何だかわからなくなって休止したように思います。最初は承認制にさえしていなかったので、悪意のある人のやりたい放題だったと思います。確かになりすましではない人を陥れるような混乱がありました。これがネットの闇なのかと驚きました。それからしばらく休止した後、承認制で再開しました。そしたら飽きもせずにウンコタレが手を替え品を替え荒らしに来ました。世の中には本当に暇人というか、気持ちの悪い人間がいるものだと感心しておりましたが、結局のところ、今回もそうしたくだらない人間の嫌がらせにまんまと乗せられてしまった形となって休止しました。二郎さんがおっしゃるように、荒らし、なりすまし、ウンコタレと呼ばれる病的な愉快犯に関しては、管理人の私だけが対応するということで、変なコメント(悪意はなくとも誤解されるようなコメントも含めて)は私の判断で完全にシャットアウトしていくつもりです。
モニカさんにもレモンさんにもとても悪いことをしてしまいました。私はある意味パニックになって、お二人にかける言葉を失ってしまいました。それに雪風さんの変貌ぶりにも全くついていけない状況でした。一体あれは何だったんだろうと、今考えてもよくわかりません。本当に一人の人物だったのだろうかとさえ疑うほどです。
こうなってしまっては正直言いましてモニカさんにもレモンさんにも私の方が会わせる顔がないといった状況です。もちろんお二人さえ大丈夫であれば戻ってきていただきたいのはやまやまですが、こんな私から言えるようなことではありません。
二郎さんがおっしゃってくれているように、これからはウンコタレの対応は私一人がするということでやっていきます。ブログの健全な運営のために「疑わしきは初めから削除」とさせていただきます。以前はおかしなコメントでもある程度泳がせていたのが間違いの元でした。おかしなコメントや創価脳の殴り込みは、場合によっては議論が盛り上がってアクセス数も格段に上がっていたということもあったので、コントロールできるうちはいいかなとの私の判断が間違っていたと思います。それによってモニカさんとレモンさんの喧嘩みたいなことになり、本題からどんどん外れていってもはや修復不可能となりました。いわばウンコタレの思う壺となったわけです。
ということで、これまでのブログ運営上での反省を踏まえた上で、気持ちも新たにやっていきたいと考えています。よろしくお願いします。
二郎さん、ありがとうございます。

●レモン (2016年11月28日 22:33 )
シニフィエさん、皆さんこんばんは。
ご無沙汰しています、元地区婦のレモンです。
シニフィエさん、ブログの再開本当にありがとうございます。
サイト休止の要因を作ってしまったこと、ずっとずっと申し訳なく思っていました。
シニフィエさんが築き上げてきた大切なサイトであり、創価問題で悩み苦しむ人達皆さんにとっても大切で大事な場所を休止させてしまった事に、とても責任を感じていました。
なので、今月に入り、再開しますのお知らせを見た時には心底ホッとしました。
本当に嬉しかったです。
でも、休止への経緯もあり再開コメントするのには躊躇があり、今後はロムとして応援していくつもりだったのですが、昨日のシニフィエさんのコメントを読んで、お言葉に甘えて戻ってきました。
二郎さん、風太郎さんのコメントにも背中を押して頂きました、ありがとうございます。
そして、私とモニカさんのナリスマシ騒動の見解の違いの際、それに巻き込む形になってしまったsatouさん、ぽっけさん、きっと心を痛めているのでは?本当にごめんなさい。
再開してから名前がないのでずっと気になっています。
コージさんもです。
そしてそして、モニカさん。
貴女の事は、きっと誰もが戻ってきてくれるはずと思っています。
待っていますよ。
サイト休止中にあった大きな出来事として、支部内の活動家に会った時に聞いたのですが下半期になり本部内で幾つかの地区が消滅したそうです。
表向きは支部の活性化による地区合併ということですが、1つの地区を維持できる最低統監世帯を割ってしまう地区がでてきたのでしょう。
きっと、数年以内には、確実に1つの支部が消えてしまうと思います。
創価崩壊への足音がハッキリと聞こえてくるような、私にとっては衝撃的な事でした。
気がつきはじめた人が、着実に創価から去っている。
それを実感できる出来事でした。

●signifie (2016年11月28日 23:02 )
レモンさん、こんばんは。
よかった。これで胸のつかえがとれました。ありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。

●二郎 (2016年11月28日 23:14 )
レモンさんお帰りなさい。ずっと貴方を待ち続けていました。
ブログ休止はレモンさんの責任だなんて誰も思っていませんよ。
しかも、こうやって、復活しているわけですし、あのトラブルも我々の経験値としてこのブログの発展の糧になっているのではないかとさえ思います(このブログはシニフィエさんのであるので、私がこんなこと言う立場にないかもしれませんが)。
とても優しいレモンさん。また、これまでのようにコメントお願いします(レモンさんが名前を挙げた他の方も)。

●モニカ (2016年11月28日 23:45 )
レモンさん、コメントありがとうございます。
レモンさんが戻ってくれれば喜ばれる方が大勢いらっしゃるでしょう。
本当によかったです(^^)
ご存じの方も多いと思われますが、私は今、自分の創価アンチブログを書いています。
今まではここで多くの方と対話してきましたが、そういうことより一人で気ままに好きなことを語りたくなったんです。
もともと人様の相談に乗ったりすることは得意ではなく、励ましたり慰めたりみたいなことも柄じゃないし、立派なことも書かず、気を使わず、書きたいことを自由に書けて、酔っ払って書いても怒られないブログ(笑)
それが本来の性に合ってて楽しいんですよ。
ここは私の意思で、これを最後にもう書きませんが、どうかご理解ください。
この先も応援させて頂きます。


解説
レモンさんがブログ再開にお祝いのコメントを寄せています。
モニカさんも、自分でブログを立ち上げ、自由に楽しくやっていることを報告しています。
まずは、平穏を取り戻した対話ブログの再開です。

獅子風蓮


対話ブログ・ステージⅢ:いよいよ再開です(3)

2022-05-22 01:54:00 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。
(私はシニフィエさんの主張に必ずしも賛同するものではありません)

●の文章は、それについたコメントの引用です。


■池田大作先生という会則          投稿日: 2016年11月22日

創価学会仏が世間一般の感覚からすれば、ただの笑い話ってことに学会員さんが気づかないのは、気づきたくない、あるいは気づいてもなかったことにする。都合の悪いことには慌てて蓋をするのが学会員さんの特徴ですね。自分の体験として痛感します。「もうあれこれ考えないようにしよう。日蓮仏法は絶対に正しいのだし、凡夫の自分が考えて判断するようなことじゃない」と、まさに思考停止状態でした。思えば、まわりの学会員さんはみんなそうでした。今考えると本当に気味の悪い集団です。
創価学会仏に輪をかけてもっとお笑いなのが、池田名誉会長を池田大作先生と呼ぶことを会則にしたということですね。これも一般常識では考えられないことなんですが、創価の常識は世間の非常識と言われてきたように、それほど驚くようなことでもないかもしれません。「先生と呼ばれるほどの馬鹿でなし」ということわざもあるように、馬鹿丸出しな会則変更には、幹部も「はやまったかな?」と後悔してるかもしれませんね。
ということで、今回のテーマは「池田大作先生という会則」とします。「創価学会仏」も含めて、今回のお笑い会則変更を通じて、会員がいかに洗脳状態にあるか、皆さんの過去の体験などのお話しをしていただけるとわかりやすいと思います。
よろしくお願いします。


●スマイル (2016年11月22日 14:41 )
会則に「池田大作先生」ですか((+_+))
わかりますよー 創価脳からすれば、
信仰の対象は「宇宙の根本法則である南無妙法蓮華経」
信心の指導者は「池田先生」
ですから。
池田をあえて「教祖様」と呼ばせないのが巧妙ですね。
どう見ても「池田教」なのに、信者はそのように思っていない。
教祖様であれ、先生であれ、永遠の指導者であれ、呼び方が変わっているに過ぎない。
結局、「戸田先生はこのように言っていた」とか「池田先生はこのようにいっていた」とか、組織に都合の良くなるように利用しているにすぎません。
昔、会合で次のような指導がありました。
「創価の中では、「先生」は私(池田)だけだ。医者だからと言って「先生」と呼ぶな。弁護士だから、議員だからといって「先生」とよぶな。そのように特別扱いをすることにより、魔性に食い破られ、信心がおかしくなっていく。だから、みんな「○○さん」と「さん付け」で呼び合うようにするんだ」と。
「皆の清らかな信心を守るため」に「社会的に立場のある人を「先生」と呼ぶな」
「創価の中では「先生」は私(池田)だけだ」
と。
覚醒したからわかりますが、「ただのやっかみ」「コンプレックス」の塊ですやん!(^^)
本尊というものを置いて、池田の指導に完全に従わせるシステムです。
なにかあったら「広宣流布のために」、悪いことがあっても「意味があるんだ」、と言い換えすり替えしているだけです。心理学てきな手法をうまく使っています。
話は変わりますが、シニフィエさんの「創価は初めから詐欺だった」の意味が本当によくわかります。
人間革命の小説で
戸田は「これからは宗教の時代だ」と。
「宗教法人法ができたし、信教の自由を認められたから、これからは宗教で金儲けする時代だ」
といかえればよくわかります。

●おベンツ (2016年11月23日 00:53 )
「池田大作先生」がお元気な頃、私は本部幹部会の会場に何度か参加させていただきました。
初めて「池田大作先生様」を見かけたときは本当に嬉しかったです。家に帰ってバリ活の家族に伝えると母は泣いて喜んでいました。
本部幹部会で特に印象に残っているのは、「池田大作先生」が当時の会長だった秋谷会長のことをボロクソに「馬鹿が!」とか、厳しく言ったり、時にはみんなの前で土下座もさせていました。
その時は地方の会合に行った時に接待を受けていたことに激怒していたようでした。
そしていつも先生は「全部私がやってきました」と。その時の私としては、それだけ池田先生は広宣流布に対して真剣に戦っているんだと。自分も臆病を排して命を懸けて戦わなければと。MCどっぷりです。
本当におっかなかったです。ダミ声で。誰も何も言えない。いや言わせない。その場の空気はカッチカチ。また「池田大作先生」が入場する際も、決まって秋谷会長の話が終わった後。
しばらく沈黙。緊張感が会場全体に。そして司会が「池田先生が入場されます!」とスタート!
全員総立ち!会場はドーンと大拍手!演出最高!
ピースで入場する先生!演出完璧ですよ!
先生気持ちいいっすか?先生何者っすか?
いやぁ先生楽しすぎですよ!
それに比べて今の本部幹部会は超つまんねぇっすよ!やっぱ「池田大作先生」がいないと。
けど、未活のメンバーが今でも同時中継を見に来るんですよね…本当不思議です。超つまんねぇのに。
この前実家に行った時、兄と母に「これから学会どうするんだろね。毎回毎回、本幹で昔の先生のビデオ流して」と私。
するとチョイ活の兄が「あれを流すとお年寄りの方は今でも先生がお元気なんだと思い込むんだよね」と。初めて兄もそう思ってたんだと知りましたが、肝心の母は聞こえていないふりなのか、無言。あるある創価脳ってやつですね。でも母も分かってると思います。 
そういえば、「創価学会仏」の地区部長が、広布部員、すなわち財務の振込用紙を持って来てくれました!それも私と、妻の分もです。
原田会長~!今年はビタ一文払いませんよ!
しかし凄い大胆な集金の仕方ですよね。だって用紙に振込のご案内って書いてますよ。モロ金よこせって感じバリバリで。
でも50円位の、ノートがついてますよ!超嬉しい! って、舐めんなよ「池田大作先生」。こんな私ですが、実は昔、三桁の財務したことがあるんですよ。
そうこの、振込用紙に、1000000と書きました。
MCどっぷりです。兄もやってました。三桁。
凄いところです創価学会。
悪しき天才です「池田大作先生」。

●signifie (2016年11月24日 12:27 )
創価の最上層部だけが会員を騙していることの自覚があり、そんな自分の人生で良しとしている。世の中の理や人の道を説くのが宗教の役割だとしたら、宗教的観点からしても最低最悪の人生だとわかって歩んでいるのが創価の最上層部です。これだけの数の人を不幸にしているという自覚がありながら、どんな手を使っても、どこまでも騙し続けようとする創価学会幹部の精神構造は、とても理解できません。一般会員は騙されていることに気づかないでやっているので、仕方ないといえばそうなんですが、最高幹部はわかってやってるんです。そして自分の人生はそれでいいと腹をくくっているんですね。騙されているという意味では、地方の副会長レベルでもそうです。騙されている側ですね。創価では副会長と言っても地方組織を仕切るだけの支店長みたいなものです。私の地域の副会長は草創期からの父の友人だったし、従兄弟は総県長なのでよくわかりますが、彼らも完全に騙されています。本気で創価は正しいと信じています。覚醒した自分から見たら、可哀想でなりませんが今更何を言っても聞く耳を持つはずがありません。私の両親と同じように、創価を信じたまま人生を終えるしかないのだと思います。
このブログでは、このように創価を信じて疑わない方をどうこうしようという気はありません。過去の自分のことを振り返れば、聞く耳を持たないということがどういうことかがわかっているからです。創価が正しいと信じている人にとっては、目の前の現実も、物事の理屈も通用しないこともよくわかるからです。このブログでは、自分で「もしかしたら創価はおかしいんじゃなあいか?」とちょっとでも疑うことのできた人、つまり自分の頭で自分の人生について考える機会に出会った人のために、できるだけ多くの創価の現実を知ってもらえればという趣旨で運営しています。創価が正しいと思っている人と議論するつもりはありません。以前はそうした試みもしましたが、やはり徒労に終わりました。そんなことに時間と労力を費やするよりも、創価が詐欺だと気づき始めている人にとって有意義なブログにできればと思っています。「創価学会仏」や「池田大作先生」をテーマにするのも、単に笑いものにしているのではなくて「創価について冷静に考えたら、おかしなことがいくらでもあるよ」ということの例を示すためのものです。決して学会員さんをバカにしたりしているのではありません。創価に騙されていることに気づかな愛でいることが、いかに愚かなことなのかを、具体的にいろんな事例によって気づいて欲しいという考えのもとにしています。創価がやっていることは、集金人の拡大運動です。自らお金を差し出し、さらにお金を差し出す人間を自分たちで増やしている。それが最高の人生だと信じ込まされて、ただそれだけのことをしているんです。尊いことでもなんでもないです。宗教を道具にした金銭詐欺の拡大運動というだけの話です。ただそうやって集められた莫大なお金が実際に何に使われているのか、一般人では想像もつきません。単に最高幹部の懐に入っているだけのものではないことは明らかですが、その辺りを話題にすると、単に陰謀論として片付けられてしまうので、これには触れないことにします。白バラ通信の希望さんが仰っていた「創価学会はとてつもない闇を抱えている」といったことは、そうしたことなんだろうと思います。
とにかくここでは会員さんが一人でも「創価学会は詐欺だ」という現実に気づいてもらえることが目的です。それと気づいたら心が折れます。気づいたからといってすぐに脱会できない人もたくさんいらっしゃいます。そんな方が今後どうすればいいのか、どのように立ち直ればいいのかを、同じような経験を持つ方どうしで対話をすることで、創価によってぶち壊された自分や家族の人生を立ち直らせていくための足がかりにしていただければと思っています。
創価が詐欺だと気づいた時、本当に「ちっくしょーっ!!」でした。それもそんじょそこらの「ちっくしょーっ!!」ではありません。創価は両親の人生を丸ごと奪ったのですから。創価にによって、もうどうやっても取り返しのつかない人生を送らされた人が何百万人もいるんです。この現実を受け止めろということ自体がどれだけ酷なことか。だから白いブランコさんもきっと苦しんでおられると思います。あの三人組も、現実を受け止められることができずに「本来の創価は正しくて、現在の創価がおかしくなっている。だからなんとかして創価を本来の正しい姿に改革するんだ。それが自分の使命なんだ」という自己正当化をするしかできない人も現れるのだと思います。そこまでなると、もはや創価の是非ではなく、自分のこれまでの人生の是非を問題にしているとしか思えません。「創価は最初から詐欺だった」この現実を認めると自分の人生を否定しなければならない。恐ろしすぎてそれができない。したくない。細かい事情はあるのかもしれませんが、結局のところそのためのサイレントアピールだったり、座談会だったり、告発本の出版だと私は思っています。あれだけの行動力があるのであれば、目の前の現実を冷静に見つめなおして欲しいものだと思います。

 

 


解説
スマイルさんの指摘。

会則に「池田大作先生」ですか((+_+))
わかりますよー 創価脳からすれば、
信仰の対象は「宇宙の根本法則である南無妙法蓮華経」
信心の指導者は「池田先生」
ですから。
池田をあえて「教祖様」と呼ばせないのが巧妙ですね。

会則に「池田大作先生」とわざわざ載せる違和感をぴったりと表現していますね。

獅子風蓮