5月の連休を利用して久しぶりに半田市を訪れました。半田は江戸時代から醸造業で栄えた知多半島の中心都市で、皆さんおなじみのミツカングループの本社があり、関連の工場、研究所、住宅や旧カブトビール工場など質の高い近代建築が今も残っています。お目当ては毎年連休の3~5日に行われる旧カブトビール工場の一般公開で、今回の目玉は2階部分の初公開です。
名鉄河和線住吉駅を下車、国道247号線沿いに東へ5分ほど歩くと、大きな5階建赤煉瓦のビール工場として使われた建物が見えてきます。近くまで来るとまさに「赤煉瓦の大きな塊」という形容がぴったりで、そのスケール感と歴史のある赤煉瓦の建物が持つ重厚な雰囲気が見る者を圧倒します。
現在は半田赤レンガ建物(旧カブトビール工場)として国の登録文化財の指定を受け、地元半田市により保存管理されていますが、明治から昭和戦前にかけてこの工場でカブトビールのブランド名で本格的なドイツビールが製造されていました。
半田のビール製造の歴史は、中埜酢店(現ミツカン)四代目中埜又左衛門と甥の盛田善平(敷島製パン創業者)が明治22年に創業した丸三麦酒にさかのぼります。その後明治29年に丸三麦酒株式会社が設立され、増産体制に入るべく新しい煉瓦造の醸造工場が現在地の榎下町に建設され、「丸三ビール」から「カブトビール」にブランド名を変更、地元東海地方を中心にシェアを拡大しました。
しかしその後、明治末のビール業界は企業の再編が進み、丸三麦酒(株)は日本第一麦酒(株)に吸収合併(明治39年)されます。その後は加冨登麦酒(明治41年)、大日本麦酒との合併(昭和8年)を経て、中島飛行機製作所資材倉庫(昭和19年)として使用され、カブトビール工場はその役目を終えました。
建物設計は明治建築界の巨匠妻木頼黄(岐阜県土岐市妻木町出身)で、旧カブトビール工場のほか、横浜正金銀行本店(現神奈川県立歴史博物館)、横浜新港埠頭倉庫(現横浜赤レンガ倉庫)、内閣文庫(明治村に移築)、東京日本橋(意匠設計)などそうそうたる作品が現存しています。
妻木が設計担当した明治31年竣工時の建物で現存するのは、南東部に位置する木骨煉瓦造(ハーフティンバー)部分で、それに続く東側翼部とドイツ人技師が使用したレンガ造住宅は平成7年に取り壊されています。建物は丸三麦酒(株)醸造工場として建設以来3回の増築を繰り返しており、その際の設計は東海建築界の巨匠、まいどおなじみの鈴木禎次が担当しています。
◆半田赤レンガ建物(旧カブトビール工場)/愛知県半田市榎下町8
竣工:明治31年(1898)
設計:妻木頼黄、増築設計:鈴木禎次
施工:清水組
構造:煉瓦造地上5階建
撮影:2012/05/04
※国登録有形文化財
■建物東北外観~中央5層の塔屋から北側は明治40年第一次増築部分
■建物東南外観~煉瓦に木骨が入るハーフティンバーの部分は創建時明治31年妻木頼黄の設計による
■北側の増築部分はイギリス積みですが、建物南側のハーフティンバー部分は一部フランス積みが見受けられます
■建物東側中央の塔屋部分~東側壁面に付属していた創建時の建物を取り壊した痕跡が残る
■建物北側外観~入口上部の壁面にP51ムスタングの機銃掃射の跡が残る
■建物南側外観~西側(向かって左)の建物は第二次増築(大正7年)部分
■北側壁面のキーストーンの装飾が施された丸窓と工場入口
■工場内の展示スペース~カブトビールに関する資料や当時の宣伝ポスター、琺瑯看板などが展示されている
■建物東側の窓と国登録文化財指定のプレート
旧カブトビール工場2階見学ツアーに続く・・・カブトビール飲みたい!