『隣に真新しいカラーコーンがやってきた時は、さすがにもう引退しかないと覚悟を決めました。
ところがある日突然、誰かが私のちょっと割れていた頭の先に傘を突き立てたのです。
その瞬間から私は「傘タテ」として新たな人生を歩み始めました。
いつまで「傘タテ」としてやっていけるか自信はありませんが、最後までお役にたてて、本当に私は幸せでした~』
(岡崎信用金庫資料館横にて)
『隣に真新しいカラーコーンがやってきた時は、さすがにもう引退しかないと覚悟を決めました。
ところがある日突然、誰かが私のちょっと割れていた頭の先に傘を突き立てたのです。
その瞬間から私は「傘タテ」として新たな人生を歩み始めました。
いつまで「傘タテ」としてやっていけるか自信はありませんが、最後までお役にたてて、本当に私は幸せでした~』
(岡崎信用金庫資料館横にて)
岡崎と言えば家康公と岡崎城ということで、定番の市章や市の花などは一切ありません。
岡崎城と帆掛け舟~「五万石でも岡崎様は、お城下まで舟が着く」と謡われました
岡崎城と矢作橋~岡崎城の西を流れる矢作川に、当時としては日本最長の矢作橋が架けられていました