入金のため郵便局に行った。機械操作の苦手な人が、1台しかないATMで悪戦苦闘しているため、長い列ができていた。「Slow人」の身なので、並ぶことにした。郵便局が発行している情報マガジン『モヨリノ』VOL.4があったので1冊もらい、待ちながら読むことにした。
中ほどの「週刊少年漫画50周年」特殊切手発売の宣伝ページで、ぱらぱらとめくっていた手が、なつかしさで止まった。「少年マガジン」と「少年サンデー」の創刊号の表紙が出ていたからである。
{月刊}しかなかった漫画が{週刊}となり毎週新しいものを読むことができるというのは、当時の子供にとっては画期的な出来事で、今だに強く印象に残っている。にもかかわらず、自分がずい分、勘違いして記憶していることに気づかされた。
1つ目は、創刊の年。私は中学1年の終わり頃と思っていたが、1959年(昭和34年)3月17日。すなわち8歳、小学校3年生頃である。
2つ目はマガジンが一足早く創刊した。と記憶していたが、同時だった。
3つ目はマガジンの表紙に長島茂雄がのっていたと記憶していたが、サンデーだった。マガジンは朝潮。
4つ目はサンデーは高かった。と思っていたが、マガジンが40円でサンデーは30円。10円あれば1日、充分、駄菓子屋で楽しめる時代で、1番の贅沢は1個10円のあげたてのコロッケを食べることであった子供にとって、気安く買えるものではなかった。この記憶は確かだと思う。
ともあれ、漫画の世界が1ヶ月サイクルから1週間サイクルへの移行は、世の中の動きのスピードが速くなっていく象徴的な出来事だったと思う。
スッと入金できれば、決して読むこともなく、まちがったまま「中学の時さあ、少年マガジンが発行されて、その時の表紙が長島。サンデーはちょっと遅れて発行なのにお高くとまって高かったんよ!だから俺はマガジン派」というでたらめを 若い人に死ぬまでしゃべり続けたことと思う。 みんなの冷たい視線を背中に(たぶん)感じながら、機械的な音声に振り回されていたおばさまに感謝。
中ほどの「週刊少年漫画50周年」特殊切手発売の宣伝ページで、ぱらぱらとめくっていた手が、なつかしさで止まった。「少年マガジン」と「少年サンデー」の創刊号の表紙が出ていたからである。
{月刊}しかなかった漫画が{週刊}となり毎週新しいものを読むことができるというのは、当時の子供にとっては画期的な出来事で、今だに強く印象に残っている。にもかかわらず、自分がずい分、勘違いして記憶していることに気づかされた。
1つ目は、創刊の年。私は中学1年の終わり頃と思っていたが、1959年(昭和34年)3月17日。すなわち8歳、小学校3年生頃である。
2つ目はマガジンが一足早く創刊した。と記憶していたが、同時だった。
3つ目はマガジンの表紙に長島茂雄がのっていたと記憶していたが、サンデーだった。マガジンは朝潮。
4つ目はサンデーは高かった。と思っていたが、マガジンが40円でサンデーは30円。10円あれば1日、充分、駄菓子屋で楽しめる時代で、1番の贅沢は1個10円のあげたてのコロッケを食べることであった子供にとって、気安く買えるものではなかった。この記憶は確かだと思う。
ともあれ、漫画の世界が1ヶ月サイクルから1週間サイクルへの移行は、世の中の動きのスピードが速くなっていく象徴的な出来事だったと思う。
スッと入金できれば、決して読むこともなく、まちがったまま「中学の時さあ、少年マガジンが発行されて、その時の表紙が長島。サンデーはちょっと遅れて発行なのにお高くとまって高かったんよ!だから俺はマガジン派」というでたらめを 若い人に死ぬまでしゃべり続けたことと思う。 みんなの冷たい視線を背中に(たぶん)感じながら、機械的な音声に振り回されていたおばさまに感謝。