素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

本との出会いは ひょんなことから

2009年07月25日 | 日記
 今、我が家に咲いている花の中で 一番気に入っているのが写真の花。名前がわからないので 尋ねてみると 「宝塚ジェンヌ」という返事。いささか意外な名前に 驚く。例えば、[バラ]と呼ばれる中に『バットオースチン』とか『レディエマハミルトン』とか『プリンセスマサコ』とかあるように、もとの名前があるのではと 疑問が湧いたが 口に出せば 気まずくなること100%なので、自分で調べることにした。
 ジムに行った帰り 本屋に寄り 花木の本を立ち読み。見つけることはできず。確かにポピュラーではないからなとあきらめて、振り返った瞬間、目に飛び込んできた文庫本があった。ズラリと並んだ文庫本の中で、不思議とその1冊だけが見えたのである。今までにも よくあったことだが、ネットで買うことが多い昨今、まだ、こんな出会いがあるのだと ちょっと新鮮な気分。
 
 タイトルは『ヘタな人生論より徒然草』著者は荻野文子(おぎの あやこ)。東進ハイスクールで「マドンナ先生」として売り出した超人気講師である。元来、私はこういう類の人間は嫌いである。でも、本が目に飛び込んだ来た以上 無視はできない。「なぜ 彼女が こんな本を?」まえがきを読む。“複雑な現代社会を絶妙のバランスで 歩くために”という題がつけられていた。本文を抜粋すると

 *いきなり失礼な発言ではあるが、私は「人生論」なるものが嫌いだった。根拠のない自信に満ちていた若いころのことである。「人生とはこういうものだ」などといわれると、強い反発を覚えた。「私の人生を 勝手に型に嵌めないでほしい」と思ったのである。
 さらに失礼を重ねるが、私は古典の中で『徒然草』がもっともきらいだった。
          《中略》
 その私が、なぜ「ヘタな人生論より徒然草」を書く気になったか。理由はふたつある。
 ひとつには、私がそれなりに歳を食って、人生に迷うようになったからである。「不惑の四〇」というが、とんでもない話で、四〇歳を超えた途端に おおいに惑い始めた。仕事も私生活も年々複雑さを増し、若い世代と老いた世代に挟まれてうろたえる。なにが大事で、なにをあとまわしにしてよいのか、判断のキレが悪くなったのを感じはじめた。そこで、多様な価値観を整理し、判断の基準となる確固たるものを探してみたくなったのである。 もうひとつの理由には…《後略》*


 ここまで読んだら、本を戻すことなく、レジに向かい 599円を払った。私自身は、すでに通過したのだが、やはり人生の中で、40代の過ごし方はとても大切だと思ったし、彼女と同じ思いにも襲われた。じゃ、どのように考え、何を書いているのだ!という好奇心をつつかれたかな。
 明日から、ジムの有酸素運動に励みながら、この本を読むことになる。その姿、現代版「二宮 金次郎」?

 

 
コメント
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