素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

老いという「仮面」

2009年07月03日 | 日記
 私の机のガラス板の下には、TAKEFUJI*DANCERSの写真がはさんである。そこに、最近、戸田江梨香が加わったことで、26歳になる娘が我慢できなくなったみたいである。
 突然の雨で、バイクで帰ることができなくなり、車で迎えに行ったのだが、車中で開口一番、「お父さん、あれはいかんで」
        ーエッ!何のこと?ー
   「机の写真。50も過ぎた おじさんのすることやないで」
        -気に入ってるやけど。だいぶ前からあるやろ!何を今さらー
   「前から言おうと思っとったんやけど、今朝見て、ビックリしたわ」
    ー他人の机を借りとって、文句を言うな。自分の机、片付けたらどうやー
   「20までの若い子ならわかるで、いい年したおじさんのすることと違う
     -石頭!だから あかのや。岩石頭といってもいいでー
   「どういうこと?」
     -若いからとか年寄りだからとか 決め付けたらいかんのやー
 しらけてきたのか、娘は無言。
     -ああ。こういうところもあるんや!と そのまま受け入れるんやー
   「何?それ」
     -人間なんて いろいろな面を持っているから 決め付けたらいかんー
   「そりゃそうやけど・・・だけどあれは やばい!」
     -枯れていない証拠や!-
   「ハァ~????????」
 この後、家に着くまでに私の言ったことは、娘にとっては「?」以外のなにものでもなかった。と思う。いつになく、ムキになっていた自分は?と考えた時、「これがそうか」と思わずつぶやいた。
 昨日、「ノジュール」7月号の中にあった年齢社会学を研究中の 木田橋 美和子さんの連載で『老いない「私」』と題した話とリンクした。
 彼女によれば、一般に人の性格や考え方は30歳以後は大きく変わらず、自分の中にいる「本当の私」は、年齢を重ねても、あまり変わっていないと感じている人が多い。口に出すと「気は確か?」といわれそうなので黙っているが、『私』はあの時のままの自分。しかし、周囲から見た自分は正真正銘の老人。この事実から、老いとは、本当の自分を覆う「仮面」に過ぎない。と主張する学者もいる。
 ただ、老いの仮面は、簡単に脱ぐわけにはいかない。ずっとかぶったまま社会の期待や常識に合わせ、ホントの自分でない「老人」を演じ続けないといけない。自分にとっては不本意なことなので、健全なアイデンティティを維持するためには、内なる若い自分を、どのタイミングで、どこまで外に向かって表現するか。というちょっとしたライフ・スキルを身につける必要がある。というような中身である。
 最後に、19世紀末のイギリスの作家、オスカー・ワイルドの言葉で締めくくられている。「老年の悲劇は、年老いていることではなく、自分が未だに若いことだ」
 

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする