息子が仕事の関係で交野線の最終に間に合わなくて、枚方市駅まで迎えに行くことが時々ある。昨日も、23時40分頃に携帯が入り日にちが変わる中、枚方市駅まで車を走らせた。
交野山の上にきれいな月が出ていたのだが、その形が「???」であった。私の中の月の満ち欠けのイメージは縦に影が入っていくというものだが、昨夜のは半月に近いものだが、上に影が入りお椀のような感じであった。こんな月、見たことないなと思ったが、車の運転中だったのでひょっとしたら錯覚ということもあるので今晩確かめようと思う。
この春3月に開通予定の第二京阪道路の工事がこうこうと電気を照らしておこなわれていた。昼間のうちは、高架の上の部分での作業なのであまりわからないが深夜は片側通行にして、高架下の道路を掘り返しての作業、最後の追い込みという緊迫感が伝わってくる。
枚方市駅手前の道路もそうである。片側規制で掘り返している。交差点にかかるところなので、車の台数は少ないとはいえ、信号を見ながらの片側への誘導に、警備員の緊張した連携プレイに見入ってしまう。さらに土砂を運ぶダンプが加わった時には空気が張り詰める。
枚方市駅では、ロータリーの側道に停車して息子を待つ。1階の広いコンコースには10組以上の若者のグループがそれぞれストリートダンスに興じている。いつ来ても同じ光景だが、何回か見ているとそれぞれのグループのこだわりがわかってくる。スピン系、体操系、ロボット系、優雅系などと勝手に分類して待つ間の退屈しのぎにしている。
ロータリーには客待ちのタクシーがとぐろを巻いたように並んでいる。誰が誘導しているわけではないが、客を乗せるたびに、全体が整然と動いていく。長いこと待って乗せた客が1メーターだったらがっくりだろう。これも1つの賭けである。そう思うとロータリーをまわるタクシーの列の動きがルーレットに見えてくる。
車のすぐ左横の歩道には屋台のラーメン屋。仕事の帰りや飲んだ後の腹の足しにする人などいろいろなひとが立ち寄る。冷える中でのラーメンさぞおいしいだろうと思うが、食べたいと思わないのは歳を取ったからか?と自問自答。
朝になると、この深夜の光景は蜃気楼みたいに消え、まったく別の顔をした街があらわれる。街も早朝、朝、昼、夕方、夜、深夜といろいろな顔を持っている。家に帰ったのがおおかた1時。“山ナリエ”のイルミネーションも消え、暗く静かな町にもどっていた。
交野山の上にきれいな月が出ていたのだが、その形が「???」であった。私の中の月の満ち欠けのイメージは縦に影が入っていくというものだが、昨夜のは半月に近いものだが、上に影が入りお椀のような感じであった。こんな月、見たことないなと思ったが、車の運転中だったのでひょっとしたら錯覚ということもあるので今晩確かめようと思う。
この春3月に開通予定の第二京阪道路の工事がこうこうと電気を照らしておこなわれていた。昼間のうちは、高架の上の部分での作業なのであまりわからないが深夜は片側通行にして、高架下の道路を掘り返しての作業、最後の追い込みという緊迫感が伝わってくる。
枚方市駅手前の道路もそうである。片側規制で掘り返している。交差点にかかるところなので、車の台数は少ないとはいえ、信号を見ながらの片側への誘導に、警備員の緊張した連携プレイに見入ってしまう。さらに土砂を運ぶダンプが加わった時には空気が張り詰める。
枚方市駅では、ロータリーの側道に停車して息子を待つ。1階の広いコンコースには10組以上の若者のグループがそれぞれストリートダンスに興じている。いつ来ても同じ光景だが、何回か見ているとそれぞれのグループのこだわりがわかってくる。スピン系、体操系、ロボット系、優雅系などと勝手に分類して待つ間の退屈しのぎにしている。
ロータリーには客待ちのタクシーがとぐろを巻いたように並んでいる。誰が誘導しているわけではないが、客を乗せるたびに、全体が整然と動いていく。長いこと待って乗せた客が1メーターだったらがっくりだろう。これも1つの賭けである。そう思うとロータリーをまわるタクシーの列の動きがルーレットに見えてくる。
車のすぐ左横の歩道には屋台のラーメン屋。仕事の帰りや飲んだ後の腹の足しにする人などいろいろなひとが立ち寄る。冷える中でのラーメンさぞおいしいだろうと思うが、食べたいと思わないのは歳を取ったからか?と自問自答。
朝になると、この深夜の光景は蜃気楼みたいに消え、まったく別の顔をした街があらわれる。街も早朝、朝、昼、夕方、夜、深夜といろいろな顔を持っている。家に帰ったのがおおかた1時。“山ナリエ”のイルミネーションも消え、暗く静かな町にもどっていた。