いかだ荘の部屋の窓の真正面の方角から朝日があがると宿の人から聞いていたので楽しみにしていたが、あいにく雲が多くてほんのわずかな時間、雲の合間からの朝日を見るにとどまった。しかし、朝焼けの空と海は美しかった。的矢湾越しに見える太平洋の水平線上をゆっくりと進む大型貨物船の姿もなかなかよかった。
的矢は、江戸時代、風待ちの港として栄えた。当時、航海の途上で命を落とす者もあり、船乗りの無縁仏が数多く葬られているそうだ。古来、漁民の信仰をあつめ海難事故に霊験があるといわれているのが、昨日、立ち寄った青峰山正福寺である。
50年ぶりに訪れたが、山門の威風堂々とした様には感激した。昔は、寺内の燈明岩で、毎夜護摩を焚いて海上安全を祈ったという。今も、海が荒れて闇夜で一寸先も見えなくなったとき、ここから光が差して遭難船を導いてくれるといわれている。
お寺の金堂(本堂)に掛けられている絵馬のほとんどが舟の絵馬で、海運の安全や豊漁を祈念するものである。
その中に、父方の叔父の奉納した額もあった。若いときに「五十鈴丸」という漁船で遭難をし、海上を漂流して奇跡的に救助されたことに感謝して奉納したものである。最近、新聞で志摩の歴史を回顧するシリーズの中でとりあげられた記事のコピーも横に掲げられていた。
私の生まれる前の話で、何回か話の中では聞いていたが、実際の絵馬を見ると、九死に一生を得た叔父の人生をあらためて考えてしまった。
生きていく 人それぞれに歴史あり その真の重さ 誰にもわからず
的矢から鵜方にまわり買い物をしてもどる。12時30分ごろに弟が来たので、バトンタッチをして大阪に帰る。道はスムーズに流れ16時30分に到着。
的矢は、江戸時代、風待ちの港として栄えた。当時、航海の途上で命を落とす者もあり、船乗りの無縁仏が数多く葬られているそうだ。古来、漁民の信仰をあつめ海難事故に霊験があるといわれているのが、昨日、立ち寄った青峰山正福寺である。
50年ぶりに訪れたが、山門の威風堂々とした様には感激した。昔は、寺内の燈明岩で、毎夜護摩を焚いて海上安全を祈ったという。今も、海が荒れて闇夜で一寸先も見えなくなったとき、ここから光が差して遭難船を導いてくれるといわれている。
お寺の金堂(本堂)に掛けられている絵馬のほとんどが舟の絵馬で、海運の安全や豊漁を祈念するものである。
その中に、父方の叔父の奉納した額もあった。若いときに「五十鈴丸」という漁船で遭難をし、海上を漂流して奇跡的に救助されたことに感謝して奉納したものである。最近、新聞で志摩の歴史を回顧するシリーズの中でとりあげられた記事のコピーも横に掲げられていた。
私の生まれる前の話で、何回か話の中では聞いていたが、実際の絵馬を見ると、九死に一生を得た叔父の人生をあらためて考えてしまった。
生きていく 人それぞれに歴史あり その真の重さ 誰にもわからず
的矢から鵜方にまわり買い物をしてもどる。12時30分ごろに弟が来たので、バトンタッチをして大阪に帰る。道はスムーズに流れ16時30分に到着。