年末が近づくと何となく掃除モードになってくる。高校ぐらいまでは、年末の大掃除は家の大きなイベントであった。畳を全部干すので運び出すのが一仕事。畳と床の間に新聞紙をひくので畳をあげると去年の新聞が出てくるので、ついつい読んでしまって能率が落ちる。そういう光景を見ることはなくなった。
気候が良いので出歩くことが多く、片付けが中途になっていたが、今週に入りぼちぼち片付けを再開。気になっていたガラクタを整理している。毎日、几帳面にきちきちしている人もいるだろうが、私は気まぐれタイプ。
小中の頃もそうだった。やりだすと結構完璧を目指すのだが、2対8ぐらいの割合でサボることの方が多かった。よく担任にみつかり運動場を走らされていた。教育実習の道徳の授業も「清掃」をテーマにやった。“清掃をやらされる”ということにこだわりを持ってしまうのだ。困ったものである。
3年前に、『掃除が変える 会社が活きる』という本を買った。5つの章からなっている。
1章:いま、なぜ掃除が注目されているのか
2章:松下幸之助氏はなぜ、かくも掃除にこだわったのか
3章:東京ディズニーランドのサービスの原点は掃除にあり
4章:掃除を大事にしている元気な会社たち
5章:掃除こそが「日本再生」の礎をなす
この中で、おもしろかったのが2章に出てくる松下政経塾の話である。松下政経塾は松下幸之助が70億円もの私財を投じて1980年4月に神奈川県茅ヶ崎市に開塾された。『塾是』には「真に国家と国民を愛し、新しい人間観にもとづく政治や経営の理念を探求し、人類の繁栄幸福と世界平和に貢献しよう」とあり、『塾訓』には「素直な心で衆知を集め、自修自得で事の本質を極め、日に新たな生成発展の道を求めよう」とある。
当然、応募してくる人たちは意識も高く、前向きな姿勢を持っている。塾長の松下氏は「掃除1つできないような人間だったら、何もできない。」という信念を持っているので、塾生との話の中で掃除の大切さを折に触れ話題にしていくのだが、天下国家を論じたい塾生は一向に乗ってこない。幸之助塾長の嘆息と苛立ちが行間に伝わってくるやりとりを聞いていてハラハラドキドキしているのは塾頭である。
塾頭というのは、普通の独身寮や学生寮でいえば舎監みたいな役割もあるので、幸之助氏の気持ちがわかるだけに、何とか塾生たちに掃除をさせようと必死になった。
最初は、一生懸命になって、掃除とは何ぞやという理屈で迫ったそうだ。しかし、理屈でいけばいくほど、理屈が返ってきて、塾生の身体とホウキは動かなかった。塾頭は、人間というのは理屈がわかれば動くというのはウソであるということがわかったそうである。なぜなら、やりたくないことはやらなくてもいいようになる理屈を、人は一生懸命探すものだからである。
そこで、一転して「幸之助さんがやれと言っていることだ」「幸之助さんに報告するぞ」と言って、エンマ帳をこれ見よがしにつける“管理的強権的”にやってみた。効果抜群であったが、だんだん幸之助氏や外部からお客さんが来る日はいいのだが、それ以外は手を抜くようになる。しかられるからイヤイヤするという“面従腹背”の典型になってしまった。
ならば、“率先垂範”「背中で教えるしかない」と塾頭は塾生の前でしっかり掃除をする姿を見せたのだが、塾生には嫌味にしか映らない。最後の手だてということで、山本五十六式の「してみせて、言って聞かせて、やらせてみて、それでほめれば人は動く」でやってみたそうである。すると「おだてて掃除をさせようとしている」と考える者が出てくる始末。
いろいろやってみて、塾頭はあれこれ言わないようにした。ということにたどりついたらしい。900人余りの応募者から選ばれた23人の塾生ですらこうである。という話を読んだ時はまだ現役。毎日毎日の掃除指導にうんざりしていた時だったので少し肩の力が抜けたことを覚えている。
清掃指導が抜群の同僚がいた。基本は「掃除はいやなものだ」というところから出発して、アイデア、方法、グッズを考えていくことだそうだ。たかが掃除、されど掃除。掃除をする者にも、させる者にも何かを教えてくれる。
あと20日。ぼちぼちとやっていこう。
気候が良いので出歩くことが多く、片付けが中途になっていたが、今週に入りぼちぼち片付けを再開。気になっていたガラクタを整理している。毎日、几帳面にきちきちしている人もいるだろうが、私は気まぐれタイプ。
小中の頃もそうだった。やりだすと結構完璧を目指すのだが、2対8ぐらいの割合でサボることの方が多かった。よく担任にみつかり運動場を走らされていた。教育実習の道徳の授業も「清掃」をテーマにやった。“清掃をやらされる”ということにこだわりを持ってしまうのだ。困ったものである。
3年前に、『掃除が変える 会社が活きる』という本を買った。5つの章からなっている。
1章:いま、なぜ掃除が注目されているのか
2章:松下幸之助氏はなぜ、かくも掃除にこだわったのか
3章:東京ディズニーランドのサービスの原点は掃除にあり
4章:掃除を大事にしている元気な会社たち
5章:掃除こそが「日本再生」の礎をなす
この中で、おもしろかったのが2章に出てくる松下政経塾の話である。松下政経塾は松下幸之助が70億円もの私財を投じて1980年4月に神奈川県茅ヶ崎市に開塾された。『塾是』には「真に国家と国民を愛し、新しい人間観にもとづく政治や経営の理念を探求し、人類の繁栄幸福と世界平和に貢献しよう」とあり、『塾訓』には「素直な心で衆知を集め、自修自得で事の本質を極め、日に新たな生成発展の道を求めよう」とある。
当然、応募してくる人たちは意識も高く、前向きな姿勢を持っている。塾長の松下氏は「掃除1つできないような人間だったら、何もできない。」という信念を持っているので、塾生との話の中で掃除の大切さを折に触れ話題にしていくのだが、天下国家を論じたい塾生は一向に乗ってこない。幸之助塾長の嘆息と苛立ちが行間に伝わってくるやりとりを聞いていてハラハラドキドキしているのは塾頭である。
塾頭というのは、普通の独身寮や学生寮でいえば舎監みたいな役割もあるので、幸之助氏の気持ちがわかるだけに、何とか塾生たちに掃除をさせようと必死になった。
最初は、一生懸命になって、掃除とは何ぞやという理屈で迫ったそうだ。しかし、理屈でいけばいくほど、理屈が返ってきて、塾生の身体とホウキは動かなかった。塾頭は、人間というのは理屈がわかれば動くというのはウソであるということがわかったそうである。なぜなら、やりたくないことはやらなくてもいいようになる理屈を、人は一生懸命探すものだからである。
そこで、一転して「幸之助さんがやれと言っていることだ」「幸之助さんに報告するぞ」と言って、エンマ帳をこれ見よがしにつける“管理的強権的”にやってみた。効果抜群であったが、だんだん幸之助氏や外部からお客さんが来る日はいいのだが、それ以外は手を抜くようになる。しかられるからイヤイヤするという“面従腹背”の典型になってしまった。
ならば、“率先垂範”「背中で教えるしかない」と塾頭は塾生の前でしっかり掃除をする姿を見せたのだが、塾生には嫌味にしか映らない。最後の手だてということで、山本五十六式の「してみせて、言って聞かせて、やらせてみて、それでほめれば人は動く」でやってみたそうである。すると「おだてて掃除をさせようとしている」と考える者が出てくる始末。
いろいろやってみて、塾頭はあれこれ言わないようにした。ということにたどりついたらしい。900人余りの応募者から選ばれた23人の塾生ですらこうである。という話を読んだ時はまだ現役。毎日毎日の掃除指導にうんざりしていた時だったので少し肩の力が抜けたことを覚えている。
清掃指導が抜群の同僚がいた。基本は「掃除はいやなものだ」というところから出発して、アイデア、方法、グッズを考えていくことだそうだ。たかが掃除、されど掃除。掃除をする者にも、させる者にも何かを教えてくれる。
あと20日。ぼちぼちとやっていこう。