素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

今日の『時代の風』はよかった

2009年12月13日 | 日記
 毎週日曜日の朝刊には『時代の風』というコーナーがあり、各方面で活躍している人たちが執筆しているが、今日の桐野夏生さんの文は心に入った。

桐野さんは、1951年10月生まれ、私と同じ58歳。同じような思いを持つのはやはり年齢のせいかとあらためて思った。

 彼女が小学生の時に担任教師の話から『死』を意識して生きてきた。と書いている。
 
 私も担任の話から同じような思いにとらわれた。その担任は2つの話をよくした。1つは、海の引き潮の話。知らぬ間に引き潮によって、沖合いに流され死んだ人の話。津波の引き潮によって海にのみこまれる話。それらを実にリアルに語った。

 当時は、学校にプールがなく、海へ行って学校水泳をしていたので海の怖さを教えるという意味合いで誇張して話されたと思うが、一瞬にして「死」の世界に突き落とされる不安な気持ちを強く持ってしまった。

 もう1つは、頭を強く打った人が、意識も外傷も問題がなかったので、そのまま楽しく過ごしていると、30分~1時間ぐらい経過した頃、自分で気づかないうちにおしっこをもらし、だんだん意識がもうろうとしてきて死んでしまう。と言う話。これも実にリアルであった。胴馬とか相撲、プロレスなど危険な遊びをしている男子を戒めるために話されていたのだと思うが、実にこたえた。

 小学校の高学年から中学にかけて1年間で10cmずつ身長が伸びていった(中3で181cm)私は頭を敷居などでよく打った。その都度、担任の話が頭をよぎり「死の恐怖」に1時間近くさいなまれるのであった。特に、知らぬ間におしっこをもらすというのが、思春期の私にとってはたまらなく嫌なことだった。

 ソファで調子にのってトランポリンのように跳んでいて、天井に頭を打ちつけた時は、本当にもう駄目かもしれないと思い、担任が教えてくれた処置「じっと動かない」を2時間ほど実行した。いつ自分の体、意識に変調をきたすかと心配しながらじっと耐えていた。

 夏生さんは、最後に「自死」についてもふれている。



 




 

 
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