素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

少年時代の味

2010年06月28日 | 日記
 「ゲゲゲの女房」はよく見る。昭和20年代から30年代が舞台になっているので、自分の小さい頃とリンクするところが多く、なつかしい。以前、バナナにまつわる話があった。たしかに当時はバナナは高級な果物でめったに食べることのできないものだった。母方の叔父が東京商船大学の練習船の指導教官をしていて、銀河丸という名前だったと思うが、三重の港に寄港した時親戚が連れ立って見学に行ったことがある。

 叔父の船室に入った時、テーブルの上に無造作に置かれたバナナの大きな房が目に飛び込んで来た。1年に1本食べることができるかどうかという時代、20年分ぐらいの量だっただろう。子ども連中の雰囲気を察した叔父は「好きなだけ食べていいよ」と笑いながら言ってくれた。多分小学生だった私たちは宝物でもあつかうように皮をむいて味わっていたのだと思う。叔父が不思議そうに「バナナって、南洋のイモなんやけど」と言ったのをいまだに覚えている。当時は言っている意味が全然わからなかったが、大人になって、バナナがスーパーの店先に大量に並ぶのを見た時、叔父の言葉の意味がストンと落ちた。だからといって、「南洋のイモ」とは思えない。頭ではわかっても小さい頃味わった感覚はそのまま残っている。不思議なものである。

 昨日、正俊寺の境内でヤマモモの実を見つけた。 小学校時代の私たちにとってヤマモモはおやつがわりとして重宝していた。季節が季節だけに、腹をこわしてはいけないと大人からはきつく禁止されていた。それでも放課後にないしょで取りにいくのだが、服に汁をつけてしまったり、舌の検査ですぐばれてしまう。

 秋はアケビがおやつがわりとなった。種子をつつむ白い胎座の甘さがたまらない。しかし、ある日一度に食べきれないほどの収穫があり、持ち帰っていた途中で、柿の木から柿の実を1個拝借して食べたらその甘さはアケビとは質の違うおいしさだった。試しにアケビを食べたが、あれほど甘く感じていたものが水っぽく感じて、意気揚々と持ってきたアケビを全部捨てた。それ以来、アケビ取りには行かなくなった。

 柿のうまさに魅せられて、ちょくちょく木のある畑に出かけていた。ある日畑の持主のおじさんにみつかり、「もっとうまい柿があるからこっちへ来い」と連れて行かれ、豚まんほどの大きさの立派な柿の実のついている木を指差し「あれはうまいから1個食べてみろ」と言われた。柿泥棒という弱い立場なので言うとおりにしなければならず、食べてみると見事な渋柿であった。「うまいやろ、全部食べろよ」とすごまれるので、口から脳天までしびれながら食べ終えた。あのおしおきはこたえた。

 他にも、野イチゴ、びわ、ざくろ、椎の実、つくしなど季節季節、原始時代そのものの採集生活を体験していた。今のように体験学習と銘うたなくても生活のなかに自然と組み込まれていたのである。少年時代に体験した味覚の記憶は結構しっかり刻み込まれているのである。 
コメント
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