第1回に続き、「広報かたの」の取材で“第2回かるた・歴史ウォーク”に同行した。今回は私部地区の5ヶ所を歴史解説ボランティアの説明を受けながら2時間余りで巡ってきた。コースは交野市駅集合→私部城跡→光通寺→無量光寺→北田家住宅→住吉神社である。
説明板がなければ、ただの荒地である。戦国時代に建てられた平城で、城主は安見右近。城の変遷については諸説がありはっきりしていない。


南北朝時代に赤松則村が建て、著名な僧、別峯が寺に入り開山となったと伝えられている。室町時代には、交野の山間部の領地権を巡って、石清水八幡宮と争いを起こすほど、大きな勢力を誇っていた。


軍書読みとは保元物語や平家物語などの軍記を琵琶法師が節をつけて聞かせるもので、19世紀のはじめごろ、無量光寺の軍書読みは有名で、多くの人が集まっていたそうである。



江戸時代の旗本畠山家の代官をつとめた北田家住宅、約4000㎡の敷地内に主屋、表門、乾蔵、北蔵などがあり国指定の重要文化財となっている(非公開)特に、表門(門長屋)は55.8mあり、民家としては日本最長。高さも2.6mあり、馬に乗ったまま出入りができる。


住吉神社は私部の氏神である。大鳥居は万延元年(1860年)に造られ、高さ7.27、幅6.67mは交野では最大。私部集落の東、奈良県へと抜ける郡山(ぐんなん)街道の中で、最も急カーブで傾斜の大きい場所「大曲」を少し上がったところに「鳥居谷」と呼ばれる場所があり、採石跡も残っている。ここから鳥居の原石を切り出した。 修羅と呼ばれる台に石を載せ、2~300人を超える村の男たちが傾斜のきつい坂道や川沿いの道を約3kmを音頭取りの掛け声にあわせて引っ張り運んだという。つくね飯とはおにぎりのこと。
12時すぎに解散した。今日は“ブログを開設して1周年”にあたる。W杯予選リーグ突破も一緒にして、夜は祝杯をあげたいと思う。















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