私が最初に赴任した中学校は今はもうない。1974年に新設され、2001年の3月末で廃校となった。まだ、1つの中学校からの分離新設だったので混乱は少なかったが、それでもある程度形ができるのに5年余りは要したと思う。2つ以上の学校からの分離新設になると、それぞれの学校の考え方、方法論のすり合わせに苦労し、その間、学校が不安定な状態になりかねない。
少子化の影響で、2001年に枚方市の中学校の中で統廃合のトップを切ったのだが、統合された周辺の中学校は、しばらく安定を欠いた。それぞれの学校で培ってきた独自の文化があり、その中で生徒は安定している。数字だけで割り切れないものがあるのである。その後も廃校の計画はあったのだが、なぜか実施されていない。目に見えないしんどさがあったのではと思う。
全国的にみても統廃合の動きはすすんでいるように思う。TVニュースの特集などで時々目にする。毎日新聞の6月10日(木)の朝刊に、『弥栄のきずな』というルポルタージュの連載が始まった。
新聞によると、
「京都市立弥栄中学校 学制発布(1872年)の3年前、京都の町衆の手で作られた日本最初の学区制小学校“番組小学校”に始まる。初代校長は、祇園の老舗茶屋“一力亭”の9代目当主。1980年代後半~90年代前半は、荒れた学校として知られた。96年から、身近な人権問題をテーマに人権劇に取り組む。来春、弥栄を含む2中学校5小学校が統合。開晴(かいせい)小中学校(小中一貫校)として新たなスタートを切る。」
となっている。 同校には、地区や児童養護施設で育つなど、複雑な社会背景や家庭環境を抱えた生徒が多い。そんな生徒たちを支えてきたのが、人権教育を通した“仲間づくり”だ。たぶんさまざまな試行錯誤を経て、伝統の人権劇や発表の場がつくられてきたのだと思う。昨秋から卒業までの半年にわたって密着取材をしてきたルポである。ルポを読みつつ、学校のあり方についても考えて行きたいと思っている。
地域から生まれ、地域の中で育まれてきた学校が無くなるというのは、数の論理、教育の理念だけでは語れない大きな財産を失うことになるのではという危惧を持っている。1つの伝統が消え、新しいものが生み出されるまでの道のりは険しいように思える
少子化の影響で、2001年に枚方市の中学校の中で統廃合のトップを切ったのだが、統合された周辺の中学校は、しばらく安定を欠いた。それぞれの学校で培ってきた独自の文化があり、その中で生徒は安定している。数字だけで割り切れないものがあるのである。その後も廃校の計画はあったのだが、なぜか実施されていない。目に見えないしんどさがあったのではと思う。
全国的にみても統廃合の動きはすすんでいるように思う。TVニュースの特集などで時々目にする。毎日新聞の6月10日(木)の朝刊に、『弥栄のきずな』というルポルタージュの連載が始まった。

「京都市立弥栄中学校 学制発布(1872年)の3年前、京都の町衆の手で作られた日本最初の学区制小学校“番組小学校”に始まる。初代校長は、祇園の老舗茶屋“一力亭”の9代目当主。1980年代後半~90年代前半は、荒れた学校として知られた。96年から、身近な人権問題をテーマに人権劇に取り組む。来春、弥栄を含む2中学校5小学校が統合。開晴(かいせい)小中学校(小中一貫校)として新たなスタートを切る。」
となっている。 同校には、地区や児童養護施設で育つなど、複雑な社会背景や家庭環境を抱えた生徒が多い。そんな生徒たちを支えてきたのが、人権教育を通した“仲間づくり”だ。たぶんさまざまな試行錯誤を経て、伝統の人権劇や発表の場がつくられてきたのだと思う。昨秋から卒業までの半年にわたって密着取材をしてきたルポである。ルポを読みつつ、学校のあり方についても考えて行きたいと思っている。
地域から生まれ、地域の中で育まれてきた学校が無くなるというのは、数の論理、教育の理念だけでは語れない大きな財産を失うことになるのではという危惧を持っている。1つの伝統が消え、新しいものが生み出されるまでの道のりは険しいように思える