第95回公演の『キネマの天地』も面白かったが、その数倍『雪やこんこん』は面白かった。舞台が映画の世界と大衆演劇の世界との違いが登場人物の人間臭ささやセリフまわしの違いに出てくる。ライブで練り上げられてきた舞台言語の意味のおもしろさ、音のひびきの美しさがぎっしり詰め込まれていた。虚虚実実の駆け引きの連続に酔いしれました。
舞台の余韻が体中に残っている夜に、会場で買い求めた(季刊)“the座”№71を読むと余韻と相まって濃い時間を過ごすことができる。井上ひさしさんの“前口上にかえて”から始まって演出家、役者、舞台スタッフの話に演目と関連する特集(今号は“旅役者の基礎知識・満腹!大衆演劇堪能記の2つ)は読み応えがあり、『雪やこんこん』の見方に深みがでる。
演出の鵜山仁さんはこう切り出している。 「芝居には人生を前向きに変える力がある、是非そういうものでありたい、という願いが込められた、“芝居の魅力についての芝居”。『雪やこんこん』はそんな作品です。この上演がもしうまくいかなければ、すなわち芝居には魅力がない、芝居なんかやる意味がないということになってしまう。これは相当にシビアです。一行一行の台詞の力、一人ひとりの役者さんの腕試し。何しろリアリズムの芝居と大衆演劇のフォルムが入れ子構造になっていますから、表現の上ではメリハリをつけて大きい振れ幅を行き来する必要があります。人間の心の動きをどんな“音”で表現するのか、その“音”で芝居を、ひいては人生をどうつかまえるのか。演じる者、演出する人間に課せられたハードルはとても高いんです。」そしてさまざなことを述べた最後に 「・・・と、演出方針めいたことをぬけぬけ語るようになっているあたりが、我ながら実にアヤしいですね。本体はこう言うだけでも十分なはずです。“とにかく観てください。面白いでしょ?”と。」
そして、演じる9名の役者の思いが語られているのだが、それぞれに面白い。芸歴の異なるメンバーから生まれるエネルギーも今回の舞台の魅力ではなかったかと思う。
初演が1987年、再演が91年、再々演が99年なので13年ぶりの『雪やこんこん』であった。この日のこの空間を共有した人間にしかわからないことがある。その一人であったことを幸せに思う。もう一度、この演目を観る機会が訪れることを願う。長生きしよう!(笑)
舞台の余韻が体中に残っている夜に、会場で買い求めた(季刊)“the座”№71を読むと余韻と相まって濃い時間を過ごすことができる。井上ひさしさんの“前口上にかえて”から始まって演出家、役者、舞台スタッフの話に演目と関連する特集(今号は“旅役者の基礎知識・満腹!大衆演劇堪能記の2つ)は読み応えがあり、『雪やこんこん』の見方に深みがでる。
演出の鵜山仁さんはこう切り出している。 「芝居には人生を前向きに変える力がある、是非そういうものでありたい、という願いが込められた、“芝居の魅力についての芝居”。『雪やこんこん』はそんな作品です。この上演がもしうまくいかなければ、すなわち芝居には魅力がない、芝居なんかやる意味がないということになってしまう。これは相当にシビアです。一行一行の台詞の力、一人ひとりの役者さんの腕試し。何しろリアリズムの芝居と大衆演劇のフォルムが入れ子構造になっていますから、表現の上ではメリハリをつけて大きい振れ幅を行き来する必要があります。人間の心の動きをどんな“音”で表現するのか、その“音”で芝居を、ひいては人生をどうつかまえるのか。演じる者、演出する人間に課せられたハードルはとても高いんです。」そしてさまざなことを述べた最後に 「・・・と、演出方針めいたことをぬけぬけ語るようになっているあたりが、我ながら実にアヤしいですね。本体はこう言うだけでも十分なはずです。“とにかく観てください。面白いでしょ?”と。」
そして、演じる9名の役者の思いが語られているのだが、それぞれに面白い。芸歴の異なるメンバーから生まれるエネルギーも今回の舞台の魅力ではなかったかと思う。
初演が1987年、再演が91年、再々演が99年なので13年ぶりの『雪やこんこん』であった。この日のこの空間を共有した人間にしかわからないことがある。その一人であったことを幸せに思う。もう一度、この演目を観る機会が訪れることを願う。長生きしよう!(笑)