久しぶりにナイトウォークを1時間ほど楽しんだ。まだ足の運びにはぎこちなさがあるがずい分ましになった。帰宅後、BSジャパン「昭和は輝いていた・歌謡界の巨人星野哲郎」をテレビ欄で見つけた。大袈裟な番組名には違和感を覚えたが、♪風雪ながれ旅♪の歌詞ができるまでの過程を辿った番組を見てその深さを知って以来、星野哲郎さんの詞には興味を持ってきた。
何か新しい発見はないかと21時から番組を見た。星野さんあの息子さんがテレビで初登場。お父さんと同じような雰囲気の方で、内輪のことも少し披露してくれた。内の顔と外の顔に余り隔たりのない星野さんであることを改めて確認できた。ただ、言葉に対しては厳しく、「の」「は」の使い方までこだわっていたという話には「さすが」と思った。
♪ボロは着てても 心の錦・・・・♪をよく間違って♪ボロは着てても 心は錦・・・・♪と歌われることに対して「『は』じゃ、ダメなんだ」と言っていたという。
「おっ!」と驚いたのは、美空ひばりさんに提供した♪みだれ髪♪にまつわる話。
平成を迎えるまでの5年間の間に、美空ひばりさんの回りでは度重なる肉親との別れがあった。そして、自身の入院。
そんなひばりさんを何とか勇気づけようと、長年、美空ひばりさんのプロデュ-サーをつとめた日本コロムビア(株)森 啓さんが新曲の企画を思い立った。
その曲作りに当たっては、作詞は星野哲郎さん、作曲は船村徹さんという最強コンビが結成された。星野さんがひばりさんの曲を作詞するのは20数年ぶりとあって、その意気込みは大きいものであった。
星野さんが担当ディレクターの森さんから「とにかく、福島県いわき市の塩屋埼に行ってみてほしい。そこにいけば、全てがわかるはずだ。」という言葉を頼りに、いわき市を訪れたのが昭和62年。
夕暮れまで波打ち際を歩き続けていると、暗い海に一筋の光が投げかけられた。それは灯台の灯。人気のない海岸線の崖の上に一級灯台が毅然として立っている。その姿はまさにひばりさんそのものだった。心はいつも孤独であるのに、民衆向かって歌という光を送り続けなければならない。そんな情景を読みとった星野さんは灯台にひばりさんの姿を投影した。
という話は何度も繰り返しあってよく知っているが、詞を作る時に万葉集の歌までを参考にしていたというのは初耳。付せんや蛍光ペンで線が引かれた星野さんが愛用していた万葉集の本が紹介された。これには感動した。やはり「職業作詞家」として詞を紡ぎ出すためには膨大な言葉の引き出しをもっていなければいけないのだと感心することしきり。
私が一番好きな部分♪春は二重(ふたえ)に 巻いた帯
三重(みえ)に巻いても 余(あま)る秋♪
これは万葉集の≪巻四≫742の「一重のみ 妹が結ばむ帯をすら 三重結ぶべく わが身はなりぬ」「一重にだけあなたが結んでくれるだろう帯を、三重に結ぶほど、わが身は恋に痩せました」がベースになったと話されていた。これだけでも見た値打ちがあったというものだ。
美空ひばり みだれ髪
何か新しい発見はないかと21時から番組を見た。星野さんあの息子さんがテレビで初登場。お父さんと同じような雰囲気の方で、内輪のことも少し披露してくれた。内の顔と外の顔に余り隔たりのない星野さんであることを改めて確認できた。ただ、言葉に対しては厳しく、「の」「は」の使い方までこだわっていたという話には「さすが」と思った。
♪ボロは着てても 心の錦・・・・♪をよく間違って♪ボロは着てても 心は錦・・・・♪と歌われることに対して「『は』じゃ、ダメなんだ」と言っていたという。
「おっ!」と驚いたのは、美空ひばりさんに提供した♪みだれ髪♪にまつわる話。
平成を迎えるまでの5年間の間に、美空ひばりさんの回りでは度重なる肉親との別れがあった。そして、自身の入院。
そんなひばりさんを何とか勇気づけようと、長年、美空ひばりさんのプロデュ-サーをつとめた日本コロムビア(株)森 啓さんが新曲の企画を思い立った。
その曲作りに当たっては、作詞は星野哲郎さん、作曲は船村徹さんという最強コンビが結成された。星野さんがひばりさんの曲を作詞するのは20数年ぶりとあって、その意気込みは大きいものであった。
星野さんが担当ディレクターの森さんから「とにかく、福島県いわき市の塩屋埼に行ってみてほしい。そこにいけば、全てがわかるはずだ。」という言葉を頼りに、いわき市を訪れたのが昭和62年。
夕暮れまで波打ち際を歩き続けていると、暗い海に一筋の光が投げかけられた。それは灯台の灯。人気のない海岸線の崖の上に一級灯台が毅然として立っている。その姿はまさにひばりさんそのものだった。心はいつも孤独であるのに、民衆向かって歌という光を送り続けなければならない。そんな情景を読みとった星野さんは灯台にひばりさんの姿を投影した。
という話は何度も繰り返しあってよく知っているが、詞を作る時に万葉集の歌までを参考にしていたというのは初耳。付せんや蛍光ペンで線が引かれた星野さんが愛用していた万葉集の本が紹介された。これには感動した。やはり「職業作詞家」として詞を紡ぎ出すためには膨大な言葉の引き出しをもっていなければいけないのだと感心することしきり。
私が一番好きな部分♪春は二重(ふたえ)に 巻いた帯
三重(みえ)に巻いても 余(あま)る秋♪
これは万葉集の≪巻四≫742の「一重のみ 妹が結ばむ帯をすら 三重結ぶべく わが身はなりぬ」「一重にだけあなたが結んでくれるだろう帯を、三重に結ぶほど、わが身は恋に痩せました」がベースになったと話されていた。これだけでも見た値打ちがあったというものだ。
美空ひばり みだれ髪