素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

デジブック 『北陸回り日光東照宮へ』をつくる

2013年11月18日 | 日記
輪王寺のお坊さんから風水や陰陽道と江戸、日光東照宮の関係についての話があった。平安京と比叡山延暦寺、大阪城と石清水八幡宮など鬼門を封じるというのは古くから建物や町を造る時に重きを置かれてきた。

 徳川家康から家光まで三代の将軍仕え、江戸の都市計画から日光東照宮の造営まで行ったのが天海僧正で、もともと風水的には地勢の良くなかった江戸を平安京を凌駕するほどの風水都市に仕立て上げたと言われている。

 話によると、」江戸城の鬼門に当たる上野には、東叡山寛永寺が置かれ、反対の裏鬼門には目黒不動が配された。平安京の鬼門を守護するのは比叡山、それに対して江戸城の鬼門を封じるのは、東にある比叡山で東叡山となる。

 日光東照宮も天海によって造営されている。「東照」とは、「東の天照大神」という意味で、比叡山と東叡山との関係と同じく、朝廷の守り神である天照大神に習い、家康を東国の天照として神格化したものである。

 どんでん返しの連続であった長い戦国時代を最後の最後で勝ち抜いた徳川家の威信をかけた地盤固めが日光東照宮造営であった。ということが境内を歩いているとビンビン伝わってきた。

 デジブック 『北陸回り日光東照宮へ』
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