11月中旬ともなれば、各地の紅葉の話題でいっぱいになるはずが、今日のニュースでは各地の雪景色の映像が主役となった。札幌では降りしきる雪の後ろにボンヤリと紅葉した街路樹が映っていた。季節は一気に1か月進んだ感じである。今年は一貫して季節感のズレる年である。我が家でも夜に初ストーブ。
自転車で走ることが多い昨今だが、枚方高校は50周年、交野高校は40周年の垂れ幕がぶら下がっている。そしてその横に両校とも大阪府「使える英語」プロジェクトの「イングリッシュフロンティアハイスクール」であることをアピールする幕も下がっていた。先日のニュースで、大阪府教育委員会では「スーパー イングリッシュ ティーチャー」を採用すると発表していたが、教育現場は「そこのけそこのけ英語が通る」という状況になっていることを改めて実感した。
素朴な疑問。「使える英語」と「使えない英語」という分け方って何か変。「スーパー イングリッシュ ティーチャー」って本当に有効な手段? ふとスプートニク・ショック(Sputnik crisis)のことを思った。
1957年10月4日、抜き打ち的なソビエト連邦による人類初の人工衛星「スプートニク1号」の打ち上げ成功で、「宇宙開発のリーダーであり、それゆえミサイル開発のリーダーでもある」と信じていたアメリカ合衆国をはじめとする西側諸国の政府や社会は衝撃を受け、危機感が走った。
そして、スプートニク・ショックを受けてソ連の脅威とアメリカの劣勢を覆すため宇宙開発競争が始まり、科学教育や研究の重要性が再認識されて大きな予算と努力が割かれるなど危機感の中でアメリカの軍事・科学・教育が大きく再編された。
それらの中で忘れてはいけないものは、初等教育における算数教育を根本から改革し集合論や十進法以外の位取りなど抽象的な数学的構造を早い年齢から導入してアメリカ人の数学能力向上を目指した「新しい数学(New Math)」というカリキュラムである。
私も大学時代、これに類する本の翻訳を手伝ったこともあるし、教育実習では「新しい数学」カリキュラムでの授業を行った。
これはアメリカの後を習い1971年(昭和46年)の学習指導要領改訂で理数教育の、現代化カリキュラムを導入したことによる。この時は「古い数学」と「新しい数学」という二分法であった。今、蔭山さんが使ってもてはやされている「百マス計算」などは「古い」ということで批判されていた。
それから40年余り、現代化カリキュラムは「風の前の塵」となってしまった。数学、理科教育の現場に混乱をもたらした罪は重い。「失われた10年」と言っても良いだろう。
今の英語狂騒時代も、同じ運命になりそう。無常の世の中なのだから。
自転車で走ることが多い昨今だが、枚方高校は50周年、交野高校は40周年の垂れ幕がぶら下がっている。そしてその横に両校とも大阪府「使える英語」プロジェクトの「イングリッシュフロンティアハイスクール」であることをアピールする幕も下がっていた。先日のニュースで、大阪府教育委員会では「スーパー イングリッシュ ティーチャー」を採用すると発表していたが、教育現場は「そこのけそこのけ英語が通る」という状況になっていることを改めて実感した。
素朴な疑問。「使える英語」と「使えない英語」という分け方って何か変。「スーパー イングリッシュ ティーチャー」って本当に有効な手段? ふとスプートニク・ショック(Sputnik crisis)のことを思った。
1957年10月4日、抜き打ち的なソビエト連邦による人類初の人工衛星「スプートニク1号」の打ち上げ成功で、「宇宙開発のリーダーであり、それゆえミサイル開発のリーダーでもある」と信じていたアメリカ合衆国をはじめとする西側諸国の政府や社会は衝撃を受け、危機感が走った。
そして、スプートニク・ショックを受けてソ連の脅威とアメリカの劣勢を覆すため宇宙開発競争が始まり、科学教育や研究の重要性が再認識されて大きな予算と努力が割かれるなど危機感の中でアメリカの軍事・科学・教育が大きく再編された。
それらの中で忘れてはいけないものは、初等教育における算数教育を根本から改革し集合論や十進法以外の位取りなど抽象的な数学的構造を早い年齢から導入してアメリカ人の数学能力向上を目指した「新しい数学(New Math)」というカリキュラムである。
私も大学時代、これに類する本の翻訳を手伝ったこともあるし、教育実習では「新しい数学」カリキュラムでの授業を行った。
これはアメリカの後を習い1971年(昭和46年)の学習指導要領改訂で理数教育の、現代化カリキュラムを導入したことによる。この時は「古い数学」と「新しい数学」という二分法であった。今、蔭山さんが使ってもてはやされている「百マス計算」などは「古い」ということで批判されていた。
それから40年余り、現代化カリキュラムは「風の前の塵」となってしまった。数学、理科教育の現場に混乱をもたらした罪は重い。「失われた10年」と言っても良いだろう。
今の英語狂騒時代も、同じ運命になりそう。無常の世の中なのだから。