「日本の歳時記」を見ていると、春の季語に≪亀鳴く≫を見つけた。「え~亀って鳴くのか?」と思い解説をすぐに読んだ。わかったようなわからないような解説である。
「亀は鳴くのかどうか。それはわからないが、草陰で鳴く亀の声は春の深みから発する声でもある。お経を読む声に似ているというので「亀の看経(かんきん)」ともいう・・・」 実在の声なのかイメージの声なのかどちらだ?と問いたい。
『亀蔵』と付き合い始めて以来、鳴き声らしきものは一度も聞いたことはない。ただ、秋になってからよく見かける姿には哀愁のようなものを感じ、声なき声が聞こえないでもない。
『亀蔵』の目線から考えるとアクリルの透明な水槽は酷なところがある。目の前には広い空間が広がっていてどこまでも歩いて行けるように見えながら、いざ行こうとすると透明の壁にはばまれる。手足をいっぱい伸ばしてもどうしようもない壁である。秋になり活動が活発になるにつれ見えない壁と格闘している姿をよく見かけるようになった。
そこで、段ボールの箱の余りがいくつかできたので、散歩部屋をためしにつくってみた。最初は戸惑い、かなり慎重に自分の置かれた状況を見定めていたが、しばらくするとごそごそと歩き出した。不自由な生活には変わりないが、一日中小さな水槽の中にいるよりましかと身勝手な自己満足をしている。
それでも時々は段ボールの壁をよじ登ろうと試みている。目の前に立ちふさがる壁にチャレンジするというのは行動習性の一つなのか?とも思う。
秋の陽だまりの中、カサコソと聞こえる『亀蔵』の足音を聞きながら、のんびりと読書をする。
「亀は鳴くのかどうか。それはわからないが、草陰で鳴く亀の声は春の深みから発する声でもある。お経を読む声に似ているというので「亀の看経(かんきん)」ともいう・・・」 実在の声なのかイメージの声なのかどちらだ?と問いたい。
『亀蔵』と付き合い始めて以来、鳴き声らしきものは一度も聞いたことはない。ただ、秋になってからよく見かける姿には哀愁のようなものを感じ、声なき声が聞こえないでもない。
『亀蔵』の目線から考えるとアクリルの透明な水槽は酷なところがある。目の前には広い空間が広がっていてどこまでも歩いて行けるように見えながら、いざ行こうとすると透明の壁にはばまれる。手足をいっぱい伸ばしてもどうしようもない壁である。秋になり活動が活発になるにつれ見えない壁と格闘している姿をよく見かけるようになった。
そこで、段ボールの箱の余りがいくつかできたので、散歩部屋をためしにつくってみた。最初は戸惑い、かなり慎重に自分の置かれた状況を見定めていたが、しばらくするとごそごそと歩き出した。不自由な生活には変わりないが、一日中小さな水槽の中にいるよりましかと身勝手な自己満足をしている。
それでも時々は段ボールの壁をよじ登ろうと試みている。目の前に立ちふさがる壁にチャレンジするというのは行動習性の一つなのか?とも思う。
秋の陽だまりの中、カサコソと聞こえる『亀蔵』の足音を聞きながら、のんびりと読書をする。