ジムから帰って郵便箱のふたを開けると『固定資産税・都市計画税 納税通知書』が鎮座していた。5月に入ったことを実感する。暦の上では5月5日が立夏だから、今は春の終わり。『日本の歳時記』で季語を見てみると「春深し」「春惜しむ」「行く春」など去りゆく春を惜しむものがある。振り返れば4月は花花花であったように思える。いつのまにか緑が景色の主役になっている。こういう時「行く春や~」と唱えるのだろう。金子兜太さんの『美しい日本の季語』(誠文堂新光社)でも5月1日のページで「行く春」を取りあげ、芭蕉の『行く春を 近江の人と 惜しみける』んぽ句がある。
芭蕉の「行く春」の句といえば『おくのほそ道』の書き出しの部分に続く千住での門弟たちとの別れの場面にもある。
行く春や鳥啼(なき)魚の目は泪 俳人長谷川櫂さんのこの句の解釈を「100分de名著」で聞いた時に目から鱗が落ちるという感じであったことを思い出し、再読してみた。旅ととも芭蕉の心が変っていく様が季節の移り変わりとともに味わえた。列挙してみると
日光東照宮では あらたうと青葉若葉の日の光 この句は後に月山で詠んだ 雲の峰幾つ崩て月の山と相対していると長谷川さんは説く。『おくのほそ道』は単なる旅行記ではなく、歌仙というものをベースにして非常に計算された構成で成り立っているということも新鮮な驚きであった。
みちのくを曾良とともに旅して、古い日本の歌人たちが作り上げた歌枕が、時の流れとともに廃墟となっているのを多く見て、時の無常を強く感じていた。その最終地である平泉での有名な句 夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡
旅の後半に入って、最上川河口の酒田で晩夏の日本海に沈む巨大な夕日を眺めた時の句を芭蕉がどう手直してしていったかをまじえての解説もあらためて読むとさらに味わい深い。
最初は、涼しさや海にいれたる最上川
それを 涼しさを海にいれたり最上川 と手直しして
最終的に 暑き日を海にいれたり最上川 とする。
旅の終幕の季節は初秋から晩秋。ここで人の世のさまざまな別れを体験する。
芭蕉が初めて会うのを楽しみにしていた金沢の俳人一笑が、前年の冬、36歳という若さで亡くなっていたことを知り、墓前にささげた句。
塚も動け我が泣く声は秋の風
大垣で伊勢の二見ヶ浦に向かうため門人たちとの別れを惜しんだ句。
蛤のふたみにわかれ行く秋ぞ
現実にもどると、安倍首相、海外によく出かけるような気がする。歴代の首相に比べてどうなのかという具体的な数字はないので根拠はないがなぜかそう思う。税金を取られる時期だから余計に感じるのだが、その費用はやはり税金から出ている?もしそうなら上限枠はあるのだろうか?ニュースを見ていてふと思った。政党交付金もこの時期にはいつも腑に落ちないと思ってしまう。
芭蕉の「行く春」の句といえば『おくのほそ道』の書き出しの部分に続く千住での門弟たちとの別れの場面にもある。
行く春や鳥啼(なき)魚の目は泪 俳人長谷川櫂さんのこの句の解釈を「100分de名著」で聞いた時に目から鱗が落ちるという感じであったことを思い出し、再読してみた。旅ととも芭蕉の心が変っていく様が季節の移り変わりとともに味わえた。列挙してみると
日光東照宮では あらたうと青葉若葉の日の光 この句は後に月山で詠んだ 雲の峰幾つ崩て月の山と相対していると長谷川さんは説く。『おくのほそ道』は単なる旅行記ではなく、歌仙というものをベースにして非常に計算された構成で成り立っているということも新鮮な驚きであった。
みちのくを曾良とともに旅して、古い日本の歌人たちが作り上げた歌枕が、時の流れとともに廃墟となっているのを多く見て、時の無常を強く感じていた。その最終地である平泉での有名な句 夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡
旅の後半に入って、最上川河口の酒田で晩夏の日本海に沈む巨大な夕日を眺めた時の句を芭蕉がどう手直してしていったかをまじえての解説もあらためて読むとさらに味わい深い。
最初は、涼しさや海にいれたる最上川
それを 涼しさを海にいれたり最上川 と手直しして
最終的に 暑き日を海にいれたり最上川 とする。
旅の終幕の季節は初秋から晩秋。ここで人の世のさまざまな別れを体験する。
芭蕉が初めて会うのを楽しみにしていた金沢の俳人一笑が、前年の冬、36歳という若さで亡くなっていたことを知り、墓前にささげた句。
塚も動け我が泣く声は秋の風
大垣で伊勢の二見ヶ浦に向かうため門人たちとの別れを惜しんだ句。
蛤のふたみにわかれ行く秋ぞ
現実にもどると、安倍首相、海外によく出かけるような気がする。歴代の首相に比べてどうなのかという具体的な数字はないので根拠はないがなぜかそう思う。税金を取られる時期だから余計に感じるのだが、その費用はやはり税金から出ている?もしそうなら上限枠はあるのだろうか?ニュースを見ていてふと思った。政党交付金もこの時期にはいつも腑に落ちないと思ってしまう。