gaccoの「日本中世の自由と平等」の講座を受けながら、今の国際状況と相似形だなという思いをずっと持ってきた。最終レポートが完成したのでそのことについてやっとまとめる余裕が生まれた。
私が最初に面白いと思ったのは、week2の『御前落居記録』の話である。
室町幕府の政務は、斯波・細川・畠山の三家から交替で選任された管領(かんれい)とその下で行政事務を担当した奉行人でとりしきっていたが、第6代将軍義教は意欲的で、審理や訴訟の審理を行う評定の場に、自ら臨席し、その案件を裁可した。これを「御前落居」と呼ぶ。永享2年(1430)9月2日より永享4年12月25日までの72の事案を収めた室町幕府の評定の記録が『御前落居記録』である。
その中の1つ、小笠原持長の訴えが紹介された。小笠原持長は幕府の軍事方である奉公衆である。また、将軍義教の弓の師範でもあった。その持長が叔父の持忠から備中国草間村の土地を譲られた。しかし、実際にはその草間村は守護の細川氏がガッチリ支配していて、持長の意のままにならないので、幕府に細川氏の非を訴えた。
当時の土地の譲渡は親から子供が大原則であったので、叔父から甥への譲渡が有効か?無効か?ということを、将軍の命で奉行人が審理した。その結果、過去の事例、法令などから「有効である」という裁可が下された。そして、草間村の正当な所有権は小笠原持長にある。と記録されている。
しかし、それで事態に変化があったかといえば「No」である。細川氏は草間村を実効支配し続けることになる。そのあたりの部分を本郷さんはこう語っている。(余分な話は、適当に割愛させてもらった)
おじさんからお前はもらっていいんだぞって言われたんだけどいや、そうじゃないでしょう 将軍様って。
私が幕府にお願いしたいこと、将軍様にお願いしたいことはそうじゃないんですよっておそらく持長は言うんじゃないかなと。
それは何かっていうと、おじさんから草間村の文書を私は譲り受けました。
そこで私はその文書に従って草間村を支配しようと思いました。草間村から税金を取ろうと思いました。
ところが現状を見てみると岡山県、備中の国の守護、武士のリーダーである細川氏がその草間村をガッチリつかんで放しません。
何とかしてください。
これじゃ、税金取れないじゃないですか。支配ができないじゃないですか。
この細川っていう連中はちゃんとした文書(もんじょ)も持ってないのに、草間村を自分の力で実効支配しちゃってるんですよね。
それはおかしいでしょう。あいつら何の根拠もなく、その草間村を自分のものにしちゃってるわけですからこれを何とかしてください。
これが持長のお願いなんですよ。
だけど幕府はそれを知ってか知らずか、スルーするわけです。もう、そこのところには耳を傾けないわけです。
あなたの持っている文書、おじさんからあなたに対しての譲り与えはオッケーですよ。それでおしまいなんです。
実際問題、幕府が、例えば持長のお願いをきちっと受け止めているんだったら、よし、わかった。
幕府の兵を動かそう幕府の兵を動かして備中の国の草間村を取り戻してやる。おまえのために取り戻してやるってというのが本当なんです。
だけど幕府はそこんとこは言わないんですよ。そもそも幕府はそういうことをやるつもりが最初からないわけです。
そこのところは僕にはよくわかんない。だって、僕らの世界では僕らの社会では、きちんと文書の上で合法的な文書を持っている人間が、文書に名前が記されている人間がその土地の所有者である。それを例えば裁判所も警察も後押ししてくれるはずじゃないですか。
室町幕府の御前落居記録(ごぜんらっきょきろく)に書かれていることは違うんですね。
だって、小笠原持長がその土地の所有者であることは文書の上からは疑いが無いんです。
疑いが無いんですけど、少なくとも将軍は幕府がそれを実行しようとしないんですよ。
この話を聞いていた時、私の頭の中には南シナ海で衝突しているベトナムと中国やウクライナでの親ロシア系住民の動き、尖閣、竹島、北方領土の領土問題が同時に浮かんできた。「力による実効支配は許さない」「国際法に則った解決を」という主張は持長のものと同じだと思った。
室町幕府にあたるものが国際連合?しかし、その国連の安全保障理事会が頻発する民族問題、領土問題に有効に機能できていないのも事実である。発足以来70年近い歩みの中で、常任理事国5か国の利害対立が克服できたかといえば現実は厳しい。むしろアメリカ、ロシアを中心とした力によって抑えてきた矛盾が噴出しつつあるのが今の国際情勢ではないかと思う。
確かに、今の日本は法による支配によって、自分を守るための武器を持たなくても自由に暮らすことのできる社会になってきたと思うが、国際社会ではまだまだその部分は未成熟である。日本中世と同様の力の強いものだけの自由がまかり通っている現実がある。
こういう状況を踏まえて、憲法解釈ではなく憲法改正論議を深めていかなければいけない時に来ているのかなと漠然と思った。スタミナが切れたので続きは明日。
私が最初に面白いと思ったのは、week2の『御前落居記録』の話である。
室町幕府の政務は、斯波・細川・畠山の三家から交替で選任された管領(かんれい)とその下で行政事務を担当した奉行人でとりしきっていたが、第6代将軍義教は意欲的で、審理や訴訟の審理を行う評定の場に、自ら臨席し、その案件を裁可した。これを「御前落居」と呼ぶ。永享2年(1430)9月2日より永享4年12月25日までの72の事案を収めた室町幕府の評定の記録が『御前落居記録』である。
その中の1つ、小笠原持長の訴えが紹介された。小笠原持長は幕府の軍事方である奉公衆である。また、将軍義教の弓の師範でもあった。その持長が叔父の持忠から備中国草間村の土地を譲られた。しかし、実際にはその草間村は守護の細川氏がガッチリ支配していて、持長の意のままにならないので、幕府に細川氏の非を訴えた。
当時の土地の譲渡は親から子供が大原則であったので、叔父から甥への譲渡が有効か?無効か?ということを、将軍の命で奉行人が審理した。その結果、過去の事例、法令などから「有効である」という裁可が下された。そして、草間村の正当な所有権は小笠原持長にある。と記録されている。
しかし、それで事態に変化があったかといえば「No」である。細川氏は草間村を実効支配し続けることになる。そのあたりの部分を本郷さんはこう語っている。(余分な話は、適当に割愛させてもらった)
おじさんからお前はもらっていいんだぞって言われたんだけどいや、そうじゃないでしょう 将軍様って。
私が幕府にお願いしたいこと、将軍様にお願いしたいことはそうじゃないんですよっておそらく持長は言うんじゃないかなと。
それは何かっていうと、おじさんから草間村の文書を私は譲り受けました。
そこで私はその文書に従って草間村を支配しようと思いました。草間村から税金を取ろうと思いました。
ところが現状を見てみると岡山県、備中の国の守護、武士のリーダーである細川氏がその草間村をガッチリつかんで放しません。
何とかしてください。
これじゃ、税金取れないじゃないですか。支配ができないじゃないですか。
この細川っていう連中はちゃんとした文書(もんじょ)も持ってないのに、草間村を自分の力で実効支配しちゃってるんですよね。
それはおかしいでしょう。あいつら何の根拠もなく、その草間村を自分のものにしちゃってるわけですからこれを何とかしてください。
これが持長のお願いなんですよ。
だけど幕府はそれを知ってか知らずか、スルーするわけです。もう、そこのところには耳を傾けないわけです。
あなたの持っている文書、おじさんからあなたに対しての譲り与えはオッケーですよ。それでおしまいなんです。
実際問題、幕府が、例えば持長のお願いをきちっと受け止めているんだったら、よし、わかった。
幕府の兵を動かそう幕府の兵を動かして備中の国の草間村を取り戻してやる。おまえのために取り戻してやるってというのが本当なんです。
だけど幕府はそこんとこは言わないんですよ。そもそも幕府はそういうことをやるつもりが最初からないわけです。
そこのところは僕にはよくわかんない。だって、僕らの世界では僕らの社会では、きちんと文書の上で合法的な文書を持っている人間が、文書に名前が記されている人間がその土地の所有者である。それを例えば裁判所も警察も後押ししてくれるはずじゃないですか。
室町幕府の御前落居記録(ごぜんらっきょきろく)に書かれていることは違うんですね。
だって、小笠原持長がその土地の所有者であることは文書の上からは疑いが無いんです。
疑いが無いんですけど、少なくとも将軍は幕府がそれを実行しようとしないんですよ。
この話を聞いていた時、私の頭の中には南シナ海で衝突しているベトナムと中国やウクライナでの親ロシア系住民の動き、尖閣、竹島、北方領土の領土問題が同時に浮かんできた。「力による実効支配は許さない」「国際法に則った解決を」という主張は持長のものと同じだと思った。
室町幕府にあたるものが国際連合?しかし、その国連の安全保障理事会が頻発する民族問題、領土問題に有効に機能できていないのも事実である。発足以来70年近い歩みの中で、常任理事国5か国の利害対立が克服できたかといえば現実は厳しい。むしろアメリカ、ロシアを中心とした力によって抑えてきた矛盾が噴出しつつあるのが今の国際情勢ではないかと思う。
確かに、今の日本は法による支配によって、自分を守るための武器を持たなくても自由に暮らすことのできる社会になってきたと思うが、国際社会ではまだまだその部分は未成熟である。日本中世と同様の力の強いものだけの自由がまかり通っている現実がある。
こういう状況を踏まえて、憲法解釈ではなく憲法改正論議を深めていかなければいけない時に来ているのかなと漠然と思った。スタミナが切れたので続きは明日。