父が通院の日なので10時45分に母の運転で出かけるというので、その時間に合わせて私も帰ることにした。1時ぐらいに帰るつもりでいたので2時間ほど時間に余裕ができたので寄り道しようかと考えたが、何となく体がけだるいので休憩を多くいれながらまっすぐ帰った。
大阪での生活に比べて実家での生活は体を動かす量は少ないのだがなんでこんなに疲労感があるのだろうかと運転しながら考えた。マラソンのペースの問題と同じじゃないかと思った。ハイペースも疲れるが慎重になりすぎてローペースにした時もたとえようのない体の重さを感じる。これとそっくりである。要は自分にとって心地よいリズムが刻めないと疲れを感じるということである。
集団で山登りをする時は、体力の弱い人を先頭にしてその人の適正リズムに合わせるというのが基本である。その時最後尾を務めるのは心身ともに一番スタミナのある人である。修学旅行やキャンプで生徒を引率して山登りを何度もしたが、最後尾を務めることが多かったので自分のペースで歩けないつらさは身を持って覚えている。
今回ほどバリアフリー化を考えたことはなかった。ちちの生活ぶりを見ていて、足を上げてこの高さが越えられないのかと思う場面が何度かあった。浴槽に入れるステップ台を急きょ買ったのもそのためであった。実家の風呂は横に長いタイプなので私の家に比べたら浴槽の高さは半分ぐらいなので、またげなくて苦労したと聞いた時は「まさか」であったが、ステップ台をどう使うかを父と試した時一本の足で体を支えて足を上げることがこんなに大変なんだということが父の姿を目の当たりにして痛切に感じた。
走り高跳びや棒高跳びで1cmバーが上がっただけで余分な力が入ったりしてフォームをくずし失敗するシーンをよく見てきた。たかが1cmされど1cmなのである。父の場合は15cmである。ステップ台で15cm上がると今まで通りに浴槽から洗い場へスムーズに出ることができた。
そのことでわかったことがもう1つあった。私の実家は道路から6mほど高い所にあり、車庫からcの字にスロープを歩く必要がある。その途中に車の滑り止めのためかにぎり拳し大の石が埋め込められ3~4cm高さ不規則に石が頭を出している。これがバギーを押したり、杖をついたりする時に邪魔になるしつま先にひかかったりして足の運びもスムーズにできない。コンクリートで固められているので簡単に取れないので、気になりながら「まあいいか」と思ってきたが、今回の父の様子を見ていたらこの石が障害となって歩けなくなることが容易に想像できた。
少しでも歩く時間と距離を多くすることが筋力維持のためには必要なので少しでもフラットにできないかと考えた。今までは石を全部取り除こうと思っていたが、発想を替えて出ている部分を割れないかとふと思いついた。石は固いという固定観念にしばられていたのである。そこで、ものは試しとハンマーで叩いてみると最初はびくともしないが10回ほど衝撃を与え続けると弱い部分から割れてくるのである。モグラたたきゲームのように20個余りの石を叩きまわった。腕はパンパン、汗だくになった。叩き疲れてきた時は、自分の膝が最悪だった時やマラソンで30km過ぎて足が限界になった時に歩道と車道の段差が苦になったことなども思い出し、なんとかデコボコは解消できた。
自分の家や町をもう一度見直さないといけないと、バリアフリーに関して他人事のように思っていた自分を反省した。
大阪での生活に比べて実家での生活は体を動かす量は少ないのだがなんでこんなに疲労感があるのだろうかと運転しながら考えた。マラソンのペースの問題と同じじゃないかと思った。ハイペースも疲れるが慎重になりすぎてローペースにした時もたとえようのない体の重さを感じる。これとそっくりである。要は自分にとって心地よいリズムが刻めないと疲れを感じるということである。
集団で山登りをする時は、体力の弱い人を先頭にしてその人の適正リズムに合わせるというのが基本である。その時最後尾を務めるのは心身ともに一番スタミナのある人である。修学旅行やキャンプで生徒を引率して山登りを何度もしたが、最後尾を務めることが多かったので自分のペースで歩けないつらさは身を持って覚えている。
今回ほどバリアフリー化を考えたことはなかった。ちちの生活ぶりを見ていて、足を上げてこの高さが越えられないのかと思う場面が何度かあった。浴槽に入れるステップ台を急きょ買ったのもそのためであった。実家の風呂は横に長いタイプなので私の家に比べたら浴槽の高さは半分ぐらいなので、またげなくて苦労したと聞いた時は「まさか」であったが、ステップ台をどう使うかを父と試した時一本の足で体を支えて足を上げることがこんなに大変なんだということが父の姿を目の当たりにして痛切に感じた。
走り高跳びや棒高跳びで1cmバーが上がっただけで余分な力が入ったりしてフォームをくずし失敗するシーンをよく見てきた。たかが1cmされど1cmなのである。父の場合は15cmである。ステップ台で15cm上がると今まで通りに浴槽から洗い場へスムーズに出ることができた。
そのことでわかったことがもう1つあった。私の実家は道路から6mほど高い所にあり、車庫からcの字にスロープを歩く必要がある。その途中に車の滑り止めのためかにぎり拳し大の石が埋め込められ3~4cm高さ不規則に石が頭を出している。これがバギーを押したり、杖をついたりする時に邪魔になるしつま先にひかかったりして足の運びもスムーズにできない。コンクリートで固められているので簡単に取れないので、気になりながら「まあいいか」と思ってきたが、今回の父の様子を見ていたらこの石が障害となって歩けなくなることが容易に想像できた。
少しでも歩く時間と距離を多くすることが筋力維持のためには必要なので少しでもフラットにできないかと考えた。今までは石を全部取り除こうと思っていたが、発想を替えて出ている部分を割れないかとふと思いついた。石は固いという固定観念にしばられていたのである。そこで、ものは試しとハンマーで叩いてみると最初はびくともしないが10回ほど衝撃を与え続けると弱い部分から割れてくるのである。モグラたたきゲームのように20個余りの石を叩きまわった。腕はパンパン、汗だくになった。叩き疲れてきた時は、自分の膝が最悪だった時やマラソンで30km過ぎて足が限界になった時に歩道と車道の段差が苦になったことなども思い出し、なんとかデコボコは解消できた。
自分の家や町をもう一度見直さないといけないと、バリアフリーに関して他人事のように思っていた自分を反省した。