夕刊は15時過ぎにはポストに入る。ジムから帰って休憩がてらパラパラと見るのが習慣になった。朝刊に比べたら分量も少なく内容も薄い。以前「夕刊はいらない」と販売店に言ったが「やめても料金は変わらない」と言われたので「それじゃ、まあいいか」と続けているので流し読みになることが多い。
今日は違った。7面に「コングレ社長 武内紀子さん」とあり大きな顔写真が掲載されていた。「オッ!ひょっとして!?」と座りなおした。
村野中学校で1年の時に担任した武内紀子さんと違うか?と思った。顔も面影がある。99%はまちがいないという気持ち。1%は思い込み。何しろ40年近く前なので100%自信は持てない。それでもその瞬間にタイムトラベルしてしまったので99%の確信で話しを続ける。もし違う人であれば「ごめんなさい」とあやまるしかない。
村野中学へ新任で入り、いきなり3年に所属しての悪戦苦闘は以前にもふれた。次の年も学校の事情で担任として3年に残った。この学年が2期生で、たびたび同窓会を持ち今、一番親交のある学年である。たくさんの良き思い出もでき今では良かったと思っているが、当時の私は「理不尽やな」という思いも半分あった。1,2年の頃を知らない3年を、教師になって右も左も分からない身で2年続けて持つというのは荷が重かった。
3年目にして待望の1年の担任として迎えたのが武内さんたちである。「やっと普通の形でスタートできる。」と喜びも大きかった。失敗をしてはいけない。という2年間のプレッシャーから解放されて、伸び伸びと教育実践をした。しかし、1年後また学校の事情で持ち上がることができず、3年に所属し、卒業するまで授業で関わることはなかった。1年間だけの付き合いに終わっただけに余計に印象が強い。
また、クラスのメンバーも個性豊かでパワフルであった。個々の事例は言えないが、1年生の時のそれぞれの課題を克服して2年後にたくましい姿で卒業していくのを見て、中学校の3年間で、生徒は心身ともに大きく成長するということを初めて実感した。ここから「3年で一本勝負」という長期的な視野を持って教育実践を考えるようになった。
文化祭で、戦争をテーマに展示をした。私自身が張り切ってパネルを借りてきたりして生徒の意見よりも担任ペースで事を運んだ結果、展示としては見栄えのするものになった。しかし、片付けに入ると苦労して作った模型などを破壊に近い形でこわしていく生徒が数多くいた。その様子を見ていて、自分の取り組み方のまちがいを反省した。それからは、生徒の声に寄り添いながら作りあげていく展示を心がけた。すると片付けの時、それぞれの作品を慈しみながらていねいに、しっとりした雰囲気の中が出来上がるのである。過程の大切さを教えてもらった学年だと思う。
武内さんのことで印象にのこっているのは授業での反応。私はよく数の生い立ちなど数学史の話題を挟み込んで、単なる問題を解くだけの数学ではなく人間が生きていくうえで必要であったから生まれたということも伝えようとした。そういう部分になるととってもいい表情で話しを聞いてくれていた。
夕刊を読みながら、古い記憶の地層の中から当時のことをいろいろ思い出した次第。
就職が決まっていた不動産関連会社の社風に違和感があり、就職活動を仕切り直してコンベンション企画運営会社に入社したという話も「らしいな」と受けとめることができた。静かなファイターというのが私の抱いていたイメージ。
人生の中で、縁あって出会いの機会のあった人が、自分らしさを発揮して活き活きと活動している姿を見ることは嬉しい。そして、自分もしっかり生きていこうと元気が出るのである。
今日は違った。7面に「コングレ社長 武内紀子さん」とあり大きな顔写真が掲載されていた。「オッ!ひょっとして!?」と座りなおした。
村野中学校で1年の時に担任した武内紀子さんと違うか?と思った。顔も面影がある。99%はまちがいないという気持ち。1%は思い込み。何しろ40年近く前なので100%自信は持てない。それでもその瞬間にタイムトラベルしてしまったので99%の確信で話しを続ける。もし違う人であれば「ごめんなさい」とあやまるしかない。
村野中学へ新任で入り、いきなり3年に所属しての悪戦苦闘は以前にもふれた。次の年も学校の事情で担任として3年に残った。この学年が2期生で、たびたび同窓会を持ち今、一番親交のある学年である。たくさんの良き思い出もでき今では良かったと思っているが、当時の私は「理不尽やな」という思いも半分あった。1,2年の頃を知らない3年を、教師になって右も左も分からない身で2年続けて持つというのは荷が重かった。
3年目にして待望の1年の担任として迎えたのが武内さんたちである。「やっと普通の形でスタートできる。」と喜びも大きかった。失敗をしてはいけない。という2年間のプレッシャーから解放されて、伸び伸びと教育実践をした。しかし、1年後また学校の事情で持ち上がることができず、3年に所属し、卒業するまで授業で関わることはなかった。1年間だけの付き合いに終わっただけに余計に印象が強い。
また、クラスのメンバーも個性豊かでパワフルであった。個々の事例は言えないが、1年生の時のそれぞれの課題を克服して2年後にたくましい姿で卒業していくのを見て、中学校の3年間で、生徒は心身ともに大きく成長するということを初めて実感した。ここから「3年で一本勝負」という長期的な視野を持って教育実践を考えるようになった。
文化祭で、戦争をテーマに展示をした。私自身が張り切ってパネルを借りてきたりして生徒の意見よりも担任ペースで事を運んだ結果、展示としては見栄えのするものになった。しかし、片付けに入ると苦労して作った模型などを破壊に近い形でこわしていく生徒が数多くいた。その様子を見ていて、自分の取り組み方のまちがいを反省した。それからは、生徒の声に寄り添いながら作りあげていく展示を心がけた。すると片付けの時、それぞれの作品を慈しみながらていねいに、しっとりした雰囲気の中が出来上がるのである。過程の大切さを教えてもらった学年だと思う。
武内さんのことで印象にのこっているのは授業での反応。私はよく数の生い立ちなど数学史の話題を挟み込んで、単なる問題を解くだけの数学ではなく人間が生きていくうえで必要であったから生まれたということも伝えようとした。そういう部分になるととってもいい表情で話しを聞いてくれていた。
夕刊を読みながら、古い記憶の地層の中から当時のことをいろいろ思い出した次第。
就職が決まっていた不動産関連会社の社風に違和感があり、就職活動を仕切り直してコンベンション企画運営会社に入社したという話も「らしいな」と受けとめることができた。静かなファイターというのが私の抱いていたイメージ。
人生の中で、縁あって出会いの機会のあった人が、自分らしさを発揮して活き活きと活動している姿を見ることは嬉しい。そして、自分もしっかり生きていこうと元気が出るのである。