実家まで、資料を持ち帰ったものの雑用をこなしながらまとめることはやはりできなかった。800字という制限の中で、3つの語句、「人口の増加」(⇒平和に関連する内容)と「所有権の未成熟」(⇒自由に関連する内容)と「熊谷直実」(⇒平等に関連する内容)を用いてまとめることは想像以上に難しかった。今日は紫外線対策をしかりして下さい。という警告が何度も天気予報でなされていたが水やり以外は外に出なかった私には無縁のものだった。
そのおかげで、何とか21時にはまとめることができた。苦労はしたが充足感はある。
中世を動かす両輪、朝廷と天台・真言の仏教世界の権力は、共に家格と世襲によって維持されていた。しかし、不知行より当知行が重んじられていたように土地所有権の未成熟さから荘園・公領制という複雑なシステムが出来上がった。個々の所有権を認めても完全に保護する強さのない伝統的な公権力に対して、時の経過と共に土地を実効支配できる力を持つ武士の台頭は自明のことである。自立した戦国大名の覇権争いの最後に、出自の不明な秀吉が関白、太政大臣の地位を得て太閤検地、惣無事令、刀狩り等によって戦国時代を終焉させたことは、自由が次第に成長(=所有権の成熟)していく中世という時代を象徴しているように思われる。
また、朝廷とパラレルな関係にあり、家格と世襲という原理で動いていた比叡山を去って、専修念仏を説いた法然が武士、農民の違いを越えて老若男女から支持されたことも注目に値する。武士の中から熊谷直実、宇都宮頼綱ら熱心な信者が現れた。日々生死の間に身を置き、数多くの殺生を重ねてきた彼らは念仏に新しい救いを見出しただけでなく、荘園を支配する伝統的な権威と戦うために、「阿弥陀仏の前では、皆平等である」と説く法然の教えを進んで受け入れた。摂政九条兼実と法然の法話の場に近づけない熊谷直実の不平等への無念の叫びはそのことを物語っている。
主従関係で成り立つ織田信長に代表される戦国大名と平等思想を内包し、一国を越えて広がる一向宗との衝突は必然的なことでもあった。一向宗の敗北は、中世に芽ばえた平等の芽が摘み取られたと言ってもよい。
そして、身分の固定と世襲をベースにした江戸幕府の新たなシステムを受け入れることで、中世を含む約1000年間で微増に過ぎなかった人口の増加が江戸初期100年で爆発的な増加を見た。現代の我々の持つ自由と平等をあきらめる代わりに得た「平和」が人口増をもたらしたとも言える。
そのおかげで、何とか21時にはまとめることができた。苦労はしたが充足感はある。
中世を動かす両輪、朝廷と天台・真言の仏教世界の権力は、共に家格と世襲によって維持されていた。しかし、不知行より当知行が重んじられていたように土地所有権の未成熟さから荘園・公領制という複雑なシステムが出来上がった。個々の所有権を認めても完全に保護する強さのない伝統的な公権力に対して、時の経過と共に土地を実効支配できる力を持つ武士の台頭は自明のことである。自立した戦国大名の覇権争いの最後に、出自の不明な秀吉が関白、太政大臣の地位を得て太閤検地、惣無事令、刀狩り等によって戦国時代を終焉させたことは、自由が次第に成長(=所有権の成熟)していく中世という時代を象徴しているように思われる。
また、朝廷とパラレルな関係にあり、家格と世襲という原理で動いていた比叡山を去って、専修念仏を説いた法然が武士、農民の違いを越えて老若男女から支持されたことも注目に値する。武士の中から熊谷直実、宇都宮頼綱ら熱心な信者が現れた。日々生死の間に身を置き、数多くの殺生を重ねてきた彼らは念仏に新しい救いを見出しただけでなく、荘園を支配する伝統的な権威と戦うために、「阿弥陀仏の前では、皆平等である」と説く法然の教えを進んで受け入れた。摂政九条兼実と法然の法話の場に近づけない熊谷直実の不平等への無念の叫びはそのことを物語っている。
主従関係で成り立つ織田信長に代表される戦国大名と平等思想を内包し、一国を越えて広がる一向宗との衝突は必然的なことでもあった。一向宗の敗北は、中世に芽ばえた平等の芽が摘み取られたと言ってもよい。
そして、身分の固定と世襲をベースにした江戸幕府の新たなシステムを受け入れることで、中世を含む約1000年間で微増に過ぎなかった人口の増加が江戸初期100年で爆発的な増加を見た。現代の我々の持つ自由と平等をあきらめる代わりに得た「平和」が人口増をもたらしたとも言える。