昨日、小野夫妻、遠藤、三栗のトップアスリートの演技を中学時代に見たという話をした。多感な時期に一流選手の演技を目の前で見るというのは貴重な経験である。まして、今と違って情報媒体の乏しい時代である。三重県の志摩地方は交通も不便だったし陸の孤島という感じであった。こんな地方の中学校に呼ぶことが出来たのか?謎のままである。もう一人、忘れられない人物がいる。卓球の長谷川信彦選手である。
名古屋電気工業高校時代の1964年に、全国高等学校卓球選手権大会男子複に優勝。愛知工業大学に進学した翌1965年には、史上最年少の18歳9ヵ月で全日本卓球選手権大会男子単を制し、全日本選手権男子単では総計6度の優勝に輝いている。世界選手権でも合計5つの金メダルを獲得した名選手である。
長谷川はドライブ主戦型の選手で、特にフットワークを生かした中・後陣からのパワードライブと、ロビングによる鉄壁の守備を得意とした。鍛え抜かれた肉体から放たれる強力なドライブは後陣に下がっている選手をもノータッチで抜くことがあるほどで、「ジェット・ドライブ」と呼ばれ、その発達した上腕二頭筋から「ポパイ」の愛称で親しまれた。
目の前で見た模範演技で度肝を抜かれた。球の早さと正確なコントロールは『ピンポン』と言っていた卓球のイメージをガラリと変えられた。腕の太さも半端ではなかった。
名古屋電気工業高校時代の1964年に、全国高等学校卓球選手権大会男子複に優勝。愛知工業大学に進学した翌1965年には、史上最年少の18歳9ヵ月で全日本卓球選手権大会男子単を制し、全日本選手権男子単では総計6度の優勝に輝いている。世界選手権でも合計5つの金メダルを獲得した名選手である。
長谷川はドライブ主戦型の選手で、特にフットワークを生かした中・後陣からのパワードライブと、ロビングによる鉄壁の守備を得意とした。鍛え抜かれた肉体から放たれる強力なドライブは後陣に下がっている選手をもノータッチで抜くことがあるほどで、「ジェット・ドライブ」と呼ばれ、その発達した上腕二頭筋から「ポパイ」の愛称で親しまれた。
目の前で見た模範演技で度肝を抜かれた。球の早さと正確なコントロールは『ピンポン』と言っていた卓球のイメージをガラリと変えられた。腕の太さも半端ではなかった。