素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

小野清子さんが亡くなられた

2021年03月19日 | 日記
 今日の新聞では、「東海第2原発差し止め」「緊急事態21日解除決定」「伊方3号機は稼働容認」「センバツが開幕」「五輪式典責任者が辞任」「黒川元検事長略式起訴」「米中の外交当局トップの会談」などよりも「小野清子(85歳)さん死去」の記事に目が留まった。骨折の治療で入院中に新型コロナウイルスに感染され、容態が急変して13日に亡くなられたとのこと。
 たまたま昨夜、妻が本棚で探し物をしていた時、突然「ウワァ若い!」と声を上げた。偶然、次女の宮参りの後の家族写真を見つけたのである。30数年前だから30代半ばである。「当たり前やろ」と返したが、そのような写真を撮った記憶が全くないということに戸惑った。台紙には浜島の父の従兄妹にあたる山崎写真館とあるから、わざわざそちらまで出かけて行ったのだろうが記憶の欠片もない。「私は覚えている!」と妻は言い切った。「写真が事実を証明している。」には黙るしかない。「たまに昔の写真を見るのも脳の活性化にいいみたいやで」ということになり中学校の卒業アルバムなどを見て、少しノスタルジックな気分になっていたのである。
 私の母校文岡中学校は鵜方と賢島の中間点にある小高い丘の上にあった。
  木造平屋の老朽校舎だったが、1959年(昭和34年)3月に、4年前廃校になった三重県立志摩高等学校南校舎(鵜方校舎)を譲渡されその校舎とグラウンドも使用していたので敷地面積は県下でも一番広かったのではないかと思う。その年の9月26日、伊勢湾台風に襲われ大きな被害を受けた。東、西の両校舎の復旧には半年ほどかかったそうだ。ともなって体育館の新設も始まり、完成したのが1963(昭和38)年3月31日。私が入学した年だった。
 その祝賀イベントに、小野夫妻、遠藤、三栗の日本トップクラスの体操選手が招待されていて演技を目の前で見た。小野喬さんは当時「鬼に金棒、小野に鉄棒」と呼ばれていて、全日本体操競技選手権の個人総合で7回の優勝、オリンピックでも4大会連続で出場し 、金メダル5つ、銀メダル4つ、銅メダル4つを獲得した。遠藤幸雄さんもローマ,東京,メキシコと 3大会連続出場し、五輪の男子体操競技団体総合 3連覇に貢献し,東京五輪で日本人初の個人総合優勝に輝き,3度の五輪で金メダル 5個,銀メダル 2個を獲得した。一流の技に魅了されたのと小野清子さんの華麗さに思春期の私はドキドキしたものだ。
 あれから半世紀以上経っているが、記憶の奥底にずっと生き続けている。今日の訃報でそれらが掘り起こされた。
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