8月3日(水)の「毎日ことば」は”どこを直す?」ということで次のような文が示されていた。
新型コロナウイルスについて、専門家は「基本的
な対策を徹底しなければ、元の黙阿弥となる」と
警鐘を鳴らす。
とっさにここだと言う確信が持てなかった。曖昧な気持ちで解説を読んで「ああそうだった」と古い記憶がよみがえってきた。
一時よい状態になったものが,また前の状態にもどることを表現する時に使う「元のもくあみ」は黙阿弥ではなく木阿弥だったということ。
戦国大名の筒井順昭が病死したとき,その子順慶が幼かったので,死をかくして順昭に声の似た盲人木阿弥を替え玉として病床に置き、順慶が成長したのち,順昭の死を公にし,木阿弥はまたもとの生活にもどったという故事からとったという。
私の記憶の木阿弥がいつのまにか黙阿弥に上書き消去されていたのだ。井上ひさしさんの作品を大坂松竹座で観劇した時だ。と思い当たった。久しぶりに本棚からパンフレットを取り出した。やはりそうだった。平成27年の9月に上書きされたのだ。

この時、初めて河竹黙阿弥のことを知り、色々と調べたことも関係したかな。
とにもかくにも、「毎日ことば」のおかげで「元の木阿弥」となった。
新型コロナウイルスについて、専門家は「基本的
な対策を徹底しなければ、元の黙阿弥となる」と
警鐘を鳴らす。
とっさにここだと言う確信が持てなかった。曖昧な気持ちで解説を読んで「ああそうだった」と古い記憶がよみがえってきた。
一時よい状態になったものが,また前の状態にもどることを表現する時に使う「元のもくあみ」は黙阿弥ではなく木阿弥だったということ。
戦国大名の筒井順昭が病死したとき,その子順慶が幼かったので,死をかくして順昭に声の似た盲人木阿弥を替え玉として病床に置き、順慶が成長したのち,順昭の死を公にし,木阿弥はまたもとの生活にもどったという故事からとったという。
私の記憶の木阿弥がいつのまにか黙阿弥に上書き消去されていたのだ。井上ひさしさんの作品を大坂松竹座で観劇した時だ。と思い当たった。久しぶりに本棚からパンフレットを取り出した。やはりそうだった。平成27年の9月に上書きされたのだ。


この時、初めて河竹黙阿弥のことを知り、色々と調べたことも関係したかな。
とにもかくにも、「毎日ことば」のおかげで「元の木阿弥」となった。