まわる世界はボーダーレス

世界各地でのビジネス経験をベースに、グローバルな視点で世界を眺め、ビジネスからアートまで幅広い分野をカバー。

映画「ボヘミアン・ラプソディ」の中の5つの台詞に関して語っておきたいこと

2021-06-04 15:59:00 | 映画
2018年に公開された映画「ボヘミアン・ラプソディ」ですが、最初、飛行機の機内で見てから、はまり込んでしまいました。映画館でも何度か見ました。それまであまり聴いたことがなかったQUEENの曲をスポティファイでダウンロードし、その頃始めたチョークアートでは、フレディ・マーキュリーに関する作品ばかりを描いていました。トップの画像は、自分で描いた作品を貼り合わせたものです。

映画を何度も見るうちに、この映画の台詞に非常に奥の深い内容が含まれていて、映画を見ているだけではわからないことも多くあり、これは解説をしないといけないと思いました。吹き替えになってしまうと、原文のニュアンスは失われてしまうことが多いのですが、その背景を知っておくと作品をより深く味わえるのではないかと思いましたので、こちらに5箇所ほどの台詞を解説させていただきます。

こちらは2019年頃に、私の個人のSNSに掲載したものですが、そのままではなかなか見られることもないので、こちらに転載させていただきました。ちょっとマニアックな部分もありますが、映画鑑賞のご参考になりましたら幸いです。


MIAMI BEACH



映画”Bohemian Rhapsody”の中で、Freddie Mercury が、Jim Beachに出会う場面の台詞。やりとりが実に面白い。名前が退屈なので、Jim Beachではなく、Miami Beachにした方がいいということで、”dub thee “(汝を〜と命名する)という言葉を使う。女王とかが、ナイトの称号を授与する時に使う言葉です。グループの名前がQueen なので、まさにぴったりですね。英国女王と言えば、大英帝国。ビクトリア女王の頃、太陽が決して沈まない帝国と言われていました。それを踏まえて、Miami と命名されたJim Beachは、「マイアミ・ビーチだったら、太陽はいつも沈む、自分の背中側にね」と発言します。大英帝国が世界を制覇していた頃、「太陽は決して(Never)沈まない」と言われていました。Never をAlwaysに変えたところが実に上手いですね。その後は、マイアミビーチの地理がわかってないと、このジョークがちょっと理解に苦しみます。実は、マイアミビーチは東向きなので、朝日は海から登りますが、海を見ていたら太陽は自分の背中側に沈むというわけです。Jim Beach はその後、Queenにとって重要な人物となり、この映画もプロデュースすることになるのですが、自分のところで太陽が沈んでいくというのは、Jim Beach自身の人生を象徴している気もします。

FORTUNE FAVORS THE BOLD



私の周りで、この映画に極度にハマっている人が数名いて、ちょっと解説してあげると喜ぶので、調子に乗って解説をしています。こんなマニアックな長い文章は非常識ですが、お忙しい方は無理におつきあいいただく必要はございません。

今回は、レコード会社のEMIのレイ・フォスター(マイク・マイヤーズが演じている)が、クイーンに次の作品の方向性に関して討議する場面。このシーンで最も重要と思われるのは、マイアミ・ビーチ(ジム・ビーチ)のこの台詞でしょう—”Fortune favors the bold”(幸運は勇者に味方する)。マイアミ・ビーチは言葉数は少なく、感情を露わにしないし、ボソボソと話すので、印象が薄いのですが、実は要所要所でとても重要なこと言っています。このフレーズもその一つ。古くから使われていた元々はラテン語の諺で、世界各国の軍隊のスローガンにもよく使われていた言葉です。レイ・フォスターがなかなか納得せず、結論に至らない中で、「多少のリスクをとっても、新しいことにチャレンジしたほうがいい結果がもたらされる」ということを、この古典的な諺を引用して、議論を収束させます。こういう場面で、これをすっと出せるという才能がすごいですね。フレディにマイアミと命名された時の受け答えも、短い言葉の中に、教養とユーモアのセンスが満載でしたが、この人、とても頭のよい人なんですね。

さて、この議論、EMIのレイ・フォスターから、キラー・クイーンみたいな次のヒットを考えてよという要求から始まります。いわゆる「二匹目のドジョウ」ですね。”Formula”(公式、定石、決まったパターン)を使えば、確実にヒットを狙えると主張するレイに対して、フレディおよび、クイーンのメンバーは、同じことはやりたくないと反論します。

ここでフレディは強引に、オペラのレコードをかけます。ビゼーの「カルメン」です。渋い顔をして、レイ・フォスターは、「わかっとらんね。実際オペラなんて好きな人間、一人もいやしないよ」と言うのですが、間髪を入れず、マイアミ・ビーチが発言します。”I like opera”(私はオペラ好きですけど)。これまた、最小限の言葉での反論です。お見事!これでレイ・フォスターの一方的な議論に釘をさします。

この後、フレディーが、「自分たちが目指しているのは、オペラというわけではなく、ロックンロールのレコードで、オペラのようなスケールを持ち、ギリシャ悲劇のペーソス(情念)を持ち、シェイクスピアの機知を持ち、ミュージカル劇の束縛のない喜びが全部入ったものなんだよ」と語ります。彼が語っているのは、これから形になる「ボヘミアン・ラプソディー」のコンセプトそのもののような気がしますが、すごく雄弁です。”unbridled joy”という言葉を使いますが、こんな議論が白熱しているところで、”unbridled”(束縛のない状態、馬から馬ろく=くつわなどを外した自由な状態)という日常会話ではほとんど使わない、難易度の高い単語をよく使えるなと感心しました。かなりの教養の高さを感じます。

ところで、次のアルバムは”A night at the Opera”とフレディが語ります。そして実際にこのタイトルのアルバムが発売されることになるのですが、実は、20世紀初頭に一世を風靡していたアメリカのマルクス兄弟の喜劇映画のタイトルと同じなんですね。この映画、フレディが大好きだったようですが、全く同じタイトルにしたんですね。ちなみにその次のアルバム”A day at the Race”もマルクス兄弟の喜劇映画のタイトルと同じです。マルクス兄弟の数ある作品の中で、この二作が特別に人気があったとのことです。マルクス兄弟の映画を見て、フレディは何を感じ、どんなインスピレーションを得ていたのでしょうか?

I AM A PERFORMER, DARLING, NOT A SWISS TRAIN CONDUCTOR



映画”Bohemian Rhapsody”の中で、 “We Will Rock You”を作っているシーンで、遅れてきたFreddie が言う台詞。「スイス鉄道の運転手ではなく、パーフォーマーなんだよ」(だから時間なんか守れなくて当然だよねー)と言います。日本語字幕だと、「時計じゃない」のようになっていましたが、”not a Swiss train conductor”と言っております。スイスの鉄道はそれほど時間に正確という評判なのですね。日本の鉄道も時間が正確と言われてますが、地震や台風ではすぐ止まるし、人身事故なんかもよくありますね。Freddieはよく時間に遅れるのですが、この台詞をもう少し深読みすると、「自分は、音楽を楽譜どおりに完璧に歌うのは嫌いだ。歌手ではなく、パフォーマーなのだ」と言っているようにも聞こえます。で、スイスなのですが、Freddie はスイスのモントルーを気に入って、Jazzから後のアルバムをモントルーのスタジオで制作します。モントルーにはFreddie の銅像があり、博物館もあります。何年か前に、モントルーの街を通過したのですが、その時はそんなこと全然知らず、もったいないことをしました。Jim Beachは今もモントルーに住んでいるみたいですね。

A QUEER CATHOLIC BOY FROM BELFAST



映画”Bohemian Rhapsody”の中で、FreddieがマネージャーのJohn Reidを首にして、車から追い出した後、Paul Prenterが言う台詞。”queer”とは、変態とか、同性愛のというような言葉。実は、カトリック国のアイルランドでは、1993年まで、同性愛は犯罪でした。Paulの出身は北アイルランドのベルファストで、国としてはUKに属していますが、カトリックの同性愛への立場は、アイルランドと同様に厳しかったと思います。さらに、20世紀後半の北アイルランドは、英国との一体化を求めるプロテスタントと、アイルランドとの一体化を求めるカトリックの間で紛争が続いていました。北アイルランドのベルファストで、カトリックであることだけでも、難しい状況だったのですが、カトリックでありながら、ゲイであるということも複雑な状況でした。自分がどこにも属せないマイノリティだとアピールすることで、同じような境遇のFreddie の気持ちをつかもうとしていたのでしょう。Freddie とPaul の関係がさらに深くなっていくきっかけになった台詞です。
「ぼくの父親は、ぼくが自分らしく生きるくらいだったら、死んでてもらったほうがましだと思っていると思う」というPaulの台詞。当時、北アイルランドでは紛争で多くの人々が亡くなっていたので、死んでいるのを発見されるというのは、かなりリアリティのある話です。北アイルランドという存在自体が、ややこしく、アイルランド島という北海道より少しだけ大きい島の住民はカトリックなのですが、北アイルランドはプロテスタントが過半数。EU離脱がなかなか進まなかったのは、離脱してしまうと、北アイルランドの国境を厳格化しないといけないということになり、そのために様々な問題が生じるためでした。

ところで、ベルファストは、あの北大西洋で氷山に接触して沈没した豪華客船タイタニックが作られた町として有名です。映画に登場するジャックもアイルランド人という設定。随所にアイルランド音楽が使われていました。

Paul Prenterの頃は、同性愛が犯罪だったアイルランドですが、2015年に同性婚が合法化され、2017年にアイルランドの首相になったレオ・バラッカー氏は、インド系でゲイであることを公表しました。簡単には説明しきれませんが、Paul Prenterのこの短い台詞、じつはかなり複雑な、政治、宗教、歴史が絡み合っているのであります。

BETA



映画”Bohemian Rhapsody”の中で、ライブ・エイドのコンサートの直前に、母親のJer Bulsaraが、フレディに”Love you, beta”と呼びかけるシーンがあります。ここがずっとひっかかっていました。「ベータ」って何?それまでそんな名前で呼んでなかったのに、最後で唐突に登場する”Beta”。Freddieや本名のFarrokhの愛称としては、全く関連性がなさそうだし、英語で何か特別な意味があるのかと調べてみてもわかりませんでした。日本語吹き替えでも唐突に「ベータ」という言葉が現れます。

ところで私は、インドの仕事にもいろいろと関係しているのですが、たまたま家にヒンディー語の辞書がありました。まさかと思って、調べてみたら、何と、”Beta”というのは、ヒンディー語で「息子」という意味ではないですか!これで長い間もやもやしていた謎が解けました。同じことで悩んでいる人がいるといけないので、お知らせしようと思いここにアップしました。

フレディの親は、インド人です。インド人もいろいろいるのですが、パルシー(Parsee)という一族です。映画の中でもお父さんが説明しようとしているのですが、もともとはペルシャに住んでいたゾロアスター教の人々です。7世紀頃、ペルシャがイスラム教に征服され、その迫害を逃れて、彼らはインド西部に逃れてきます。

インド社会の中で、比較的肌の白いパルシーは、カースト制度にも組み入れられず、要職を任されたとのこと。ゾロアスター教は、親がゾロアスター教でない限り、信者になることはできないので、その数は減少する一方なのですが、インドの大財閥のタタ・グループはパルシーとして有名です。製鉄、自動車、電力、IT、化学、通信、食品、ホテルなど傘下企業は100社超と言われています。

フレディは、ザンジバルで生まれましたが、ここは現在のタンザニア。タンザニアは、タンガニーカと、ザンジバルが合わさってできた連合共和国です。ザンジバルは島国ですが、王国と呼ばれていました。1964に革命が起き、ブルサラ一家はロンドンに逃れてきます。1964年の東京オリンピックには、タンガニーカとして参加していますが、その頃は、ブルサラ家は大変な状況だったんでしょうね。

千何百年前にパルシーが、ペルシャを追われたのもあり、革命でザンジバルを逃げなければならなかったのもあり、ブルサラ家が運命に翻弄され、放浪をしてきたという過去が、ボヘミアン・ラプソディーに繋がっているのですね。「ボヘミアン」というのは、ヨーロッパの放浪民で、ジプシーとも呼ばれますが、迫害を受けながらも各地をさまよう人々でした。「ボヘミアン・ラプソディ」というのは、フレディの自分のルーツでもある壮大な歴史の物語だったんですね。

フレディは、自分の出自を説明されるのを極端に嫌がっていました。しかし親は、幾度もそれをフレディに認識させようとします。早親が、フレディに”Beta”と呼びかけるのは、「あなたは誇りあるインド人の、しかもパルシーの血を引いている」という意味があってのことなのかもしれません。

実際の母親のJer Bulsaraは94歳まで生き、2016年に亡くなっています。あと少しでこの映画を見られたんですね。



まだまだ説明しなければいけない台詞がこの映画にはいろいろとあると思いますが、この記事が、何かの参考になりましたら幸いです。
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映画「レ・ミゼラブル」におけるメロディーの繰り返しと構造美

2013-05-06 18:57:56 | 映画

以前このブログで「レ・ミゼラブル」の歌詞に秘められた美しい韻の秘密 という記事をアップしましたが、この映画を何度も見ているうちに、英語の歌詞が美しいというだけでなく、全体の構造が実に見事に組み立てられていることがわかってきました。

映画を何度か見ているうちに、同じメロディーが違うところで、別の登場人物によって歌われるのを発見します。英語の歌詞が韻を踏んでいるのと同じように、同じメロディーが別の場所で繰り返し登場してきます。そこに全体としての心地よさを感じます。

例えば、最初のツーロン徒刑場での、囚人の歌。ジャンバルジャンを含む囚人たちが、船を引きあげるシーンで歌われる歌。

これが、パリの下町のサンミッシェルで貧民たちによって歌われるのも"Look Down"。

上と下の対比というのもこのミュージカルで繰り返されるテーマです。パリの貧民街では、金持ちたちに向かって、乞食たちの悲惨な姿を見てくれということで"Look Down"という言葉が使われています。また、ジャンバルジャンがマリウスを担いで下水道から出ようとする時に出口で見下ろしているジャベールに対して、"Look Down"と訴えるところも印象的です。

司教がジャンバルジャンに銀の燭台を与えるシーンでの歌。

このテーマは、パリでコゼットと一緒に逃げて、修道院に逃げ込むシーンでも使われています。

そして極めつけは、マリウスが、ABCカフェで一人切々と歌う"Empty chairs at empty tables"。


ジャンバルジャンが過去を切り捨てて生まれ変わる決意をする時の歌と、ジャベールが自殺する時のシーンもメロディーが同じです。

教会の俯瞰の映像で、ジャンバルジャンが破り捨てた紙の一部が空に舞っていくシーンが印象的でしたね。そしてこちらはジャベールが自殺をする直前に歌われる歌。

川にジャベールが落ちていきます。

仕事を解雇されたファンティーヌが辿りつく夜の街で歌われる"Lovely Ladies"。

バリケードの戦いが終わって、街の女性たちが道路を拭いているシーンでもこのメロディーが。


そして、ファンティーヌの死の床のシーン。

このメロディーがエポニーヌの"On My Own"と同じです。

そして最後のシーンで、ジャンバルジャンがファンティーヌに誘われて天国に行くところでもこのメロディーが聞こえてきます。


このミュージカルを一つの建築物として見ると、宮殿や教会のように、同じモチーフが見事に配列されていて、細部にまで、見事なパターンが繰り返されているという感じです。

音楽や詩の構成だけでなく、様々に張り巡らされた対比も美しいですね。ジャンバルジャンとジャベール、コゼットとエポニーヌなどの人物の対比もあれば、金持ちと貧民、法と愛、高貴な世界と俗世界の対比などが様々に交錯しています。対比として最も象徴的なのは、ABC Cafeで学生たちに
よって歌われる"Red and Black"でしょう。

怒れる者の血潮の赤と、暗黒の過去の黒、
夜明けの太陽の赤と、終わるべき夜の黒
という色の対比が非常に鮮明です。

「レ・ミゼラブル」の映画、こうしてみると奥が深いですね。DVDも間もなく発売されますが、いろいろ発見できるので、何度見ても面白いですよね。

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「レ・ミゼラブル」の歌詞に秘められた美しい韻の秘密

2013-03-03 00:19:51 | 映画
2013年のアカデミー賞で、アン・ハサウェイ
が助演女優賞を受賞。録音賞、メーク・ヘア
スタイリング賞も受賞しています。この映画、
私は実は映画館で3回観ているんですが、
同じ映画を二回以上映画館で見たのは、
これが生まれて初めてです。普段、こういう
映画は絶対に観ない義弟も、とうとう三回目
に行くと言っていました。こんなに何度も
観たくなる映画というのは、どういう
ことなんでしょう。

ミュージカル映画ということで、音楽と映画
のダブルの魅力を持っているのですが、
ストーリー展開もさることながら、一つ一つ
の曲をとってみても、ストーリー展開の中に
音楽と言葉と感情の三つの要素がみごとに
重厚なハーモニーを奏でている。

音楽と感情がこれほど一体化した表現形態
がかつてあったでしょうか。感情が
どんなに高まっても、歌詞と音程は
決して崩そうとしない。音楽と言葉と
感情の三つの要素がお互いにせめぎ合い
ながら、表現のレベルが高次元に高まっ
ている。そんな感じがします。

しかし、今回、私が着目しているのは、
歌詞の美しさ、それも意味的な美しさで
はなくて、音としての美しさです。

私はいちおう大学時代、英文学科で、
詩もちょっとかじっていたので、英語の
詩における韻というのは多少は知って
いました。しかし、詩における韻の
美しさというのを、「レ・ミゼラブル」の
曲を聴いて、初めて体感した気がします。

韻というのは、詩の一行の行末の音を、
同じ音で揃えていくというテクニック。
行末の音が一行目と三行目とで同じ音で
終わり、二行目と4行目が同じ音で終わる
というようなのが韻で、音の合わせ方は
いろんなパターンがあります。

「レ・ミゼラブル」の曲のかなりの歌詞で
韻が使われています。ちょっと具体的に
見てみましょう。"I dreamed a dream"と
いう有名な曲があります。こちらです。



一つの文章の最後の音が奇麗に整えられて
いるのがおわかりいただけるかと思います。

I dreamed a dream in time gone by
When hope was high and life worth living
I dreamed that love would never die
I dreamed that God would be forgiving

Then I was young and unafraid
And dreams were made and used and wasted
There was no ransom to be paid
No song unsung, no wine untasted

But the tigers come at night
With their voices soft as thunder
As they tear your hope apart
As they turn your dream to shame
He slept a summer by my side
He filled my days with endless wonder
He took my childhood in his stride
But he was gone when autumn came

And still I dream he'll come to me
That we will live the years together
But there are dreams that cannot be
And there are storms we cannot weather

I had a dream my life would be
So different from this hell I'm living
So different now from what it seemed
Now life has killed the dream I dreamed

9行めのnightとapartはちょっと苦しいが、
他の行は奇麗に韻を揃えています。
見事な様式美なのですが、そこに感情が
最大限に盛り込まれている。様式が
堅苦しさを感じさせず、自然に聞こえる
というのもすごいですが、韻というのが
こんなにも奇麗なものだと初めて知り
ました。実に素晴らしい!

これを作詞した人は、ハーバート・クレッツマー
という1925年南アフリカ生まれの人。
こちらに彼がこの詩を朗読している動画
が出ています。



あらためて聞くとすごく奇麗な詩ですね。

「レ・ミゼラブル」の中にはこういう
美しい詩がちりばめられています。

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『バトル・オブ・シリコンバレー』の中のスティーブ・ジョブズ

2011-10-22 01:42:36 | 映画

『バトル・オブ・シリコンバレー』(原題:
Pirates of Silicon Valley)のDVDがツタヤに
並んでいたので、早速借りて観ました。
1999年の作品なんですね。でもDVDの
レンタルが始まったのはつい最近のこと。

主人公はスティーブ・ジョブズとビル・
ゲイツ。二人が競いながら、ビッグになっ
ていく課程が実に面白く描かれています。
フィクションのドラマなのですが、かなり
きちんと事実を織り込んでいます。

このドラマの冒頭部分がこちら。



マッキントッシュが登場する時の伝説の
コマーシャル『1984年』の制作現場から
このドラマは始まります。『1984年』
はジョージ・オーウェルが書いた近未来小説。
このコマーシャルはこの『1984年』で描かれ
た世界を再現しています。ビッグ・ブラザー
が支配する全体主義の世界、それは当時の
スティーブ・ジョブズにとってはIBMという
巨人に牛耳られたコンピューター社会だった
のです。

このコマーシャルのことは、数日前の私の
ブログ記事に出ていますので、そちらを
ご覧ください。こちらの記事です↓
スティーブ・ジョブズについて思うこと

世界の広告業界の歴史の中でも燦然と輝く
このコマーシャル作品の制作現場がリアル
に再現されていて実に面白い。監督の
リドリー・スコット、ハンマーを持って
駆け込んでくる女性、それを追ってくる
警官たち、そんな現場で、スティーブ・
ジョブズがこのコマーシャルへの思いを
熱く語っている。彼は、革命的なアド
マンだったんだと今になって思う。

1999年のマックワールドに、このドラマ
でスティーブ・ジョブズを演じたノア・
ワイリーが登場しています。このDVDを
見てはじめて、彼が登場した意味がわかり
ました。こちらがその動画。



しかしこのドラマで描かれたエピソード
はどれも面白い。70年台のバークレーで
の学生運動、スティーブ・ジョブズがインド
宗教にかぶれるシーン、ビル・ゲイツが
でまかせでDOSをIBMに売り込む場面、
ローラーディスコでジョン・トラボルタの
踊りをマネするビル・ゲイツ、ウィンドウズ
が搭載されたNECのマシーン、週80時間労働
のTシャツ...これを見ると、スティーブ・
ジョブズが、芸術家であり、革命家でもあり、
アドマンでもあったというのがわかります。

私たちはすごい人と同時代を生きたものですね。

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ジュリエットからの手紙 (Letters to Juliet)

2011-05-15 13:41:00 | 映画

『ジュリエットからの手紙』が日本で封切り
になりました。この映画、去年、飛行機の
機内で初めて見て(その時は時間の関係で
最後まで見終わらなかった)、次の機会に
もう一度最初から見て、これはいい映画だと
思っていた映画でした。

以前からヴェローナへは行きたいねと話して
いたMy Wifeにも、これは絶対いいからと
推薦しておいたら、すぐに飛行機で見て、
感動して泣いてしまったと言っておりました。

しばらくして、香港からシンセンに行ったら
DVD屋にこの映画のDVD(日本語字幕のない
やつ)が売られていたので、それを買って
きて、香港の家で何度か見ておりました。

昨日、この映画が日本で封切りになったと
いうニュースをテレビで見て、日本ではまだ
公開されていなかったことを知りました。
ストーリーとしては、現実的な可能性として
はまずありえないような話しなのですが、
だからこそ夢があります。映画として大作と
いうわけではないのですが、非常によくでき
た映画だと思います。

とりあえず、この映画の日本向けの公式
サイトはこちら。ここに予告篇動画も出ています。

http://www.juliet-movie.jp/

ヴェローナは、北イタリアにある古い都市。
ミラノとベニスの中間にあります。シェイ
クスピアの「ロミオとジュリエット」の舞台
となった街として有名ですが、街全体が世界
遺産にもなっているし、恋人たちの聖地の
ような街でもあります。

御参考までに地図はこちら。



左端がミラノ、右端がベニスです。昔、私は
ミラノからベニスまで列車で旅したことが
あったのですが、ヴェローナは残念ながら
通過してしまいました。従ってまだこの街に
実際に行ったことがありません。



街の中を川が蛇行していて、中心部はハート
の形をしていると言われています。

この映画の中にも登場するジュリエットの家。
ハートの形の右側の真ん中あたりにあります。
その壁に、恋する女性たち(あるいは恋に悩
む女性たち、恋に破れた女性たちも含む)が
手紙を残していきます。それにボランティア
で返事を出す「ジュリエットの秘書たち」。
アメリカから偶然そこに訪れたライター志望
のソフィー(アマンダ・セイフライド)が、
50年前に書かれた女性からの手紙に返事を
するところから、奇跡のドラマが始まります。

実際のストーリーは映画でお楽しみいただく
として、シェイクスピアのロミオとジュリ
エットをベースにした場面も出て来るし、
見て損はない映画です。まあ男性よりも女性
に受ける感じだと思いますが。

この映画の中で使われる、テイラー・スウィ
フトの"Love Story"という曲。これも素敵です。
こちらがオリジナルのテイラー・スウィフト
のミュージックビデオ。



美しいです。この曲がすごく効果的に使われ
ています。あと、クレアを演じるバネッサ・
レッドグレーブ。実は20年くらい前、出張で
ニューヨークに行ったときに、ブロードウェー
で彼女の一人芝居を見に行ったことがあり
ました。結構前のほうの列だったのですが、
台詞ばかりであまり内容がわかりませんでした。

この映画の中で登場する、フランコ・ネロ。
イタリア人の俳優です。後で知ったのですが、
実は彼とバネッサ・レッドグレーブは実際の
夫婦だったんですね。正式に結婚したのは
2006年のことなのだそうですが。こういう
のを知るとこの映画もまた一段と味わい深く
思えてきます。

ところで、私とヴェローナの関わりは、大学
時代に「Romeo & Juliet」を演じたときから。
その時演じた役は、ロレンス神父とベンボー
リオの二役。主役のロミオを演じたのは、今
日本の演劇界で活躍をしている吉田鋼太郎君
でした。



そして、留年している時にやった「ベロナの
二紳士」。こちらは原作を日本語に翻案して
上演したのですが、これの脚本と、アントー
ニオと公爵の二役をやりました。プロテュース
役をやったのが吉田鋼太郎君、そして、道化
のスピードをやったのが、現在詩人として
活躍している四元康祐君です。



このポスターは自分でイラストも描きました。
もう30何年も前の事なのですが、懐かしいです。

『恋に落ちたシェイクスピア』という映画が
ありました。アカデミー賞を取った映画ですが、
この映画は、ロミオとジュリエットを執筆する
シェイクスピアの話しなのですが、「ベロナの
二紳士」を演ずる場面だとか、最後のほうは
「十二夜」だったりとか、自分が大学時代に
上演に関わった作品が織り込まれているます。
学生時代にシェイクスピアをやっておいて
よかったと、こういう映画を見るとつくづく
そう思います。

ところで「ジュリエットからの手紙」という
タイトル、英文だと"Letters to Juliet"となって
います。ほんのちょっとニュアンスが違うので
すが、このへんは何か文化的な背景があるの
かもしれませんね。

いつかヴェローナを訪ねてみたいと思います。

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