まわる世界はボーダーレス

世界各地でのビジネス経験をベースに、グローバルな視点で世界を眺め、ビジネスからアートまで幅広い分野をカバー。

東京オリンピック2020の余韻と波紋

2021-08-14 15:15:42 | オリンピック

オリンピックが終了しました。私たちの多くはまだその余韻の中にいます。すでに選手たちも自国に帰りましたが、世界各地で、オリンピックに纏わるエピソードが報道されています。たまたま入手したものをご紹介してみたいと思います。

昨日(8月13日)シンガポールの新聞を見ていたら、オリンピックに関連するいろんな記事が出ていました。シンガポールの代表的新聞である“The Straits Times”に出ていた記事です。



100メートルハードルで金メダルに輝いたジャマイカのパーチメント選手は、準決勝のレース当日、誤って競泳会場に向かってしまったのですが、たまたまそこにいたボランティアがタクシー代を出してくれたので、何とか競技に間に合ったという話です。後日、パーチメント選手はこの女性を探し出し、タクシー代を返済して、決勝で獲得した金メダルを見せ、ジャマイカのユニフォームを渡して感謝を伝えました。一連の様子を収めた動画がこちらです。

https://www.instagram.com/tv/CSRl4aqhYXP/?utm_source=ig_web_copy_link

この記事によれば、そのボランティア(実際はボランティアではなく、近畿日本ツーリストが委託したオリンピック関係スタッフのようですが)の女性の名前は“Trijana”(トリヤナ)で、日本人とセルビア人のハーフ。パーチメント選手のツイッターを見たジャマイカの観光大臣のエドマンド・バートレット氏(Edmund Burtlett)は、Trijanaさんにジャマイカ旅行をプレゼントすることをオファーしたとのことです。そしてそれに答えて、Trijanaさんが、ジャマイカのユニフォーム姿をインスタグラムにアップしたのですが、それが上の新聞に出ていた写真です。この話題、世界中に拡散されています。

こちらにもその記事が出ています。

https://www.huffingtonpost.jp/entry/trijana_jp_61164842e4b07b9118a9de85

この記事以外にも、ネットを見ていると、各国選手から日本への感謝、ボランティアの対応に感動したとのコメントなどが数多く寄せられています。招致活動の時の“Omotenashi”が実証されたということですね。

また、メダルを獲ったインド選手が凱旋した様子もシンガポールの新聞の記事になっていました。一ページ全部がインドの記事です。インド国内では大フィーバーになっていますね。



そしてこちらは、本国シンガポールの記事。シンガポールは、残念ながら一つもメダルを獲れませんでした。そのためネットで選手への誹謗中傷が拡大しているので、シンガポールのハリマ・ヤコブ大統領が警鐘を鳴らし、選手に対しては、「オリンピックで頑張った皆さんは我が国の誇りです」と一人一人に語りかけたということです。



また、女子アーチェリーで金メダルに輝いた韓国のアン・サン選手が、韓国で誹謗中傷を受けているというニュース。何と「短髪」であるからという信じられない理由です。金メダル剥奪を迫っているとのこと、何と恐ろしいですね。



また、新聞に出ていた記事ではないですが、女子砲丸投げで金メダルを獲得した中国の鞏立姣選手に対し、中国中央テレビ(CCTV)は鞏選手を「男性的な女性」と形容し、「いつ結婚して子どもを持つのか」、「女性の人生の計画」があるのかどうかなどの質問をして顰蹙を買っているというのもネットで話題になっていました。日本の元野球選手が女子ボクシングに対してテレビで行なった問題発言もありましたが。



さらに、別のニュースで、台湾の人気スターの「小S」こと徐熙娣(ディー・スー)が地元の台湾選手ばかり応援する投稿をSNSにあげていたことから、中国での大手スポンサー契約が解消になったというのがありました。



中国本土で人気の芸能人は、もともと台湾とか香港の人が多かったので、有名ブランドのアンバサダーにも数多く起用されているのですが、オリンピック が関係するとこういうところにも問題が出てくるのですね。

ここで取り上げたのは、ほんの一部です。いいエピソードもあれば、悲しいエピソードもあります。日本はコロナ感染拡大と、経済への打撃でいろいろ大変ですが、オリンピックの余韻と波紋はじわじわと世界に広がっています。日本のいいイメージも広まっていてくれることを祈ります。
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人類が力を合わせて困難に打ち勝った証、としての東京2020

2021-08-12 17:58:55 | オリンピック
東京オリンピック2020が終了しました。コロナ感染拡大をはじめ、運営組織の問題など様々な問題がありましたが、多くの選手がコメントしているように、また、事後調査の結果にもあるように、「開催してくれてよかった」と思いました。

実は、私自身はオリンピックにはあまり乗り気がしていませんでした。多くの日本国民もそんな気分だったかと思います。私はシンガポールにいるのですが、シンガポールの新聞、The Straits Timesなどの論調も、オリンピックに関してはかなり否定的なトーンでした。シンガポールだけでなく、BBCやニューヨークタイムズなど、各国の主要メディアもネガティブな論説を展開していました。



私は、もともと、東京がオリンピック招致に参加した時から、あまり乗り気ではありませんでした。オリンピックを招致するための大義が感じられなかったからです。何故、日本で、東京でやらなければならないのか?そこのところが腑に落ちませんでした。「復興五輪」というメッセージも、日本のためだけに世界を利用するという雰囲気があって、なんとなく違うんじゃないのかなと思っていました。



しかし、オリンピックが始まって、開会式を見た瞬間に、私の気持ちが急変します。コロナ禍を乗り越えて東京に集まってきた205の国と地域の選手たち。そして、難民選手団。よくぞこれだけの人々を世界中から集められた。なんだかんだ言われながら、よくぞこのイベントを実現できた。嬉しそうに入場してくる選手たちの笑顔を見た瞬間に、私は、オリンピックをこの時期、東京で開催することの「大義」を発見したのです。

コロナという感染症のおかげで、世界は大変な目に遭いました。世界中で多くの人が、人種や、文化や、宗教や、貧富の差に関係なく、同じ病気で苦しみ、多くの命が失なわれ、多くの人が仕事を失い、希望を失いました。旅行ができなくなり、打撃を受けた業界は数多く、経済も打撃を受けました。ロックダウンや、様々な規制で生活も不便さを強いられました。

歴史上まれにみる困難の中にありながら、逆境を乗り越えて実現したオリンピック。それを開催することによって、人類はどんな困難にも打ち勝つことができるということを証明できる。人類はコロナには決して負けたりしない。それだけのレジリエンス(強靭な忍耐力)を持っている。それを世界に発信し、人々を勇気づけ、ともに力を合わせて、コロナと戦っていこう、共存していこう。人類はそんなにひ弱ではない。力を合わせれば打ち勝てる。やればできる。それを実証する場所が、この東京オリンピックなのだ。それこそが東京でオリンピッックを開催することの大義なのだ、と感じたのです。

「おもてなし」をアピールしていた招致活動のときには見えなかった「大義」が、東京2020の開会式の選手入場を見てはっきり見えた気がしたのです。

橋本聖子会長は「今こそ、アスリートとスポーツの力をお見せするときです。その力こそが、人々に再び希望を取り戻し、世界を一つにすることができると信じています。世界は皆さんを待っています。私たち組織委員会は、半世紀ぶりとなるこの東京大会が、後世に誇れる大会となるよう、最後までこの舞台を全力で支えて参ります」と開会式で涙目で語りました。大人の事情が渦巻く組織委員会と政府と東京都の間で大変なご苦労があったことと思います。本当にお疲れ様でした。あまり、真剣に聞いている人は少なかったかもしれませんが、私はこの言葉の行間に「大義」の存在を感じていました。



東京オリンピックのテーマとして、「より速く、より高く、より強く」に付け加えて“Together”という言葉が加えられたのは象徴的でした。“Faster. Higher. Stronger”は、文法的には比較級です。“Together”は語尾が同じ音ですが、比較級ではありません。が、まるで「(これで以上に)共に」という比較級のように感じたのは私だけでしょうか。

この開会式の画像をあらためて見てみたら、これら4つの単語の上下に引かれていた線は5つの色。五輪の色の青、黄色、黒、緑、赤の五色だったのです。もともとの五つの大陸という意味に、競技を競い合いながら、共にあるという意味が付加されたのだと自分なりに勝手に解釈しました。

生まれはアフリカや、中国でありながら、様々な国に帰化して、それぞれの国の代表としてオリンピックに参加している選手も沢山いました。難民選手団など国を代表していない選手たちもいました。5つの大陸という区分がほとんど意味を持たないグローバルな時代に我々は生きているのだとあらためて思いました。

オリンピックのYouTubeチャンネルに、“The most emotional moments at Tokyo 2020”というタイトルの動画がアップされていましたのでシェアさせていただきます。オリンピックでの感動的なシーンをつないだものですが、勝ったシーンだけでなく、負けたシーンも入っているのが感動的です。

https://youtu.be/oR7OnwwB1fo

素晴らしい編集です。素晴らしいシーンが満載ですね。

自分でも、オリンピックで印象に残ったものをいくつかの切り口でまとめてみました。

Togetherを感じたシーン



国や人種を超えて、喜びを分かち合うシーンが多々見られました。スケートボード女子パークで、惜しくもメダルには届かなかった岡本碧優(みすぐ)選手を他の選手が集まって健闘を讃えるシーン、男子800メートルの準決勝でボツワナとアメリカの選手が接触して倒れた後、二人で仲良くゴールするシーン、男子走り高跳びで、カタールのムタズエサ・バルシム選手と、イタリアのジャンマルコ・タンベリ選手がそろって金メダルを獲得したシーンなど、みな“Together”を象徴していますね。これ以外にも、いろんな競技で、国を超えてお互いを讃え合うシーンは数えきれないくらいありました。開会式の選手入場の際の旗手が男女ペアだっただったのも“Toghether”を象徴していました。選手の女性比率も48.6%と史上最も高かったそうです。

限界を超えたシーン



コロナ禍でありながら、しかも高温多湿の真夏の東京というスポーツには適さない状況でありながら、世界記録が続々と出たことは奇跡的です。暑さに強そうな国の選手だったらわかるのですが、陸上男子400メートル障害でノルウェイのワーホルム選手が世界新で金メダルを獲ったのは衝撃的でした。他にノルウェイ選手のトライアスロン金メダル、ポーランドやイタリアの陸上での活躍など素晴らしかったですね。

日本の美学を感じたシーン



敗者にも敬意を払うとして、試合に勝っても決してガッツポーズをしなかった柔道の大野将平選手はカッコいいと思いました。負けた相手はそれだけで落ち込んでいる、勝った喜びを示すことで敗者はさらに落ち込むとして、戦った相手に思いやりを示す柔道の姿勢に武道のスピリットを見た気がしました。

また、このオリンピックを最後のレースと決めて、ストイックに走り終えた大迫傑(すぐる)選手。メダルには届かなかったですが、見事な走りでした。走りだけでなく、生き方がカッコいいですね。

笑顔でスポーツを明るくしたシーン



今回のオリンピックは、涙もありましたが、笑顔も溢れていました。メダル獲得という悲壮感がなく、スポーツを楽しんだ結果メダルがついてきたというシーンが多くありました。中でも女子バスケットボール。たまたまチームのキャプテンの高田真希選手や、馬瓜エブリン選手が豊橋出身ということもあり、応援していたのですが、体格のハンディをものともせず、最後は銀メダルを獲ってしまいました。決勝戦で負けても非常に清々しい見事な負け方でした。試合を楽しんでいた、という選手のコメントにも感動しました。

陸上女子やり投げで57年ぶりに決勝に進出した北口榛花(はるか)選手も、惜しくも入賞できませんでしたが、その存在自体が素晴らしかったです。私の妻も絶賛していて、妻の実家の親も弟も、みんな「かわいい!」と言って応援していました。こういう人たちの活躍で、オリンピックが非常に明るい雰囲気になったと思います。

オリンピックを振り返ると、反省すべき点もあるのですが、結果としては素晴らしかったと思います。コロナの感染に拍車をかけたと言う人が多いかと思いますが、それはオリンピックが要因ではなく、もともと日本の対策に問題があったからです。外国から持ち込まれた感染よりも、日本国内の感染が問題でした。外国人選手に感染者も出ましたが、バブル方式は極めてうまく機能したと思います。それよりも日本のワクチン接種率が低すぎたことが問題だったと思います。オリンピック後の感染拡大をオリンピックのせいにしてほしくはないと思います。

「日本でなければオリンピックを開催できなかった」という声も世界のあちこちから聞こえてきましたが、たしかにそうだったかもしれません。破綻しそうになりながら、最後まで諦めず、実現に漕ぎ着け、そして見事な成果を残したということができるでしょう。やがてコロナが収束し、未来から東京2020を振り返った時、人類が困難に打ち勝った証として記憶されていることを祈ります。
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東京オリンピックで頑張ったインドの選手たち

2021-08-09 20:30:33 | オリンピック
東京オリンピックも無事に終了し、インドは金メダル1、銀2、銅4という結果でした。終わってみれば史上最多のメダル数で、インドとしては善戦したと言えるでしょう。過去、世界第二位の人口のわりに、オリンピックではメダル獲得が少なく、スポーツ弱小国と蔑まれていたインドでした。

インドのメダル数は2004年のアテネでは1、2008年の北京では3、ロンドンで6、リオで2でした。金メダルは2008年の北京以来、獲っていなかったので、今回の東京で獲れたことは素晴らしい成果だったと思います。

インドは5月上旬に感染者数が1日40万人を越える事態となり、その後急速にピークアウトしていったものの、インドで発見されたデルタ株が世界に蔓延し、インドは世界中から警戒される国となってしまいました。

5月前後には、競技によってはオリンピックに参加するためのアジア予選が開催されたのですが、インドからの入国を禁止する国が多く、予選に参加できず、オリンピック参加を諦めざるをえなかった選手も数多くいました。

例えば、カヌーは5月にタイでアジア選手権が開催されたのですが、インドのカヌー選手の男女9人は、インドからタイへの入国が認められず、オリンピックへの夢がその時点で潰えたのです。また、バトミントンも5月にマレーシア・オープンが開催され、国際大会での実績が必要不可欠だった選手も、マレーシアに渡航できず、結果、オリンピックへの切符を手にいれなかった選手もいました。これ以外にも同様のケースはあったかもしれません。

事前の海外での試合に参加できずに涙を吞んだ選手もいれば、感染がピークを迎えていた5月のインドは、思うように練習ができない状況でした。一時はインドからは、オリンピック選手団を東京に送りこむことはできないのではないかとさえ言われたりしていました。

日本はインドから選手団の入国を認めましたが、インドからの選手には三日間の隔離を義務付けました。ワクチン接種完了や、毎日の検査という条件もあり、また、選手村に入るには5日前からという制約もある中で、三日間の隔離はさらなる障壁でした。

しかしながら、そんなハンディを乗り越えて、インドからは18競技で115選手が参加することになります。



オリンピックの開会式に登場したインド選手団の旗手を務めたのは、女子ボクシングのメアリー・コム選手(Mary Kom, 1983年3月1日生まれ)と、インドホッケーチームのキャプテンのマンプリート・シン選手(Manpreet Singh, 1992年6月26日生まれ)でした。

女子ボクシングの女子フライ級に出場したメアリー・コム選手に期待をしていました。ロンドンで銀メダルに輝いた彼女はすでにインドでは大スターでした。インドの東端のマニプル州出身のメアリー・コム選手は、キリスト教徒でもあり、インドの中では少数民族に属しているので、インド人から人種差別の対象にもなっていたようですね。2014年に彼女の半生が映画化されたのですが、プリヤンカ・チョープラが主演した感動的な作品でした。





現在4人の子供の母親でありながら、東京オリンピックに参加して、惜しくも判定で負けてしまったのですが、是非勝って欲しかったです。

金メダルに輝いた男子やり投げのニーラジ・チョプラ選手




8月7日の男子やり投げで、87.58mという記録を出したニーラジ・チョプラ選手(Neeraj Chopra, 1997年12月24日生まれ)は金メダルを獲得。陸上ではインド初で、今回初めての金であり、10年以上金メダルを獲得していなかったインドには待望の金でした。すでに、チョプラ選手は地元ハリヤナ州パニパットだけでなく、インド全体のスーパー・ヒーローになっていています。

インドのモディ首相もチョプラ選手に祝福の電話もしているし、ツイッターでも賛辞を送っています。



銀メダルを獲得した女子重量挙げのミラバイ・チャヌ選手




オリンピックが始まってすぐの競技、女子重量挙げ49キロ級で、マニプル州インパール出身のミラバイ・チャヌ選手(Mirabai Chanu, 1994年8月8日生まれ)が銀メダルに輝きました。ピザ好きの彼女に対し、ドミノピザは生涯無料のピザを贈ることにしたというニュースが出ていましたね。メアリー・コム選手と同じマニプル州出身ですが、新たなスターの出現です。

レスリング57キロ級で銀を獲得したラヴィ・クマール選手




ラヴィ・クマール・ダヒヤ選手(Ravi Kumar Dahiya, 1997年12月12日)は、ハリヤナ州ソニパットの出身ですが、レスリング57キロ級で銀メダルを獲得しました。

女子バドミントンのシンドゥー選手が銅メダル



女子バドミントン・シングルスで、PVシンドゥー選手(1995年7月5日生まれ)は銅メダルを獲得しました。ハイデラバード出身のシンドゥー選手は、リオで銀を獲得していて、すでに有名人。東京では金メダルが期待されていましたが、銅メダルでした。

女子ウォルター級ボクシングのロブリナ選手も銅メダル



アッサム出身のロブリナ・ボルゴハイン選手(Lovlina Borgohain, 1997年10月2日生まれ)は女子ウォルター級ボクシングで銅メダルを獲得しました。

男子ホッケーで銅メダル獲得




インドは世界ランキング3位でありながら、ホッケーでメダルを獲得したのは、1980年のモスクワ大会が最後ということで、今回のメダル獲得は41年ぶりの大ニュースでした。インドはクリケットがダントツの人気スポーツなのですが、2021年8月に入ってから、Google検索で、ホッケーがクリケットを抜いたとのことです。

またメダルに届かなかったのですが、女子のホッケーチームも善戦し、モディ首相は、ホーッケーチームに祝福のツイッターを送っています。



レスリング65キロ級のバジャラン・プニア選手も銅メダル



ハリヤナ州出身のバジャラン・プニア選手(Bajarang Punia, 1994年2月26日生まれ)は男子レスリング65キロ級で銀メダルに輝きました。

惜しくもメダルを逃した女子ゴルフのアディティ・アショク選手




女子ゴルフで最終日までメダル圏内かと思われたアディティ・アショク選手(Aditi Ashok, 1998年3月29日生まれ)は惜しくも4位となり、メダルに今一歩のところで届きませんでした。一打差で二位タイのプレイオフに入れたので実に惜しい。世界ランク200位でありながら優勝争いに絡んだのはすごいです。

バンガロール出身で、5才からゴルフを始めたというアディティ・アショク選手は、リオにも参加しているのですが、5年間コーチに付かず、自力でトレーニングしていたというのがすごいです。



また、キャディーを務めていたのは母親のマヘシュワリ(Maheshwari)さん。さらに、今年の5―6月にコロナに感染していて、病み上がりで練習もほとんどできていなかったようです。飛距離があまり出なかったのもそんな理由があるようです。そんなハンディを抱えていながら、4位に入賞できたのはすごいですね。メダルを取らせてあげたかったです。

モディ首相は、インドは今後スポーツに力をいれて、もっとメダルを取れるようにすると言っているようです。これまで国もあまりアスリートを応援してこなかったし、設備も、指導陣も、国の支援も十分でなかったことを問題視しているようです。インドが本気を出してオリンピックに挑戦してきたら、すごい選手が続々と出てくるのではないかと思います。頑張れ、インド!


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東京オリンピックで頑張った東南アジアの国々

2021-08-08 15:18:31 | オリンピック
東京オリンピックは、日本のメダル獲得が話題になりましたが、世界のいろんな国も頑張りました。サンマリノ、ブルキナファソ、トルクメニスタンなどが史上初のオリンピックでのメダルを獲得しています。今回のオリンピックでは史上最多の205の国と地域が参加していますが、今まであまり聞いたことがなかった国も数多くありました。

アジア圏では、中国や日本はメダルが多くて当たり前の感じですが、東南アジアの国も活躍しました。インドネシア、タイ、フィリピンなどでは、それぞれ金メダルを含む複数のメダルを獲得しましたが、それぞれ国を挙げての大ニュースとして盛り上がりました。

今年になってから、日本では、新型コロナの感染拡大と、オリンピック組織委員会の様々な問題で、オリンピックの開催そのものが不安視されていました。オリンピックを本当にやるのかどうかという不安もあり、東南アジア各国も6月くらいから感染が急拡大していて、海外渡航そのものも心配だし、練習も思うようにできなかったのではないかと思います。

そんな状況の中で、選手たちは日本にやってきて、戦いの舞台で実力を発揮し、メダルを獲得しました。それは賞賛に値することだと思います。2020年東京オリンピックにおける東南アジア各国の活躍についてまとめておきたいと思います。

インドネシア

インドネシアは、金1、銀1、銅3というメダル数になりました。



金メダルを獲得したのは、バドミントン女子ダブルス。8月2日に行われた中国との決勝で、グレーシア・ポリー選手(Greysia Polii, 1987年8月11日生まれ)とアプリヤニ・ラハユ選手(Apriyani Rahayu, 1998年4月29日生まれ)のペアは、中国ペアをストレートで打ち破り、金メダルを獲得。報奨金の金額は50億ルピア(約3806万円)とも言われています。



グレーシア・ポリー選手は、ジャカルタ出身のキリスト教徒、アプリヤニ・ラハユ選手はスラウェシ島出身のイスラム教徒。イスラム教徒が大半のインドネシアなのですが、スポーツは宗教を超えるんですね。



インドネシアで銀メダルを獲得したのは、7月25日に、重量挙げ男子61キロ級に出場したエコユリ・イラワン選手(Eko Yuli Irawan, 1989年7月24日生まれ)。イラワン選手はスマトラ島南部のランプン州メトロ市の出身。

インドネシアの銅メダルは、重量挙げ女子49キロ級のウィンディー・アイサー選手、重量挙げ男子78キロ級のアフマト・アブドラー選手、バドミントン男子シングルスのアンソニー・シニスカ・ギンティン選手でした。

タイ

タイは金1、銀0、銅1という結果でした。



金を獲ったのは、女子テコンドー49キロ級のパニパック・ウォンパッタナキット選手(Panipak Wongpattanakit, 1997年8月8日生まれ)。「テニス」という愛称のパニパック選手は、準決勝で日本の山田美諭(やまだみゆ)選手を破った選手です。



リオでも銅を獲っていますが、今回の報奨金は1000万バーツ(3340万)とも、それ以上とも言われています。一躍国民的スターとなったテニス選手は、すでに地元に帰っていますが、こちらの写真はプーケットの空港で父親に挨拶をしているパニパック選手です。



タイの銅メダルは、ボクシング女子ライト級のスダーポーン・シーソーンディー選手、愛称テウでした。

フィリピン

フィリピンは金1、銀2、銅1という結果でした。



7月26日に行われた重量挙げ55キロ級で、ヒディリン・ディアス選手(Hidilyn Diaz, 1991年2月20日生まれ、ミンダナオ島西端のザンボアンガ出身)が、中国を破り金メダルを獲得。五輪出場は4回目ということで、前回のリオでは銀を獲っています。地元メディアによれば、報奨金は一億ペソ(2億円以上)になるという噂も。(金額に関しては裏が取れていませんので、正確でない可能性はあります)

ディアス選手は、空軍に所属しているようですが、西フィリピン海での中国との領海問題に関して「中国に雪辱を」ということを今回のモチベーションとしていたようです。



フィリピンで銀メダルを獲得したのは、ボクシングフェザー級のネスティ・ペテシオ選手(Nesthy Petecio, 1992年4月11日生まれ)、ミンダナオ島出身の選手です。日本の入江聖奈選手との決勝戦で敗退した選手ですね。また、ネスティ選手は、LGBTQを公表している選手です。



もう一つの銀メダルは、ボクシング男子フライ級のカルロ・パアラム選手(Carlo Paalam, 1998年7月16日生まれ)です。準決勝で田中亮明選手を破った選手です。



フィリピンの銅メダルはボクシング男子ミドル級のユミル・マルシアル選手です。

マレーシア

マレーシアは銀1、銅1という結果でした。



8月8日に開催された男子ケイリンで、モハメド・アジズルハスニ・アワン選手(Mohammed Azizul Hasni Awang, 1988年1月5日生まれ)が銀メダルを獲得。前回のリオで銅を獲得している選手ですが、銀メダル獲得でマレーシアが湧いています。

銅メダルは、バドミントン男子ダブルスのアーロン・チア選手とウーイック・ソー選手のペアでした。

その他の国

シンガポールは、卓球や、水泳などメダルが期待されていましたが、今年はメダルの獲得は残念ながらゼロでした。ベトナム、カンボジア、ラオス、ブルネイも、メダル獲得はできませんでした。

ミャンマーも2名の選手が参加しましたが、本国がスポーツどころの状況ではありませんでした。オリンピックに参加したかったアスリートも数多くいたに違いありません。

5月にサッカー・ワールドカップ・アジア2次予選のために来日し、日本と対戦したミャンマー代表チームでしたが、ピエリアンアウン選手が、クーデターを起こした国軍への抵抗を示す「3本指」を掲げるということがありました。「帰国すると迫害を受ける可能性が高い」として、空港で帰国を拒否、日本政府に保護を求め、入管難民法に基づく緊急避難措置として6か月の在留と就労が認められました。ミャンマーにいるピエリアンアウン選手の家族が無事であることを祈ります。

さらに強くなる東南アジア選手

新型コロナの感染拡大で、東京オリンピックの準備も、練習も大変だったかと思います。フィリピンのヒディリン・ディアス選手などは、一年以上マレーシアで練習をしていたということです。また、これらの国からオリンピックに参加した選手たちは、国に帰る際に検疫隔離なども受けなければならず、スポーツだけに集中していられない状況だったかと思います。

それでも、ひとたびメダルを獲得すれば、一躍その国のヒーローとなり、さらに莫大な報奨金をもらえることになります。そのようなサクセスストーリーに影響されて、多くの少年少女が、一攫千金の夢を追って、スポーツを志すようになるのでしょう。東南アジアの国々は、人口規模も大きく、スポーツをバックアップする経済力も拡大していくので、今後ますます強い選手たちが登場してくると思います。東南アジアのスポーツ選手、今後も注目していきたいですね。日本もうかうかしてはいられないと思います。
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オリンピックでの快挙を素直に喜べない香港と台湾の複雑な事情

2021-08-04 18:23:59 | オリンピック
東京オリンピックは連日いろんなドラマがあって、カバーしきれないのですが、香港と台湾に関して書いてみたいと思います。

7月26日、フェンシング男子フルーレ個人で金メダルを獲得したのは、香港のエドガー・チュン選手(Edgar Cheung, 張家朗, Cheung Ka Kong)でした。香港としてオリンピックで金メダルを獲得したのは25年ぶりで、1997年の香港の中国返還以降では初めてのことでした。



2019年から激しさを増していた香港の民主化運動に対して、中国政府の圧力が強まり、2020年7月に香港国家安全維持法が施行、8月には民主活動家の周庭(アグネス・チョウ)さんなどが逮捕されるという事態に。2021年になって、民主派は選挙から実質的に排除されることとなり、2021年6月24日、反中国的な姿勢を取り続けたアップルデイリー(りんご日報)が廃刊となっていました。

私は香港に2007年から2011年まで住んでいたので、香港の自由が徐々に失われていくのを目撃してきたのですが、今回のオリンピックでの香港選手の活躍は、そんな重苦しい空気を吹き払うものでした。しかしながら、同時に、通貨やパスポートなどは中国本土とは別でありながら、香港はあくまでも中華人民共和国の一地域にしかすぎないという事実が、複雑な状況をもたらしました。

東京オリンピックは、「168の国と地域」が参加していると言われています。地域とは、香港や、台湾、マカオ、パレスチナなどです。北朝鮮はコロナを理由に東京オリンピック参加を辞退していますが、この国も「地域」に該当します。日本は北朝鮮を国家として認めていないからです。

香港のフェンシング男子フルーレ個人でのエドガー・チュン選手の勝利で、香港各地のパブリックビューイング会場は歓喜の渦に包まれました。



しかし、表彰式で流れたのは中華人民共和国の国歌。その国歌を打ち消すために、人々は“We Are Hong Kong!”と声を合わせて叫んだのです。香港には、2020年6月に「香港国歌条例」というものができていました。国歌を侮辱してはならないという法律です。そのため、7月30日には、この条例に抵触したとして、40才の男性が逮捕されたとのことでした。



今年の香港は、競泳でも活躍しました。7月28日、「リトルマーメイド」と呼ばれる、女子200m自由形の何詩蓓選手(Siobhan Haughey、23才)がトップとはわずか0.42秒差で銀メダル。また7月30日の100m自由形でもトップとは僅差で銀メダルを獲得しました。アイルランド人の父親と香港人の母親の間に生まれた何詩蓓選手ですが、競泳でのメダルも香港初ですし、一つのオリンピックで二つのメダルを獲ったのも香港初でした。

この何詩蓓選手の時は銀メダルだったので、国歌はなかったのですが、今後、香港選手が金メダルを獲得した時は、いろいろ心配になります。香港選手が獲得したメダルが、中国として集計されたりすると、香港の人々は悲しい気持ちになるのでしょうが、今のところはそういうことはなさそうです。

台湾も同じく、「地域」参加として複雑な状況にあります。日本は、中国を国家として認めているので、台湾を中国の一部とする中国を尊重して、台湾には「地域」という格付けしか与えていません。中国から見たら、台湾は、別の国ではなく、中国の省の一つなのです。

東京オリンピック開会式の中継で、アメリカのNBCテレビが台湾を含まない中国の地図を画面上に映したとして、中国政府は同局に抗議したというニュースがありました。「不完全な地図」により「中国人民の尊厳と感情を傷つけた」と中国は主張していたそうです。

オリンピックの開会式では台湾という名前は使わず、“Chinese Taipei”という名前を使うことになっています。台北は都市の名前だし、変な名称なのですが、オリンピックに出る場合はこの名前になっています。



今回の東京オリンピック開会式の選手入場は、アルファベット順ではなく、日本語にした場合のアイウエオ順だったのですが、「チャイニーズ・タイペイ」は、「チ」ではなく、「タ」の順番だったそうです。中華人民共和国と近すぎないようにとの配慮だったのかもしれません。

入場の際の会場アナウンスでは、英語でも日本語でも「チャイニーズ・タイペイ」が使われましたが、NHKのアナウンサーが「台湾です!」と言った時には、台湾人からは拍手喝采だったそうです。



台湾のアスリートも活躍が続いています。8月4日時点で、台湾のメダル数は11個。過去最多です。ウェイトリフティングとバドミントンで金メダルを獲得しています。



7月27日、59キロ級で郭婞淳選手(27)が金メダル。「挙量女神」(重量挙げの女神)と呼ばれる27才の郭選手は、2012年のロンドンでデビュー、2016年のリオで銅を獲っています。今回の記録は、スナッチ、ジャーク、トータルのいずれも五輪記録だったそうです。



7月31日、バドミントン男子ダブルスでも李洋、王斉麟組が宿敵の中国ペアを下して金メダルを獲得。



しかし、国旗掲揚の際は、台湾の旗「青天白日満地紅旗」ではなく、台湾五輪委員会の旗でした。また、演奏されたのも一般の台湾人がなじめない「国旗歌」という曲でした。

こちらがその曲です。



中国が台湾に負けたというのは中国にとっては屈辱的なニュースだったようですが、表彰式のシーンは中国のCCTVでは放送されなかったそうです。

オリンピックは政治とは関係ないとはいうものの、香港や台湾など「地域」の活躍を見ていると、複雑な気持ちにならざるをえません。こういう問題は、なくなることはないでしょうが、みんなが選手たちの活躍を素直に喜べるようになりたいものです。
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