まわる世界はボーダーレス

世界各地でのビジネス経験をベースに、グローバルな視点で世界を眺め、ビジネスからアートまで幅広い分野をカバー。

インドでプリヤンカ・チョープラが日本のカメラ・メーカーのブランド・アンバサダーに

2011-04-25 19:41:30 | インド

インドのボリウッド女優のプリヤンカ・チョープラが
2011年3月より、日本のカメラメーカーのブランド・
アンバサダーになりました。日本の地震の数日後に
ムンバイで行われた時のが上の写真です。

そしてこちらが、先月からインドで放映されている
テレビコマーシャル。



撮影地はムンバイの郊外のビーチ。ムンバイも数十
キロ離れると、こんな場所があるんですね。
と言っても、かなりセットアップされてますが。

プリヤンカ・チョープラ (Priyanka Chopra) は
1982年ジャルカンド州ジャムシェドプールの生まれ。
陸軍軍人であった父親の関係で各地を点々とし、
ハイスクール時代は、アメリカのマサチューセッツ州
やアイオワ州などでも勉強していたことがあります。

帰国後、ムンバイのJai Hind Collegeに通っていたの
ですが、ある日、母親がプリヤンカの写真をミス
コンテストの事務局に送ってしまうのです。
インドではトップクラスのミスコンテストである
Femina Miss India 2000を受賞。それにひき続き、
Miss World 2000を獲得します。Miss Worldを
受賞したインド人は彼女で5人目なんだそうですが、
インドは世界有数の美人量産国です。

プリヤンカの人生はそれから大きく変わります。
2003年にボリウッド映画デビューを果たした彼女は
それから数々のインド映画に出演することになります。

実は私が初めて彼女を見たのは、2003年11月の
ジャイプール。アジア広告会議(アドアジア)が
そこで開催されていたのですが、オープニング
イベントにゲストとして登場したのがプリヤンカ・
チョープラだったのです。

ジャイプールの観光名所である風の宮殿に、馬車に
乗って現れた彼女はお伽噺に出てくるプリンセス
のようでした。

2008年、映画"Fashion"に出演。彼女はこの映画で
インドの映画賞の主演女優賞を総なめにします。



この映画は、新人モデルがトップモデルまで登り
つめるていき、それもつかの間、没落していった
かと思うと、最後は再起するというインド映画
ではよくあるパターンなのですが、でもこの映画
インド映画にありがちの歌や踊りがないんです。

それに言葉はヒンディー語と英語がかなり混ざって
います。出演者の顔もライフスタイルもほとんど
欧米人のような感じで、これを見たときにインド
映画って実に国際的になったなあという気がしました。

こちらがその映画のトレーラーです。



その後、プリヤンカ・チョープラはいくつもの
映画に出演しますが、私が見たので印象に残って
"Pyar Impossible"



前半がアメリカ(でも実はタイでロケ)、そして
後半がシンガポールという設定で、軽いコメディー
です。インド映画のロケ場所は最近では実に国際
的になっています。

そしてこちらは、"Dostana"



こちらのロケ地はマイアミです。共演は、ジョン・
エイブラハムとアビシェク・バチャン。インド初の
ゲイをテーマとした映画となっていますが、この
男二人は、彼女と一緒に住むためにゲイの振りを
しているだけなんですが...実はこの映画を撮影
した監督が上のテレビコマーシャルも撮っています。

そして今年の最新作が"7 Khoon Maaf" (サート・
クーン・マーフ)。邦題は「スザンナと7人の夫」。
ラスキン・ボンドの小説"Susanna's Seven Husbands"
を映画化した作品です。



この映画の中で歌われるロシア民謡の「カリンカ」の
ヒンディー語版。このメロディーがしばらく頭から
離れませんでした。

この映画、今年の二月にムンバイのプライベート試写会
で見たのですが、様々なキャラクターを演じ分ける
彼女の演技力が印象的でした。ちょっと遅れて行ったの
ですが、何とプリヤンカ本人が映写室の前のソファーで
待機していてびっくりしました。本格的な女優になって
いくという雰囲気が感じられました。

昨年暮れに発表された2010年度インド・ツイッター
ランキングでは、プリヤンカがフォロワー数一位に
輝きました。



ちなみに二位以下はこちら。



あと、AskMenというサイトが行っている"Top 99
Women of 2011"というランキングでは、プリヤンカ・
チョープラが62位に入っておりました。
サイトはこちらです
http://www.askmen.com/specials/top_99_women/

プリヤンカ・チョープラは今後ますますの活躍して
いくのでありましょう。是非、日本でも人気が出る
ことを祈っています。

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引っ越しと地震とFacebook。このブログの始まりにあたって。

2011-04-24 12:58:41 | Life

2011年3月12日の日経新聞の3面の記事です。地震の翌日の新聞なのですが、実はこの写真の一番下の最前列にぎりぎり写りこんでいるのはなんと私自身。麹町の会社から徒歩で、門前仲町に帰ったのですが、途中の永代橋で撮られたのがこの写真です。

生まれて始めて新聞紙上に、しかもメジャーな一流新聞の、しかも3面に登場というのは快挙ともいうべき出来事なのですが、実はこれを教えてくれたのは、うちの会社のデリーの会社にいる鈴木君。オンライン版の記事でこれを見たのだそうなんですが、私に似ている人物が写っているとメールしてきたのです。

永代橋のたもとで欄干の上に立って撮影をしているカメラマンのことはよく覚えています。一眼レフカメラを二台首から下げていました。フラッシュも炊いていました。この写真が撮られた瞬間、私はフレームから外れているなと思っていたんですが、ワイドレンズだったんですね。ぎりぎり写り込んでいました。



11日の午後の麹町の元の日本テレビの交差点のあたりです。大きな揺れがたびたび続いていたので、オフィスやら通行人が外に出て右往左往しています。たまたまこの写真にもうちの会社の社長が向こうの横断歩道を渡っているのが写っています。



交通機関は止っていたので、4時ちょっと前に会社を出て、徒歩で家に向かいました。家と言ってもまだ引っ越しも完了していないので、行く先は妻の実家です。この上の写真は半蔵門から国立劇場の前あたりです。



永代橋まで辿り着いたのは午後の7時くらい。



そしてこの橋を向こう側に渡ったあたりで写真を撮られたのであります。後で聞いたのですが、新聞に出た写真の私の二三人後ろを歩いている白っぽいコートの女性は、私の知人の娘さんだったというのも奇遇でした。

実は、その数日前から、Facebookを始めていました。どのように使うのかもよくわからないままに始めたのですが、この地震直後から、海外の知りあいでFacebookをやっている人たちに友達リクエストを出したら、「大丈夫か?」というメッセージとともに友達の数が増えていったんですね。

これまでブログはやっていたのですが、ツイッターとかSNSとかは全く触ってもいませんでした。この地震を通して、Facebookを使うようになって、いままで連絡先もわからなかった人や、そのまま
一生合う事もなかったかもしれない知人たちが奇跡的に繋がり、国や時間を越えて何かを共有することの大切さを感じるに至ったのです。

これは今までの人生の中で経験したことのない事件で、おそらく人類にとっても未経験の出来事で、そんなことがかつて経験したことのない地震、津波などと同時に起こったことで、これは相当なインパクトに
ですね。

ということで、先月からブログも新しく作りなおさないといけないなと思いながら、なかなか手がつけられませんでした。まずは取り急ぎ、こんな感じでこのブログをスタートしたいと思っています。

Facebookをやられている方は右のほうにちょこっと出ているリンクでアクセスしてみてください。今後は、このブログでは、いろいろと雑多な内容のものをご紹介していきたいと思っています。今後ともよろしくお願いいたします。

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