まわる世界はボーダーレス

世界各地でのビジネス経験をベースに、グローバルな視点で世界を眺め、ビジネスからアートまで幅広い分野をカバー。

シンガポールでワクチン接種

2021-04-27 17:41:40 | 新型コロナウィルス
シンガポールでワクチン接種を完了しました。1回目は4月5日に、2回目は21日後の4月26日です。どちらも注射はほとんど痛みを感じないのですが、数時間後、左腕上腕部に痛みが感じられます。1回目は痛みが二、三日残りました。2回目は1回目よりも熱が出たりすると聞いていたのですが、接収を受けた数時間後は37度程度、その後、熱はありません。ちょっと疲れた感じはあるので、ゆっくり休んでいます。

パソコンやスマホなどの電子機器は時々アップデートやファームアップが必要になりますが、自分の身体がアップデートされた感じです。

シンガポールは現在38箇所のコミュニティセンターなどでワクチン接種が可能で、うち11箇所がモデルなのワクチン、27箇所がファイザーのワクチンとなっています。私は、コミュニテなまィーセンターよりも、ラッフルズシティのコンベンションセンターが一番馴染みがあったので、そこで二回とも接種を受けたのですが、そこはファイザーでした。

私は2月21日に日本からシンガポールに戻り、3月の7日までホテルで隔離になっていました。2月下旬には70歳以上の接種が始まっており、3月初めには60歳以上、3月24日からは45歳以上の接種が始まっていました。

日本にいた間は、ワクチン接種はそんなに積極的に考えていなかったのですが、3月29日にかかりつけの病院の先生の問診を受けた際に、ワクチンについて聞いてみました。そうしたら「受けたほうがよい」との答えでした。血圧が高めとかのリスクを抱えている人ほど早めに受けておいたほうがいいとのアドバイスでした。

家に帰って、すぐに登録してみました。パソコン上で、登録をするのですが、携帯電話番号、名前、NRIC (IDナンバー)、生年月日、言語(英語、中国語、マレー語、タミール語からの選択)を入力して、SUBMITボタンを押すだけ。実に簡単です。携帯番号は、”VERIFY”というボタンで、入力した番号にメッセージが送られ、実在する番号かを確認するという手続きがありますが、これも簡単です。





登録が終わると、人によってかかる日数は異なりますが、私の場合、すぐにメッセージが来て、コードナンバーがスマホメッセージに送られてきました。そうするとワクチン接種の日時と場所を予約するステップになります。コードナンバーを入力し、日時と場所を選んだら、すぐに予約完了となります。


予約した日時に、選択したワクチンセンターに行けばよいのですが、IDカードを持参することと、腕を捲りやすい服を着ている
こと以外は特に指定はありませんでした。予約確認は、スマホのメッセージを見せるだけです。



当日、早めに到着したのですが、かなりの人数が同じ時間帯に予約しているにも関わらず、実にスムーズに受け付けられていきます。到着した人から数人のグループに分けられて、会場に向かいます。途中で、担当の人から、薬のアレルギーはないか、食物アレルギーはないか、血液をさらさらにする薬を処方されていないか、癌の治療を受けているか、24時間以内に発熱はなかったか、14日間に他のワクチン接種をしていないかの6項目の質問を受けます。



登録カウンターもいくつもあります。カウンター番号を指示されて、そこに向かうと、IDカードの提示を求められ、電話番号や名前の確認をされます。自宅住所の郵便番号も聞かれたのですが、覚えていなかったので、ちょっと手間取りました。またもしもの時のために一番の近親者の名前と電話番号も確認させられました。妻の名前と番号を伝えましたが、もし近親者がいなかったらどういうことになっていたのかはよくわかりません。

1回目の接種は、30くらいのブースが見えていたので、一度に30くらいの接種が可能になっていたようです。接種が終わると、オブザベーションルームという場所で、30分間待機して、異常がないかを確認し、一人一人名前を呼ばれて、簡単な問診をされて、問題なければそのまま解放になります。



2回目の接種も同じようなプロセスですが、受付と接種の部屋が若干異なっていました。2回目もほとんど待ち時間がなく、スムーズに受付、接種、オブザベーションルームと進んでいきました。前回よりも人数が少ないような印象を受けました。



1回目の時に、パンフレットを渡されるのですが、それには英語、中国語、マレー語、タミール語で、ワクチンとは何か、どういう副反応が予想されるのかなどがきめ細かく書かれていて、非常に安心できました。

こちらが副反応のページ。



5番のところにファイザーのワクチンの説明があります。読んでも一般の人にはわからないのですが、きめ細かく説明責任を果たしているという感じです。6番のところに書かれているのが、副反応の症状の一覧とそれの対応です。痛みや、熱、頭痛、筋肉痛、関節痛、倦怠感、リンパ腺部の痒みなどですが、基本的には、時間が経てば治るというものです。頭痛や、発熱の場合は市販の薬を飲むという処方なのですが、こういうのがあらかじめわかっていると安心です。



さらにこちらの7番に注意事項も書かれています。血液をさらさらする薬を飲んでいる場合は、血が止まりにくい場合があるので、注射した場所を5分ほど強めに押さえること。母乳での授乳は5〜7日くらいは止めたほうがよいということ。妊娠予定のある人は一月ほど待つのがよいということなども書かれています。

さらに、12時間から24時間は強い運動は避けること、アルコールは避けること、非ステロイド性抗炎症薬に使用は避けることなどが書かれています。こいうのも今後ワクチン接種を予定されている人には重要な情報ですね。いたれりつくせりという感じです。

2回目接種を終えて会場から出てくる時にこんな看板が目に入りました。



国の安全のためにご協力感謝しますというメッセージ。シンガポールっていい国だなあとあらためて感じました。

着実に進む世界のワクチン接種

こちらはワクチン接種の国際比較です。Our World in Dataというデータの2021年4月25日時点の人口100人あたりのワクチン接種数になっています。すべての国ではなく、主要国をピックアップしていますが、一番下の日本よりも下の国は数多くあります。シンガポールは上のほうですが、イスラエル、UAE、チリ、バーレーン、アメリカ、イギリス、モルジブ、ブータン、ハンガリーなどはシンガポールよりも多いですね。



最新データはこちらのサイトからどうぞ。
https://www.bloomberg.com/graphics/covid-resilience-ranking/

日本は世界のワクチンレースからかなり出遅れている感じがありますが、アフリカ諸国など日本よりも少ない国は数多くあります。

ブルームバーグが発表しているThe COVID Resilience Rankingというのがあります。



世界で最も安全な国・地域の番付「COVIDレジリエンス(耐性)ランキング」と言われているもので、4月はシンガポールがニュージーランドを抜いて首位に浮上しました。感染を抑える措置とアジア太平洋地域の中では迅速なワクチン接種の組み合わせが奏功したと言われています。

シンガポールは国境の管理と厳しい隔離プログラムによって、国内で感染した人をほぼゼロまで抑え込んでいます。屋外でのマスク着用やソーシャルディスタンスは義務付けられていますが、日常生活はほぼ通常通りとなり、コンサートや周遊クルーズを楽しむこともできるようになりました。国民のほぼ2割がワクチン接種を終えています。

https://www.bloomberg.com/graphics/covid-resilience-ranking/

このランキングで日本が7位に入っているのがちょっと疑問を感じる人も多いかもしれませんね。

ランキングが下位の国もアップしておきました。





最下位はブラジルでした。

ワクチン接種はどんどん進めて、早くパンデミックを収束してほしいですね。
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シンガポールのこの一年、人々の心を支えてきた4つの曲

2021-04-09 23:07:28 | シンガポール
シンガポールでサーキット・ブレーカーと呼ばれる規制が始まったのが2020年4月7日。その日以降、しばらくの間、必要不可欠な業種以外は、在宅勤務のみとなり、学校は在宅指導、飲食店は持ち帰りまたは配達のみの営業となりました。バーや映画館、劇場、ナイトクラブ、カラオケなどは3月26日から閉鎖されており、学習塾や、宗教行事も中止となりました。

あれから一年。一時は外国人労働者が居住する寮でのクラスターが拡大しましたが、市内での感染は見事に押さえられ、基本的には市中には感染者がいないので、社会生活は安心して営まれています。現在でも、マスク着用や、ソーシャル・ディスタンス等は厳しく実施されていて、海外からの入国は厳しく制限されていますが、ワクチン接種も着々と進行していて、感染はきちんとコントロールされているのを実感します。

この一年、シンガポールの人々の心の不安を支えてきた音楽がいくつかあります。それをご紹介したいと思います。

12歳の小学生が作詞作曲した”Unite as One”



Jacob Neo (ジェイコブ・ネオ)という12歳の小学生(当時)が作詞・作曲した “Unite as One”(ユナイト・アズ・ワン)という曲があります。日本語に訳すと、「ともに力を合わせよう」という感じです。「ワンチーム」に近いニュアンスですね。

Fairfield Methodist (フェアフィールド・メソジスト)という小学校の6年生だったジェイコブ君は、前年参加したプログラムで曲の作り方を学んだばかり。新型コロナウィルスで頑張る医療関係者に対して、エールとなる曲を作りたいと思ったのです。

完成したこの曲は、2020年2月27日に、シンガポールのナショナル・ユニバーシティー・ホスピタル (NUH)の医療関係者に贈呈されました。また、その際に、クラスメート全員が、感謝のメッセージをカードに書いて、それも合わせて贈られたとのこと。病院のスタッフが感動したのはもちろんです。



この曲が、学校の先生たちの協力のもとミュージック・ビデオとなり、ユーチューブでも話題になりました。こちらがそれです。



この歌詞の翻訳をつけておきます。

You’re shut away, you’re isolated
あなた方は、閉じ込められ、隔離され、
Cut off from civilization
文明と切り離され、
All alone with your hopes and dreams
一人だけで、夢と希望だけを糧に
Shuttered, no longer free
遮断され、もはや自由はない
But I want you to know that
でも、皆さんに知っておいて欲しい
You’re not alone
皆さんは決して独りぼっちじゃない
And I want you to feel that
そして、皆さんに感じて欲しい
You are at home
皆さんは家にいるのだと

And the night looms, the sun goes down
そして夜が忍び寄り、陽は落ちる
Day bleeds and light’s just a memory, memory
陽は赤く滲み 光はただ記憶となる、記憶となる
The ‘crowns’ are invading us what can we do
コロナが我々を侵略してくる 僕らに何ができるだろう
This is agony, Yeah!
それは苦しみでしかない
But we’ll be together through thick and the thin
でも、どんな時も僕らは一緒だ
As one country we fight this virus and win
一つの国として、僕らはこのウィルスと戦い勝利するんだ
We’ll fight with our hearts and our minds and our souls
心で、精神で、魂で戦うんだ
Protecting this island where we call our home
僕らが「ホーム」と呼ぶこの島を守るんだ

Fearful yet advancing
怖いけれど、一歩前に踏み出した
Fulfilling your duty and call
そして自分の責任と使命を果たそうとしている
Knowing that there is a purpose
そこには大きな目的があると知っていて
Press on. Stand firm for all.
自ら進んで、みんなのために決意を固めている

Singapore. We’ll stay together
シンガポール、僕らは共に存在している
Singapore. The time has come
シンガポール、時は来た
Singapore. We’ll fight forever
シンガポール、永遠に戦う
Singapore. Unite as one
シンガポール、一つになろう


この曲は、もともとコロナとの戦いにおいて最前線で戦っている医療従事者に捧げられたものでした。しかし今の視点で見てみると、シンガポールに入国するために2週間ホテルに隔離になっている人たちなどのことも含まれるような気がします。当時12歳の少年や彼のクラスメートたちが歌ったこの歌は、隔離中の人々をも勇気づけているのだと思います。

私自身も2月末から2週間の隔離を経験したのですが、隔離することで、自分たちもシンガポールという国を守るために戦っているのだと思う瞬間がありました。部屋の中でじっとしているのは精神的に辛いのですが、みんなで協力して頑張っている、そんな気持ちがしました。

ちなみに、この歌詞の中に、’crowns’ are invading usという一節がありますが、ラテン語の「コロナ」というのは元々は、王冠という意味です。太陽のコロナは、王冠のように見えるのでそう呼ばれているのですが。コロナウィルスは、顕微鏡で見ると太陽のコロナのように見えるので、コロナウィルスと呼ばれるようになったのだそうです。

2020年4月25日夜空に響いた“Home”の大合唱



2020年4月25日の夜、7時55分から、シンガポールではおなじみの”Home”という曲をみんなで自宅の窓から歌おうというイベントがありました。医療従事者や生活に必要不可欠の業務に携わる人々、外国人労働者の皆さん、そして在宅でステイ・ホームする全ての人々への感謝のための合唱で、シンガポールのメディアが全面協力するイベントでした。



シンガポールの独立記念日のナショナル・デーのテーマ曲の一つで、1998年にテーマソングとなった曲です。最初に歌ったのは、女性歌手のキット・チャン(Kit Chan)。その後、何度かナショナル・デーで歌われるのですが、2011年に39人の歌手がフルオーケストラで歌うという企画があり、このビデオの演出はキット・チャンでした。こちらのビデオの最初に歌うのは、ディック・リー、2番目に登場するのがキット・チャンです。他にシンガポールの歌手が次々と登場します。



いろんなバージョンがあるのですが、こちらは、26人の最近の若手ミュージシャンたちが歌うバージョン。



歌詞とその翻訳をこちらに記載しておきました。

Whenever I am feeling low
気分が落ち込んだ時はいつも
I look around me and I know
周りを見渡すと、私はわかる
There's a place that will stay within me
心の中にずっと残っている一つの場所があると
Wherever I may choose to go
自分の選んだ行き先がどこであろうとも

I will always recall the city
いつも思い出すのはその都市のこと
Know every street and shore
通りや岸辺は知り尽くしている
Sail down the river which brings us life
船で下る河は私たちの活気の源
Winding through my Singapore
私のシンガポールを曲がりくねって流れている
This is home truly
ここは本当に故郷
Where I know I must be
私のいるべき場所はここだと知っている
Where my dreams wait for me
私の夢が私を待っている場所
Where that river always flows
河がいつも流れ続けている場所

This is home surely
ここは確実に故郷
As my senses tell me
自分の直感でわかる
This is where I won't be alone
ここにいると私は決して一人ではない
For this is where I know it's home
ここが故郷だとわかっている場所なのだから

When there are troubles to go through
何とかしないといけない問題がある時
We'll find a way to start anew
再始動する方法が見つかるもの
There is comfort in the knowledge
こんなことを思うと安心できる
That home's about its people too
故郷とはすなわち人々のことでもあると

So we'll build our dreams together
だから夢を一緒に作ろう
Just like we've done before
昔やってたみたいに
Just like the river which brings us life
私たちに生命を与えてくれる河のように
There'll always be Singapore
シンガポールはいつもここにある

For this is where I know it's home
ここが故郷だとわかっている場所なのだから
For this is where I know I'm home...
自分が故郷にいることを自覚できる場所なのだから


Homeという言葉を「故郷」と訳しましたが、本当は、「家」という意味、「住んでいる場所」という意味など色々な意味が込められています。また新型コロナと戦うためのStay Homeの物理的な家という意味ももちろんあります。


シンガポールの国歌

シンガポール人は誰でも知っている国歌は、マレー語です。この動画もサーキットブレーカー中にアップされていました。通常は誇らしげに、高らかに歌われるのですが、この動画では、しんみりと、スローに、これまでの長い静寂の期間を回顧するような雰囲気で歌われています。そして映像は、飛行機や、建物や、室内などに、プロジェクションで投影された写真が映し出されます。新型コロナでストップした時間です。そして、「時は変われど、我々の国民のスピリットは不変」というメッセージが現れます。最後に、首相の言葉が文字で登場します。「怖がらないでください。心を失わないでください。シンガポールの前進の歩みは決して揺るぎません」



感動的ですね。

2020年8月9日のナショナルデーソング



2020年のナショナルデーのテーマソングは、”Everythig I Am”という曲で、Joshua Wanが作詞・作曲し、ネイザン・ハルトノ(Nathan Hartono)という歌手が歌いました。サーキット・ブレーカーの期間のステイホーム、リモートワークの雰囲気に溢れています。曲調はスローで、パンデミックの中での思いやりや、絆を強調しています。



この1年間、いろいろと苦しい思い出もあるのですが、それを克服して、未来に向かって歩みつつあるシンガポールという国。みんなで頑張ってきたんだなという思いがあらためてします。

シンガポールを去らなければならなかった人、シンガポールに新たに来ることになった人、シンガポールに留まり続けた人、シンガポールに旅行や出張で来たくてもそれが叶わなかった人、それぞれが、いろいろな思いで、これらの曲を聴いていただけたかと思います。

シンガポールがこの一年、苦難を乗り越えてきた中で、これらの曲が人々の心を支え、応援してきたのだということを記録に残しておきたくて、これを書きました。最後まで読んでいただきありがとうございました。
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イースターになるとホットクロスバンが街のパン屋に急に出回ることの理由

2021-04-02 12:12:09 | 食べ物
シンガポールは欧米系のパン屋で、十字模様のついたホットクロスバンを日常的によく見かけるのですが、イースター(復活祭)が近づくにつれて、その販売量が増えるということを知ったのはつい最近のことでした。実は、イースターの直前のグッドフライデーという金曜日に、ホットクロスバンを食べるというのがイギリスの伝統のようなのです。

日本ではイースターは有名ですが、グッドフライデーはあまり知られていません。イエス・キリストが磔になった日がこの金曜日で、その三日後に蘇るのですが、それがイースターです。欧米ではグッドフライデーは祝日となり、イースターの翌日のイースターマンデーまで長期連休となるところも多いそうです。ちなみにシンガポールはグッドフライデーのみ祝日になっています。

春分の日の直後の満月の後の金曜日がグッドフライデー、日曜日がイースターとなりますので、カレンダー上では日にちが一定していません。



シンガポールのBakery Breraというパン屋は、エンプレスマーケットというローカルマーケットの奥にある美味しいパン屋で、たまにパンを買いに寄るのですが、昨日は大量のホットクロスバンを焼いていました。



インスタグラムを見ると、近くの複数の教会から大量のオーダーを受けていて、そこに納品するためのもののようです。教会では、グッドフライデーにこれを配るようですね。こちらのSt George’sという教会では、朝の8時から10時15分の間に配ったようです。



ホットクロスバンの歴史は、700年前に遡ります。イギリスのハートフォードシャーにあるSt. Albans Cathedralという大聖堂にトーマス・ロクリフ(Thomas Rocliffe)という修道士がいました。この人が、1361年のグッドフライデーに、十字架の印のついたパンを焼き、それを貧しい信者たちに振る舞ったというのがホットクロスバンの起源と言われています。



小麦粉と、卵、イーストに、カランツや穀物を混ぜ、カルダモンなどのスパイスを入れて焼いたパンの上部に十字の切り込みを入れたり、十字模様をつけたりしますが、ドライフルーツや、シナモンを入れたり、様々なフレーバーのものが作られているようです。

14世紀のヨーロッパといえば、英国とフランスは100年戦争の最中でしたが、ヨーロッパ大陸は黒死病(ペスト)が蔓延していました。1347年にイタリアの港から欧州に広がった黒死病で、1351年までの5年間にヨーロッパの人口の三分の一が失われたと言われています。

イタリアのベニスでは、東方から来た船は、感染予防のため一定期間沖で隔離をするという決まりだったようです。最初は30日の隔離期間だったようですが、それでは短すぎるということで40日となったようです。これが「隔離」の始まりで、英語の”quarantine”(隔離)の語源は、イタリア語の「40日」に由来するのだとか。イタリア語で40は”quaranta”(クアランタ)と言います。

1361年にトーマス・ロクリフ修道士がホットクロスバンをグッドフライデーに配った頃は、そんな疲弊した時代から立ち上がろうとしていた頃かもしれません。このパンをもらって、明日への希望を見出した人々が沢山いたことでしょう。

このホットクロスバンは、その後どんどん人気商品となっていきます。1592年、エリザベス一世の時代に、London Clerk of Marketsは、あまりに日常的になってしまったホットクロスバンに対して、イースターと、クリスマス、および葬儀のみに限定するという法令を出すのです。この法律は次のジェームズ一世の時代にも引き継がれることになります。

この影響で、ホットクロスバンは、各家庭でこっそりと焼かれるようになっていったのだとか。こういう歴史を経て、ホットクロスバンは世界に広がっていきます。

マザーグースの童謡にもホットクロスバンの歌があるので、ご紹介しておきましょう。



メロディはバリエーションがありますが、歌詞は同じす。「一つでも1ペニー、二つでも1ペニー」と歌われていますが、もともとは無料で配布されるためのパンだったので、儲けは度外視したものだったのでしょう。シンガポールのBakery Breraのホットクロスバンは4個で8ドル(650円くらい)しますが…

さて、これからホットクロスバンを食してみることとしますか。
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