まわる世界はボーダーレス

世界各地でのビジネス経験をベースに、グローバルな視点で世界を眺め、ビジネスからアートまで幅広い分野をカバー。

「栄冠は君に輝く」に向けてのエール

2020-10-31 11:12:15 | Life

NHKの朝の連続テレビ小説『エール』の第100回を神回と呼ぶ人も多い。山崎育三郎さんが演じる佐藤久志が、戦時歌謡の歌い手としての負い目から立ち直り、甲子園のマウンドで、『栄冠は君に輝く』をアカペラで歌う。山崎さんが、こんなにも説得力のある歌を歌える人なんだとあらためて感心したと同時に、ドラマとしての構成が素晴らしいと思ったのでした。



山崎育三郎さんも小学校時代は野球少年だったそうです。今年は、コロナのせいで、甲子園での高校野球が中止になってしまったということもあり、この歌には様々な思いが込められてました。ドラマの中でも、様々な登場人物が未来に向かって立ち上がるためのエールとなっていたのです。

主人公の小山裕一は言います。「作詞した多田さんは16歳の時、試合中のケガで足を切断して甲子園の夢を失ったそうだ。もう二度と野球ができないという葛藤の日々を乗り越えて、多田さんはあの詞を書いた。自分にできることは、未来ある若者を応援することだって。絶望を経験した彼だからこそ、あの詞を生み出せたんだと思う」と。



多田良介さんを演じたのは、寺内崇幸さん。じつは、元巨人軍の内野手。2006年ドラフトで巨人軍に入り、何年か一軍で活躍するのですが、脚の故障もあり、2018年戦力外通告。現在は、栃木ゴールデンブレーズスの監督をされている方。実際に悔しい思いをした方だからこそ、ほんの数秒のシーンであっても圧倒的な存在感を出しているます。言われないとわからないですが、見事なキャスティングですね。こちらがその寺内崇幸さんが登場するシーン。



そして、裕一の久志への説得は続きます。「僕たちも多田さんの思いを形にして、未来ある若者に一緒にエールを送ろうよ。勝った人にも負けた人にも、頑張ったね、頑張ろうねって、一生懸命な姿を見せてくれて、ありがとうって。久志、君なら歌える。おまえじゃなきゃ、ダメなんだよ」 感動的なセリフです。このドラマが「エール 」というタイトルになっているという意味がここに表現されています。

そして、曲の盛り上がりに挿入される登場人物それぞれのカットが見事です。











それぞれが、戦争で精神的に傷つき、どん底を経験し、新しい時代に向かって立ち上がっていく。そしてそれを応援する人々。まさに「エール」が凝縮しています。

「栄冠は君に輝く」の山崎育三郎さんのアカペラも素晴らしかったのですが、オリジナルの伊藤久男さんの音源がYouTubeにあったのでシェアさせていただきます。



あと、100回記念大会のダンス編、こちらも何度見ても感動します。



私は、高校一年の時に母校(愛知県立成章高校)が春の選抜に出て、応援団として甲子園に行きました。そんなこともあり、また、音さんが地元の豊橋出身という設定もあり、今回の「エール 」は格別です。来年は、コロナも収まり、甲子園で、未来ある若者にみんなでエールを送れるようになれると信じています。
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朝ドラ『エール 』に感じる音楽の力

2020-10-24 12:46:50 | Life

大きな試練から立ち上がろうとする人々を応援する音楽の力—それを感じたのが今週のNHK朝の連続ドラマの『エール』でした。打ちひしがれた人々の心に、生きるための希望を与える。音楽がそれを可能にすることができる。そんなことが見事に表現されていたと思います。

人々を戦争に駆り立てる手助けをしてしまったという罪の意識から、作曲できなくなっていた古関裕而さんが、苦しみを乗り越えて、戦後間も無く作った『鐘のなる丘』そして、『長崎の鐘』。一週間の間にこの二つの名作が完成するのですが、このドラマは、ストーリーだけでなく、そのストーリーに音楽が絡み合っているところが、これまでと異なります。

主人公の古山裕一を支える妻の音が豊橋出身で、私の出身地の近くなので、故郷を応援するという目的もあり、今回の朝ドラを欠かさず見ているのですが、このドラマの中で登場する音楽、そして実際に音楽に関わっている出演者の皆さんが、このドラマを特別のものにしています。

森山直太朗さん、野田洋次郎さん、山崎育三郎さんなど歌を本業とする方が見事な演技を見せているし、薬師丸ひろ子さん、菊池桃子さん、松井怜奈さんなども歌手としても有名だった皆さんです。スター御手洗役の古川雄大さんも、夏目千鶴子役の小南満佑子さんも、『長崎の鐘』を歌った山藤太郎役の柿澤勇人さんも、藤丸役の井上希美さんも、藤堂昌子役の堀内敬子さんも、もともとはミュージカルの出身。柿澤さん、井上さん、堀内さんも劇団四季でミュージカルに出ていたんですね。柴崎コウさんは歌手としても有名です。あと、岩城役の吉原光夫さんも劇団四季出身のミュージカル俳優で、帝劇の『レミゼラブル』でジャンバルジャンを演じられていた方だったんですね。

「ラジオドラマ『鐘の鳴る丘』は、昭和22年(1947年)7月5日から始まり、1950年(昭25)12月まで続いたそうです。今に続く連続テレビ小説の基となったドラマでした。私が生まれたのは、1955年だったのですが、主題歌「とんがり帽子」の歌は、母がよく歌っていたのを覚えています。YouTubeにあった『とんがり帽子」の曲の動画をシェアさせていただきます。



『長崎の鐘』は、もともとは藤山一郎さんが歌って大ヒットした曲ですが、ドラマでは山藤太郎として、柿澤勇人さんが歌っていました。柿澤隼人さんは、彩の国の『アテネのタイモン』で演じた将軍アルシバイアディーズの赤いマントの颯爽とした姿を鮮明に覚えています。そんな彼が歌う『長崎の鐘』、感動的でした。
YouTubeに映画『長崎の鐘』の動画があったのでシェアさせていただきます。



あと、忘れられないのは、薬師丸ひろ子さん演じる充子が焼け跡で歌う『うるわしの白百合』という賛美歌。この演出は、薬師丸ひろ子さんの提案だったそうですが、とても感動的でした。



このドラマには、『船頭可愛や』とか、『紺碧の空』、『六甲おろし』とか、『暁に祈る』、『若鷲の歌』など、古関裕而さんが作曲された名曲も散りばめられていますが、子供の音が歌う童謡「朧月夜」、教会の賛美歌、双浦環が教会で歌うプッチーニ、椿姫など、数々の音楽が登場しています。ミュージカルではないのですが、これはひょっとして音楽劇と呼んでもよいのかもしれないなどと思ったりします。

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シンガポールのブギスジャンクションで過去の時代にタイムスリップ

2020-10-18 13:12:10 | シンガポール

昔のブログを見ていたら2006年に書いた記事が出てきました。当時、シンガポールのブギスジャンクションにPARCOがあったのですが、その場所が一世紀以上前、遊郭街であり、日本人の娼婦が数多くいた場所だったという話です。シンガポール人でも知っている人はほとんどいないし、歴史の中で忘れさられるべき話で、ブログで書くのもちょっと躊躇するのですが、過去の事実として紹介しておきたいと思います。ということで、過去の記事をベースに、現在の状況をアップデートして記事にしてみました。

上の写真は、シンガポールのブギスジャンクションのショッピングセンターの風景です。以前、PARCOがあったのですが、ビクトリア・ストリートからノースブリッジ・ロードに向っていて、右側がインターコンチネンタルホテルになっています。綺麗に復元されていますが、昔ながらの建物が並ぶ通路の上は透明の屋根で覆われ、この通路を挟んだ一帯に様々な店舗や、飲食店が並んでいます。屋根があるので、この通りは雨でも全く問題がありません。

この写真の通りは、地図には載っていませんが、マレー・ストリート(Malay Street)と言って、昔の道路標識が残っているのでそれがわかります。ノースブリッジ・ロードとビクトリア・ストリートを縦に結んでいるのが、マレー・ストリート。インターコンチネンタルホテルの北側をビクトリア・ストリートに並行して通っているのがマラバー・ストリート(Malabar Street)、そして少し南に、ノースブリッジ・ロードと並行して通っているのがハイラム・ストリート(Hylam Street)です。こちらが、標識です。



向こう側にインターコンチネンタルホテルの裏口が見えています。下の写真は、マラバー・ストリートに向かう標識。建物にもマラバー・ストリートの地名のプレートが付いています。



下の写真は、ハイラム・ストリートの一角。



こちらの地図は、時代が特定できませんが、昔のシンガポールの地図です。



ブギスジャンクションのショッピングモールの片隅にあったので、撮影しました。ビーチ・ロードが本当に海岸通りで、ラッフルズホテルは、道を挟んで海に面した海沿いのホテルでした。西のほうも、テロック・アイヤーが海岸通りでした。シェントンウェイも、サンテックも、マリーナベイも海の底です。



この地図は、現代の地図に、三つの通りを書き入れたものです。右の地図は、以前、ラッフルズホテルの博物館(今は無い)で見たものです。三つの通りの名前がはっきりと表記されています。

この三つの通りは今のシンガポールの地図には載っていません。しかし、実はこの場所を発見するには、語り尽くせぬドラマがあったのです。シンガポールでも知ってる人はほとんどおらず、日本人でもほとんど知らないのではないかと思います。

山崎朋子さんという作家がいます。代表作は『サンダカン八番娼館』。映画にもなりました。



ボルネオ島(カリマンタン)の北のはずれのサンダカンという港町に娼婦として売られていった日本人女性が、故郷の天草に戻った後、その過去ゆえ村八分の扱いを受けている。山崎さんは、その女性を訪ねていき、女性の過去を取材するという話です。数年前に読んだのですが、実に感動的な作品でした。

その続編という形で山崎さんが書いたのが『サンダカンの墓』という本です。



この本は文春文庫で出ていたのですが、絶版となっているようです。山崎さんが、サンダカンとか、他の「からゆきさん」の足跡をたどって旅をする話となっています。

その中に、シンガポールの話が出てきます。大正時代から昭和の戦争前の時期にかけて、シンガポールに遊郭があり、貧しさゆえ日本の農村から売られていった「からゆきさん」がそこにもいたということでした。日本人たちはそこを「ステレツ」と呼んでいたという話が出てきます。英語のストリートが訛っての「ステレツ」でした。

山崎さんが取材をしながらたどり着くのが、先ほど紹介した三つのステレツ(ハイラム、マレー、マラバー)だったのです。山崎さんの本によれば、このステレツはチャイナタウンにあると書いてありました。

数年前にこの本を読んだとき、この通りは今はどうなっているんだろうと思って、東京の広告代理店のシンガポール現地法人に駐在員として滞在していた私は、チャイナタウンをぐるぐると探索しました。しかし、どこを歩いても、そのような名前の通りを見つけることはできませんでした。区画整理されてしまったのかなと思っていました。

たまたま会社に1980年代頃の地図がありました。その地図を見ていたら、何と、ハイラムとか、マラバーの名前があるではありませんか。それはブギスであり、その一帯を取り潰して商業施設になったのだということがわかりました。

実際に現地に行ってみて、山崎朋子さんがかつて訪れた3つの通りが、ちゃんと通りのネームプレートまできちっと残っているのを見て、感激しました。そして、建物の外観も昔の建築を綺麗に再現しているのです。今の人たちは、そんなことを全く知らずに、ショッピングや、飲食を楽しんでいる。その複雑なギャップを感じながら、この場所で、一世紀以上も前の日本とシンガポールの歴史に思いを馳せるのでした。チャイナタウンや、インド人街なども時代とともに場所が移動していたんですね。ちなみにミドル・ロードはかつて日本人街であり、日本の商店が立ち並んでいたそうです。下の写真が現在のミドルロード。右に見えているのがインターコンチネンタルホテルです。



日本人街だった頃の面影は全く残っていません。

山崎さんが「サンダカンの墓」を発表したのは1977年ですが、その中で、ステレツの名残を求め、苦労してこの三つの通りを探しあてます。その時には、すでに娼館はなくなっていたのですが、朽ち果てた娼館の名残を見て、彼女は、感慨にふけるのです。しばらくこの通りを歩いた後、ここを去る前に、ふと立ち止まって、もういちどその悲しみの街の名残を眼に焼き付けるという表現がその本の中に出てきます。具体的な表現は忘れてしまいましたが、それは映画のラストシーンのようであり、本を読んでから20年以上経っている今でも記憶に強く残っています。

2016年の12月に刊行された「シンガポール日本人社会百年史」(シンガポール日本人会刊)を見ていたら、シンガポールのからゆきさんの歴史が出ていました。最初は、1882年、黒金という女性が上海から四人の日本女性を連れてきて、馬来街(マレー・ストリート)二番に店を開いたのが始まりのようです。その後、1902年(明治35年)の記録では、「シンガポールには妓楼が82軒あり、本邦娼婦が811名在籍」となっています。その頃をピークに、日本人娼婦の数は減っていきますが、1920年、シンガポール日本人会と日本基督新嘉坡教会などの努力で廃娼が行われます。帰国せずに私娼となってシンガポールに残った娼婦も多かったそうです。



こちらの写真は、その百年史に出ていのを撮影させていただきましたが、ハイラム・ストリート(写真絵葉書)というキャプションがついています。娼館が無くなった後、日本の商店の看板が立ち並んでいるのがわかります。

私はたまたま山崎朋子さんの本を読んだので、このような歴史を知っているのですが、知らない人がほとんどではないかと思います。私たちの今の繁栄は、過去の悲しみの歴史の上に築かれているんだと思うと、のんきに浮かれてばかりもいられないのですよね。
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今も残る戦争の記憶

2020-10-16 18:20:41 | シンガポール

上の写真は、シンガポールのセントーサ島のシロソ砦にある展示ですが、山下将軍が連合軍に降伏を迫る場面です。この展示の後、太平洋戦争が終わり、日本軍が降伏する場面に繋がるのですが、この期間、戦地や日本本土では、数え切れないほどの悲劇が生まれていました。

NHKの連続テレビ小説「エール」を見ていたら、ビルマでの戦場の場面が描かれ、豊橋の空襲が描かれていました。私は豊橋市のすぐ隣の田原市の出身なのですが、母は豊橋市の杉山の生まれで、子供の頃、昭和20年6月19日の豊橋空襲の話は何度も母から聞いていました。市街地からは電車で何駅も離れているのですが、空が真っ赤に染まっていたのが見えたという話は今でも鮮明に覚えています。畑にいたら、アメリカ軍の飛行機が機関銃で撃ってきたので、必死に逃げて物陰に隠れたという話も聞いたことがありました。

戦争が終わって10年経った年に私は生まれました。今から思えば10年の月日は、ついこの間のことです。子供の頃には、戦争の余韻があちこちに残っていました。豊橋の市街地では、傷痍軍人をよく見かけたし、母の実家の農家の裏山には防空壕がまだ残っていたし、家には、父親のものなのか、祖父のものなのか、鉄兜やガスマスクまで残っていました。子守唄で軍歌をよく聞いていました。

小学校の頃、漫画雑誌で「0戦はやと」や「紫電改のタカ」とかの戦争漫画が連載されていて、夢中になって読んでいたし、クレパスで描く絵は戦闘機の絵でした。中学校では、学級歌というのがあって、週替わりだったか、月替わりだったか忘れましたが、みんなで曲を決めて、毎日一回合唱をするというのがありました。時々、軍歌になりました。「麦と兵隊」という曲はその時覚えました。今では考えられないことではありますが。

古関裕而さんの作曲された、「露営の歌」や、「暁に祈る」、「若鷲の歌」などが、ドラマの中で流れましたが、反戦思想に染まった人たちはこれをどのように聞いたのでしょう。ドラマの中には登場しなかったのですが、「シンガポール晴れの入城」という曲があります。福島三羽ガラスで作った曲の一つです。昭和17年(1942年)2月15日のシンガポール陥落を記念して作られた曲のようです。

私は今、シンガポールでこれを書いています。家の窓の外にブキティマの景色が広がっていますが、シンガポール陥落を前にして激戦地となった場所です。フォードのブキティマ工場で連合軍が降伏をしたのですが、そこは今、戦争博物館になっていて、痛ましい戦争の遺品が展示されています。

実は、シンガポールには、いくつもの戦争遺跡があります。国立博物館には、日本軍の戦車のレプリカや、日本統治下で使用された紙幣や、パスポートなどが展示されていますし、セントーサのシロソ砦には要塞跡が残っていて、連合軍に「イエスかノーか」と迫った山下将軍の会談の場面が人形で再現されています(上の写真)。フォートカニングにある地下壕跡のバトルボックスなどもありますね。日本ではほとんど見る機会がありませんが、太平洋戦争の歴史に関して、シンガポールで初めて接することができました。

当時の日本は、南方諸国を植民地化して、日本語教育を徹底するのですが、その時使った教科書などの展示も各所にあります。戦時中に作られた、子供向けのアニメで使われた「あいうえおの歌」というのもありますが、このアニメ映画の音楽監督をしていたのが古関裕而さんだったんですね。このアニメで手塚治虫さんがインスピレーションを受けたらしいのですが、あらためて聴くといい曲です。アニメも素晴らしい。



ドラマの中では、古関裕而さんの慰問はビルマしか描かれていませんが、シンガポールにも慰問に来ています。ドービーゴートのキャセイシアターでディズニーのアニメも見たのだそうです。

太平洋戦争末期のシンガポールを舞台にした小説と言えば、浅田次郎さんの「シエラザード」です。以前、知り合いが、この本を読んでシンガポールが好きになった、と言っていたのを聞いて、すぐに読んだのですが、素晴らしい作品でした。ラッフルズホテル、ミドルロード、ソフィアロード、クラークキーなどが舞台になっています。

シンガポールは歴史が浅いですが、ここがかつて日本だったと思うと、同じ風景も違って見えたりします。戦争の悲劇を繰り返してはなりませんが、過去の時代から学ぶことも多いですね。

朝ドラを見ながら、そんなことを思ったりしました。
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インドのSNSスーパースターの最新ランキング

2020-10-08 15:04:14 | インド

インドマーケティング講座の第3回目として、インドのSNSのスーパースターの最新ランキングをまとめてみました。



インドのセレブリティーは、従来は、映画スターや、クリケット選手でした。映画スターでいうと、アミタブバチャン、シャールクカーン、リティックロシャン、アーミルカーンなどです。クリケット選手でいうと、サチン・テンドルカルとかですね。それがスマホとSNSの普及で、SNSを使いこなし、ファンとデジタルで交流できるスーパースターが増えてきました。デジタルを使いこなせるセレブリティーは、さらにファンベースを広げ、これまでのセレブリティーと違った存在となっています。



インドのSNS人口は約4億人。インドの全人口の29%になります。これは今後さらに増えていくことが予想されています。ユーチューブのユーザーは、2億6千万、フェイスブックもほぼ同数、インスタグラムは8000万人、ツイッターは1000万人です。ユーチューブは視聴者数は多いのですが、セレブリティーが使うSNS性格が若干ことなり、ユーチューブで人気なのは、いわゆるユーチューバーだったり、音楽や、映画のコンテンツだったりするので、今回の話ではユーチューブは除外し、フェイスブック、インスタグラム、ツイッターの三つのSNSをメインに考えていきたいと思います。インドで特徴的なのは、ユーザー数の下に小さく出ていますが、男性比率が高いということです。インスタグラムなどは、ほとんどの国で女性のほうが積極活用していることが多いのですが、インドでは7割以上が男性。フェイスブックも77。2%、ツイッターは85%が男性となっています。



SNSを使いこなしているトップセレブリティーは、フェイスブック、インスタグラム、ツイッターのアカウントを持っていて、多くのフォロワーを持っています。今回、インドのデジタルセレブリティーのランキングをご紹介しようと考えたのですが、どれか一つのランキングでみると、不十分な気がしたので、これら三つのSNSのフォロワー数を単純に合算して比較してみようと思いました。ユーザー数がそれぞれで大きく異なるのですが、フォロワー数でみると、だいたい数千万になります。セレブリティーによっては、インスタグラムが強かったり、ツイッターが強かったりするのですが、合算することで、どんなセレブリティーがSNSの人気ランキングが何となくわかるのではと思いました。以下、7位からのランキングです。

それぞれフェイスブックのアドレスのリンクをつけておきました。





https://www.facebook.com/ShraddhaKapoor





https://www.facebook.com/DeepikaPadukone





https://www.facebook.com/BeingSalmanKhan/





https://www.facebook.com/akshaykumarofficial





https://www.facebook.com/priyankachopra/





https://www.facebook.com/narendramodi/





https://www.facebook.com/virat.kohli



インドではクリケットが最も人気の高いスポーツなのですが、クリケットのスターが、これまでも非常に人気が高かったです。2013年に引退したのですが、サチンテンドルカル。圧倒的に有名人であった彼は広告にひっぱりだこでした。2010年から16年までナショナルチームのキャプテンを務めたMSドーニがその後を継ぎ、そして、現在ナショナルチームキャプテンとなっているヴィラットコーが現在、インドでは圧倒的な人気のスーパースターとなっています。

デジタル時代のセレブリティーを7名見てきたわけですが、ここに登場した人物の名前を覚えておくと、インド人と話をする際に、役に立つことも多いと思います。ぜひ、ここに登場した人物はおさえておかれるとよいと思います。

こちらに紹介した内容は、動画でユーチューブにもアップされていますので、そちらもぜひご覧ください。

https://youtu.be/mAanmdeJUKg

ナレーションでは、サルマンカーンのFacebookフォロワー数を読み間違えていますが、画像の数字が正しいです。

フォロワー数の数字は、2020年10月1日時点の数字なのですが、どんどん増えているので、ここでご紹介している数字とは異なっていると思われます。また、それによりランキングも変動しているかもしれません。時代によって、人気ランキングは変わっていきます。大きな変化があったらまたこのランキングもアップデートしていきたいと思います。
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