まわる世界はボーダーレス

世界各地でのビジネス経験をベースに、グローバルな視点で世界を眺め、ビジネスからアートまで幅広い分野をカバー。

インドのG20におけるマルチラテラリズム

2023-09-20 17:29:41 | インド
2023年9月9日、10日の二日間、インドのニューデリーにてG20サミットが開催されました。今年は日本の広島でG7が開催されましたが、G20とは何か、インドのG20サミットの成果はどうだったのか、そして今回浮上してきた「マルチラテラリズム」というのは何なのかを簡単に解説してみたいと思います。

まずお断りしておかなければならないのは、私はインドに関する広告ビジネスの経験は長いのですが、国際政治の専門家ではないので、知識不足の点もあるかもしれないということです。しかしながら、今年の春先から、東京のインド大使館で開催されていたG20のための各種説明会に何度か参加していましたので、私なりの視点で語れるところも多いのではないかと思います。

G20とは?

先進国7カ国をメンバーとするG7に対し、新興国を含む20カ国で構成され、主に世界的な経済・金融問題を議論する場として1999年に発足した枠組みがG20です。2008年から、首脳会合(サミット)が開催されるようになりました。

参加の20カ国とは、G7(フランス、アメリカ、英国、ドイツ、日本、イタリア、カナダ、EU)に加え、アルゼンチン、オーストラリア、ブラジル、中国、インド、インドネシア、メキシコ、韓国、ロシア、サウジアラビア、南アフリカ、トルコとなります。基本的には国の首脳が参加します。

また、20カ国以外にも、今回のG20サミットには、バングラデシュ、コモロ(アフリカ連合代表国)、エジプト、モーリシャス、オランダ、ナイジェリア、オマーン、シンガポール、スペイン、アラブ首長国連邦の首脳も参加。アジア開発銀行(ADB)、経済協力開発機構(OECD)、国際連合、世界銀行、世界保健機構(WHO)、世界貿易機関(WTO)などの国際機関も参加しています。

G20のサミットは、一年に一度、各国持ち回りで開催され、2022年はインドネシアのバリ、今年の2023年がインドのニューデリー、来年2024年がブラジルのリオデジャネイロでの開催となっています。

G20サミットでは、会議のまとめとして、首脳宣言が発表されるのですが、今回のインドでは、首脳宣言が初日に発表されました。実は、このサミット本番の前までに、様々な会議が事前に開催されていて、G20サミット本番は、まとまった成果を発表する場という位置づけなので、今回のように初日に発表するというのもありなんですね。

インドのマルチラテラリズム外交

G20の直前まで、首脳宣言がまとまるかどうかは危ぶまれていました。西欧諸国は、ウクライナ問題に関して、ロシアに対しての厳しい姿勢が示されないと、首脳宣言を認めないという感じでした。また、ロシアは、ウクライナ問題に関して一方的に追求される場合は、首脳宣言を認めない姿勢でした。グローバルサウスの国々は、先進国優先の影響で、自分たちの立場が軽んじられることは許せないという立場でした。

国と国との関係は込み入っており、すべての国を満足させられる首脳宣言は不可能ではないかと思われていました。しかし、結果としては、予想に反して、インドは、参加国を満足させられる首脳宣言を作り上げるのに成功しました。その裏には、様々な外交努力があったことと思います。

日本のマスコミは、首脳宣言は、ロシアへの非難を盛り込まなかったため、不十分な出来栄えだったと評しました。しかし、ロシアへの非難を盛り込んでいたら、ロシアはこれを認めることはなかったでしょう。そうなると首脳宣言が頓挫していた可能性があります。また、ロシアとの関係が深いインドとしても、ロシアを敵に回すような表現は避けたかったと思います。

最終的に、インドは、ロシアへの非難を盛り込まず、しかしながら侵略戦争への非難を盛り込む形で、万人が賛同できるような首脳宣言に仕上げました。参加していなかったウクライナは、この首脳宣言に不満を表明していたようですが、首脳宣言はG20サミットで承認されたのです。



上の画像が首脳宣言の表紙です。"Leaders' Declaration"が首脳宣言ということなのですね。首相や、大統領など様々な名前がありますが、それぞれの国を代表する指導者ということなんですね。

今回のG20サミットの背景にあったのは、インドの「マルチラテラリズム」という考え方です。日本語にすると「多国間主義」となります。多くの国との関係を重視した外交という意味です。

「ラテラル」("lateral")というのは、「側面の」とか「横の」という意味です。"Bilateral"と言えば、「二国間の」という意味になります。「マルチラテラル」というと、多くの国との関係を重視するということになります。

世界の政治は、多くの国のいろんな関係が複雑に重なり合って成立しています。二国間の関係は、他の国々に影響を与えます。ロシアと欧米の緊張感は、世界の経済に大きな影響を与えています。米中関係が悪化すると、日本にも大きな影響が出ます。

二国間の関係も多面的です。例えばインドと中国の関係で言えば、国境紛争があったりして、中国とは仲が悪いのですが、経済的には貿易相手国としては重要なパートナーです。そういう相反する関係が共存しています。

そういう多国間の関係に着目して、最適なバランスを考え、すべてのメンバーに対しての最適解を導き出す。特定国だけの利益を優先せず、全体としての最適解を見つけていくという考え方です。

SDGsの基本的な考え方に「誰も置き去りにしない」というのがあります。国際関係の中でこれまで置き去りにされてきたグローバルサウスの国々も、自分達をもっと対等に尊重してほしいという願望があります。今後の経済発展や、地球環境を考えるにあたって、グローバルサウスは益々重要になっていきます。

インドが提唱する「マルチラテラリズム」は、先進国だけでなく、グローバルサウスの国々をも満足させるためのものだったんですね。

首脳宣言で印象的だった言葉

首脳宣言は83のパラグラフからできています。その中で様々なことが語られているのですが、印象に残った言葉を、日本語と原文の英語で数点ご紹介いたします。



まず最初に前文の最初のパラグラフで登場してくるのがこの概念です。今回のG20サミットのテーマを文章で提示します。マルチラテラリズムの精神そのものなのですが、このステートメントに対しては、誰も否定することはできません。



貧困、不平等、気候変動、パンデミック、紛争などは今日地球規模の問題として人類に影響を及ぼしているのですが、とくにその皺寄せの犠牲になっているのが女性、子供など弱い立場にある人々ということですね。これに対しても異議を申し立てる国はないでしょう。また、アフリカやグローバルサウスの国は、「まさにその通り」と思ったことでしょう。



我々は共に、より良い未来を構築する機会を得ている。ということで参加国がすべて、前向きに問題解決に関わっているということを強調します。こういう機会に加わることができたアフリカ諸国やグローバルサウスが嬉しくなる表現です。



女性の活躍をアピールしているパラグラフです。インドでは、女性の教育レベルが低く、ジェンダー格差が存在しているのですが、それを改善するための取り組みを前文に入れています。これはインドだけでなく、世界各国の女性からは賛同を得られるステートメントです。



この8番目のパラグラフの「領土取得を追求するための武力による威嚇又は武力の行使は慎まなければならない」という部分は、ロシアのウクライナ侵攻を間接的に示しているのですが、これをロシアと限定せずに、一般論にしているところが味噌です。ロシア以外に、中国がもしも台湾に攻め入ることがあれば、それも大問題だし、いろんな国で起こるかもしれない武力行使を含めて一般論として非難しています。これはロシアと限定はしていないので、ロシアとしても基本的に認めてもよいのでしょう。ウクライナ侵攻は「領土取得追求のための行為ではない」と主張することも可能で、ロシアとしてはいろんな形で正当化することは可能です。

「核兵器の使用又はその威嚇は許されない」という言葉で、核兵器を持つ国を威嚇しています。この数ヶ月前に、G7でモディ首相も広島を訪れていますが、そこで見た核の恐ろしさが、このフレーズの行間に存在しているのでは
ないかと思います。



パラグラフ14はこの短いセンテンスから成っています。「今日の時代は戦争の時代であってはならない」というのはとても印象的な言葉です。ウクライナでは戦争が行われているのですが、それに対するインドの立場、グローバルサウスの立場をも表しているのではないかと思います。感情的になって、殺し合うことよりも、助け合うことのほうが重要課題ではないのかと。



多国籍主義を再活性化しようと、首脳宣言は主張しています。「多国籍主義」というものが、世界史の中で、存在した時代や地域もあったかもしれません。ヨーロッパでも19世紀とかにもあったかもしれませんし、中国の春秋戦国時代なんかもそんな時代だったかもしれません。インドは諸外国との駆け引きの中で主導権を争いながら、同時に平和を実現していくという時代を生きているのかもしれません。

ニューデリーのG20サミットの首脳宣言は、哲学的、思想的でもあり、文学的でもあると感じるのは私だけでしょうか?仏教やヒンドゥー教を作りだし、ゼロを発見し、数学の基礎を作り出したインド。高度が教育を背景に、多くのグローバル企業のリーダーにインド人が成っている(英国の首相にも)、そしてその技術は月着陸さえも可能にしてしまう。そんな状況の中でこの首脳宣言を見ると、その行間に溢れる哲学、人類愛、宗教観を感じて、感動してしまうのです。

G20サミットに至るまでの道のり



上の画像は、東京の九段にあるインド大使館の建物ですが、今年の春先からG20のロゴのポスターが建物の外に掲示されていました。今年のG20のテーマは、"One Earth. One Family, One Future"というものでした。「ひとつの地球、ひとつの家族、ひとつの未来」というメッセージです。

ここに盛り込まれているのは、SDGsや環境問題で、みんなで力を合わせて地球を守っていこうという姿勢や、貧富の差や、飢餓などを含む南北問題、平和など様々なメッセージです。

今年の春先からG20関連の様々な情報共有会が東京のインド大使館で開催されていました。情報は英語のみで、日本のマスコミはほあまり参加していなかったようなので、日本での情報はかなり限定的でした。

こちらのスライドは科学関連の分化会で共有されたチャートです。



このスライドの一番上にあるのはG20の作業の流れというもので、これが3つの部分に分かれています。左からシェルパトラック、ファイナンストラック、そしてエンゲージメント10と記されています。

「シェルパ」というのは、もともとは、ヒマラヤ登山者のために、道案内をしたり、荷物を運んだりする役割の人間なのですが、翻って、山頂(サミット)を目指す指導者のために、事前準備を手伝い、登頂を成功に導くという意味になります。今までも、この言葉は使われてきたのですが、インドで開催されるG20サミットにおいては、「シェルパ」という言葉は実にリアリティーをもって響いたものと思われます。

「シェルパトラック」は13のワーキンググループと、4つのイニシアティブに別れます。13のワーキンググループは、農業、腐敗の防止、文化、デジタルエコノミー、災害リスク削減、開発、教育、雇用、環境と気候のサステナビリティー、エネルギー転換、健康、貿易と投資、観光。4つのイニシアティブとは、研究とイノベーション、宇宙経済リーダーズ会合、G20エンパワー、G20主席科学諮問者円卓会議です。

ファイナンストラックというのは、フレームワークワーキンググループ、国際金融アーキテクチャー、インフラワーキンググループ、サステナブルファイナンスワーキンググループ、金融包摂のためのグローバルパートナーシップ、財務・保健合同タスクフォース、国際課税アジェンダ、金融セクターの問題など9つのワーキンググループで構成されています。

そして、一番右の10のエンゲージメントというのは、B20(ビジネス)、C20(シビル)、L20(労働)、S20(サイエンス)、議会20、SAI20(最高監査機関)、スタートアップ20、Think 20, アーバン20、ウィメンズ20、ユース20の10の分化会です。

こちらは10のエンゲージメントの一つのアーバン20の説明会の様子です。



こちらの写真は、インド大使館のアーバン20の説明会の様子です。都市問題などを論じるアーバン20の分科会の取りまとめは、最終的には、グジャラート州のアーメダバードでの会議で行われました。そこにはアーバン20の参加都市の一つ東京の首長の小池都知事も参加しています。日本ではあまり話題になりませんでしたが。

アーバン20はアーメダバードでしたが、観光はゴアだし、他の分科会は、インドのいろんな場所で開催されました。その各分科会で取りまとめられた結論がG20のシェルパ会議で集約され、首脳宣言となっていくわけです。首脳宣言はG20のサミットで議論されたものをまとめたものではなく、この数ヶ月、各地の各分科会で議論されてきた論文をさらにまとめたものだったんですね。数多くの人々の大変な努力のおかげで、首脳宣言がまとまったわけです。

そんなことを理解して、G20を見ると、サミット(頂上とい意味)というのが、ヒマラヤの山のように聳えて見え、その頂上に翻るのが首脳宣言という旗であり、そこに登頂するために実に多くのシェルパたちが働いていたという絵が見えてきます。
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『キングダム』に学ぶ経営論

2023-09-12 22:04:09 | 中国
『キングダム』は2006年から集英社の『週刊ヤングジャンプ』で掲載が始まった漫画作品で、2023年7月で69巻までシリーズが継続しています。また、2012年からアニメ化されて、2022年で第4シリーズまで放映されています。実写映画として公開されたのは、1作目が2019年。2作目の『キングダム2 遥かなる大地へ』が公開されたのは2022年。そして2023年、3作目の『キングダム 運命の炎』が公開されました。

私は映画しか観ていないのですが、ネット検索をしてみると、『キングダム』は、じつに多くのビジネスパーソンを虜にしていたんですね。会社経営や、組織論など、いろいろな専門家が極めて真面目な議論をしているのを知り、驚きました。

実は、『キングダム』とは全く関係ないのですが、最近、たまたま見かけた、遠藤功さんという方の『「カルチャー」を経営のど真ん中に据える』という本をパラパラと読んでおりました。会社を強くするためには、カルチャー、つまり組織風土を改革し、活性化させていかなければならないという話です。



この本の最後のほうに、経営者は「ホラ」を吹けということが書いてありました。「ホラ」とは、経営者が自らの夢や思いを熱く語ることであり、それにより、組織全体が熱を帯び、組織の熱量が最大化されていくというんですね。以下の画像は、その部分の抜粋を切り貼りしたものです。



この部分を読んで、これはまさに、映画の中で吉沢亮が演じていた嬴政(えいせい)が何度も言っていた「中華統一」というメッセージそのものだと感じました。この作品が、単なる歴史ドラマや、アクションドラマ、若者の成長物語というジャンルを超えて、経営論として捉えることができるんだなと思ったのです。

そんなわけで、この映画作品を経営論的視点で見直してみたいと思います。ネタばれになる部分もあるかもしれないので、まだ映画をご覧になっていない方はご注意ください。

1. 嬴政(えいせい)の中華統一というビジョン

嬴政は、趙の国で人質となっていた秦の王子、子楚(しそ)の子供として生まれます(本当の親は子楚なのか、呂不韋なのかと諸説あり)。子楚は、秦に戻り荘襄王(そうじょうおう)となるのですが、趙に残された嬴政は、屈辱的な子供時代を過ごします。

それを助けるのが、趙の闇商人、紫夏(しか)です。最初は王になる自覚も無く、長年の虐待のため感覚さえも麻痺していました。今でいう、PTSDですね。そんな嬴政を秦の国まで届ける途上で、紫夏は嬴政の精神的な救済を行います。

「あなたほどほど辛い経験をして王になる者は他にいません。あなたは誰よりも偉大な王になれます」という紫夏の最後の言葉で、嬴政は秦王となることを決意し、中華統一というビジョンが生まれるのです。



当時は、7つの国が乱立する時代で、西の外れの秦の国が中国全土を統一できるなどというのは、ほとんど実現不可能なことと思われていました。黄河流域の中原(ちゅうげん)には、魏や韓や趙など由緒ある国が存在していました。何百年もの間、いくつもの国が戦い合いながら共存してきたという歴史があるので、これを統一して一つの国にするなどというのは非現実的な夢でした。先にご紹介した遠藤功さんが言うところの「ほら」以外の何ものでもありません。

どんな苦境にあろうとも、嬴政はこのビジョンを首尾一貫、言い続けました。その熱量が、昌文君や、信や、王騎将軍などに伝播していきます。山の民の楊端和(ようたんわ)も、そのビジョンに共鳴して、嬴政に手を差し伸べることになります。

優れた人材が、まるで磁石に引き寄せられるかのように、嬴政の中華統一というビジョンのもとに集結してきます。金銭とか待遇で集めただけの人材は、好条件が他に示されればすぐに去ってしまいますが、嬴政のもとに集まってくる人間は、ビジョンを共有しているので、結びつきは盤石です。

「中華統一」というスケールの大きな夢が、多くの有能な人材を引き寄せるのです。そして、その熱量の大きさにより、それぞれが実力以上の力を発揮するのです。こういう言葉の力と、その発信力は重要ですね。

2. 秦の国ならではのイノベーション

秦の国は、歴史は長いのですが、西の端にある国でした。春秋戦国時代の文化的な中心地は、黄河中流域の中原と呼ばれている一帯です。

『キングダム』の時代には、孔子が亡くなって200年以上経っていましたが、儒教は国家運営にとっても重要な指針となっていました。孫子の兵法が書かれたのも同じくらい昔のことでしたが、兵法はかなり研究しつくされていたと思います。

秦の国は、異民族の地域と接する、辺境の地で、文化的にも遅れた田舎と思われていたと想像されます。数々のハンディを抱えた国なのですが、秦はそれを逆手にとって、次々とイノベーションを作り出していきます。

中原の他の国は、歴史や文化や伝統があるのですが、それが重すぎて、自由なイノベーションは生まれにくい環境となっていました。昔からのしきたりが新たなチャレンジを阻害していました。儒教をベースにした統治、封建制度など、それまで、それでうまくやってきたという歴史が災いしたのです。

秦はそういうしがらみがありませんので、儒教ではなく法による支配、郡県制などのイノベーションを可能にしました。今の時代からは想像ができませんが、当時としては、画期的なプラットフォームだったのだと思います。

秦は、文字や、貨幣、度量衡なども全国的に統一するのですが、いずれもすごいイノベーションだったのだと想像します。それまで、異なった文字や、貨幣や、異なった寸法、重さ、体積、容積の計量計測の仕方をしていたルールをすべて打ちこわして、新たな普遍的ルールを適用するわけです。

日本企業でも、会社の改革は内部の人間では限界があるので、外部の人間、あるいは外国人のほうが行いやすい場合があります。統一という大事業は、あまりしがらみのない秦だったからこそ可能だったのかもしれません。

システムとしてのイノベーション以外にも、軍事兵器のイノベーションもいろいろあったのではないかと想像します。例えば、弩(ど)という武器です。



上は「図説中国の伝統武器」(マール社)からの引用ですが、弓矢を横にしたような武器です。弓を引くときは、両足を使ったりするのですが、矢を射るのは、銃のようなレバーを引くだけというものです。通常の弓はかなりの熟練が必要なのですが、弩は比較的簡単に操作できるようになるというメリットがあります。

この弩は秦の国のオリジナルではなく、斉の国で孫子の兵法が記された頃、すでにこの武器の記録があるようなので、一般的に広く使われていたのかもしれません。

秦の始皇帝の埋葬品としての兵馬俑からも弩が多く発掘されていたようなので、秦がこれをよく使っていたものと思われます。映画の中でも農民が多く徴兵されるのですが、弓や剣術の経験の乏しい(また体力もそれほどない)農民でも、短期間のトレーニングで即戦力にすることができるというメリットがありました。秦はこういう兵器をうまく使っていたのではないかと思います。こんなイノベーションはあらゆる部分に存在していたと思われます。

3. ダイバーシティーとインクルージョン

嬴政自体の出自が、弟から軽蔑の対象となりますが、それを乗り越えて、出自や、身分、人種など関係なく、すぐれた人材をどんどん登用していきます。主人公の信も、どこの馬の骨ともわからぬ、奴隷出身の人間なのですが、実力で将軍になっていきます。

楊端和が統治する山の民は、言語も文化も異なる異邦人なのですが、彼らと何とか意思疎通を図り、共に戦う仲間にしてしまいます。コミュニケーションを取るのすら大変ですが、風習も、考え方も、戦い方も違う彼らを味方にしてしまいます。今の時代で言う、外国人の雇用やなどに通じるものがありますね。



今の時代は、ダイバーシティが企業経営として重視されますが、いろんな考え方をしている人間をあえてチームに混ぜることで、新たな発想やイノベーションが生まれてくるということを、この映画はあらためて教えてくれています。

さらに、楊端和が女性というところも忘れてはいけませんね。史実では男性のようですが、この物語では女性という設定にしています。女性リーダーに活躍の機会を与えているという点も見逃せません。

4. 優れた教育システム

映画の中では、断片的にしか紹介されていませんが、教育もしっかりと行われています。まず、主人公の信は、「天下の大将軍になる」という夢を持っているのですが、その可能性を認められて、ロールモデルでもある王騎将軍の元でトレーニングを受けるのです。3本目の映画の中で語られていますが、その教育の効果が現われて、「飛信隊」というチームのリーダーとなり、実戦で大活躍をします。

また、昌文君が軍師学校を作って、将来の軍師を教育しているということも紹介されます。そこで戦略を勉強するのが、河了貂 (かりょうてん)と、蒙毅 (もうき)です。生徒は二人以外にもいるのですが、二人は、俯瞰できる場所で実戦を見学しながら勉強するというエピソードが紹介されます。



この二つの事例だけ見ても、秦が教育を重視しているということが言えるかと思います。現状に甘んじることなく、将来を支える人材育成に力を入れているんですね。

5. まとめ

これだけでも『キングダム』の中のいくつかの事例が、企業経営にとっても重要なことを示唆していると言えるかと思います。エンターテインメントにこういう意味づけをするのは嫌だという方もおられるかもしれませんが、この作品からは、いろんなことを学ぶことができます。

この時代から見れば後世の三国志の武将たちも、日本の織田信長や戦国時代の武将たちも、秦や春秋戦国時代の事例に多くを学びました。

今の中国を見ても、イデオロギーを中心にした国家統一や、言論統制、科学技術への集中投資、覇権の拡大など秦の時代をお手本にしているのではないかとさえ思えることもあります。「中国統一」という言葉さえ、別の意味で使われるようになっています。

テクノロジーは進化しましたが、基本的な部分は二、三千年前の時代と全く変わっていなんですね。同じ過ちは繰り返さないようにしたいですね。
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映画 『キングダム』を観て、相関図をパワーポイントで作ってみました

2023-09-11 09:47:30 | 中国
映画『キングダム』を観て、とても面白かったのですが、覚えにくい漢字の名前の人物が沢山登場してくるので、関係を整理してみたいと思いました。ごちゃごちゃした情報を見ると、私は、整理整頓してみたくなってしまいます。

以前、カメラの英文カタログの編集を長年やっていたのですが、複雑な情報を、限られた紙面にバランスよく盛り込むのが仕事でした。情報が整然と配列され、写真やイラスト、文章が美しくレイアウトされた作品を作ることに快感を覚えたものです。

映画『キングダム』の1と2はテレビで観て、3はつい最近、映画館で観ました。2を観た後に、相関図を作りたいなと思っていたのですが、すでに3が公開されていたので、これを観終わってから作りたいと思っていたのです。

この映画は、コミックを実写化した作品で、コミックを読んでいる人にはこの先の展開もわかっていますが、私はコミックを読んでおりません。従って映画の情報のみをベースに相関図を作っています。

なお、映画をまだご覧になっていない方には、ネタバレ的な部分もありますので、映画の内容を知りたくない方は、読まれないほうがよいかもしれません。映画を見てから、もう一度内容を再確認したい方にご参照いただけるのがよろしいかと思います。

シリーズ3の後もストーリーはさらに進行していくので、相関図と言っても、シリーズ1、2から3が終わった時点でのものになります。この後、新たな人物が登場したり、人間関係が変化したりすると思うので、この相関図が有効なのは、4が公開される以前までということになりますね。

この相関図を作るにあたって、登場人物の人間関係をバランスよくレイアウトしたいと考えました。中央部には、この映画のストーリーの主役である信と嬴政(えいせい)、漂(ひょう)を配置し、その下に河了貂(かりょうてん)と羌瘣(きょうかい)を並べました。



右側には、敵対する相手を、配置しました。シリーズ1の王弟・成蟜(せいきょう)とその一派、シリーズ2の蛇甘平原の戦いで敵対する魏軍、そしてその下にシリーズ3の馬陽の戦いで敵対する趙軍を配置しました。



画面左側には、秦の中枢からは少し離れた位置にいる登場人物を配置しました。秦国の中枢にありながら、微妙な立場の呂不韋(りょふい)、山の民とそのリーダーの楊端和(ようたんわ)を左端に置きました。山の民は地理的にも西方の山岳地帯に拠点を置いています。飛信隊のメンバーも左下にまとめました。



キングダムには数多くのキャラクターが登場してくるので、この相関図に入れられなかった人物も数多くいます。人選に関しては、いろいろとご意見もあろうかと思いますが、ご容赦願います。(誤字や情報の間違いがあれば、ご指摘ください)

登場人物と同様にわかりにくいのが、国の名前と位置関係です。映画の冒頭で、物語の開始の時代が紀元前255年と示されています。そして中国は7つの国に分かれているという説明が入ります。

この物語が開始する数百年前から中国は多くの国が乱立し、春秋戦国時代という時代が続いていました。国の大きさや位置も、連続的に変化してきています。

細かい地形は無視して、この時代の7つの国の関係を図式かしてみたのがこちらの図になります。



キングダムは、秦の国の話です。中国では海から最も遠い西の外れに位置する話ですが、映画の1は秦国内の内乱の話です。西方の山の民も登場してきますが、クライマックスは首都の咸陽宮での戦いになります。

映画の2は蛇甘平原での魏の国との戦い。そして3は馬陽での趙の国との戦いです。最終的には秦がすべての国を打ち破り、中華統一を成し遂げ、嬴政(えいせい)が秦の始皇帝となるのです。

映画の3では、趙の国の闇商人、紫夏(しか)のエピソードが語られます。趙の国で人質となっていた嬴政(えいせい)を、趙から秦に送り届けるのが紫夏です。また、秦の呂不韋(りょふい)も、元々は趙の商人で、嬴政(えいせい)の前に秦の王になる子楚が趙の人質になっていた頃から援助することで秦での地位を確保するのです。「奇貨居くべし」という古事成語は呂不韋に起因しています。

実は、春秋戦国時代は、個人的には大好きでした。中国の話は、宮城谷昌光さんという作家が、この時代の小説をずっと書いていて、40代の頃から読みあさっていました。こちらが、その頃読んだ、宮城谷昌光さんの春秋戦国時代(もっと昔の時代の話もありますが)の本の一部です。



キングダムの時代に一番近い作品は、『奇貨居くべし』ですね。呂不韋の話ですが。大半が『キングダム』の物語よりも昔の話ですが、40代から50代の頃、わくわくして読みました。『キングダム』で中国古代、春秋戦国時代に興味を持たれた若者には、宮城谷昌光さんの本はお薦めです。

『孫子の兵法』も、孔子の『論語』も『キングダム』の時代よりも250年くらい前の物なので、『キングダム』の時代にはすでに古典となっていたんですね。しかし、史実では、嬴政(えいせい)が始皇帝になった後、紀元前213年頃に「焚書坑儒」という言論統制政策が行われ、書物が焼き払われ、儒学者を含む学者を生き埋めにしてしまいます。巨大な国家をまとめていくためには言論統制も必要だったんですね。

始皇帝は、法で国家をまとめ、万里の長城を築き、貨幣や度量衡や文字を統一するという画期的な業績を残します。10年以上前に、仕事で上海に出張に行くことが多かったのですが、上海の上海博物館に何度か訪れました。そこで始皇帝が定めた、長さ、重さ、体積を厳密に計測する器具が展示されているのを見て、感動したのを思い出しました。

中華を統一するという誰もなし得なかったスケールの大きな業績もあるのですが、寸法や重さなどの細かい部分の統一にも厳密さを求めていたというのはすごいです。

秦は中華を統一してから15年ほどで滅びてしまうのですが、万里の長城や、兵馬俑(へいばよう)の遺跡は、今の時代も中国を代表する観光地ですし、郡県制などの国家統治のシステムなども今の時代に通じるものがあります。

『キングダム』の嬴政(えいせい)がやがて中華統一という夢を実現し、始皇帝となっていくという結末を、私たちはすでに知っているのですが、次から次へと訪れる困難を何とか克服していく姿に私たちは感動を覚えるのですね。
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