まわる世界はボーダーレス

世界各地でのビジネス経験をベースに、グローバルな視点で世界を眺め、ビジネスからアートまで幅広い分野をカバー。

ソアリン・ファンタスティック・フライト・ミュージアムをより深く鑑賞するために

2023-01-10 16:53:55 | トラベル
2019年7月、東京ディズニーシーにオープンした人気アトラクションの「ソアリン・ファンタクティック・フライト」。架空の乗り物「ドリーム・フライヤー」に乗って、世界各地の名所の上空をバーチャルに飛んでいくというアトラクションです。とてもリアルで、本当に上空を飛んでいるような感覚を味わうことができます。

しかし、今回ご紹介したいのは、「ドリーム・フライヤー」に至るまでの導入部である「ファンタスティック・フライト・ミュージアム」についてです。導入部ではありながら、ミュージアムとしての見どころが満載。展示物に関する詳細を知っていると、待ち時間が何十倍も楽しくなるので、ご紹介しておきたいと思います。

実は、ここに行ったのは昨年の5月のゴールデンウィークが終わって少しした頃でした。ディズニー・マニアの妻に誘われて行ったのですが、噂で聞いていたソアリンは以前からずっと体験してみたいと思っていました。そして、実際に体験してみて、それは想像以上の素晴らしさでした。しかし、そ以上に感動したのが、ファンタスティック・フライト・ミュージアムの展示だったのです。

2022年の春頃はコロナ禍がまだ継続していて、ディズニーシーも、まだ比較的空いていました。ソアリンのアトラクションは通常は何時間も待たないといけないこともありますが、この頃は、待ち時間はそれほど長くなく、この日は短時間に2回も入ることができました。だから、ミュージアムの展示物を細かく確認することができたのです。

それでは、まず、ソアリンのミュージアムについて述べる前に、このミュージアムのロケーションについて述べてみたいと思います。

ソアリンがあるのは、メディテレーニアン・ハーバーのポルト・パラディーゾというエリア



ディズニー・シーはいくつかのエリアに別れていますが、入口を入ってすぐのエリアが「メディテレーニアン・ハーバー(Mediterranean Harbor)」です。「地中海」を英語にすると「メディテレーニアン・シー」なのですが、「メディテレーニアン・ハーバー」というと、「地中海の入り江」という意味になります。

メディテレーニアン・ハーバーは、明確に表示が出ているわけではないのですが、3つの区域でできています。メインゲートから左の区域は、「パラッツォ・カナル(Palazzo Canals)」。水の都ヴェネツィア (ベニス)の雰囲気です。運河にかかる橋やゴンドラがポイントですね。「パラッツォ」というのは英語の“Palace"と同じような意味ですが、さしずめ「宮廷運河」というような意味になりますね。

メインゲートから右の区域は、「ポルト・パラディーゾ(Porto Paradiso)」。イタリア語の読み方は「ポルト・パラディーソ」なんですが、ディズニー公式サイトでは「ゾ」になっているので、それに従います。英語にすると、“Port Paradise"、つまり「楽園港」ですね。この区域は、イタリア西北部、ジェノア県の港町のポルト・フィーノ(Porto Fino)や、世界遺産のチンクエ・テッレ(Cinque Terre)などをイメージして作られているようです。ソアリンのアトラクションのあるファンタスティック・フライト・ミュージアムは、この区域の右奥にあります。

メディテレーニアン・ハーバーの対岸に昔の帆船(ガレオン船)と要塞のような建造物が見えますが、この区域は、エクスプローラーズ・ランディングと呼ばれる区域です。コロンブスとか、マゼランが活躍した大航海時代のスペイン、ポルトガルのイメージです。同じ地中海地域ですが、他のエリアと少し雰囲気が異なります。



パラッツォ・カナルもそうですが、ポルト・パラディーゾのエリアは建築物の雰囲気がまさにイタリア。実際に、イタリアに旅行に来たような錯覚になります。通りの表記もちゃんとしたイタリア語になっていますし、「トイレ」の表記も“TOLETTA" (トレッタ)とイタリア語になっています。

また上の写真にも写っていますが、アーチを抜けてソアリンの建物に向かう小道は、“Calle Pippo" (カッレ・ピッポ)という名前。“Calle"というのは、英語の“Alley"、つまり「路地」とか「小路」というような感じです。“Pippo"というのは、英語では“Goofy”。「グーフィー」のイタリア語名称は「ピッポ」なのですね。なので、「グーフィー通り」。このように、ディズニーのキャラクターの名称のついた地名がいくつかあります。

ちなみにこのすぐそばにある“Via Paperino"というのは、イタリア語で「ドナルド通り」ということになります。

また壁に書かれているイタリア語の文字も意味がわかるともっと楽しくなります。例えば、上の写真にある、“Godiamoci la primavera tutti insieme"というのは「みんなで一緒に春を楽しもう!」という意味ですね。季節に合わせて書き換えているのかもしれませんが。

さて、ソアリンの「ファンタスティック・フライト・ミュージアム」は、ポルト・パラディーゾの奥のほうにあります。それでは、このミュージアムへの旅を始めることとしましょう。

ファンタスティック・フライト・ミュージアム



ソアリンに乗る前にも、“Buon viaggio" (ブオン・ビアッジョ)という呼びかけが使われますが、これはイタリア語で「よい旅を」という意味です。フランス語だと「ボン・ボヤージュ」ですね。

ソアリンのメインアトラクションのウェイティング・エリア全体が「ファンタスティック・フライト・ミュージアム」となっています。このミュージアムの時代設定は、20世紀初頭の1901年。この展示の主役であるカメリア・ファルコという女性はこの年にはすでに死去しているのですが、ミュージアムでは、「カメリア・ファルコ生誕100周年特別展」が開催されています。庭園から屋内に入って、まず最初に見ることになるのは、ミュージアム・ロビーの展示です。

ディズニーの世界は「夢と魔法の王国」と言われているように、このミュージアム自体も、その展示も、人物も、歴史も、すべて想像上のものなのですが、それが最終的な飛行体験を盛り上げるために効果的に機能しているのです。

この展示をより理解するためには、カメリア・ファルコという人物について知っておく必要があります。



上の図は、自分で作ったものですが、カメリア・ファルコの生誕から1901年までの歴史を整理したものです。カメリア・ファルコは、1801年に、チェリーノ・ファルコとジュリアーナ・ファルコの間に生まれました。正式名は、カメリア・ヴァレンティナ・ファルコ。生誕地は、ポルト・パラディーゾです。

博物館が完成するのは1815年9月4日。1831年、カメリアが30歳の時、熱気球でザンベジ河の旅を行います。ザンベジ河というのはアフリカのザンビア、ジンバブエを流れ、モザンビークでインド洋に注ぐ長い河川です。この時代に、しかも女性で、気球でアフリカを旅するという設定はすごいですね。

そして1850年、父親の後を継いで、ファンタスティック・フライト・ミュージアムの二代目館長に就任。翌1851年には、S.E.A.の女性初の会員になるのです。S.E.A.とは、世界のディズニーワールドにおいて、探検家・冒険家である架空のキャラクターが所属する架空の団体、『Society of Explorers and Adventurers』(探検家冒険家学会)の略称です。詳しい展示は、フォートレス・エクスプロレーションにあるようですが、ヴァスコ・ダ・ガマ、コロンブス、マルコ・ポーロ、レオナルド・ダ・ヴィンチら実在の歴史的人物が名を連ねています。

ソアリンの乗り物である「ドリーム・フライヤー」はこの前後で発明されたと思われます。ライト兄弟が世界で初めて飛行機で飛んだのが1903年のことなので、ドリーム・フライヤーはかなり画期的な存在だったはずです。

カメリア・ファルコは1875年に亡くなります。1801年生まれなので75歳。今で考えればまだ若いですね。彼女の死後、このミュージアムは、S.E.A.に寄贈され、1901年にカメリア・ファルコ生誕100周年の回顧展が開催されるというわけです。

私たちが目撃するのは、1901年のこの回顧展の会場なのです。

ファンタスティック・フライト・ミュージアムの歴史



このミュージアム内の展示はすべて架空の物語ですが、ミュージアムロビーではその歴史が展示されています。細かい説明を見ていくと、とても面白いですね。

例えば、1807年の起工式では、父親のチェリーノ・ファルコ氏が土を掘っている絵があります。背後に奥さんと6歳の頃の娘が見えています。父親の肩に停まっているのがアレッタというハヤブサ。これは後にカメリア・ファルコに引き継がれることになり、ファルコ家の重要なメンバーとなります。最後の部屋にもこのハヤブサの彫像が置かれています。

実は、この一家の苗字の「ファルコ」(Falco)とは、イタリア語で「ハヤブサ」を意味しています。したがって、これらの絵の中に登場している鳥のハヤブサはファルコ家のシンボル的存在なんですね。

実はこの土地の斡旋と建物の施工を行なったのは、ザンビーニ・ブラザーズという会社。彼らはこのポルト・パラディーゾでは有力な地主だったんですね。ディズニー公式によると彼らは3人の兄弟のようですが、不動産業、建築業、ワイン畑、ワイン生産、オリーブオイルの生産、ホテル、レストランなど手広く経営する会社のようです。ザンビーニ・ブラザーズ・リストランテというレストランがありますが、これはこの会社所有のレストランだったんですね。

1815年9月4日に完成式典が挙行されますが、上の一番右がテープカットの絵です。後ろに奥さんと、14歳になったカメリアの姿があります。よく見ると、ハヤブサのアレッタは父親ではなく、カメリアの腕のところにいます。

テープの両端を持っている二人の紳士がひょっとしてザンビーニ兄弟なのかもしれません。

この時使用されたであろう鋏とテープの実物が展示されています。

ミュージアムには日本からの使節団も訪れていた!



ミュージアムロビーの壁面の一角に、世界各国からの訪問客を描いた絵が数枚展示されています。インドやロシア、アラビア、ハワイなど様々な国からの賓客の訪問の絵の中に、日本からの使節団が訪問している場面の絵があります。

日本からの数名の使節団を迎えているカメリア・ファルコ。その肩には、ハヤブサのアレッタが羽根を大きく広げています。この絵にはイタリア語でキャプションが付いていますが、これを日本語に訳すと、「やんごとなき身分に見える日本の紳士たちを迎えるカメリア・ファルコ(1872年)」という意味になります。

この年、カメリア・ファルコは71歳。日本風に深々とお辞儀をしています。日本側の一団を見ると、従者たちが洋装なのですが、先頭の代表者だけは和装で、独特の髷をゆっています。

後で調べてみたら、これは岩倉具視(いわくらともみ)のようですね。岩倉具視は幕末から明治の時代に生きた有名人で、500円札にもなったあの人です。

実は、この絵に描かれた1872年(明治5年)前後、岩倉使節団が欧米を訪問しているのです。日本を出発したのは明治4年(1871年)、各地を回り、日本に帰国するのが明治6年(1873年)、イタリアも訪問している記録があります。

上の写真の左下の写真は、ファンタスティック・フライト・ミュージアムとは関係がない写真で歴史の文献に出ているものです。使節団の記念写真のようですが、ここに写っているのは、左から木戸孝允、山口尚芳、岩倉具視、伊藤博文、大久保利通。明治の日本を支えた錚々たる面々です。

この写真の岩倉具視の髷の形と衣装、絵の中の人物と酷似しています。この絵は岩倉使節団の写真を参考にして描かれたものと推測されますね。建物の向こうには桜の花が咲いているように描かれています。

おそらく、これらの絵の一枚一枚にこうしたエピソードがあるのでしょう。

古今東西の飛ぶことへの夢が展示されている



ミュージアムのレセプションロビーから、博物館の受付を通ると、ドーム天井の広々とした展示室に誘われます。ここは常設展なのでしょう。中央部には古代エジプトにあるようなオベリスクが設置されています。オベリスクの4つの面は象形文字が刻まれています。オベリスクの下の部分には、冒険、発見、発明、ロマンスというS.E.A.の4つの主要ジャンルのプレートが嵌め込まれています。

壁面には世界各地での飛ぶことをテーマにした絵画がぐるりと展示されています。象が空を飛んでいたり、忍者が凧のように空を飛んでいたり、どれもありえない出来事ばかりです。それらが大真面目に展示されているところが面白いですね。

空飛ぶ絨毯の切れ端や魔法使いの箒も展示されている!



この常設展に展示されているアイテムは、つい見過ごされてしまいそうなのですが、よく見ると実に面白いものが多くあります。例えば、上の写真の左にあるのは、額縁の中に収められた絨毯の切れ端。イタリア語のプレートが付いているのですが、日本語に翻訳すると、こんな感じになります。「1001回目の飛行の後の空飛ぶ絨毯の破片(8世紀)」何と夢のある展示なんでしょう。

そして右のアンティークな額縁の中には、魔法使いの箒が展示されています。空中を飛行することへのありとあらゆる事象が展示されているんですね。

飛ぶことの夢は植物の種にも共有されている?



このミュージアムには、こんな植物学的な展示もあります。植物の種子の中には実際に大きな羽根を持っているものがあります。植物は子孫を残すために種子をできるだけ広範囲にばら撒く必要を持っていて、その目的のために進化している植物があります。まるで鳥や昆虫の羽根のような形になっている種子が実際にあるんですね。左上の書物にはタンポポが描かれているんですが、タンポポの種子がどうやって風に乗って遠くまで飛翔できるのかを科学的に説明しているようです。

実は、私は昨年までシンガポールにいたのですが、シンガポールのボタニックガーデン(植物園)にある「種の博物館」を見たことを思い出しました。植物の種子たちが生存競争を勝ち抜くために、種を遠くまで拡散する工夫を各植物がしているのです。それがアカデミックに展示されていてある意味感動的でした。



シンガポールのこのミュージアムは植物園の片隅にあるのですが、ガイドブックにも載っていないので、シンガポールにいる人もあまり知りません。私としては大好きなミュージアムの一つです。

ありえないイカロスの予備パラシュート



常設展エリアには、こんな壺も展示されています。古代ギリシャの壺のようで、何気なく通りすぎてしまいそうですが、よく見ると何か変です。これはギリシャ神話のイカロスが空から落下する場面なのですが、パラシュートのようなものをつけています。タイトルプレートのイタリア語の文字を見ると、「平壺に描かれたイカロスの壊れた翼のためのバックアップ(およそ紀元前5世紀)」と書かれています。

この壺の絵は、奥で飛んでいるのが父親の大工のダイダロス。手前のパラシュートで落下しているのは子供のイカロスです。

空飛ぶ羽根を作ったのは、大工のダイダロスですが、子供のイカロスにもそれを与えます。羽根は蝋で繋ぎ合わせているので、太陽の近くに行くと蝋が溶けてしまいます。ダイダロスは、決して太陽には近づくなとイカロスに忠告します。しかしイカロスは調子に乗って、太陽の近くまで飛んでいってしまうので、蝋が溶けて地上に落下して、死んでしまうというのがオリジナルのお話。

しかし、展示されているこの壺に描かれているのは、非常用のパラシュートをつけたイカロス。おそらく、こんなこともあろうかと父親のダイダロスが作っておいたものなのでしょう。父親の先見の明のおかげで、イカロスが死なずにすむというわけです。こういうちょっとしたユーモアもよいですね。

飛ぶことを目指した生物たち



こちらの展示物ですが、一番左のキャプションは「飛翔可能な生物たち」という絵。鳥や昆虫が飛べるのはよいのですが、この中にエイや、イカや、カエルなども入っているところがちょっと面白いです。ビジュアル的には飛べそうなのですが、本当は空を飛ぶことなどはできません。

真ん中の空飛ぶペンギンの絵。キャプションは「小さな翼に大きなハート」。ペンギンは飛ぶことはないのですが、空を飛んだペンギンもいたのかと思えてしまいます。この絵に「1870」という年号がついてるのですが、これはカメリア・ファルコが69歳の頃のものです。この常設展部分の展示は父親のチェリーノ・ファルコが作ったものだと思っていたのですが、1870年のこの作品は、明らかにカメリア・ファルコが入れたものですね。

カメリア・ファルコはどういう思いでこの空飛ぶペンギンの絵をここに飾ったのかを考えると、感慨深いです。

一番右の化石の展示ですが、始祖鳥の化石の下にトビウオの化石とアンモナイトの化石が混在しています。これもよく見ると変ですよね。トビウオが飛んだ状態で、しかも群れで飛んでいる状態で化石になるというのはありえないですね。

このミュージアムの展示物は、一見、歴史的なものが展示されているように見えながら、実は、すごいユーモアが盛り込まれているのですね。それがわかるととても楽しくなります。

このミュージアムを作った父親のチェリーノ・ファルコは、人類の空を飛ぶという夢をテーマに、古今東西のありとあらゆる絵画、文献、工芸品、生物学的、考古学的な品物を徹底的に収集したようです。ここまでマニアックによく集めたものだと思います。

飛行機が発明されるのが、このカメリア・ファルコ生誕100周年が開催されている1901年の2年後のことなのですが、このアトラクションの最終展示物であるソアリンの乗り物が、人類(動植物も含めて)の夢の上に構築されたものであることがわかります。ソアリンはただ空を飛ぶ感覚を楽しむというだけのアトラクションではないのです。

カメリア・ファルコ本人のブリーフィング

この常設展の展示を見終えると、私たちは、「カメリア・ファルコ生誕100周年記念展示」の部屋に誘われます。



この部屋には、カメリア・ファルコにまつわる様々な興味深い物が展示されています。しかし、残念なことに私たちは、その展示をじっくりと見ることはできません。「ドリーム・フライヤー」に乗るためのブリーフィングが行われるからです。機会があれば、この部屋の展示物をじっくりと眺めたいものですね。

正面にカメリア・ファルコの肖像画が飾ってあります。そしてその右側にはハヤブサのアレッタの彫像があります。室内が暗くなると、何と肖像画のカメリア・ファルコが動き出し、彫像であるはずのハヤブサのアレッタが上空に舞い上がり、カメリア・ファルコの腕に停まるのです。

この仕掛けは何度見ても素晴らしいですね。この生誕100周年記念展が行われている1901年には、カメリア・ファルコは生存していないはずです。1875年に74歳で亡くなっており、死後26年が経過しています。そんな彼女がまるで生きているかのように語り出すので驚いてしまいます。

ソアリン・ドリーム・フライヤーはカメリア・ファルコの、空を飛ぶことへの夢と情熱が創り出した作品です。それを私たちは実際に体験することになるのですが、そのブリーフィングを死んだはずの彼女自身が行うというのがまた感動的です。

そしてこのブリーフィングを締めくくる言葉が、“Buon viaggio"(ブオン・ヴィアッジョ)という言葉。イタリア語で「よい旅を」という意味ですが、この後、私たちが経験するのが、まさに世界旅行なので、これほど的確な言葉はありません。イタリア語の正確な発音で、この言葉の意味を味わいたいと思います。

エピローグに代えて — カメリア・ファルコとアメリア・イアハート



カメリア・ファルコは空想上の人物で、ディズニーのオリジナルの人物ですが、名前は20世紀初頭に女性飛行家として一世風靡したアメリア・イアハート(Amelia Earhart, 1897-1937)をモデルとしていると言われています。「カメリア」と「アメリア」、音が非常に似ていますね。

日本では、大西洋を単独飛行したチャールズ・リンドバーグは有名ですが、アメリア・イアハートは彼ほどは知られていません。しかしリンドバーグが大西洋横断単独飛行の記録を打ち立てた5年後の1932年、女性として初めて大西洋を単独飛行し、時の人となります。1937年、赤道上の世界一周飛行に挑戦するのですが、南太平洋で行方不明となります。欧米では非常に人気があったと言われています。

原田マハさんが、「翼をください」という作品を書いていますが、これはアメリア・イアハートを題材にしています。あと、今年のNHKの朝ドラの「舞い上がれ!」で、大学のサークル「なにわバードマン」の由良先輩が、アメリア・イアハートのことを何度か語る場面があります。

由良先輩が、アメリア・イアハートの言葉として紹介するのが、「一番難しいのは、やろうと決意すること。あとは諦めずにやるだけ」という言葉。感動的ですね。おそらく、ソアリンを作ったカメリア・ファルコもそんなことを思っていたのではないかと思います。

不可能と思われていた空を飛ぶという夢。ライト兄弟は20世紀初頭に飛行機という形で実現するのですが、カメリア・ファルコはそれより前にイマジネーションと情熱の力でソアリンを完成させていたんですね。

19世紀のイタリアの港町、ポルト・パラディーゾで、飛行マニアの父親の影響を受けながら育ち、周りには「女だてらに」と言われながら、飛行冒険家の道を進み、「ドリーム・フライヤー」を完成させたカメリア・ファルコ。その存在は、イマジネーション上の人物でありながら、リアルな一人の人間として、私たちに感銘を与えています。ソアリンの体験がバーチャルでありながら、本当の飛行体験と感じられるのは、彼女のおかげかもしれませんね。
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2023年の手帳の色に込められた思い

2023-01-03 22:31:08 | トラベル
今年の手帳はどうしようかと悩んだあげく、結局「ターコイズ」にしました。青と緑の中間的な色ですが、宝石のトルコ石(ターコイズ)の色ということでこう呼ばれています。「ターコイズブルー」とも、「ターコイズグリーン」とも言いますが、「ターコイズブルー」の印刷の色はC(シアン)80、M(マゼンタ)0、Y(イエロー)20、K(ブラック)0という組み合わせ。写真で撮影しても本物の色が正確に再現できていない気がします。

2022年の手帳の色も一見同じような感じなのですが、こちらは「ピーコックグリーン」という色。ぱっと見はほとんど違いがわかりません。2021年の手帳を見たら、こちらも「ターコイズ」でした。

2020年以前は、ネイビーが多かったのですが、ダークブラウンのもありました。数年前から同じブランドの同じシリーズの手帳を使っていて(昨年はちょっとだけデザインが違っていましたが)、「日経WOMAN」のロゴが帯に小さく印刷してあるので、女性をターゲットにしたデザインかと思いながら、それに惑わされることなく使っていました。

実は、今年はこれまでと雰囲気変えて、ブルー系にしてもよいかと思っていました。大晦日に書店の文房具売り場で、いろいろと見比べたのですが、一瞬良いと思ったネイビーやダークグレーも、何か暗いなと思ってしまったのです。それに比べて、「ターコイズ」の色が明るく輝いてみえました。これから一年付き合っていくのは、やはりこの色しかないと思い、結局、この色にしたのでした。



この色から感じたのは、南の太陽の光溢れるビーチリゾートの海の色でした。そこにあるのは、自由、リラックス、ワクワク感などです。実際に訪れたいくつかのビーチの思い出とともに、心が解き放たれる雰囲気が好きで、この色を選んだのです。

まず心に浮かんだロケーションは、バブルの時代に出張の途中に寄ったフランスのコートダジュールでした。



スマホもインターネットも存在しない時代であり、海外出張も今では信じられないくらい余裕がありました。一緒に出張に行った上司が、せっかくヨーロッパに来たからということで、マルセイユから電車で南フランスを旅することにしました。ガイドブックを調べて、コートダジュールをうろうろしたのですが、ニースの近くのカーニュ・シュルメールという海辺の町で一泊しました。とても雰囲気のある町で、魚介類は美味しいし、ヨーロッパの贅沢な雰囲気をまだ20代の若造が楽しむことができました。



90年の終わり頃からよく行ったのがプーケットでしたが、プーケットから船で行けるピピ島のビーチの美しさは感動的でした。



サムイ島も何度か行きましたがここの海も素晴らしかったですね。



シンガポールに全部で15年以上いたのですが、シンガポールは周りを海に囲まれていながらもダイビングを楽しむためにはマレーシアとかに行かなければなりませんでした。マレーシアのティオマンはシンガポールから最寄りのダイビングスポットでした。



フロリダ半島の先端部の道路をキーウェストまで行ったことがありますが、これもビーチの思い出です。



インドのゴアも撮影で行ったことがあります。ちょっとエキゾチックですが、ゴアのインド料理はすごく美味しかったです。



ハワイの海もいろいろと行きましたが、ビーチリゾートとしてはやはり秀逸です。



トロピカルリゾートというわけではないですが、三宅島はダイビングをしに何度か行きました。

というわけで「ターコイズ」の色にはこんな様々な記憶がまとわりついているのです。

最後に、この手帳についていたカードのコピーが印象的ですので、ご紹介しておきましょう。



「何かをやりたいと思う気持ちは、ひとつの奇跡だと思う。誰かに強制されるでもなく、心に湧き上がる衝動。きっと、その衝動こそが、人生を自分の色に染めていく。この手帳に嘘はいらない。小さくてもいい、らしくなくてもいい。やりたいことこそ、やるべきこと。ノルティと歩む一年が、あなただけの彩りで満ちますように」

何て勇気付けられる文章なのでしょう。これがまた私がこのブランドの手帳が好きな理由の一つです。

今年一年がわくわくするようなスケジュールで満ちますように。
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2023年の1月1日に思ったこと

2023-01-01 17:49:18 | Life

2023が始まりました。徒然なるままに、大晦日から今日に至ることを書いてみたいと思います。



NHKの紅白歌合戦の中で特に印象に残ったのは、「時代遅れのロックンロールバンド」でした。かっこよかったですね。実は、このメンバーは1955年〜56年の同学年で結成されたグループ。昭和でいうと30年・31年です。私も同じ学年なので、彼らの歌と演奏は心に沁みました。



この曲がリリースされたのは昨年の中旬ですが、とあるオンラインセミナーで私が自己紹介する際に、上のようなスライドで紹介したことがありました。じつはこの年代、スティーブ・ジョブズ、ビル・ゲイツもいるし、明石家さんま、上沼恵美子、郷ひろみなどもいるんですね。

「時代遅れのロックンロールバンド」の演奏は、我々世代(およびそれ以上)を元気づけてくれるエールでした。昨年見た「トップガン・マーヴェリック」も、ベテランの経験は若さに勝るということを感じさせてくれました。



大晦日の日に、松下幸之助の「道をひらく」の本を買いに、日本橋丸善に出かけたのですが、そこでたまたま見つけた本が、「教養の語源英単語」という本でした。清水健二という著者です。何と、上智大学英文学科卒業とあるではないですか。しかも調べてみると1955年生まれ!私も上智大学英文科卒業なのですが、この人は知りませんでした。私は一年浪人しているので、一学年上なのかもしれません。

さらに驚くことにこの人は、「語源図鑑」という本の著者だったのではないですか?!この本は何年か前に持っていて、イラストの図解が素晴らしく感動した覚えがありました。2021年の暮れにそれまで長年住んでいたシンガポールを引き払う際に、本を大量に処分したのですが、その時処分してしまっていました。

「教養の語源英単語」の本は買いましたが、同学年の人間が活躍しているのはジェラシーを感じてしまいます。と同時に頑張るためのエネルギーももらえる気もします。



大晦日にあわてて日本橋丸善に出かけたのは、松下幸之助の「道をひらく」という本を買うためでした。じつはその日の朝のテレビの番組で、ワールドカップで活躍した田中碧選手がインタビューされているのを見たからです。彼は本を読むのが好きで、愛読書としてこの本のことを話していました。

ビジネスマンが読むならわかるのですが、まさかサッカー選手が、とちょっとその意外性にショックを受け、買わなければと思ってしまったのです。丸善の書店ではこれが最後の一冊でした。



上の画像は「道をひらく」の中の一部ですが、正論ではあるけれどあらためて聞くと、心に染みる言葉です。

今年は始まったばかりですが、そのタイミングを虎視眈々と待ちたいと思います。大袈裟な決意とかではないのですが、勝負の時はまだまだこれからだと思っています。

お読みいただきありがとうございました。皆様にとりましても本年が良い年となりますようお祈りしております。
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