まわる世界はボーダーレス

世界各地でのビジネス経験をベースに、グローバルな視点で世界を眺め、ビジネスからアートまで幅広い分野をカバー。

インドにおける数字の迷宮

2011-06-29 00:12:53 | インド

こちらも以前別のブログに書いたネタなの
ですが、インドの数字のお話し。インドに
行って、仕事の話しをしていると、ラック
とかクローという聞き慣れない単位がばん
ばん出てきて目眩がすることがあります。
ラックとは10万、クローは一千万を意味
する言葉です。

さらにこんがらがるのは、インドの位取り。
我々の数字の世界では、ゼロが3個でカンマ
が来るのですが、インドの場合、最初のゼロ
が三個(千の位)でカンマまではよいのです
が、そこから上はゼロが二個づつでカンマに
なります。

これを知らないと、こんがらがります。
カンマが二つついているから100万かと思う
と10万のことだったりします。ゼロを一個
読み違えると大変なことになります。

ビジネスで使われるのは、ラックとクロー
までくらいですが、実はインドはすごい
数字の体系ができているんですね。こんな
感じです。



インドの数字の数え方は、他の言語のよう
に簡単ではありません。1から99までそれ
ぞれの呼び方があり、これをそれぞれ覚え
ないといけないのですね。これもまた頭が
くらくらしそうです。興味のある方はこちら
を参照ください。
ヒンディー語/単語・熟語/数
何となく法則がありそうで、なさそうで、
結局これを全部覚えないといけないようです。

インドは世界でも最も数字に強い国民と言わ
れています。99X99まで暗算できると物の本
に出ていたりするのですが、インド人に聞く
とそんな上の数字まで暗算ではできないよう
です。できる人もいるのかもしれませんが。

シンガポールなどの両替商はインド人が多い
ですが、数字にはめちゃめちゃ強い感じです。
おつりの計算もあまり悩んだりしない。

インドはゼロが生まれた国と言われています。
数世紀のことだと言われていますが、インド
で生まれたゼロの概念が、アラビアに伝わり
アラビア数字と呼ばれる数字の体系が西洋に
伝わっていくのですが、ゼロの発見というの
はすごいことだったのですね。

吉田洋一著「零の発見」(岩波新書)を読む
とそのへんの歴史的なことがよくわかります。



数字のゼロがなかったヨーロッパでは計算が
相当大変だったようですね。今でも欧米の人
はおつりの計算とか苦手な人が多いですね。

インドで生まれた仏教も「空」という概念を
基本にしています。般若心経の「色即是空、
空即是色」というやつですね。吉田洋一氏は
仏教の空とゼロの関連に関しては、それほど
乗り気ではないのですが、ヒンディー語では
今日でもゼロのことを「シューニャ」と発音
しています。そして仏教で言う「空」も
「シューニャ」。空=0なんですね。

ゼロがインドで生まれたのは、仏教の思想的
背景があると言う人もいるのですが、何だか
不思議な関係がありそうです。実は仏教とは
数学理論だったのかという勝手な推論もでき
そうな気もします。

ゼロのことをヒンディー語では「シファル」
とも言うようですが、アラビア語で「シフル」
と呼ばれるようになります。これがラテン語
化し、英語になったのがゼロだと言われてい
ます。

英語のCipher(サイファー)という言葉の
語源は、この「シフル」だったんですね。
ゼロに関して不思議な感覚を持っていた欧米
人は、その言葉に「暗号、符丁」という意味
を持たせました。今、「サイファー」という
ストリート系の詩やラップのパフォーマンス
が流行っているみたいなのですが、これまた
不思議な現象です。

ゼロという概念は極めてインパクトのある
コンセプトだったということですね。それ
を生み出したインド人は偉大です。

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あの世に行ってもルイ・ヴィトン

2011-06-28 00:16:02 | 中国

2008年の4月にシンガポールで撮影した
写真です。以前もブログに書いたことが
あるのですが、住宅地のマーケットを歩い
ていたら、LVのマーク。なんとそれは、
葬儀グッズを売っているお店。紙でできた
ルイヴィトンのバッグなのでした。

中華圏の葬儀・法要では、故人が生前愛用
した物のレプリカ(紙でできたもの)を
埋葬するなり、燃やすなりするようなの
ですが、ルイヴィトンというのがすごい。

このような葬儀・法要のグッズを売って
いる店は、シンガポールやマレーシアでは
よく見かけましたが、紙でできたお金や、
車、携帯電話など、実にさまざまなものが
あります。しかしこのLVはちょっとすごい。

あの世までもLVのバッグを身につけて
いたいと思う中華圏の人はよほどの見えっ
ぱりというかブランド好き。さすが中華圏。

版権の問題などもあるのでしょうが、死後
の世界ではこの世の法律も関係ないので
ありましょう。

2010年のLVMH社(ルイ・ヴィトンの親
会社)の年間売上は203億ユーロ(約2兆
2500億円)、経常利益は43億2000万ユー
ロ(約4780億円)で、過去最高を記録した
のだそうですが、主力ブランドのルイ・
ヴィトンが営業利益の半分を占めていたの
だそうです。また、この中で、最大の購買
地域は日本を除くアジア、なかでも中国の
消費者がすでに日本、米国、韓国を抜いて、
世界の最高の「上客」となっているのだ
そうです。

かつては、日本人が最大の「上客」だった
のですが、今は「中国人」です。中国人は
中国本土でも買うのですが、香港や、ロン
ドン、パリなど外国に出かけて行ってどん
どん買っています。

香港やマカオでも中国本土からの観光客を
よく見かけるのですが、ルイ・ヴィトンの
お店で買い物としているのは、ほとんどが
本土からの中国人です。香港は消費税が
ないので、買い得な感じがあるのでしょう。

2008年の3月に香港のチムシャツイに
LVの旗艦店がオープンした時には、スター
フェリーの船までこんな感じになっており
ました。



水夫さんたちもこんな感じ。



なんかいい感じ。

ところで、日本人で初めてルイ・ヴィトン
の製品を愛用した人物は、土佐の後藤
象二郎だったんだそうです。昨年の大河
ドラマの「龍馬伝」で坂本龍馬にやたら
絡んでいた人物です。パリに行った時に
本店で鞄を購入していたのだとか
(とウィキペディアに出ていました)。

私も一時、My Wifeに誕生日プレゼント
で貰ったルイ・ヴィトンの財布を持って
いたのですが、香港からマカオに向かう
時に、タクシーを降りる所で紛失して
しまったことがありました。
すぐに警察に行って、紛失届けを出し、
カードを止めたのですが、失ったお金
よりも、折角のプレゼントを失ったこと
のショックは絶大でした。

一緒にいた出張者のF谷君にお金を借りて、
マカオのカジノでその損失を取り戻そう
と思ったのですが、それは叶わぬ夢でした。

その財布は結局出てこなかったのですが、
それを拾った人はさぞ喜んだに違いありません。

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88年前にあった大地震からの復興に学ぶ

2011-06-27 01:06:16 | 東京

その古風な建物は東京の墨田区の横網町
(よこあみちょう)公園の一角にあった。
清澄通りと蔵前通りの交差点の近くに、
ひっそりと佇むその二階建ての建物は、
公益財団法人の東京都慰霊協会が運営
する復興記念館という名前だった。

大正12年(1923年)9月1日に発生
した関東大震災の惨禍を後世に伝える
ために作られたもので、無料で展示物
を見ることができます。

震災関係の展示に加えて、東京大空襲
による戦災関連の展示もあるが、大半
が関東大震災のもの。

関東大震災では、東京だけで5万8千
人の命が奪われた。主な原因は火災。
昼直前に地震が発生したことと、風が
吹いていたことで、火が一気に市部を
焼き付くし、東京の戸数の約7割が消失
したと言われています。

中でも被害が多かったのが本所区(今
の墨田区)、中でも本所横網町の
陸軍被服省跡の空き地(現在の横網町
公園)だったのだそうです。この空き
地に非難してきた人たちの約3万8千
人の人々が一度に火に飲まれたのだそ
うです。



この上のグラフは区別の被害者数なの
ですが、本所区が圧倒的に多いです。

この復興記念館には、被害の痛ましさ
を示す展示物も多いのですが、私が
注目したのは、海外からの救援活動と
政府の復興対策に関する展示でした。

今年の東日本大震災も海外からかなり
の義援金や救援活動の手が指しのべら
れたのですが、今から88年前の1923
年も同じような状況だったようです。

やがて間もなく太平洋戦争でアメリカ
は敵国になるのですが、この当時、
アメリカはかなりの義援金を日本に
送ってきたようです。



こちらは、日本を助けようと訴える
ポスター。





日本を助けるために義援金を募る文章。



そしてこちらは義援金となる切手のようです。



またこちらはフランスから日本に送ら
れた医療器具。



時代は変わっても、国を超えて助け合うという
姿勢はこの時代からあったのですね。

そしてこちらの展示は、東京の復興計画。



財源と予算がかなりしっかりと計画されていました。



ここで学ぶべきは、政府の行動の迅速さです。

9月1日に地震が起こるや、翌二日には
山本権兵衛氏を首相とし、後藤新平氏を
内務大臣とする内閣が組閣され、応急の
救護費1000万円の臨時支出を決め、着々と
復興を進めていきます。そして9年後の
昭和7年5月には帝都復興事業が完成し、
東京が完全に新しい近代都市として蘇った
という歴史が、パンフレットに記されて
いました。

これを見ると、今の内閣の頼りなさに
憤りさえ感じざるをえません。技術的に
も遅れていた昔の政府がこれほどまでに
迅速に復興に対応していて、技術が進化
した現代の内閣がこんなにも緩慢な対応
をしているのです。科学技術は進化して
も、政治というものは進化することは
ないのでありましょうか。

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愛知県立成章高校の関東地区の2011年の総会・懇親会が開催される

2011-06-26 17:15:49 | 故郷

2011年6月25日(土)の午後、関東成章会総会・
懇親会が品川プリンスにて開催されました。参加
者総数は何と180人近いということで、歴代最高
の数だったようです。母校は昨年創立110周年と
いうことなので、歴史のある公立高校です。

愛知県立成章高校は、渥美半島の田原市にあり
ます。田原市は伊良湖岬などの観光地を擁する
風光明媚な町なのですが、農業生産高では市町村
別で全国一位を続けているんですね。メロンや
トマト、キャベツ、ブロッコリー、菊を始めと
する花き類、畜産業など、農業全般で日本の
トップクラスです。

農業だけでなく、トヨタなどの大規模な工場も
あったりするので、農業、工業、商業、観光の
バランスが見事に取れている自治体と言えるの
でしょう。成章高校は文武両道の伝統を持って
いるのですが、このバランス感覚がこの土地の
伝統なのでしょう。

渡辺崋山がこの町の誇りで、学校の校歌の
歌詞にもよく出てくるのですが、この人も
政治家でありながら、画家でもあり、著名な
文人でもありました。渡辺崋山が生きていた頃
田原藩の藩校として成章館ができるのですが、
それが成章中学となり、今の成章高校へと繋が
るのです。バランスのよさはその頃からの伝統
なのですね。

さて、一番上の写真は、関東成章会の池田会長
のご挨拶の様子です。



品川プリンスの宴会場は、成章中学の時の卒業
生から、今年高校を卒業した学生まで、半世紀
以上の年齢差の集まりです。

こちらは校歌の斉唱。



卒業生のプロのテノール歌手の伊藤潤さんです。
こんなすごい人が卒業生にいたんですね。
こちらが彼のウェブサイトです。
Passegiata del Canto
本当に校歌の格調があがりましたね。

そしてこちらが、恒例のビンゴ大会の景品と
して集まった田原の物産。さすが農業王国です。



こんなサインなどもありました。



早朝に田原を出発したバスで届きました。



さてこちらは、来年の2011年の世話役になる
高26のメンバー。



この年代は、在学中の昭和47年に母校の野球部
が春の選抜で甲子園に行った時の世代です。
生まれは昭和30年から31年にかけての年代。

この年代の有名人は、ビルゲイツとかいるんで
すが、他にも、郷ひろみ、西城秀樹、野口五郎、
松山千春、世良公則、麻丘めぐみ、アグネス
チャン、明石屋さんま、上沼恵美子、江川卓
などがいます。年齢的には55才から56才です。

来年の関東成章会は6月に行われるのですが、
もしこれを偶然に見ている卒業生で関東地方に
住んでおられる方は是非、ご連絡ください。

私は14年前から海外にいて、5年前から
ブログをやっていて、そこで成章高校のこと
や田原のことをたびたび取り上げていました
のでこちらにまとめてご紹介しておきます。

母校が選抜高校野球大会に出場する(2008年3月7日)

見ることのできなかった母校の成章高校の勝利(2008年3月24日)

母校の成章高校が甲子園で日本一になった(2008年4月5日)

TBSに敢然と抗議した愛知県田原市の真の実力(2009年1月6日)

菜の花の町(2010年3月23日)

愛知県の田原の高校の関東地区の総会に香港から駆けつける(2010年6月20日)

ふるさと3(2010年8月17日)

ふるさと2(2010年8月17日)

香港のスーパーで、故郷・田原のメロンに遭遇する(2010年7月9日)

外国化する豊橋(2006年11月25日)

今日は郷里の愛知県田原のお祭りに来ています(2008年9月14日)

なんだかいっぱいあります。これ以外にも
まだあるのですが、ずいぶんいろいろと
書いていたんですね。

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東京オリンピック招致の実現の可能性

2011-06-20 00:43:45 | オリンピック

東京都知事が、またまたオリンピック招致に
向けて動き出しましたね。「日本開催を目指す
たいまつを消さずにともし続けることは、
我が国の将来にとって大きな意義がある」と
6月17日の都議会定例会の所信表明で述べた
そうです。

「9年後の姿を披瀝するならば、世界中から
寄せられた友情や励ましへの返礼となるに
違いない」とも語ったそうです。

9年と言えば、関東大震災の時も9年で東京
が完全復興を遂げたのだそうです。たまたま
先日、墨田区横網町の復興記念館を訪問した
ので知っているのですが、今とは時代背景も
違うし、政府の対応も違う。また、原発の
問題とかなかなか解決できそうもない問題も
山積しています。

上の写真は2009年にコペンハーゲンでの
2016年開催地選考の時の東京都知事の
プレゼンテーションの時のもの。第一回の
投票に残ったものの、第二回目の投票で
敗退。リオデジャネイロが2016年開催地に
決定します。そこで相当な敗北感を味わった
はずなのに、再度のリベンジですね。
それもかなり無謀なリベンジです。

東京のプレゼンに関してはブログなどを見る
と評価は高そうに見えるのですが、私が
個人的に見る限り、東京のプレゼンは最悪
でした。大義もなく、論理もなく、プレゼン
手法も、演出も、言語表現能力も落第でした。

その時の十分な反省もないままにまた無謀に
も挑戦しようとしています。ちょっとこれに
関しては、正直皆さんどう思っているので
しょう。東京都民の皆さん、都民でない
皆さん、また被災地の皆さん、この招致に
関してどのように思っているんでしょう。

今日の読売新聞の社説を見てみたら、この
五輪招致には賛成のような事が書いてありま
した。だいたいこれに勝つ可能性が本当に
あるのでしょうか?

「都は、16年五輪のために積み立てた約
4000億円の基金を今も保有している。交通
機関や宿泊施設など優れた都市機能がある。
治安の良さも広く知られている」とその社説
は書いているのですが、もし4000億円の金
があるんだったら、むしろそれを直接復興に
使うべきなんじゃないのだろうかという疑問
が湧くし、東京の交通機関が世界に誇れる
というのは本当なのかという疑問とか、治安
の良さも本当にそうなのかいなと思ってしま
います。

福島の原発の安全性は本当に保証できるのか、
空中や海を汚染する放射能は本当に大丈夫
なのか、関東地方での地震は今後9年間、
起こらないと保証できるのか、テロがもし
仮に東京で企てられた場合、未然に防ぐ力は
万全か、震災の被害者たちはここ数年の内に
完全な生活力を取り戻せるのかなど心配の
種はいくつもあります。

またオリンピックと復興とを絡めるのが果た
してよいのかという疑問もあります。前回の
時にも、オリンピックと環境とを無理矢理に
重ねてアピールしたのですが、オリンピック
はあくまでもスポーツの祭典であり、これに
あまり政治経済的な意味を持たせすぎても
いけないのではないかという気もします。

前回の招致活動で招致委員会理事だった
荒木田裕子さんは「一回ダメでもチャレンジ
するのがアスリート。前回負けた瞬間から、
もう一回と思っていた。(中略)五輪招致は
アスリートと被災地の皆さんが一つになる
良い機会だと思う」とコメントしておりま
した。こういう綺麗ごとだけで五輪招致を
することは間違っているという気がします。



コペンハーゲンでのプレゼンに参加した
皆さんは、まるで鳩のようにキョと
キョとしていた鳩山さんをはじめ、プレゼン
はすべりまくっておりました。あまり厳しい
こと言っても可哀想なので、このへんに
しておきましょう。

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