まわる世界はボーダーレス

世界各地でのビジネス経験をベースに、グローバルな視点で世界を眺め、ビジネスからアートまで幅広い分野をカバー。

アマンダ・ゴーマンが大統領就任式で朗読した「私たちがのぼる丘」(The Hill We Climb)の詩(全文)

2021-01-22 21:56:06 | 文学的な

2021年1月20日、アメリカ合衆国の大統領就任式で、22歳でアメリカ初の桂冠詩人のアマンダ・ゴーマン(Amanda Gorman)が、詩を朗読しました。大統領就任式で詩の朗読は、1961年ケネディ大統領の就任式でのロバート・フロストなど何度かあったようですが、アマンダ・ゴーマンは最年少。黄色のコートで登場し、堂々と言葉の力で新たな時代の到来を告げました。こちらがその動画です。



日本では、こういう政治的な公式の場で詩人が登場することは稀ですが、アマンダ・ゴーマンの詩は、政治や社会の言葉を積極的に使っており、明るい希望に満ちたものになっています。言葉の力で、これから訪れる新時代を祝福するものでした。政治家の言葉は伝達に限界がありますが、詩は政治家では伝えられないものを伝えることができていたのではないかと思います。

タイトルは “The Hill We Climb”(私たちがのぼる丘)というもので、この就任式のために作られた詩です。書きかけだった詩を完成させたのは、1月6日の夜。その日に起きた議事堂襲撃事件の後のことでした。

この朗読を聞いてから、この詩について紹介しようと思い、自分で翻訳を始めたのですが、この数日で、いくつか翻訳が発表されました。しかし、彼女の朗読と、その独特のリズムと比べると、なんかしっくりきません。ということで自分で最後まで訳してみたいと思いました。下のリンクは、すでに発表されている翻訳です。

https://www.buzzfeed.com/jp/rikakotakahashi/the-hill-we-climb-translation

https://courrier.jp/news/archives/229523/

https://www.businessinsider.jp/post-228317

で、私の翻訳はこちらです。

The Hill We Climb
私たちがのぼる丘


When day comes we ask ourselves,
夜が明ける時、私たちは自らに問う、
Where can we find light in this never-ending shade?
終わりなき闇のどこに光を見出せるかを。
The loss we carry,
私たちが背負う喪失感、
a sea we must wade
渡らなければならない海、
We braved the belly of the beast
私たちは恐るべき困難に立ち向かってきた。
We’ve learned that quiet isn’t always peace
静けさが必ずしも平和を意味しないことを学んだ。
And the norms and notions of what just is
そこに存在する規範や概念が
Isn’t always just-ice.
いつも正義とは限らないことも。
And yet the dawn is ours before we knew it
そして気づかないうちに夜明けがやって来る。
Somehow we do it
なんとかして私たちはやり遂げる。
Somehow we weathered and witnessed
なんとかして乗り越え、そして私たちは知る、
a nation that isn’t broken
国が破壊されたのではなく
but simply unfinished
ただ建設途上であることを。
We the successors of a country and a time
一つの国、一つの時代を引き継ぐ私たち、
Where a skinny black girl
その国では、一人の痩せた黒人の少女でも
Descended from slaves and raised by a single mother
奴隷の子孫であり、シングルマザーに育てられていたとしても
Can dream of becoming president
大統領になることを夢見ることができる。
Only to find herself reciting for one.
そして、気がついたら自分が一人の大統領のために朗読をしている。
And yes we are far from polished
そう、確かに私たちは洗練からはかけ離れている。
far from pristine
清廉潔白からはかけ離れている。
But that doesn’t mean that we are
でもそれは私たちが努力して
striving to form a union that is perfect.
完璧な団結を目指すという意味ではない。
We are striving to forge our union with purpose
私たちが目指す団結は
To compose a country committed to all cultures, colours, characters and
conditions of man.
あらゆる文化、肌の色、性格、置かれた状況を尊重する国を造るためのもの。
And so we lift our gaze not to what stands between us
だから、私たちの間に横たわるものではなく、
but what stands before us
私たちの行く手にあるものに、私たちは目を向ける。
We close the divide because we know to put our future first
未来が一番大切と知っているので、私たちは分断を終わらせる。
We must first put our differences aside
私たちはまず相違を忘れなければならない。
We lay down our arms
上げた手を、私たちはおろす。
So we can reach out our arms to one another.
互いに手を差し伸べることができるように。
We seek harm to none and harmony for all.
誰にも危害を与えず、みんなに調和をもたらす。
Let the globe, if nothing else, say this is true:
少なくともこれだけは真実だと世界に言わせよう:
That even as we grieved, we grew
悲しんでいる間にも私たちは成長したこと
That even as we hurt, we hoped
傷つきながらも、希望を抱いたこと
That even as we tired, we tried.
疲れ果てていても、努力を続けたこと
That we’ll forever be tied together, victorious.
私たちは永遠に、力を合わせ、勝利することを
Not because we will never again know defeat
敗北を二度と味わいたくないからではなく、
But because we will never again sow division.
分断の種を二度と蒔きたくないからだ。
Scripture tells us to envision
聖書はこんなことを思い描けと言う:
That everyone shall sit under their own vine and fig tree
すべての人が自分の葡萄の木の下で、自分のイチジクの木の下で
And no one shall make them afraid.
安心して座ることができる状況を。
If we’re to live up to our own time
私たちが今の時代を生きるためには
Then victory won’t lie in the blade
勝利は刃(やいば)にあるのではなく
But in all the bridges we’ve made
私たちが作ったすべての橋にある。
That is the promise to glade
それは開けた土地への約束
The hill we climb
私たちが登る丘
If only we dare.
そんな勇気を持つことができたなら…
Because being American is more than a pride we inherit
アメリカ人であることは、我々が受け継ぐ誇り以上のものだから。
It’s the past we step into
それは私たちが足を踏み入れる過去、
And how we repair it.
そしてそれをいかに修復するかということ。
We’ve seen a force that would shatter our nation
私たちはこの国を粉砕しようとする力が、
Rather than share it
共有しようとする力の代わりに
Would destroy our country if it meant delaying democracy.
私たちの国家を破壊しようとし、民主主義を後退させることになるのを目撃した。
And this effort very nearly succeeded.
そしてその試みは成功するかのように見えた。
But while democracy can be periodically delayed,
民主主義は断続的な遅延を余儀なくされるが
it can never be permanently defeated.
決して永久に敗北することはない。
In this truth,
この真理において
in this faith we trust
私たちの信念において
For while we have our eyes on the future,
私たちが未来に目を向けている間は
history has its eyes on us.
歴史は私たちに目を向けてくれるから。
This is the era of just redemption.
今はひたすら償う時代。
We feared at its inception
当初は私たちは恐れていた。
We did not feel prepared to be the heirs
私たちは準備ができていないと思っていた。
of such a terrifying hour
そのような恐ろしい時代を相続するための準備が。
but within it we found the power
でもそんな中で私たちは見出した。
to author a new chapter.
新たな章を書き始める力を。
To offer hope and laughter to ourselves.
私たち自身に希望と笑顔をもたらす力を。
So while we once we asked,
だから、かつて私たちは尋ねた。
how could we possibly prevail over catastrophe?,
どうしたら私たちは破滅を生き延びることができるのだろうかと。
Now we assert
今、私たちは断言する。
How could catastrophe possibly prevail over us?
破滅がどうして生き延びられようかと。
We will not march back to what was
私たちは、過去の時代に戻りはしない。
but move to what shall be.
あるべき未来を目指して進むだけ。
A country that is bruised but whole,
傷ついた国だが、何も欠けてはいない。
benevolent but bold,
慈悲深いが、大胆。
fierce and free.
獰猛であり自由。
We will not be turned around
私たちは振り返ることはしない。
or interrupted by intimidation
躊躇が邪魔をすることもない。
because we know our inaction and inertia
怠惰や惰性は
will be the inheritance of the next generation.
次の世代に引き継がれてしまうことを私たちは知っているから。
Our blunders become their burdens.
私たちの躓きは次の世代の重荷となる。
But one thing is certain;
でも一つ確かなことがある。
If we merge mercy with might,
私たちが慈悲の心と力を結びつけ
and might with right,
力と権利を結びつければ、
then love becomes our legacy
愛が私たちのレガシーとなる。
and change our children’s birthright.
そして子供たちの生来の権利が変わっていく。
So let us leave behind a country
だから私たちに残された国よりも
better than the one we were left with.
さらによい国を後世に残していこう。
Every breath from my bronze pounded chest,
ブロンズの高鳴る私の胸からの一息一息で、
we will raise this wounded world into a wondrous one.
この負傷した世界を素晴らしい世界へと育てていこう。
We will rise from the gold-limbed hills of the west,
金色に縁取られた西部の丘から立ち上がろう。
We will rise from the windswept northeast
風吹く北東部から立ち上がろう。
where our forefathers first realized revolution.
そこは私たちの祖先が最初に革命を実現した場所。
We will rise from the lake-rimmed cities of the midwestern states,
中西部諸州の湖に面した都市から立ち上がろう。
we will rise from the sunbaked south.
太陽にこんがり焼かれた南部から立ち上がろう。
We will rebuild, reconcile and recover
私たちは再建し、和解し、修復しよう。
and every known nook of our nation and
そして我が国の隅々で、我が国と呼ばれる
every corner called our country,
すべての街角で
our people diverse and beautiful will emerge
多種多様の人々と美しさが姿を現す
battered and beautiful.
傷つきながらも美しく
When day comes we step out of the shade,
夜明けがやってくると私たちは闇から抜け出す。
aflame and unafraid,
光を浴びて、恐れるものなく。
The new dawn blooms as we free it.
新たな夜明けは、私たちがそれを解き放つとともに、一面に広がる。
For there is always light,
光はいつもある、
if only we’re brave enough to see it.
私たちにそれを見る勇気がありさえすれば。
If only we’re brave enough to be it.
私たち自身が光になる勇気がありさえすれば。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

インドでデジタル広告キャンペーンを開始

2021-01-19 13:10:47 | インド

某日本企業のインド向けデジタル広告キャンペーンが2021年1月18日から始まりました。一年前から受注がほぼ決まっていたのですが、コロナでずっと延期になっていたものです。最初は、インドのビジネス雑誌の中で最も読者数の多い雑誌に広告を出稿することで、その読者の大半を占めるビジネスエリート層にブランド訴求を行うという計画でした。

インドは、多言語の国です。ヒンディー語が人口規模では一番多いのですが、タミール語とか、ベンガル語とか、テルグ語など地域にとって数多くの言語が使われています。インド全体の公用語としては、英語とヒンディー語になるのですが、ビジネスの世界では英語が共通言語となります。従って、インドのビジネスエリート層が購読するような新聞や雑誌は英語になります。

インド全国のビジネス層にリーチする場合、一般の新聞や経済紙を使うとかなり高くなってしまいますが、英語のビジネス誌だとかなり効率的に広告キャンペーンを行うことができるので、この媒体に着目したわけです。ところが、すぐにコロナになります。インドが全国規模のロックダウンに入るのが2020年3月25日。このロックダウンは5月末まで継続します。

6月から"Unlock"ということでロックダウンが徐々に解除されることになるのですが、実はインドの感染者が急増するのはロックダウンが解除された後なのです。6月から9月まで、感染者が急増していきます。9月には、一日の感染者数が10万人に迫り、やがてアメリカを抜くかとも思われたのですが、9月中旬をピークに感染者数は徐々に下がっていきます。感染者の推移と、ロックダウンから"Unlock"への流れを示したのが下の図です。



ちょっと見にくいですが、上の段の赤い矢印がロックダウンの時期 (3月25日から5月末まで)。緑色が"Unlock"(ロックダウン緩和)の時期です。"Unlock"は6月から始まり、1月現在まで"Unlock 8.0"として継続中です。下の棒グラフは昨年2月からのインドの一日の感染者数の推移です。ロックダウンが始まった頃はほとんど感染者が少ない状況でした。累積ではアメリカに次ぐ感染者数のインドですが、2021年の1月中旬時点では1万人以下になるレベルにまで下がっています。また1月16日からインドでワクチンの接種も始まります。着実に収束に向かっているという感じですね。

3月25日から5月末のロックダウンの期間、一誌を残してほとんどのビジネス雑誌が印刷を停止してしまいます。雑誌は定期購読でオフィスや自宅に配達される以外に、書店や空港などで販売されるのも多く、オフィスが閉鎖になったり、外出規制などにより、読者数が減少するという事態に見舞われます。

こんな状況の中で、オンラインでメッセージを訴求したらコロナの影響を回避できるのではないかという話になり、雑誌媒体の予算をまるごとデジタル広告に移すことになります。

インドのビジネスエリート層をターゲットに、バナー広告を配信するということになるわけですが、グーグルとかの特定のアドネットワークではなく、フェイスブックやインスタグラムなども含めた複数のネットワークを対象にしたプログラムで広告配信をすることにしました。特定のサイトや、特定のページに広告を露出するのではなく、ターゲットとして特定されている人が閲覧するページやSNSに広告を露出させていくという手法です。専門的な言葉で言うと、アドエクスチェンジとか、リターゲティングとかを組み合わせた構造になります。

またこれに合わせて、ビジネス誌でのオンラインでの広告キャンペーンも並行して行うのですが、これらすべてをリモートで管理しています。日本、シンガポール、インドがリモートで繋がって、お金のやりとりも全く問題なくできました。これまでやったことのない業務もあり、心配なことも多々あったのですが、やってみたらできてしまいました。結果が出てくるのはこれからですが、クライアントが満足する結果が出ることを祈っています。

国境を超えて、広告を実施していくのが私の役割なのですが、遠く離れたインドでもこんなことができてしまうので、何かありましたらお問い合わせください。コロナの時期でビジネスの制約はありますが、国境を超えて不可能を可能にしていきたいと思っておりますので、よろしくお願いいたします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シェイクスピア研究会の頃

2021-01-17 12:55:35 | シェイクスピア

2021年1月15日(金曜日)のNHK『あさイチ』に、プレミアムトークのゲストとして俳優の吉田鋼太郎君が登場。大学時代、彼と一緒にシェイクスピア劇をやっていたので、懐かしい話が続々と出てきました。上の写真も紹介されましたが、1978年の5月に上智大学のシェイクスピア研究会で上演した『ロミオとジュリエット』の時の写真です。主役のロミオを演じた吉田鋼太郎君の向かって右にいるのが私で、顔にぼかしが入っていますが、ロミオの親友のベンボーリオの衣装を着ています。





しかし全国放送の電波でシェイクスピア研究会のことが紹介されたのはすごいことです。1969年に「シェー研」と呼ばれたシェイクスピア研究会ができて、10年の間に13本のシェイクスピア作品が上智小劇場で上演されました。日本語で上演された最後の一本を除いて、原語で上演されました。

私が大学に入学したのは1975年のこと。シェイクスピア研究会は1974年の公演後、活動を中止していましたが、たまたま同級生が、シェイクスピア研究会の公演を見ていて、その情熱のおかげで研究会が再興されることになります。その同級生に勧誘されて、シェイクスピアの「テンペスト」の読書会に参加することになり、その後、卒業までどっぷりと演劇活動に浸かることにななるのです。

1977年5月、私たちにとって最初のお芝居の “A Midsummer Night‘s Dream”(夏の夜の夢)の上演となります。私は妖精の王のオベロンを演じました。吉田鋼太郎君が入ってきたのはそんな時です。彼は、シェイクスピア研究会に入るために上智に来たというくらいで、すぐに参加してきました。

妖精の役が足りなかったので、妖精役として練習に参加したのですが、どうもイメージに合わないということで、裏方に回り、照明アシスタントをすることになるのです。

1977年の10月に “Twelfth Night”(十二夜)が上演されるのですが、私は道化のフェステを演じ、吉田鋼太郎君は、セバスチャンとして出演することになります。

1978年5月、”Romeo and Juliet”(ロミオとジュリエット)の上演となります。吉田鋼太郎君がロミオ、私はロミオの親友のベンボーリオと、ロレンス神父の二役を演じました。こちらが、その当時のチラシですが、これは私がデザインしたものです。



そして1979年6月、”Two Gentlemen of Verona”(ヴェロナの二紳士)が、それまでの伝統を破って初めて日本語で上演されることになります。この作品の台本は私が作り、吉田鋼太郎君が演出を行いました。

私はこの年の3月で卒業しているはずだったのですが、一般教養の単位が2単位不足していたという驚愕の事実が卒業の二週間くらい前に判明し、留年を余儀なくされます。自分の不注意が原因なのですが、就職が決まっていた地元の愛知県の公立高校に断りを入れたり、引っ越し先やアルバイト先を急遽探さないといけないという非常事態で、シェイクスピア劇の中の出来事かと思えるほどの現実でした。

卒業できないとわかった日の夕方、千葉県の岩井の民宿で行われていたシェイクスピア研究会の合宿所に何の連絡もなくたどり着くのですが、突然、亡霊のように現れた私を見て、吉田鋼太郎君は驚くとともに笑ってもいました。すぐに、私は公爵の役と、アントーニオの二役で舞台に立つということになります。



こちらがその時のチラシ。私がデザインしました。イラストも自分です。



これは上演パンフレットの一ページです。



ついでに公爵として出演中の私です。シェイクスピアも自分で書いた作品に自分も出演していたという噂もありますので、さらにシェイクスピアに近づいた気がしました。

この作品はそれまでのシェイクスピア研究会の伝統を破って日本語での上演を行ったのですが、これにはいくつか理由があります。

吉田鋼太郎君は、英語の台詞では言葉に自分の気持ちを乗せることに限界があると感じていました。また、シェイクスピア研究会のメンバーも英文科の学生は少なくなっていました。物理学科や、ドイツ文学科など雑多な集団になっていました。英語での上演に不自由さを感じるようになっていました。

私はまた別の意味で日本語での上演を考えていました。大学の4年で愛知県の教員試験に合格していたので、就職活動をすることもなく、少々余裕がありました。それで、シェイクスピア研究会の次の公演のための作品として、「ヴェロナの二紳士」の翻訳に取り掛かっていたのです。

この作品は、シェイクスピアの初期の喜劇作品なのですが、あまり評価されておらず、上演数も少ない作品でした。日本語の翻訳で読んでも、英語の原文で読んでも、わかりにくい表現が多い。当時は大受けだった冗談も意味不明になってしまっている。でも読み込んでみると、とても面白い作品だと思いました。

その面白さが時代の変化で伝わらなくなってしまっていました。それはとてももったいないことだと思った私は、シェイクスピアが当時、表現しようと思っていた笑いと、情熱と、若さを、蘇らせることが自分の使命だと感じたのです。

連日、大学の図書室にこもり、この作品の日本語台本を書き始めたのです。翻訳を超えて、シェイクスピアの当時の思いを翻訳しよう試みました。本当はどういう思いだったのかは検証しようがなく、自分自身の勝手な思い込みだったのですが、不遜にも当時の私は、自分と同世代の頃のシェイクスピアと時間と空間を超えてシンクロしていた気分でした。

若いから何でもできたということかもしれませんが、原作の地方都市ヴェロナと大都市ミラノという設定を、自分の中では、豊橋(自分の故郷の近く)と東京という関係に置き換えて理解しました。また、召使いの一人を東北弁にし、もう一人を大阪弁にするなどして、笑いの表現を増幅させようと試みました。

当時、血液型の性格判断が流行っていましたが、以前のシェイクスピア研究会はA型が多く、芝居の雰囲気も重厚感がありました。ところが「ヴェロナの二紳士」の参加メンバーはB型が多く(ちなみに吉田鋼太郎君はAB型、私はO型)、雰囲気はがらりと変わっていました。登場人物の多くが、本心とは裏腹の言葉を語り、軽薄さがテーマの一つだったので、このB型チームはぴったりでした。重厚感はなくとも、軽妙でテンポが早く、爽やかさが残る作品となりました。

この年、関東地区の大学のシェイクスピア研究会の連盟の選考で、この「ヴェロナの二紳士」が作品賞を受賞しました。

この後、「終わりよければすべてよし」の上演を、これも日本語で準備していたのですが、残念ながら実現できずに終わりました。

「あさイチ」でも紹介されていましたが、発声練習や、ヨガ的な柔軟体操、ランニングなどはほぼ毎日やっていて、体育会系かと思えるくらいのトレーニングをしていました。この四谷の土手でも発声練習や、芝居の練習していましたね。



時間があまれば、手当たり次第に戯曲を取り出して、即興で読み合わせをしたりしていたのが懐かしいです。



吉田鋼太郎君は、その後、プロの俳優としての道を歩み、私は、海外向けの広告代理店で仕事をすることになります。それぞれ別の道を歩み、私は昨年シンガポールで広告の仕事で起業しました。

大河ドラマの「麒麟がくる」で1月10日に松永久秀役が自害するというシーンがありましたが、この大河ドラマの主役が松永久秀だったのかと思えるほどの豪華な死に際でした。私がこのシーンで見ていたのは、シェイクスピアでした。学生時代から延々と演じてきたシェイクスピアがこのシーンに凝縮されていた気がします。

私の場合、演劇とは別の方向に進みました。長年勤めた会社を辞めて、昨年シンガポールで起業しました。直後のコロナ禍で、先行きが心配な状況が続きますが、「なるようになる」という視点をシェイクスピアが教えてくれたような気がすると思っています。どんな困難な状況があろうとも、やがて解決がもたらされる。

今はコロナで大変な時期でありますが、やがて事態は収束し、時代は進んでいく。シェイクスピアのことを考えながら、徒然なるままにそんなことを考えていました。
コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

連邦議会議事堂事件後に発せられた米国企業からのメッセージ

2021-01-13 16:41:04 | ビジネス

1月11日の広告業界メディアのCampaign Asiaに、6日の米国連邦議会議事堂乱入事件を受けて、いくつかのブランドがメッセージを発信しているという記事が掲載されました。トランプ大統領の弾劾訴追の準備も進行していて、共和党の何人かの議員も距離を置きつつあります。SNSも凍結され、各方面からの非難が集中している大統領ですが、大企業が続々と公式メッセージを発信しだしました。

これまで大統領選挙に関しての情報は、メディアやSNSの発言が大半でしたが、企業からのメッセージを見ていると、混乱した社会を修復していこうという自浄作用のようなものを感じます。SNSでの偏ったコメントが氾濫している状況にあって、何が正しいのか、間違っているのかわかりにくくなっているのですが、このような企業の「常識的」な発言に触れると、何かほっとした気持ちになるのは私だけでしょうか。



まずはコカコーラ社。文章を訳してみるとこんな感じになります。「ワシントンDCで起きたことは、アメリカ民主主義の理想への攻撃」と題するコメントを出しました。「約250年にわたってアメリカ合衆国は民主主義のお手本となってきました。いかにして異なった視点やアイデアが社会を強くできるかを示す明るい灯火となってきました。ワシントンDCで繰り広げられた非合法で乱暴な事件は私たちすべてを驚かせました。選挙の結果が公式に認められた今、アメリカ民主主義を尊重して、平和裡に政権の移行を行い、共に力を合わせてアメリカを一つの国家にしていきましょう」



ボーイング社のCEOのメッセージとしてこのようなコメントが発信されています。「ボーイング社は米国政府のお客様とともに、この国および世界中で民主主義を擁護するために積極的な役割を、誇りを持って担っていきたいと思います。国民による投票と平和的な政権移行は民主主義の根幹です。弊社は選挙で選ばれた皆さまと長年仕事をしてまいりました。超党派の精神で、選挙で選ばれた大統領のバイデン氏がこの国を一つにまとめていけるよう協力したいと思います」



シェブロン社です。「私たちは合衆国政府の平和な移行を望んでいます。ワシントンDCの暴動は、法を遵守するという二世紀にわたる伝統に泥を塗るものでした。選挙で選ばれたバイデン氏と彼の行政チームがこの国を前進させてくれることを心待ちにしています」



こちらはバンク・オブ・アメリカ。「我が国の議事堂での本日の痛ましい事件は、すべてのアメリカ国民が団結し、我が国の建国以來、途切れることなく行われてきた政権の平和的な移行という最も大切な原則を守ることの大切さ、そしてその緊急性を思い知らせてくれました。私たちは、共に、平和的に、尊敬の念を持って、アメリカの理念という単一の共通の方向に向かって前進しなければならないと考えます」



こちらはUPS社。「米国連邦議事堂で繰り広げられた無法の暴力に対し遺憾に思うと同時に、破壊行為とそこに生命を賭するという非合法な活動に参加した各個人の行動を強く非難したいと思います。私たちは平和的に、建設的に、合衆国憲法に従って、この国を前進させていく方法を、政権を平和的に移行させていく方法を、見出していかなければなりません。
UPSは民主的なプロセスが、アメリカの基本的で犯すべからざる基盤であると信じています。建国以来、我が国は自由で、公平で、平和な選挙を守ってきました。直近の選挙結果は明白であり、平和的な政権移行が必要であると考えます。この分断された国家を癒し一つにまとめていくためには多くの努力が必要でしょうが、今こそ共に、力を合わせていきたいと思います。
UPSは毎日必要な物をアメリカ国民や世界中の人々にお届けし続けます。私たちは率先して統一を応援し、公平さと誠実さを守って活動を続けていきたいと思っております。そしてあらゆる人々の正義とビジネス機会を前提とした、安全で強固で、困難にも挫けない社会を目指して世界を前進させていきたいと思っております」

翻訳の文章は少々分かりにくいところもあるかもしれませんが、おおよその意味を汲み取っていただければと思います。この困難な状況を乗り越えて、明るい未来に向かって進んで行ってほしいですね。このような状況にあっても、各企業は企業姿勢を明確に発信することで、信頼できる企業としてのブランディングを進めているのだと思います。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドナルド・トランプとジュリアス・シーザー

2021-01-10 20:39:03 | シェイクスピア

2017年の5月にニューヨークのセントラルパークで上演されたウィリアム・シェークスピアの「ジュリアス・シーザー」が炎上したことがありました。もともとの設定はローマ時代なのですが、現代という設定で上演され、暗殺されるシーザーが、背が高く、金髪で、スーツに長めの赤いネクタイをしていました。見るからにドナルド・トランプです。

またシーザーの妻は、スラブ系のアクセントがあり、スロベニア出身のメラニア夫人を連想させること、さらに舞台に登場するバスタブが金色ということなど、ドナルド・トランプを風刺していることは明らかです。トランプ嫌いの人が見たら拍手喝采、抱腹絶倒の設定ですが、トランプ支持者からすると侮辱的で許すべからざる事態だったのでしょう。

こちらがその舞台を紹介した動画です。



トランプに似たシーザーが登場することに反感を感じた観客がインタビューされています。

そして間も無く、怒った観客が上演中に舞台に上がって抗議し、警備員に連れ出されるという事件も起こります。そしてそれを見ていた別の過激な観客が抗議の叫びをあげる動画がこちらです。



殺到する苦情を受けて、航空会社や銀行がスポンサーを降りることになりましたが、表現の自由に対する議論も沸き起こりました。

こちらの記事によると、アメリカ各地でシェイクスピアを上演している劇場のいくつかに脅迫メールが大量に届いたそうです。ニューヨークのセントラルパークの「ジュリアス・シーザー」とは全く関係がないのですが、シェイクスピアというだけで抗議の対象になってしまうとは、とんだとばっちりです。

https://www.bbc.com/news/world-us-canada-40332236

私は、大学時代、シェイクスピア劇の劇団に属しており、何度か舞台にも立っておりました。設定を現代にしたり、現代の風刺を織り交ぜることは共感でき、シーザーをドナルド・トランプ風にする演出というのは個人的には非常に面白いと思うのですが、身近な政治ネタだと反感を持つ人も多いのでしょうね。

しかし、ドナルド・トランプとジュリアス・シーザー、イメージがだぶるところも多いですね。ジュリアス・シーザー(紀元前100年7月12日、紀元前44年3月15日)は、共和制ローマ期の政治家、軍人であり、遠征によりローマの版図を拡大し、政治的にも様々な成果を残した人でした。カリスマ性があり、人民からも人気がありました。ちなみに7月がJulyと呼ばれるのは、彼がその後1600年以上使われることになる暦(ユリウス暦)を制定した際に、彼が7月生まれであったことで、名前のJuliusを7月の名前としたのだそうです。

「賽は投げられた」という有名な言葉がありますが、これもジュリアス・シーザーが起源です。「賽」とは、さいころのことで、「もう事は始まってしまった。やるしかない」という意味で使われます。古代ローマ時代、ポンペイウスと対立したシーザーがルビコン川を渡ってローマへ進軍するときに言った言葉です。ルビコン川を武装して渡ることは法律で禁じられていたのですが、これを犯すことは宣戦布告を意味していました。

権力を次々と手中に収め、終身独裁官となるのですが、敵も多く、最後は暗殺されてしまいます。「ブルータス、お前もか」という最後の台詞はあまりにも有名です。

「ジュリアス・シーザー」は、後世にシェイクスピアが作った戯曲ですが、この戯曲の一つのテーマは群衆心理です。私は大学で英文学を学んでいましたが、英文学者で劇団円で演出もされていた故・安西徹雄先生の授業で、「ジュリアス・シーザー」を教わったことがありました。先生は、群衆がいとも簡単に言葉に左右されるということに着目していました。シーザーから、ブルータスに、そしてアントニーに群衆心理は変化していきます。きっかけになるのはリーダーの用いる言葉であり、レトリックです。それが正しいかどうかではなく、仮に虚偽であっても、群衆の気持ちが動かされれば過激な行動にも走るのです。

群衆と書きましたが、英語ではMobという単語になります。「暴徒」とか「破壊的な行動をしかねない無秩序な群衆」という意味で使われます。

2021年1月6日にアメリカの連邦議会議事堂にドナルド・トランプの支持者らが侵入するという事件がありましたが、「議事堂を目指せ」、「選挙は盗まれたものであり、結果を覆されるべきである」という言葉を信じて、群衆が動くというのはまさに「ジュリアス・シーザー」に登場する「群衆」(“Mob”)と同じです。

リーダーであるドナルド・トランプの「議事堂に迎え」という言葉がトリガーとなり、まさに暴徒となった群衆は、歴史に残る行動をしてしまうのです。



大統領選挙に負けて、選挙を覆そうとする訴訟もうまくいかず、1月のジョージア州上院2議席の選挙も接戦で負け、精神的にどんどん追い込まれて行ったトランプ支持者ですが、このへんの心理は、江川紹子さんの記事に的確に書かれています。
選挙不正を言い募るトランプ支持の「カルト性」に警戒を

1月6日の事件を界にして、ドナルド・トランプから次々と腹心だった人たちが離れていきます。SNSも凍結されてしまい、弾劾や裁判に怯える何かシェイクスピアの悲劇のエンディングみたいですね。

選挙結果を否定するはずであった共和党の議員もこの事件で何人かが寝返ります。その一人がサウスカロライナのLindsey Graham氏。トランプに対して最も忠誠心を持っていた議員の一人ですが、6日の暴動の後に開催された議会で、選挙結果を認める側に移ってしまいます。トランプからしたら「Lindseyよ、お前もか!」という感じではないかと思います。その後、空港でトランプ支持者に罵倒されている映像も報道されました。こちらをご覧ください。



これを見るとまさにカルトですね。

6日は議事堂乱入という歴史的事件が発生していましたが、同じ日に東京でも1000人規模のデモが行われていました。



この上の画像は、アメリカではなく、日本のデモです。アメリカの選挙には関係のない日本で、選挙の不正をアピールするデモが行われていたのですが、この人たちは、今、何を思っているのでしょう。
https://news.yahoo.co.jp/articles/662eaca5260feb6fb47c4894498aa8fdf3debf5d

日本の有名作家や学者までもが選挙の不正や、陰謀説や、トランプの勝利を信じているという不思議な現象があったのですが、彼らは今後どのようになっていくのでしょう。さらに過激なカルトとなっていくのかもしれません。

シェイクスピアの「ジュリアス・シーザー」は、シーザー暗殺の後の混乱を経て、アントニーが戦乱を制圧し、ローマの安定を示唆するエンディングとなります。まだいろいろとゴタゴタはあるでしょうが、この混乱を克服して、新たな平和な時代が到来することを祈るばかりです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする