まわる世界はボーダーレス

世界各地でのビジネス経験をベースに、グローバルな視点で世界を眺め、ビジネスからアートまで幅広い分野をカバー。

新宿ユニカビジョンのBTSと屋外メディアとしての可能性

2022-06-20 14:51:47 | 音楽
新宿大ガード東交差点にあり、西武新宿線の新宿駅前の広場から真正面に見えるのがユニカビルという建物。2010年にできた株式会社ユニカが保有する商業ビルで、2020年10月まで入っていたのがヤマダデンキLABI新宿東口店でした。その後、2022年4月1日、スポーツ用品アルペンが、グループ最大の旗艦店Alpen Tokyoをここにオープンしました。

このビルの壁面に、2010年から「ユニカビジョン」という三面の大型LEDスクリーンが設置されていました。一つの画面が横13.72m、縦7.36mあり、面積は96.96平方メートル。スクリーンサイズは、新宿東口のアルタビジョンや、渋谷のスクランブル交差点の109フォーラムビジョンや、Q’s Eyeよりも大きいサイズ。しかも画面が3面あり、道路を挟んだ向こう側からもクリアに視聴が可能です。



こちらが交差点付近をライブカメラで見た光景です。6月18日のものですが、BTSの動画が流れているので、交差点付近はファンの人たちで溢れています。



渋谷の駅前ビジョンは一面のサイズとしてはユニカビジョンよりも大きいのですが、音声は出ないし、地上からかなり離れています。

ロケーションとしては、新宿アルタ前や、渋谷スクランブル交差点に比べると、知名度は劣るのですが、音楽系の放映コンテンツが多く、視聴者のエンゲージメントがかなり高いと感じておりました。

朝の7時から25時まで映像が放映され、映画や音楽系の映像が流されるのですが、西武新宿駅前広場からも音声がクリアーに聞こえます。23時以降は音声は無音になりますが、スマホでアプリをダウンロードすれば、さらに高音質の音声で楽しむことが可能です。

たまたま海外の知り合いからLEDの屋外広告媒体を東京で一箇所出すとしたらどこがよいのか相談され、ユニカビジョンを推薦したのです。音楽系のコンテンツが、若い人たちを引きつけているのではないかと思いました。

じつは、ユニカビジョンについてはほとんど知識がありませんでしたが、たまたま妻の友達が新宿のユニカビジョンに東方神起のイベントを見にいくと教えてくれました。どんな場所なのだろうと調べてみたら、屋外メディアとしてなかなかよさそうだし、エンタメ系のコンテンツを中心に放映しているという点に可能性を感じたのです。

ということで、提案が通り、ユニカビジョンで広告キャンペーンをすることになったのですが、この広告媒体に関して、いろいろと詳しくなってしまっ
ので、ここでシェアしたいと思います。

BTS関連で注目を集めている新宿ユニカビジョン

ユニカビジョンはこれまで、音楽系のイベントで使われることがよくあったのですが、2022年6月は何と言ってもBTSでした。



昨年の“Permission to Dance”からしばらく新曲の発表がなかったBTSが新曲“Yet To Come”を含むアルバム“Proof”をリリースして話題になっていました。

6月13日はBTSのデビュー9周年のアニバーサリーデーで、ユニカビジョンでもBTSの特別映像が流れました。いわゆる「センイル広告」で、スターの誕生日にファンが贈る動画コンテンツです。BTSのファンは“ARMY”と呼ばれますが、ARMYのパワーでこういう屋外広告にも出稿できてしまうんですね。



こちらが、6月13日のユニカビジョンの様子です。



そしてこちらが、私がその日私が撮影したもの。



私がこの日ユニカビジョンに来たのは、BTSではなく、この動画の直後に出ているフィリピン観光庁のCMが目的だったのですが、ARMYの皆さんは、BTSの動画が終わったら、ほっと一息ついてしまっている感じですね。

しかし、次の動画では、BTSではないのにスマホで撮影している人たちも多いですね。



BTSの9周年の6月13日の直後、BTSがグループとしての活動をやめるという報道もありましたが、6月15日から22日までBTSのアルバムのミュージックビデオが放映されました。ミュージックビデオを2つのパートにわけてそれぞれ約20分間の映像なのですが、こちらのスケジュールでの放映がYunika Visionのサイトにアップされていました。




様々な音楽コンテンツが放映されるユニカビジョン

ユニカビジョンは、BTSだけでなく、様々な音楽コンテンツが放映されています。ちなみに2022年6月20日から26日までの期間は「Sekai No Owari」のミュージックビデオが放映されます。スケジュールはこちらです。



高音質での視聴が可能なユニカビジョン



ユニカビジョンは、専用アプリをダウンロードすると、高音質でオーディオを楽しむことが可能です。

専用アプリに関してはこちらのサイトでご覧ください。

YUNIKA VISION 連動アプリ | YUNIKA VISION

YUNIKA VISION 連動アプリ | YUNIKA VISION

YUNIKAVISION(ユニカビジョン)ではスマホアプリと連動した放映を行っています。AnotherTrack、VISIONαといったアプリを利用することで、新たな映像音楽をお楽しみ頂けます。

YUNIKA VISION - ユニカビジョン | 大型ビジョン、デジタルサイネージ

 


ライブカメラでもユニカビジョンの状況を確認できる

世界各地の24時間ライブカメラの動画がユーチューブで視聴できるのですが、西武新宿駅前広場交差点付近のライブカメラもあり、ユニカビジョンのモニターもリアルタイムで確認できます。



鉄道の音が若干うるさいですが、実際に地上ではスクリーンの音声が非常にクリアーに聞こえます。実際にユニカビジョンに来られなくても、世界中どこからでも画面を確認できるというのはすごいですね。

映画「君の名は」の聖地にもなっていたユニカビジョン



一世を風靡した映画「君の名は」の映画の中にも新宿のユニカビジョンが登場しています。今のアルペンではないですが、聖地巡礼の一つの場所になっているようですね。

街頭テレビの原点ともいうべきユニカビジョンのありかた

昔、テレビがまだ一般家庭に普及していなかった頃、人々は街頭でテレビ番組に夢中になりました。こちらの画像には、国際プロレスリング大会での力道山戦の放送に群がる市民(1955年)というキャプションがついています。



こちらの画像は1964年10月、東京オリンピックの頃の街頭テレビ。こんなに小さな画面になんという多くの人が集まっていたのでしょうか。



ユニカビジョンという屋外メディアを通して、ファンが集まるのを見ていると街頭テレビの原点を見る思いがします。メタバースなどの映像の進化が叫ばれる昨今ですが、ユニカビジョンのような屋外モニターが、「センイル広告」という双方向のコミュニティメディアを成立させたり、ファンミーティング的なイベント空間を街頭に出現させたり、何か新たなコミュニケーションの形を提示しているようなそんな気がします。




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BTSの“BUTTER”の歌詞を理解する上で知っておくべき7つのこと

2021-06-13 10:41:52 | 音楽
2021年5月21日にリリースされたBTSの“Butter”が数々の記録を塗り替える大ヒットとなっています。私はBTSのファンというわけではなかったのですが、妻から教えてもらって、この“Butter”を何度も聴いています。なんか懐かしい雰囲気もあり、男性で、しかも年齢的にはこの曲のターゲット層からはかけ離れてしまっているオジサンなのですが、この曲の虜になってしまいました。BTSとしては、虜にしたいのは、本来は若い女性なのでしょうが、こんなオジサンが虜になってしまってなんか申し訳ない気がしています。ファンの皆様にもお詫び申し上げておきます。

この曲を何度も聴くうちに、この歌詞に、背景を知らないと、ちょっとわかりにくいところがあると思いました。いろいろと調べて、自分なりに解明できた部分をメモとして書いておきたいと思います。ファンの皆様の参考になりましたら幸いです。自分勝手な解釈もあるかもしれませんが、そういう箇所がありましたらご容赦ください。

まずはこの曲の動画をご覧ください。



そしてこちらがこの曲がリリースされる前に使われていたティーザー動画。固形のバターが溶けて、ハートの形になり、さらにそれが溶けていくというアニメなのですが、何とオリジナルは1時間もの長さです。



このイラストもフォントも可愛いですよね。私はもともと黄色が好きなんですが、イラストのタッチもすごく好きです。この動画のように、女性のハートがとろけていくというのがテーマなのですが、この動画を見て、私の心もとろけそうです(笑)。

さて、この曲の歌詞でポイントとなるところを7点ほど解説したいと思います。

1.SMOOTH CRIMINAL

“Smooth like butter”という歌い出しです。「うまくいく」とかいう意味もありますが
これを訳すとすれば、文字通り「バターのように滑らかに」としたいですね。その後に続く“Like a criminal undercover”ですが、「姿の見えない犯人のように」という感じかと思います。これらはすべて、少し後の“Breakin’ into your heart”「あなたの心の中に侵入していく」という言葉にかかっていきます。実はこの部分は、マイケル・ジャクソンの名曲“Smooth Criminal”をモチーフとしていると言われています。

“Smooth Criminal”の曲のストーリーは、アニーという少女が、何者かに部屋に忍び込まれ、殴り倒されるという犯罪事件。みんな犯人捜しに大騒ぎしますが、Smooth Criminal(鮮やかな手口の犯罪者)は、跡形もなく消えているというもの。参考までにこちらがそのMVです。



この巧妙な犯人のように、そしてバターのように、あなたの心の中に忍び込むというような意味になります。出だしのダンスアクションがこっそり侵入しているような仕草をベースにしていますね。

2.POP LIKE TROUBLE

3行目で問題になるのが、“trouble”という単語。日本語でも「トラブル」というのは、問題とか、いざこざとか、苦境などを意味するのですが、実は、ここで言う「トラブル」とは、アメリカではおなじみのボードゲームの名前なのです。これを知らないと、ここの歌詞がさっぱりわかりません。

何十年も前から人気のゲームなのですが、4人でプレイして、中央部にサイコロが収納されているドームのようなものがあります。ドーム部分を押すと、サイコロが飛び上がるという仕組みなのですが、これを「ポップ」と言います。日本のすごろく的な部分もあり、サイコロの目の数、左回りに駒を進めていき、一周してゴールを目指すというゲーム。対戦相手が陣地に侵入してくると、やっかいなことが起こります。説明してもよくわからないと思いますので、こちらの動画をどうぞ。



私も実際にやったことがないので、よくわかりませんが、このボードゲームでサイコロを振って、いつの間にか相手陣地に侵入しているかのように、あなたの心の中に入ってくる、というようなイメージです。

あと、このトラブルというゲームボード、メーカーによって違うのですが、4つのホームベースが赤、青、黄色、緑に色分けられています。ミュージックビデオの中で、体育館のようなスペースで登場する7人のジャージの衣装が、赤、青、黄色、緑をベースにしているのは、何かこのボードゲームの色彩のような気がするのは私だけでしょうか?



3. MELT YOUR HEART INTO TWO

ここでひっかかるのが、あまりに魅力的な男子が、女子の心をとろけさせるというのは理解できるのですが、「心がとろけて二つになる」という箇所が疑問でした。とろけたら二つに別れることは物理的にはありません。

実はこの歌詞の前に、“When I look in the mirror”というフレーズがあります。鏡を見ているんですね。ここもマイケル・ジャクソンの“Man in the Mirror”を意識しているのかどうかは不明ですが、鏡を見ているということは、自分と、鏡に映った自分の二人がいるということになります。スーパースターとしての自分と、本来の素の自分という二人と言ってもよいかもしれません。こんな鏡を見ているスーパースターというプライベートな空間を共有できるファンはまずいないと思いますが(この状況を想像してしまうだけでファンは胸キュンなのでしょう)、鏡の中と、その前に立っている男性の両方に溶けたハートが二つに分離していくということですね。どっちも魅力的なので、ファンのハートは困ってしまうのです。こんな表現が許されるのはBTS以外にはいないでしょうね。

4.HIGH LIKE THE MOON, ROCK WITH ME, BABY

“Side step, right, left to my beat”「僕のビートに合わせてサイドステップ、右、左」に続いて、“High like the moon, rock with me, baby”「月のように高く、僕と一緒に踊ろう、ベイビー」というフレーズが続きます。マイケル・ジャクソンと言えば、ムーン・ウォークが有名ですが、この“moon”にそれがあるかどうかはわかりません。しかし、“rock with me”というフレーズは、マイケル・ジャクソンの若い頃のヒット曲“Rock with You”をかなり意識したものだと言えるでしょう。ちなみにこちらの動画が、その曲です。



5.DON’T NEED NO USHER

最初のうちは、この“Usher”というのは劇場などの「案内人」という一般名詞かと思っていました。しかし、歌詞をよく見ると、最初の“U”が大文字になっています。これはミュージシャンのUsherのことで、その次の“To remind me you got it bad”に登場する“You Got It Bad”というのは、Usherの20年くらい前のヒット曲です。ここの部分は、「あなたが(僕に)いかれてしまっていることを再認識させてもらうためにUsherは必要ない」という文脈になります。

Usherの“You Got It Bad”の動画はこちらです。



6.ICE ON MY WRIST, I’M THE NICE GUY

“Ice”というのはヒップホップの世界では、ダイヤモンドが散りばめられた時計のこと。ブレスレットでもよいのですが、氷のようにキラキラ輝く装飾品です。この部分、ネットを検索すると、“No ice on my wrist”(ダイヤモンドを手首につけてないけど)と表記してあるのも散見されるのですが、曲を聴いてみると“Ice on my wrist”で、明らかに“No”は入っていません。

ここの部分の補足です。“Ice on my wrist"と表記しているサイトと、"No ice on my wrist"と表記しているサイトあります。オフィシャルビデオのテロップが"No ice on my wrist"になっているので、これが正しいように見えてしまいます。しかし、歌詞をアップしている以下のいくつかのサイトでは、"Ice on my wrist"と表記しています。
- Genius Lyrics
- AZ Lyrics
- Billboard
- Cosmopolitan
- Stylecaster.com
- Seventeen
- Elle
- lyrics4kpop.com
- kpopcords.com

Genius Lyricsによれば、「ミュージックビデオでは、“No ice on my wrist"と書かれているが、正確を期するために音源を重視し、Genius Lyricsとしては“Ice on my wrist"とした」とのことです。また、このパートを担当しているSUGAをはじめ、メンバーの何人かが高級時計の所有者として知られているので、"Ice on my wrist"だと説明がつくとのことです。日本のサイトでは、“No ice on my wrist"が主流になっているので、ここは今後の論争になる可能性があります。ARMYのパワーには負けてしまうかもしれませんが。

ミュージックビデオでは、このラップのパートを担当しているSUGAが手首のブレスレットを見せています。


ダイヤモンドかどうかはわかりませんが、なにやらいろいろと付けています。ですので、この部分は、「手首はじゃらじゃら付けているけど、僕はナイスガイ」ということかもしれません。“N-ice guy”と書かれているのは、アイスと韻を踏んでいるわけです。

7.HOTTER, SWEETER, COOLER, BUTTER!

この曲の締めくくりとして出てくるフレーズ。最初の三つは形容詞の比較級なのですが、最後に“BUTTER”を持ってくるところが面白い。形容詞のように使っているところがとてもキュートな感じがします。この曲のヒットを通して、“Butter”という単語も変化していくかもしれませんね。

この他にも、いろいろと面白い表現があって語り尽くせないのですが、これはまたの機会に解説したいと思います。皆様の参考になりましたら幸いです。
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テイラー・スウィフトの"the lakes"を聴きながら、英国の湖水地方に旅をしたいと思う

2021-03-29 16:06:39 | 音楽
グラミー賞の年間最優秀アルバム賞を受賞したテイラー・スウィフトのアルバム“folklore”。その17曲目として、“the lakes”は、若干遅れて発表されたものです。アルバムの曲はどれも好きなのですが、この“the lakes”は特に好きでした。

2020年の8月の発表以来、この曲の歌詞について語りたいと思いながら、いつの間にか月日が流れてしまいました。ウェブを調べてみると、いろんな人がこの曲の歌詞を日本語に訳してくださっているのですが、どうもわかりにくい。おそらく言葉を訳すだけでは、テイラー・スウィフトが伝えたかったことが伝わらないのではないかと思いました。

というわけで、英語の授業のように、歌詞を解説してみようと思ったわけです。と言っても、知識の及ばぬところもあり、自分独自の解釈などもありますので、間違っている部分もあるかもしれません。そういう部分はご容赦ください。この曲の歌詞の解明に少しでも役立てば幸いです。

まずは、オフィシャルのLylic Videoをご紹介しておきます。“folklore”のすべての曲に、シンプルな背景と歌詞だけの動画が公開されているのですが、これがまたグラフィック的に素晴らしい。



特に、文字のタイポグラフィーが秀逸なのですが、これは以前の記事をご参照ください。

https://note.com/wings2fly/n/n8cf9012ceadc


“the lakes”というタイトルについて

まず、この曲のタイトルの“the lakes”ですが、どこにでもある「湖」という一般名詞ではありません。イングランドの北西部にある“the Lake District”という特定の場所です。日本語では、「湖水地方」と訳されますが、大小の湖の点在する風光明媚な観光地で、国立公園になっています。



ウィリアム・ワーズワース(Willian Wordsworth)や、サミュエル・テイラー・コールリッジ(Samuel Taylor Coleridge)など19世紀のいわゆる「湖畔詩人」たちが住んでいた地域でもあります。また後に、「ピーターラビット」で有名なビアトリクス・ポターが移り住んだ場所としても有名です。こちらが、ワーズワースです。



18世紀後半から19世紀にかけて、産業革命が進展しますが、大都市はどんどん住みにくくなっていきます。そのアンチテーゼとして注目されたのが、都会の喧騒から遠く離れた湖水地方でした。ワーズワースはもともとこの地方で生まれていますが、他の湖畔詩人や、ビアトリクス・ポターなどがここに移り住んだのも、都会の喧騒から逃れ、自然が豊かな場所で生涯を過ごしたいという思いからでした。



つまり、この場所は、救いを求めて何かから逃れてくる場所ということなのですが、テイラー・スウィフトの“the lakes”には、そういう意味が込められているのだと思います。彼女の個人的な過去や、エンターテインメントビジネスのゴタゴタなど、忘れ去りたいことが山ほどあったのでしょうが、逃避先の象徴として、この“the lakes”が使われています。

この作品は、個人的な経験をもとにしている部分もあるのですが、“folklore”(民間伝承)というアルバムタイトルでも伝えようとしているように、私小説ではなく、物語であり、フィクションです。この物語の中の主人公と作者とはある程度の距離で離れています。自分を遠くから客観視しているような、そんな視点を感じるのです。

この美しい英国湖水地方の風景は、まさに“folklore”というアルバムの最後を飾るには相応しい気がします。ボーナストラックという位置付けでもよいので、どうしてもこの曲をアルバムの中に入れて、“folklore”を完結したかったテイラー・スウィフトの思いがわかるような気がします。

Is it romantic how all of my elegies eulogize me?

最初の歌い出しです。“Is it romantic”というのは、「それはロマンチックなのか」ということなのですが、作者自身は、それをロマンチックとは思っていないというニュアンスがあります。もし賛同しているのならば、“Isn’t it romantic”となりますね。

その後の、“how all my elegies eulogize me”の部分ですが、「自分が作ったエレジー(哀歌)が自分自身を褒め称えるものになる」という意味になります。“how”があるので、「そんなプロセス」という感じになります。“eulogize”というのは、賛美するという意味もありますが、もともとは、葬儀の時の弔辞を述べるという意味もあります。自分が作ったエレジーが、自分自身の弔辞になってしまうというのは、皮肉なことですが、それってロマンチックなことなのかという問題提議となっています。

この“romantic”という言葉、日本語の「ロマンチック」と同じ意味なのですが、「ロマン主義の」という意味もあります。ワーズワースや、コールリッジなどの湖畔詩人たち、シェリー、バイロン、キーツ、ブレイクなどは、英国ロマン主義としてグルーピングされます。ということで、「こういう考え方ってちょっと昔のロマン主義っぽいよね?」というニュアンスもあるのかなと思います。

I'm not cut out for all these cynical clones

この“cut out for”という熟語は「〜に向いている」という意味です。洋服を仕立てるときに使う型紙に由来して、ぴったり合うというところから来ているという説もあります。「これらすべての冷笑的な(皮肉っぽい)クローンたち」というのがどういう人たちのことを意味しているのかわかりませんが、同じような音楽を志向している音楽業界のことかもしれませんし、斜に構えた態度のステレオタイプの人々のことかもしれません。あるいはワーズワースなど湖畔詩人たちのことなのかもしれません。

歌詞は、芸術作品と同じで、一旦世の中に出ると、解釈は自由になります。読み手が勝手に理解すればよいので、この“cynical clones”はいろんな人々に当てはまるのですが、作者テイラー・スウィフトは、自分はそういうタイプの人間にはなれないと語っているわけです。

These hunters with cell phones

このフレーズは、上の文章を別の言葉で置き換えています。“cell phones”は、「携帯電話」のことですが、銃の代わりに携帯電話を持って狩猟をしている人々ということになります。有名人を追いかけるマスコミかもしれませんし、パパラッチかもしれません。テイラー・スウィフトにとっては嫌な存在です。“cut out for”はここに来て、「向いている」という意味から、「苦手」というニュアンスに変わっているのではないかと推測します。冷笑的なクローンの群れや、携帯を持ったハンターたちに辟易としている心情が伝わってきます。

“phones”は上の行の“clones”と韻を踏んでいます。これがまた、古典的な詩の伝統にのっとっていて、湖畔詩人の詩を連想させます。これら二つの言葉は最近の言葉で、これまでの詩には登場しない言葉なので、斬新な響きを感じます。

Take me to the lakes, where all the poets went to die

「詩人たちがそこで人生の終焉を迎えるために移り住んだという湖水地方に私を連れていって」という意味になります。イギリスの湖水地方は、日本の青木ヶ原樹海のように、自殺の名所というわけではありません。「すべての詩人が死ぬためにそこに行った」と訳すと、傷心して自殺するためにそこを訪れたという意味になってしまいます。そうすると、作者の自殺願望までイメージされてしまいます。

湖水地方に移り住んだ詩人たちは、あまりにもその土地を愛したが故、死ぬまでそこに住み、多くの詩を紡ぎ、そこで亡くなったというのが事実です。湖水地方は、詩人たちが都市文明に疲弊して、救いを求めて逃避してきた場所であり、現代のテイラー・スウィフトにとっても逃避すべき場所のシンボルでもあったと思われます。

ネットを調べていたら、かつてテイラー・スウィフトは英国人の恋人と湖水地方を訪れたことがあったと出ていました。その時の気持ちだったのかもしれません。

I don't belong and, my beloved, neither do you

「私はそういう人たちと同類ではなく、恋人よ、あなたも違うわね」というような意味と思われます。「死ぬまでそこに住もうと思って移住した詩人たち」と同じ考えを共有しているわけではないということですね。ここで、“my beloved”という言葉で、彼女が語りかけている恋人の存在が浮き彫りになります。彼女の恋人に、「あの湖水地方に私を連れていって。(死ぬまでそこに永住するわけじゃないけど)」とお願いをするわけです。

Those Windermere peaks look like a perfect place to cry

「あのウィンダミアの山々は泣くのには最適の場所のように見える」という意味になります。湖水地方で最も有名な湖の一つがウィンダミア湖で、湖から少し離れた場所にウィンダミアという町があります。周りには山々があり、“Windermere Peaks”というのは特定の山ではなく、周辺の山々全体を示すものと思われます。



I'm setting off, but not without my muse

“set off”というのは「出発する」という意味。湖水地方に旅立つということなのでしょう。「でも私のミューズと一緒でなきゃ嫌」というフレーズが続きます。「私のミューズ」とは、恋人のことなのでしょうが、もともとギリシャ神話で、芸術、学問を司る女神のことでした。音楽のMusicという言葉はこの「ミューズ」から生まれています。音楽のインスピレーションを与えてくれる恋人と二人で行きたいという意味かと思われます。

What should be over burrowed under my skin

この主語は、what should be over”で、「克服すべきこと、忘れ去るべきこと」、それが「私の皮膚の下に潜り込んでしまった」という意味になります。“burrow”とは、うさぎや狐などが、穴の中に潜り込むという意味なのですが、忘れてしまいたいことが、自分の皮膚の下に潜り込んでしまった、というような感じです。

In heart-stopping waves of hurt

そして、それは、皮膚の下で心臓が止まるような痛みの波となっているということになります。忘れ去りたいことが辛い痛みの波となって心を苦しめているという感じです。

I've come too far to watch some namedropping sleaze

ここは、「あまりに遠くまで来てしまったので、人の名前を勝手に使って悪用するような不逞な輩を目撃することもなくなった」という意味になります。“namedropping”というのは、有名人の名前をあげて、知り合いだと言いふらすことという意味、“sleaze”というのは、不正、下品、あるいはそのようなことをする人という意味になります。

Tell me what are my words worth

私の言葉にどんな価値があるのか教えてほしいということなのですが、ここで登場する“words worth”という言葉は、明らかに19世紀の湖畔詩人のワーズワースを意識しています。

I want auroras and sad prose

コーラスに続いて、このフレーズが登場します。「私が欲しいのはオーロラと悲しい散文」。湖水地方では、実際にオーロラが見えることもあるそうです。“sad prose”というのは、「悲しい散文」ということですが、この文脈の中でこの単語が使用されれているのは、いまいち理解できていません。湖水詩人たちは、詩(韻文)だけでなく、散文の作品も残していますが。

I want to watch wisteria grow right over my bare feet

「藤の蔓が私の裸足の足の上まで伸びてくるのを見てみたい」ということです。

'Cause I haven't moved in years

藤の蔓が伸びてくるほど、何年もその場所に立ち尽くしているということになります。

And I want you right here

そして、あなたにここにいてほしい、との言葉。「あなた」を待ちながら、何年でもいいのでここにいるというメッセージ。ここが湖水地方なのか、どこなのかよくわかりませんが、求めている恋人はここには存在していないというのがわかります。

A red rose grew up out of ice frozen ground

「赤い薔薇が凍りついた地面から育っていた」という言葉が続きます。薔薇の花が凍てつく冬に咲くことはありえないことです。ありえないことの象徴としてこのフレーズが登場しています。「ロマンチック」および「ロマン主義」という言葉には、「空想的な」とか「非現実的」という意味もあるので、この表現はまさに「ロマンチック」です。

With no one around to tweet it

上の文章に続いて、「これについてツイートしようとする人は周りには誰もいない」という文章が続きます。せっかくのSNS映えする事象なのに、誰もそれを目撃し、ツイートすることがないという切なさです。

While I bathe in cliffside pools

「その間に私は崖の下のプールに入っている」というフレーズ。そんなことをしても誰も注目する人がいないので、のんびりしていられる、というような意味なのでしょう。「崖の側のプール」というのはこんな感じの場所と思われます。

https://getoutside.ordnancesurvey.co.uk/guides/wild-swimming-holes-in-the-lake-district/

With my calamitous love and insurmountable grief

そして、「悲惨な恋や 乗り越えられない悲しみ」という言葉が、上の“cliffside pools”あるいは“bathe”に掛かっています。つまりこんな場所で、悲恋や、乗り越えられない悲しみに浸っている自分というわけです。

No, not without you

「湖水地方に連れてい行って」というコーラスの後、最後に、このフレーズが。「あなたと一緒でないとダメ」ということで、この曲は、かつての恋人に対する未練であり、虚しいラブレターなのかもしれません。

湖水地方の動画がありましたのでこちらにアップしておきます。ウィンダミアピークスというのはこういう場所ではないかというのがよくわかります。



結局は、悲しい物語なのですが、冒頭に出てきた、「エレジー」の一つがこの曲だったんだなと思うと、切なさが残ります。

最後にテイラー・スウィフトのスタジオ演奏の動画をアップしておきます。

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NHKの朝ドラ『エール 』の最終回で感動に浸る

2020-11-27 19:13:53 | 音楽

NHKの朝の連続テレビ小説の『エール』が終わりました。素晴らしい終わり方で、感動しました。3月30日から始まって、途中、コロナのため長いこと途切れたのですが、何とか再開し、11月の27日に最終回となりました。

オープニングの海岸が私の生まれ故郷の近くの豊橋の海だし、関内家が豊橋という設定だったので、最初から懐かしさいっぱいで見ていました。主人公の古山裕一の通う福島の小学校もじつは豊橋の北にある新城市(旧鳳来町)の廃校・旧門谷小学校でロケされたものですし、ドラマの中で豊橋市内の風景も何度か登場していました。

11月26日がドラマ的には最終回だったのですが、この終わり方が秀逸でした。コロナで亡くなった志村けんさん(小山田耕三)の手紙を紹介し、鏡越しの志村さんの笑顔が映ります。これは意図して撮ったものではなく、たまたま残っていたNGカットだったらしいですね。志村さんへの追悼の気持ちが溢れる見事なシーンでした。



病床の古山音が「海が見たい、あなたと出会った頃のように歌を歌いたい」と言います。そして、ベッドから起き上がり、二人でゆっくりと歩きだす。



床の上を歩いていたかと思うと…



地面が砂浜となり、二人は出会った頃の姿になって、海に向かって走り出す。



そこにオープニングのテーマ曲が。



何と素敵な演出でしょう。素晴らしかったです。



「音、会えてよかった。音に会ってなかったら、僕の音楽はなかった。出会ってくれて、ありがとね」

「私も、あなたといられて幸せでした」



夫婦の最後の台詞として、こんなに素晴らしいやりとりはありません。感動です。

最後に素に戻って、主役の二人が、テレビ視聴者に向かって挨拶するところもまた素晴らしい。



これまで演じてきたのはドラマの世界だったのだけれど、それを演じてきた俳優女優として現実の世界に戻って言葉を発している。演劇やミュージカルのカーテンコールで俳優や監督が挨拶をしているようなそんな感じでした。

そして、最終日の27日はコンサート。今回は本物のミュージカル俳優や、プロの歌い手が多数出演していたので、こんなコンサートも成立してしまいます。懐かしい顔が次々と登場してきます。



ドラマの中では歌唱シーンのなかった岩城さん(吉原光男さん)の「イヨマンテの夜」もすごい迫力でした。劇団四季出身でもあるし、帝劇の「レ・ミゼラブル」でジャンバルジャンを演じていただけあり、さすがです。



しっとりと聴かせる藤堂先生とプリンス久志の「栄冠は君に輝く」も素晴らしかったですが…



その後に紹介された曲が、「長崎の鐘」。



古山音です。後ろ姿での登場が衝撃的です。彼女が歌い出した後に、ドラマはまだ続いていたのだと気付きました。



二階堂ふみはあくまで古山音として歌っています。「いつか大きな舞台で、僕が作った歌を君が歌う」と二人で夢見てきたことが、現実となり、ドラマの最後の最後で夢がかなったのです。だからこそ、場所はNHKホールであり、その最後のハッピーエンドのために、コンサートという設定を用意したのだと納得しました。なんという粋な演出。



私は、この終わり方に惜しみない拍手を送りたいと思います。この数ヶ月、いろいろと大変でしたが、このドラマの最終回を見ることができて、幸せでした。スタッフの皆様、キャストの皆様、ありがとうございました。
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テイラー・スウィフトの“exile”のリリック・ビデオの美しさに関して

2020-08-16 16:17:57 | 音楽

テイラー・スウィフト(Taylor Swift)の“Folklore”のリリック・ビデオ(Official Lyric Video)というのがユーチューブに上がっています。歌詞を主体にしたオフィシャルのミュージック・ビデオです。本人も登場しなければ、余計なストーリーもありません。シンプルな背景映像に、歌詞が出てくるだけのもので、アルバムに収録されている16曲すべてが作られています。

これがあまりに素晴らしいのですが、何が素晴らしと思ったのかについて書いてみたいと思います。そして、後半で、その中でも、とくに素晴らしいと思った曲“exile”について語ってみたいと思います。少々マニアックな内容になって恐縮です。

曲はそれぞれ素晴らしいのですが、ほとんど変化のない映像の使い方と、タイポグラフィー(文字のフォントの選択とレイアウト)の美しさに魅了されました。文字に関しては、私は広告代理店で、海外向けのグラフィックデザインに関係していたので、多少の知識があるのですが、このビデオの文字の使い方には惚れ惚れとします。

16曲の中で、3種類のフォントが使われています。IM Fell DW Picaのローマンとイタリック、あとフォント名は特定できないのですが、昔のタイプライターでよく使われていた、おそらくCourierというフォントだと思います。とりあえずCourierにしておきます。(もし、どなたか特定できましたらコメントいただければと思います)





Fellという書体は17世紀に英国のジョン・ビショップ(John Bishop)という聖職者が作った古い書体で、文学作品の印刷などでよく使われていました。それを、イジノ・マリーニ(Igino Marini)というイタリア人が、現代のコンピュータ用のフォントとして復刻したのがこのフォントです。書体名の頭についているIMというのが彼のイニシャルです。

それぞれのフォントをどの曲で使っているかというと、次のようになります。

IM Fell DW Pica Roman (4曲)
the 1
exile
illicit affairs
mad woman

IM Fell DW Pica Italic (5曲)
seven
cardigan
my tears ricochet
mirrorball
peace

Courier (7曲)
epiphany
betty
the last great american dynasty
august
invisible string
this is me trying
hoax

それぞれが、それぞれの曲に合わせて、美しく文字組みされているのですが、かなりのこだわりが感じられます。それぞれの曲について語っていると、興味ない皆さんを飽きさせてしまうので、“exile”の曲に移りたいと思います。まずは、この曲のビデオをご覧になっていただきましょう。



男と女のすれ違いとその結果の別れを歌った切ない内容です。別れた後に流浪の身となるということで、“exile”というタイトルがついています。ありがちな内容ですが、それが見事な様式美を伴って表現されているところが印象的です。

まず、歌詞がクラシックな韻を踏んでいます。



1行目のhoneyと2行目のbody、3行目のallは、6行目のhallと呼応しています。そして4行目と5行目は、minutesとme with itで響きを同じようにしています。

このようにいくつかの行末で韻を踏んでいて、歌詞としての美しさを際立たせます。

それがさらに、男性のパートが終わり、女性のパートになるのですが、この構成も美しいです。最初は男性の視点で語り、その同じ状況を今度は女性の視点で語ります。そして、いくつかのキーワードがこれまた音を合わせてあるのです。

両方のパートの一行目が、ほとんど同じで、“standing”と“staring”という言葉が違うだけ。さらに、“my homeland”と“your problem”、“defending” と“offending”、そして“town”と“crown”の対比という左右対称の構造美があります。

別れた彼女が、新しいパートナーと一緒のところを目撃し、ジョークを言っているけど全然面白くないと男は思ったりする。一方、彼女は、男が見ているのを知っていて、新しいパートナーのことを男の“understudy”(演劇の舞台でいつでも代わりに演じられるようにスタンバイしている代役のこと)のように思っているのではないか、そして彼女を奪い返すために拳を血にそめてもいいと思っているのではないかと感じている、という両者の視点が対比されています。

男は、女が突然去っていったショックから立ち直れず、未練たらたらなのに対し、女は、何度もチャンスがあったのに男がそれに気付かなかったと不満をもらす。お互いへの思いを引きずりながら、別れるていくカップル。とても切ない設定です。



また、「こういう映画は前に観た気がする。エンディングが好きじゃなかったけど」(I think I’ve seen this film before. And I didn’t like the ending.)というキーとなるフレーズが出てきますが、これは、二人の物語を映画に喩えていると思われます。そういう流れで、この“hall”というのが映画館であり、“side door”というのが、映画館の横にある出入り口なのではないかと思われます。

男と女の微妙なすれ違いを、デュエットの形で表現しています。同じような言葉であってもそれぞれにとって、意味が異なっているのですが、それは歌詞の中の“We always walked a very thin line” (我々は紙一重のギリギリのところを歩いてきた)や、“Balancing on breaking branches”(折れそうな枝の上でバランスを取ってきた)という表現に現れています。

この歌詞の内容のバランスが、詩の形式のバランスとオーバーラップしているところに私は美しさを感じてしまうのです。同じ言葉とメロディーを共有しながら、気持ちはすれ違ったままであるという事実。それでいて一つの曲として完成しているという事実。こういう美しさがこの曲にはあります。

また文字の組み方が美しい。男と女のパートを左右に振り分けての配置が美しいです。結局、彼女の気持ちがわからず、彼女からのサインを感じ取れなかった男。何度もサインを出していたのに、それに気付いてくれなかったと言う女。はてしなく続く平行線のようなこのリフレインが、左右対称でレイアウトされています。それが、また切ない。



そして、導入部分で、書体(フォント)の話をしましたが、このIM Fell DW Pica Romanという書体には、リガチャー(ligature)というのが象徴的に機能しています。これは昔の活字の時代、文字の間隔が空きすぎてしまうのを嫌がってあらかじめ二つの文字をくっつけて作られた活字のことです。日本語では「合字」と訳されますが、ffやfiのような場合、二つの文字をあらかじめセットで一つの活字として、文字組みを美しく見せようとする伝統的な手法です。このフォントの場合、cとk、sとtなども、リガチャーとしてくっついています。現代ではほとんど見る機会のなくなってしまったリガチャーをこのビデオで何年かぶりに見て、感動してしまいました。



この画像が、リガチャーが使われている文字ですが、fiは、fとiをくっつけてあり、iの文字の点は無くなっています。ffの場合は、横棒が連結しています。ck、stなどは独特のくっつき方をしていますね。

ちっと深読みしすぎかもしれないのですが、このリガチャーという存在に、この”exile”という曲のテーマが象徴されているのではないかと思うのです。男と女の結びつきのドラマを私は、リガチャーに感じてしまいます。男と女のデュエットであるということ、異なった考え方を一つに合体させて形を整えるということ、リガチャーを見て、そんな気持ちを抱く私はちょっとマニアックすぎるのかもしれません。
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