グラミー賞の年間最優秀アルバム賞を受賞したテイラー・スウィフトのアルバム“folklore”。その17曲目として、“the lakes”は、若干遅れて発表されたものです。アルバムの曲はどれも好きなのですが、この“the lakes”は特に好きでした。
2020年の8月の発表以来、この曲の歌詞について語りたいと思いながら、いつの間にか月日が流れてしまいました。ウェブを調べてみると、いろんな人がこの曲の歌詞を日本語に訳してくださっているのですが、どうもわかりにくい。おそらく言葉を訳すだけでは、テイラー・スウィフトが伝えたかったことが伝わらないのではないかと思いました。
というわけで、英語の授業のように、歌詞を解説してみようと思ったわけです。と言っても、知識の及ばぬところもあり、自分独自の解釈などもありますので、間違っている部分もあるかもしれません。そういう部分はご容赦ください。この曲の歌詞の解明に少しでも役立てば幸いです。
まずは、オフィシャルのLylic Videoをご紹介しておきます。“folklore”のすべての曲に、シンプルな背景と歌詞だけの動画が公開されているのですが、これがまたグラフィック的に素晴らしい。
特に、文字のタイポグラフィーが秀逸なのですが、これは以前の記事をご参照ください。
https://note.com/wings2fly/n/n8cf9012ceadc
“the lakes”というタイトルについて
まず、この曲のタイトルの“the lakes”ですが、どこにでもある「湖」という一般名詞ではありません。イングランドの北西部にある“the Lake District”という特定の場所です。日本語では、「湖水地方」と訳されますが、大小の湖の点在する風光明媚な観光地で、国立公園になっています。
ウィリアム・ワーズワース(Willian Wordsworth)や、サミュエル・テイラー・コールリッジ(Samuel Taylor Coleridge)など19世紀のいわゆる「湖畔詩人」たちが住んでいた地域でもあります。また後に、「ピーターラビット」で有名なビアトリクス・ポターが移り住んだ場所としても有名です。こちらが、ワーズワースです。
18世紀後半から19世紀にかけて、産業革命が進展しますが、大都市はどんどん住みにくくなっていきます。そのアンチテーゼとして注目されたのが、都会の喧騒から遠く離れた湖水地方でした。ワーズワースはもともとこの地方で生まれていますが、他の湖畔詩人や、ビアトリクス・ポターなどがここに移り住んだのも、都会の喧騒から逃れ、自然が豊かな場所で生涯を過ごしたいという思いからでした。
つまり、この場所は、救いを求めて何かから逃れてくる場所ということなのですが、テイラー・スウィフトの“the lakes”には、そういう意味が込められているのだと思います。彼女の個人的な過去や、エンターテインメントビジネスのゴタゴタなど、忘れ去りたいことが山ほどあったのでしょうが、逃避先の象徴として、この“the lakes”が使われています。
この作品は、個人的な経験をもとにしている部分もあるのですが、“folklore”(民間伝承)というアルバムタイトルでも伝えようとしているように、私小説ではなく、物語であり、フィクションです。この物語の中の主人公と作者とはある程度の距離で離れています。自分を遠くから客観視しているような、そんな視点を感じるのです。
この美しい英国湖水地方の風景は、まさに“folklore”というアルバムの最後を飾るには相応しい気がします。ボーナストラックという位置付けでもよいので、どうしてもこの曲をアルバムの中に入れて、“folklore”を完結したかったテイラー・スウィフトの思いがわかるような気がします。
Is it romantic how all of my elegies eulogize me?
最初の歌い出しです。“Is it romantic”というのは、「それはロマンチックなのか」ということなのですが、作者自身は、それをロマンチックとは思っていないというニュアンスがあります。もし賛同しているのならば、“Isn’t it romantic”となりますね。
その後の、“how all my elegies eulogize me”の部分ですが、「自分が作ったエレジー(哀歌)が自分自身を褒め称えるものになる」という意味になります。“how”があるので、「そんなプロセス」という感じになります。“eulogize”というのは、賛美するという意味もありますが、もともとは、葬儀の時の弔辞を述べるという意味もあります。自分が作ったエレジーが、自分自身の弔辞になってしまうというのは、皮肉なことですが、それってロマンチックなことなのかという問題提議となっています。
この“romantic”という言葉、日本語の「ロマンチック」と同じ意味なのですが、「ロマン主義の」という意味もあります。ワーズワースや、コールリッジなどの湖畔詩人たち、シェリー、バイロン、キーツ、ブレイクなどは、英国ロマン主義としてグルーピングされます。ということで、「こういう考え方ってちょっと昔のロマン主義っぽいよね?」というニュアンスもあるのかなと思います。
I'm not cut out for all these cynical clones
この“cut out for”という熟語は「〜に向いている」という意味です。洋服を仕立てるときに使う型紙に由来して、ぴったり合うというところから来ているという説もあります。「これらすべての冷笑的な(皮肉っぽい)クローンたち」というのがどういう人たちのことを意味しているのかわかりませんが、同じような音楽を志向している音楽業界のことかもしれませんし、斜に構えた態度のステレオタイプの人々のことかもしれません。あるいはワーズワースなど湖畔詩人たちのことなのかもしれません。
歌詞は、芸術作品と同じで、一旦世の中に出ると、解釈は自由になります。読み手が勝手に理解すればよいので、この“cynical clones”はいろんな人々に当てはまるのですが、作者テイラー・スウィフトは、自分はそういうタイプの人間にはなれないと語っているわけです。
These hunters with cell phones
このフレーズは、上の文章を別の言葉で置き換えています。“cell phones”は、「携帯電話」のことですが、銃の代わりに携帯電話を持って狩猟をしている人々ということになります。有名人を追いかけるマスコミかもしれませんし、パパラッチかもしれません。テイラー・スウィフトにとっては嫌な存在です。“cut out for”はここに来て、「向いている」という意味から、「苦手」というニュアンスに変わっているのではないかと推測します。冷笑的なクローンの群れや、携帯を持ったハンターたちに辟易としている心情が伝わってきます。
“phones”は上の行の“clones”と韻を踏んでいます。これがまた、古典的な詩の伝統にのっとっていて、湖畔詩人の詩を連想させます。これら二つの言葉は最近の言葉で、これまでの詩には登場しない言葉なので、斬新な響きを感じます。
Take me to the lakes, where all the poets went to die
「詩人たちがそこで人生の終焉を迎えるために移り住んだという湖水地方に私を連れていって」という意味になります。イギリスの湖水地方は、日本の青木ヶ原樹海のように、自殺の名所というわけではありません。「すべての詩人が死ぬためにそこに行った」と訳すと、傷心して自殺するためにそこを訪れたという意味になってしまいます。そうすると、作者の自殺願望までイメージされてしまいます。
湖水地方に移り住んだ詩人たちは、あまりにもその土地を愛したが故、死ぬまでそこに住み、多くの詩を紡ぎ、そこで亡くなったというのが事実です。湖水地方は、詩人たちが都市文明に疲弊して、救いを求めて逃避してきた場所であり、現代のテイラー・スウィフトにとっても逃避すべき場所のシンボルでもあったと思われます。
ネットを調べていたら、かつてテイラー・スウィフトは英国人の恋人と湖水地方を訪れたことがあったと出ていました。その時の気持ちだったのかもしれません。
I don't belong and, my beloved, neither do you
「私はそういう人たちと同類ではなく、恋人よ、あなたも違うわね」というような意味と思われます。「死ぬまでそこに住もうと思って移住した詩人たち」と同じ考えを共有しているわけではないということですね。ここで、“my beloved”という言葉で、彼女が語りかけている恋人の存在が浮き彫りになります。彼女の恋人に、「あの湖水地方に私を連れていって。(死ぬまでそこに永住するわけじゃないけど)」とお願いをするわけです。
Those Windermere peaks look like a perfect place to cry
「あのウィンダミアの山々は泣くのには最適の場所のように見える」という意味になります。湖水地方で最も有名な湖の一つがウィンダミア湖で、湖から少し離れた場所にウィンダミアという町があります。周りには山々があり、“Windermere Peaks”というのは特定の山ではなく、周辺の山々全体を示すものと思われます。
I'm setting off, but not without my muse
“set off”というのは「出発する」という意味。湖水地方に旅立つということなのでしょう。「でも私のミューズと一緒でなきゃ嫌」というフレーズが続きます。「私のミューズ」とは、恋人のことなのでしょうが、もともとギリシャ神話で、芸術、学問を司る女神のことでした。音楽のMusicという言葉はこの「ミューズ」から生まれています。音楽のインスピレーションを与えてくれる恋人と二人で行きたいという意味かと思われます。
What should be over burrowed under my skin
この主語は、what should be over”で、「克服すべきこと、忘れ去るべきこと」、それが「私の皮膚の下に潜り込んでしまった」という意味になります。“burrow”とは、うさぎや狐などが、穴の中に潜り込むという意味なのですが、忘れてしまいたいことが、自分の皮膚の下に潜り込んでしまった、というような感じです。
In heart-stopping waves of hurt
そして、それは、皮膚の下で心臓が止まるような痛みの波となっているということになります。忘れ去りたいことが辛い痛みの波となって心を苦しめているという感じです。
I've come too far to watch some namedropping sleaze
ここは、「あまりに遠くまで来てしまったので、人の名前を勝手に使って悪用するような不逞な輩を目撃することもなくなった」という意味になります。“namedropping”というのは、有名人の名前をあげて、知り合いだと言いふらすことという意味、“sleaze”というのは、不正、下品、あるいはそのようなことをする人という意味になります。
Tell me what are my words worth
私の言葉にどんな価値があるのか教えてほしいということなのですが、ここで登場する“words worth”という言葉は、明らかに19世紀の湖畔詩人のワーズワースを意識しています。
I want auroras and sad prose
コーラスに続いて、このフレーズが登場します。「私が欲しいのはオーロラと悲しい散文」。湖水地方では、実際にオーロラが見えることもあるそうです。“sad prose”というのは、「悲しい散文」ということですが、この文脈の中でこの単語が使用されれているのは、いまいち理解できていません。湖水詩人たちは、詩(韻文)だけでなく、散文の作品も残していますが。
I want to watch wisteria grow right over my bare feet
「藤の蔓が私の裸足の足の上まで伸びてくるのを見てみたい」ということです。
'Cause I haven't moved in years
藤の蔓が伸びてくるほど、何年もその場所に立ち尽くしているということになります。
And I want you right here
そして、あなたにここにいてほしい、との言葉。「あなた」を待ちながら、何年でもいいのでここにいるというメッセージ。ここが湖水地方なのか、どこなのかよくわかりませんが、求めている恋人はここには存在していないというのがわかります。
A red rose grew up out of ice frozen ground
「赤い薔薇が凍りついた地面から育っていた」という言葉が続きます。薔薇の花が凍てつく冬に咲くことはありえないことです。ありえないことの象徴としてこのフレーズが登場しています。「ロマンチック」および「ロマン主義」という言葉には、「空想的な」とか「非現実的」という意味もあるので、この表現はまさに「ロマンチック」です。
With no one around to tweet it
上の文章に続いて、「これについてツイートしようとする人は周りには誰もいない」という文章が続きます。せっかくのSNS映えする事象なのに、誰もそれを目撃し、ツイートすることがないという切なさです。
While I bathe in cliffside pools
「その間に私は崖の下のプールに入っている」というフレーズ。そんなことをしても誰も注目する人がいないので、のんびりしていられる、というような意味なのでしょう。「崖の側のプール」というのはこんな感じの場所と思われます。
https://getoutside.ordnancesurvey.co.uk/guides/wild-swimming-holes-in-the-lake-district/
With my calamitous love and insurmountable grief
そして、「悲惨な恋や 乗り越えられない悲しみ」という言葉が、上の“cliffside pools”あるいは“bathe”に掛かっています。つまりこんな場所で、悲恋や、乗り越えられない悲しみに浸っている自分というわけです。
No, not without you
「湖水地方に連れてい行って」というコーラスの後、最後に、このフレーズが。「あなたと一緒でないとダメ」ということで、この曲は、かつての恋人に対する未練であり、虚しいラブレターなのかもしれません。
湖水地方の動画がありましたのでこちらにアップしておきます。ウィンダミアピークスというのはこういう場所ではないかというのがよくわかります。
結局は、悲しい物語なのですが、冒頭に出てきた、「エレジー」の一つがこの曲だったんだなと思うと、切なさが残ります。
最後にテイラー・スウィフトのスタジオ演奏の動画をアップしておきます。
2020年の8月の発表以来、この曲の歌詞について語りたいと思いながら、いつの間にか月日が流れてしまいました。ウェブを調べてみると、いろんな人がこの曲の歌詞を日本語に訳してくださっているのですが、どうもわかりにくい。おそらく言葉を訳すだけでは、テイラー・スウィフトが伝えたかったことが伝わらないのではないかと思いました。
というわけで、英語の授業のように、歌詞を解説してみようと思ったわけです。と言っても、知識の及ばぬところもあり、自分独自の解釈などもありますので、間違っている部分もあるかもしれません。そういう部分はご容赦ください。この曲の歌詞の解明に少しでも役立てば幸いです。
まずは、オフィシャルのLylic Videoをご紹介しておきます。“folklore”のすべての曲に、シンプルな背景と歌詞だけの動画が公開されているのですが、これがまたグラフィック的に素晴らしい。
特に、文字のタイポグラフィーが秀逸なのですが、これは以前の記事をご参照ください。
https://note.com/wings2fly/n/n8cf9012ceadc
“the lakes”というタイトルについて
まず、この曲のタイトルの“the lakes”ですが、どこにでもある「湖」という一般名詞ではありません。イングランドの北西部にある“the Lake District”という特定の場所です。日本語では、「湖水地方」と訳されますが、大小の湖の点在する風光明媚な観光地で、国立公園になっています。
ウィリアム・ワーズワース(Willian Wordsworth)や、サミュエル・テイラー・コールリッジ(Samuel Taylor Coleridge)など19世紀のいわゆる「湖畔詩人」たちが住んでいた地域でもあります。また後に、「ピーターラビット」で有名なビアトリクス・ポターが移り住んだ場所としても有名です。こちらが、ワーズワースです。
18世紀後半から19世紀にかけて、産業革命が進展しますが、大都市はどんどん住みにくくなっていきます。そのアンチテーゼとして注目されたのが、都会の喧騒から遠く離れた湖水地方でした。ワーズワースはもともとこの地方で生まれていますが、他の湖畔詩人や、ビアトリクス・ポターなどがここに移り住んだのも、都会の喧騒から逃れ、自然が豊かな場所で生涯を過ごしたいという思いからでした。
つまり、この場所は、救いを求めて何かから逃れてくる場所ということなのですが、テイラー・スウィフトの“the lakes”には、そういう意味が込められているのだと思います。彼女の個人的な過去や、エンターテインメントビジネスのゴタゴタなど、忘れ去りたいことが山ほどあったのでしょうが、逃避先の象徴として、この“the lakes”が使われています。
この作品は、個人的な経験をもとにしている部分もあるのですが、“folklore”(民間伝承)というアルバムタイトルでも伝えようとしているように、私小説ではなく、物語であり、フィクションです。この物語の中の主人公と作者とはある程度の距離で離れています。自分を遠くから客観視しているような、そんな視点を感じるのです。
この美しい英国湖水地方の風景は、まさに“folklore”というアルバムの最後を飾るには相応しい気がします。ボーナストラックという位置付けでもよいので、どうしてもこの曲をアルバムの中に入れて、“folklore”を完結したかったテイラー・スウィフトの思いがわかるような気がします。
Is it romantic how all of my elegies eulogize me?
最初の歌い出しです。“Is it romantic”というのは、「それはロマンチックなのか」ということなのですが、作者自身は、それをロマンチックとは思っていないというニュアンスがあります。もし賛同しているのならば、“Isn’t it romantic”となりますね。
その後の、“how all my elegies eulogize me”の部分ですが、「自分が作ったエレジー(哀歌)が自分自身を褒め称えるものになる」という意味になります。“how”があるので、「そんなプロセス」という感じになります。“eulogize”というのは、賛美するという意味もありますが、もともとは、葬儀の時の弔辞を述べるという意味もあります。自分が作ったエレジーが、自分自身の弔辞になってしまうというのは、皮肉なことですが、それってロマンチックなことなのかという問題提議となっています。
この“romantic”という言葉、日本語の「ロマンチック」と同じ意味なのですが、「ロマン主義の」という意味もあります。ワーズワースや、コールリッジなどの湖畔詩人たち、シェリー、バイロン、キーツ、ブレイクなどは、英国ロマン主義としてグルーピングされます。ということで、「こういう考え方ってちょっと昔のロマン主義っぽいよね?」というニュアンスもあるのかなと思います。
I'm not cut out for all these cynical clones
この“cut out for”という熟語は「〜に向いている」という意味です。洋服を仕立てるときに使う型紙に由来して、ぴったり合うというところから来ているという説もあります。「これらすべての冷笑的な(皮肉っぽい)クローンたち」というのがどういう人たちのことを意味しているのかわかりませんが、同じような音楽を志向している音楽業界のことかもしれませんし、斜に構えた態度のステレオタイプの人々のことかもしれません。あるいはワーズワースなど湖畔詩人たちのことなのかもしれません。
歌詞は、芸術作品と同じで、一旦世の中に出ると、解釈は自由になります。読み手が勝手に理解すればよいので、この“cynical clones”はいろんな人々に当てはまるのですが、作者テイラー・スウィフトは、自分はそういうタイプの人間にはなれないと語っているわけです。
These hunters with cell phones
このフレーズは、上の文章を別の言葉で置き換えています。“cell phones”は、「携帯電話」のことですが、銃の代わりに携帯電話を持って狩猟をしている人々ということになります。有名人を追いかけるマスコミかもしれませんし、パパラッチかもしれません。テイラー・スウィフトにとっては嫌な存在です。“cut out for”はここに来て、「向いている」という意味から、「苦手」というニュアンスに変わっているのではないかと推測します。冷笑的なクローンの群れや、携帯を持ったハンターたちに辟易としている心情が伝わってきます。
“phones”は上の行の“clones”と韻を踏んでいます。これがまた、古典的な詩の伝統にのっとっていて、湖畔詩人の詩を連想させます。これら二つの言葉は最近の言葉で、これまでの詩には登場しない言葉なので、斬新な響きを感じます。
Take me to the lakes, where all the poets went to die
「詩人たちがそこで人生の終焉を迎えるために移り住んだという湖水地方に私を連れていって」という意味になります。イギリスの湖水地方は、日本の青木ヶ原樹海のように、自殺の名所というわけではありません。「すべての詩人が死ぬためにそこに行った」と訳すと、傷心して自殺するためにそこを訪れたという意味になってしまいます。そうすると、作者の自殺願望までイメージされてしまいます。
湖水地方に移り住んだ詩人たちは、あまりにもその土地を愛したが故、死ぬまでそこに住み、多くの詩を紡ぎ、そこで亡くなったというのが事実です。湖水地方は、詩人たちが都市文明に疲弊して、救いを求めて逃避してきた場所であり、現代のテイラー・スウィフトにとっても逃避すべき場所のシンボルでもあったと思われます。
ネットを調べていたら、かつてテイラー・スウィフトは英国人の恋人と湖水地方を訪れたことがあったと出ていました。その時の気持ちだったのかもしれません。
I don't belong and, my beloved, neither do you
「私はそういう人たちと同類ではなく、恋人よ、あなたも違うわね」というような意味と思われます。「死ぬまでそこに住もうと思って移住した詩人たち」と同じ考えを共有しているわけではないということですね。ここで、“my beloved”という言葉で、彼女が語りかけている恋人の存在が浮き彫りになります。彼女の恋人に、「あの湖水地方に私を連れていって。(死ぬまでそこに永住するわけじゃないけど)」とお願いをするわけです。
Those Windermere peaks look like a perfect place to cry
「あのウィンダミアの山々は泣くのには最適の場所のように見える」という意味になります。湖水地方で最も有名な湖の一つがウィンダミア湖で、湖から少し離れた場所にウィンダミアという町があります。周りには山々があり、“Windermere Peaks”というのは特定の山ではなく、周辺の山々全体を示すものと思われます。
I'm setting off, but not without my muse
“set off”というのは「出発する」という意味。湖水地方に旅立つということなのでしょう。「でも私のミューズと一緒でなきゃ嫌」というフレーズが続きます。「私のミューズ」とは、恋人のことなのでしょうが、もともとギリシャ神話で、芸術、学問を司る女神のことでした。音楽のMusicという言葉はこの「ミューズ」から生まれています。音楽のインスピレーションを与えてくれる恋人と二人で行きたいという意味かと思われます。
What should be over burrowed under my skin
この主語は、what should be over”で、「克服すべきこと、忘れ去るべきこと」、それが「私の皮膚の下に潜り込んでしまった」という意味になります。“burrow”とは、うさぎや狐などが、穴の中に潜り込むという意味なのですが、忘れてしまいたいことが、自分の皮膚の下に潜り込んでしまった、というような感じです。
In heart-stopping waves of hurt
そして、それは、皮膚の下で心臓が止まるような痛みの波となっているということになります。忘れ去りたいことが辛い痛みの波となって心を苦しめているという感じです。
I've come too far to watch some namedropping sleaze
ここは、「あまりに遠くまで来てしまったので、人の名前を勝手に使って悪用するような不逞な輩を目撃することもなくなった」という意味になります。“namedropping”というのは、有名人の名前をあげて、知り合いだと言いふらすことという意味、“sleaze”というのは、不正、下品、あるいはそのようなことをする人という意味になります。
Tell me what are my words worth
私の言葉にどんな価値があるのか教えてほしいということなのですが、ここで登場する“words worth”という言葉は、明らかに19世紀の湖畔詩人のワーズワースを意識しています。
I want auroras and sad prose
コーラスに続いて、このフレーズが登場します。「私が欲しいのはオーロラと悲しい散文」。湖水地方では、実際にオーロラが見えることもあるそうです。“sad prose”というのは、「悲しい散文」ということですが、この文脈の中でこの単語が使用されれているのは、いまいち理解できていません。湖水詩人たちは、詩(韻文)だけでなく、散文の作品も残していますが。
I want to watch wisteria grow right over my bare feet
「藤の蔓が私の裸足の足の上まで伸びてくるのを見てみたい」ということです。
'Cause I haven't moved in years
藤の蔓が伸びてくるほど、何年もその場所に立ち尽くしているということになります。
And I want you right here
そして、あなたにここにいてほしい、との言葉。「あなた」を待ちながら、何年でもいいのでここにいるというメッセージ。ここが湖水地方なのか、どこなのかよくわかりませんが、求めている恋人はここには存在していないというのがわかります。
A red rose grew up out of ice frozen ground
「赤い薔薇が凍りついた地面から育っていた」という言葉が続きます。薔薇の花が凍てつく冬に咲くことはありえないことです。ありえないことの象徴としてこのフレーズが登場しています。「ロマンチック」および「ロマン主義」という言葉には、「空想的な」とか「非現実的」という意味もあるので、この表現はまさに「ロマンチック」です。
With no one around to tweet it
上の文章に続いて、「これについてツイートしようとする人は周りには誰もいない」という文章が続きます。せっかくのSNS映えする事象なのに、誰もそれを目撃し、ツイートすることがないという切なさです。
While I bathe in cliffside pools
「その間に私は崖の下のプールに入っている」というフレーズ。そんなことをしても誰も注目する人がいないので、のんびりしていられる、というような意味なのでしょう。「崖の側のプール」というのはこんな感じの場所と思われます。
https://getoutside.ordnancesurvey.co.uk/guides/wild-swimming-holes-in-the-lake-district/
With my calamitous love and insurmountable grief
そして、「悲惨な恋や 乗り越えられない悲しみ」という言葉が、上の“cliffside pools”あるいは“bathe”に掛かっています。つまりこんな場所で、悲恋や、乗り越えられない悲しみに浸っている自分というわけです。
No, not without you
「湖水地方に連れてい行って」というコーラスの後、最後に、このフレーズが。「あなたと一緒でないとダメ」ということで、この曲は、かつての恋人に対する未練であり、虚しいラブレターなのかもしれません。
湖水地方の動画がありましたのでこちらにアップしておきます。ウィンダミアピークスというのはこういう場所ではないかというのがよくわかります。
結局は、悲しい物語なのですが、冒頭に出てきた、「エレジー」の一つがこの曲だったんだなと思うと、切なさが残ります。
最後にテイラー・スウィフトのスタジオ演奏の動画をアップしておきます。