まわる世界はボーダーレス

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「ノンバイナリー」とともに変化していく英語表現

2021-07-11 20:24:11 | 英語
「ノンバイナリー」という、男性でも女性でもない、どちらにも属さない性別が話題となっています。それに伴い、三人称単数の“they”が使われるようになったり、“Ladies and Gentlemen”が使われなくなるなど、従来の英語表現が微妙に変化しているので、このあたりの状況をまとめてみたいと思います。

セレブのノンバイナリー宣言と代名詞の変化

フロントロウ(FRONTROW)という情報サイトが、2021年7月2日に報じた歌手のリゾ(Lizzo)に関するニュースが話題となっている、というのを妻が教えてくれました。これは、セレブ、エンタメ、ファッション、ビューティー、社会問題、 バズニュースというジャンルで海外カルチャーを発信するウェブサイトなのですが、その記事の内容はこんな感じでした。



リゾとデミ(デミ・ロヴァート)は今年10月にアメリカのニューオーリンズで開催されるジャズ・フェストで共にヘッドライナーを務めるのだが、パパラッチの1人がそのことに触れて、「デミにメッセージはある? 彼女(she)から連絡したほうがいい?」とリゾに質問。すると、リゾはすぐに代名詞の誤りに気がついたようで、「“They”だよ」と指摘。リゾの言葉が聞こえなかったのか、パパラッチが続けて「彼女(her)のチーム」と言うと、リゾはこちらもすぐさま「“Their”チームだよ」と訂正して、次のように続けた。「デミは“They”だよ」。

 その後、パパラッチも自身の誤りに気がついたようで、「訂正してくれてありがとう」とリゾに伝えた。
こちらがその記事のリンクですが、その時の動画も掲載されています。

https://front-row.jp/_ct/17464391

デミ・ロヴァートは今年の5月、男性や女性どちらにも分類・限定されない「ノンバイナリー」であり、今後使う代名詞は、「They/ Them」とすることを発表しました。

英語では「they」という言葉は、おもに三人称複数として使われてきたのですが、主語となる人物のジェンダーが分からない場合などには単数形としても使えるという特性があり、近年、ノンバイナリーの人々の代名詞として定着してきたということでした。



リゾがパパラッチに対して、代名詞を訂正してくれたことを知ったデミ・ロヴァートは、SNSでこんなコメントをしたそうです。「デミは“they”だからね。パパラッチがデミの性を間違えた直後に、リゾがそれを訂正してくれた!」

ノンバイナリーとして、“she”とか“her”ではなく、“they”や“their”、“them”を使うことに徹底的に拘っているんですね。

ノンバイナリー宣言をした有名人は、デミ・ロヴァートの以前にもいました。

2019年9月、イギリスのシンガー・ソングライター、サム・スミス(Sam Smith)がインスタグラムにて「私の代名詞は THEY / THEM 」と宣言していたのです。

サム・スミスは2014年に世界的大ヒットとなった『ステイ・ウィズ・ミー』でグラミー賞レコード・オブ・ジ・イヤーを受賞した際のスピーチでゲイであることを公表。3年後に「自分は男性であると同様に、女性でもあると感じる」と発言し、今回はノン・バイナリー(男女どちらでもない、もしくは第三の性)として「They」宣言を行ないました。

歌手の宇多田ヒカルも、2021年6月26日のインスタライブ中に自身がノンバイナリーであることを宣言しましたね。

三人称単数の“they”

1998年、オックスフォード英語辞典に、「単数形のthey」がすでに加えられていたそうです。この時はまだノンバイナリーとかの概念がほとんどなかった頃なのですが、実はかなり昔から(シェイクスピアの頃から)単数形のtheyの使用事例はあったと言われています。

私は、大学で英文学を学び、中学高校の英語教員資格を持っているのですが、「単数形のthey」などというのは全く認識していませんでした。例えば、「誰もが自分の意見を持っている」という文章で、“Everyone has ____ opinion.”という空欄にどんな言葉が入るのかという試験問題が出たとします。従来の英文法の正解は、“his or her”です。ところが、ここに“their”という単語を入れることも正解になりつつあります。日本の英語教育界がこれを容認しているのかわかりませんが、欧米ではこのような用例が以前からあったし、ノンバイナリーが登場してジェンダー・ニュートラルな時代になった今日、これがどんどん増えているんですね。

主語の“Everyone”は単数形なので、文法的に言えば、それは単数で受けなければなりません。三人称の単数と言えば、heかsheかitになります。“he”とか“she”とか言うと、性別が問題になるし、いちいち“he or she”と言うのも面倒です。一回だけでしたらいいのですが、たとえば、「誰もが自分自身に関する意見を持っている」という文章になった場合、“Everyone has his or her opinion about himself or herself”みたいな感じになってしまいます。物ではないので“it”というわけにはいきません。

ここで登場してくるのが三人称単数の“they”というわけです。“Everyone has their opinion”という使い方ですが、この場合の“their”は単数形ということになります。

こういう使い方は以前からあったのですが、性を区別したくないノンバイナリーが一般的になってくるのに合わせて、単数形のtheyが市民権を拡大しているということなのですね。

単数形ではあっても、主語として来た場合は、“They are”とか“They have”のように動詞は複数形で受けなければなりません。ここがちょっとややこしいところなのですが、意味としては、単数になります。これは慣れていくしかありませんね。ただし単数形の“they”に関して、日本の受験英語がどこまでキャッチアップしてくるのかはわかりませんので、受験生の方はご注意ください。

アメリカの学術団体「米国地方言語学会」が決定する「今年の言葉」というものがあるそうなんですが、2015年の「今年の言葉」に「単数形のthey」が200名以上の言語学者らによって選出されたそうです。

2017年には、メディアやPR業界で広く使われているAP通信編集発行の『APスタイルブック』にも「単数形のthey」が加えられたとのこと。

2019年秋、アメリカの主要辞典「メリアム・ウェブスター辞典」(The Merriam-Webster Dictionary)の「they」の語義に、「単数形のthey」の新たな語義と用法が加えられました。「単数形のthey」は、「used to refer to a single person whose gender identity is nonbinary(ノンバイナリーなジェンダーアイデンティティを持つ単数の人を指して使われる)」と定義されています。「男性でも女性でもないという性自認を持つ個別の人について使われる」三人称単数形の代名詞ということです。

英語の辞書も文法も時代に合わせてどんどん変化していくのですね。英語の先生もこういう時代の流れに合わせて勉強していく必要があるのでしょうね。

ノンバイナリーとLGBTとの関連

世の中「ダイバーシティー」とか「インクルージョン」ということで、「ノンバイナリー」とか「LGBT」とかいろいろな言葉が登場してきていますが、ここでちょっと整理しておきたいと思います。

まず、「ノンバイナリー」を理解するために、「バイナリー」という言葉についてみてみましょう。「二進法の」とか「二つの」という意味ですが、コンピュータが登場して以来、すべてのデータが0か1かの二種類のデータ(デジタルデータ)で処理されるようになりました。バイナリーというとIT用語と思っている人が多いと思いますが、もともとは二つから成るという概念です。

投資の世界でもバイナリーオプションとかありますが、これは二者択一ということです。ということで、「バイナリー」という言葉は、いろんな分野で使われています。

ジェンダーということで見ると、人間を男性と女性の二種類に分けるということは、古来行われて来ております。動物でも、鳥でも、生物はオスとメスに区分されていますね。二つに分類するという考え方が「バイナリー」なのです。

長い歴史の中で、人類は、自らを男性と女性に分類してきました。が、この中間にあって、自らをどちら側か区分できない人、区分できかねている人も出てきました。昔から存在していたのでしょうが、無理やりどちらかに区分されてきたか、無視さる存在だったのだと思います。

このどちらにも属さない人々が「ノンバイナリー」と呼ばれています。

LGBTという言葉がありますが、ゲイやレズビアンなど、男性、女性という性を前提としている場合があるので、必ずしも「ノンバイナリー」とは言えません。また「トランスジェンダー」と呼ばれる人々も、自分の帰属する性別は生まれた性別とは違うかもしれないけれど、自分が希望する性別に属すことを選択した人々ということで、これも「ノンバイナリー」とは違います。だぶっている人もいるのかもしれませんが、このへんの実態は専門家にお任せすることにしたいと思います。

“Ladies and Gentlemen”の挨拶が死語となっていく

イベントの司会者は“Ladies and Gentlemen”という常套句で挨拶を始めるというのが通例でした。ところがこれも時代遅れとなっているようです。

2020年10月1日から、JALが空港や機内のアナウンスで“Ladies and Gentlemen”という表現を止めるというのがニュースになりました。「All Passengers」(オール・パッセンジャーズ)や「Everyone」など使うようにしたそうです。

東京ディズニーランドとシーの園内アナウンスも、2021年3月18日から“Ladies and Gentlemen, Boys and Girlsというこれまでの定番の表現が変更になりました。変更の理由については「全てのゲストのみなさまに継続的に、より気持ちよくパークでお過ごし頂くため」ということだそうです。「Hello Everyone」など性別を特定しない文言に変更し、性的マイノリティーの来園者などにも配慮した表現となっています。

欧米では、すでに数年前から、公共交通機関で“Ladies and Gentlemen”という表現をやめているところも多いようですね。

ビリー・ポーター(Billy Porter)が2020年1月のグラミー賞で、"Ladies and Gentleman and Those Who Have Yet To Make Up Their Minds" (紳士、淑女、そしてまだ決めかねている皆様)と言って大受けしていました。

https://www.mrctv.org/videos/billy-porter-ladies-and-gentleman-and-those-who-have-yet-make-their-minds

こういう世界的なトレンドを知らずに“Ladies and Gentlemen”を使って顰蹙を買うことは避けたいですね。オリンピックとか大丈夫でしょうか?

Mxという敬称の登場

性別の表現としては、、Mr(ミスター)、Ms(ミズ)、Mrs(ミセス)、Miss(ミス)などといった呼称の他に、「Ze」、「Mx(ミクス)」なる呼び方がオックスフォード英語辞典(OED)に2015年に掲載されるようになったのだそうです。どちらも自分のアイデンティティが男性でも女性でもないと感じていたり、性別を特定されるのを好まなかったりする人のためのジェンダーニュートラル(中性的)な言葉が市民権を得ているのですね。

こんな感じで、社会の変化に伴い英語表現もどんどん変化しているので、常にトレンドをチェックしておかないといけませんね。
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たまたま見かけた魔法の鏡の広告から"Fair"という言葉の意味を考える

2021-06-07 10:52:16 | 英語
先日シンガポールの地下鉄に乗ろうとしたら、プラットホームのホームドア脇にある一つの広告が目にとまりました。” “Who’s the fairest of them all?”というキャッチコピー。おとぎ話の鏡のようなイラストにレイアウトされたその言葉は、「白雪姫」の中に登場する意地悪な継母が魔法の鏡に向かって投げかける言葉でした。



日本語では「鏡よ、鏡よ、鏡さん、この世で最も美しいのは誰?」と訳されたりしています。原文では、「美しい」という意味でこの”fair”という単語を使っています。鏡に向かって自分の評価を問うというのは、今の時代では、SNSでフォロワーの数を気にしたり、ツイッターでの自分の評価を気にしたりする、いわゆるエゴサーチの象徴のような気もしますね。エゴサーチの結果は、優越感の自己満足あるいは、嫉妬のどちらかになる場合が多く、両者は紙一重です。白雪姫の物語では、嫉妬が大きなテーマになっています。



「美しい」という意味は今や古語となってしまっていて、現在では、「色白の」という意味で使われるようになっていますが、昔話の体裁の白雪姫の物語の中では、美しいという意味で使われています。継母の嫉妬のため、みすぼらしい外見にさせられてもなお、白雪姫は王子様を魅了するというのは、外見だけでなく、内面の美しさも意味しているのではないかとも思います。

実は、“fair”という言葉にはいろいろな意味があって、「公正な」という意味や、”fair wind”(順風)などの「順調な」という意味や、天気が「晴れ」という時にも使います。ゴルフなどで”fairway”といえば、ティーとグリーンの間の芝生区域を言います。”Fair Play”という言葉は、スポーツマンシップに則り、道徳を守ったきちんとした行いという意味で使われますね。何か揉めた場合、よく「それはフェアじゃない」とか言ったりもします。シンガポールのスーパーマーケットに”FairPrice”というのがありますが、適正な値段(のお店)というような意味です。

人格という点では、白雪姫が汚れのないフェアな心を持っているというのに対し、継母はプライドが高く、ひねくれていて、嫉妬心が強く、自分のためならどんな悪いことでもしてしまいます。白雪姫の対極のアンフェアの象徴です。そういう意味で、鏡に「この世で最もフェアなのは誰か」と問いかける継母に、鏡は外見という意味で継母だと答えていますが、でも内面を含む総合点では白雪姫だと答えているのは当然です。

この物語の世界は、お城と小人たちが住む森だけという小さな世界なのですが、継母が広い世界を知ってしまったら、さらに衝撃を受けて、立ち直れなくなるでしょう。狭い世界の中では人と比べて優越感を感じることはできますが、世界が広がれば広がるほど、競争相手は増えていき、どこかで挫折をすることになります。

ところで、学校でレポートなどを評価する時にも”Fair”という言葉が使われます。これは、実はそれほどいいわけではなく、優良可で言えば「可」あたりに相当する雰囲気です。「落第点」や「不可」ではないけど、それほど優れているわけではない。「とりあえず合格点」という感じです。優れている場合の評価は、”Excellent”とか”Very Good”などになります。

ちなみに、コロナ感染者の統計で有名なJohns Hopkins Universityの評価によれば、5=Excellent, 4=Very Good, 3=Good, 2=Fair, 1=Poorという順位付けになります。下から二つ目なので、あまり喜べない感じですね。この基準はこの大学だけでなく、いろんなところで使われているようです。



さて、この鏡の広告では、「公正な」という意味で”Fair”を使っています。もちろん、「白雪姫」の継母の台詞を踏まえているのですが、ダブルミーニングで、「最も公正な(サービスを提供する)のは誰?」という意味になります。英語のコピーライティングでは、こういう言葉をもじった表現がよく好まれ、このジョークがわかった読者は思わずニヤリとしてしまうのです。

英語では、”tongue-in-cheek”という言葉があります。「冗談めかして」というような意味です。若い頃勤めていた海外向けの広告代理店のフィリピン人のコピー部長がよく言っていました。「コピーは、真面目にストレートに表現するのではつまらないし、結局メッセージが伝わらない。ちょっと距離を置いて、冗談めかして、ユーモアを交えて表現するのがよいのである」と。この白雪姫の鏡のコピーはまさにそれです。日本では「オヤジギャグ」と紙一重で、興ざめしてしまう人もいるかもしれませんが、こういう英語のコピーは私は大好物です。

この広告の広告主は、EndowUsというシンガポール発のフィンテックの会社で、資産や年金のコンサルティングをする会社のようです。この分野では新進気鋭の会社で、数々の賞も受賞していて、シンガポールから海外にも拡張しているようですね。この広告を通して、「私たちのコンサルテーション費用は他のどの会社よりも公正です」というメッセージ。私はこの広告のターゲットに該当しないのですが、この広告のメッセージは非常によく伝わってきます。

で、ここまでこの広告に惹きつけられてしまった私ですが、この”Fair”という単語のことをいろいろと考えてしまいました。

シェイクスピアの時代、「美しい」という意味で、やたら”Fair”が登場します。例えばロミオとジュリエットで、一時的に眠りに入ったジュリエットを死んでしまったものと誤解したロミオが語る台詞があります。
Ah, dear Juliet, why art thou yet so fair?
「おお、親愛なるジュリエットよ、お前は何故まだそんなに美しいままなのか?」
この時は実際にはまだ死んではいないので、綺麗なままであるのは当然ですが。

“My Fair Lady”という映画もあります。オードリー・ヘップバーンが主演したミュージカル映画。ここで使われている”Fair”も「美しい」という意味です。薄汚れた下町の花売り娘が、言葉を特訓することで、上流階級の淑女に変身してしまうというストーリーですね。

現代英語では、理由はわかりませんが、「色白の」という意味になってしまいました。主観的な美しさという判断ではなく、物理的な皮膚の色の比較の問題になってしまいました。「白雪姫」(Snow White)という物語のタイトルにはぴったりになってしまいましたが、よく考えてみると、これは人種差別表現であり、”Black Lives Matter”などが叫ばれる昨今では、時代に逆行する表現になってしまっています。

「白雪姫」はもともとドイツのグリム兄弟が書いた童話だったのですが、ドイツ語では、"Wer ist die Schönste im ganzen Land?”という原文で、「最も美しい」という単語になっています。これが英語に翻訳された際に、”Fairest”と訳されたようです。

「最も美しい」としても、今のダイバーシティとインクルージョンとコンプライアンスの現代には問題になりかねません。人を外見で差別するということにつながります。「美女と野獣」のようなストーリーのほうが今の時代には求められれいると言えるでしょう。

さらに英語圏では、”Fair”が皮膚の色の物理的な白さを意味するようになったため、よりややこしくなってしまいました。インドなどでも、女性は白っぽいほうが美人と思われる傾向はあります。

以前、私は、広告の仕事でインドのボリウッド女優を起用した仕事に関わったことがありました。インドでの撮影に立ち会ったのですが、メイク前の素顔はやや黒かったのに、メークをバッチリしたらかなり白っぽくなったのを覚えています。女優の素顔は企業秘密(?)なので、本当は目撃してはいけなかったのかもしれませんが。

日本やアジア圏でも、日焼けは嫌なので、日焼け止めをし、日傘をさして紫外線を避け、美白効果のスキンケアを行い、肌の色が明るく見えるような化粧をしたりしています。色白に見えることが美の基準の一つになっています。

しかしながら、同時に、人を肌の色で差別することはますます忌避されるようにもなっています。

“Fair”という言葉だけでもこれだけの問題を抱えている「白雪姫」ですが、この物語をよく見ていくと、問題がいくつか出てきます。

そもそも、継母が白雪姫の美貌に嫉妬して部下に暗殺を命じるということだけで重大犯罪だし、さらに毒リンゴを使って白雪姫を殺害しようとしたことは、殺人罪になってしまいます。このような犯罪を周囲の関係者たちが全く知らなかったとは考えられず、継母の犯行を食い止められなかったことで、周囲の責任も問われることでしょう。特にこの物語にはほとんど登場しない王様の責任は重大だと思います。自分の娘が命を狙われているというのに何も気づかなかったというのは何と鈍感なのでしょう。父親として、お城の責任者として、継母の暴走を食い止めることはできなかったのでしょうか?

また、白雪姫にも罪があります。7人の小人たちが住む家に勝手に侵入してしまうのですが、現在の法律で言えば、住居不法侵入罪です。運良く小人たちが善良な性格で、ややこしいことを言わなかったので問題なかったですが、邪悪な心の人たちだったらどうなっていたことでしょう。

王子様が、死んだ白雪姫にキスをして目覚めさせるというのは、グリム童話のオリジナルにはなく、ディズニーの創作とのことです。毒リンゴの魔法を解く手段として、「恋人のファーストキス」と継母が参照したマニュアルには記載されているのですが、王子様がこれを認識していたとは思えず、偶然です。王子様は、死体だと思ってキスをするのですが、変態的行為です。死体だとはいえ、女性に同意なく(死体なので同意を求めることは不可能ですが)キスをしてしまうというのは、現代ではセクハラの問題になりはしないか心配です。悪くすれば強姦未遂です。

王子様がたまたまハンサムな若者だったので、目覚めた白雪姫は喜んだのですが、もしもその王子様が醜悪で肥満で変質者だったらどうだったのでしょう。目覚めた白雪姫は、死んだほうがマシだと思い、再びかじりかけのリンゴをかじって自殺しようと思ったかもしれません。

こんな感じで、掘り下げれば次々と問題が出てくるお話しです。偶然にも結果オーライになったのですが、白雪姫はただただ運がよかったのだと思います。一つ間違えば不幸になる可能性は随所にありました。しかし、彼女は何とかフェアウェイをキープして、幸せに到達してしまうのです。そういう順風満帆の人生って、なんかフェアじゃない気もします。

物語としては、評価をつけるとしたら、まあ「フェア」ということになるのかもしれません。
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10倍増やせるボキャブラリー

2020-07-28 22:23:05 | 英語

英語のボキャブラリーをどうやって増やせるかというのは昔からある課題です。若いうちなら体力勝負の丸暗記でもいけるかもしれないのですが、年をとってくると、なかなか頭に入りません。一度覚えても使わなければ忘れてしまいます。ただでさえ、人の名前とかがなかなか思い出せなくなっている状況では、新しい英単語を覚えるどころではありません。

でも、覚え方ひとつで、英単語は増えるのだ、と私は一冊の本から教わりました。それがこちらの本です。



"Word Power Made Easy"という本で、著者はアメリカ人のNorman Lewis (1912 - 2006)。1949年に出版されたこの本は、現在まで70年以上も売れ続けています。日本の書店にあるかどうかわかりませんが、シンガポールの紀伊国屋書店には売っていました。

実はこの本は、私が20歳の頃に、使っていたことがありました。上智大学の文学部英文学科で教えておられた渡部昇一先生(1930~2017)が、英語の授業の中で、この本を勧めていたからです。早速この本を購入し、勉強しました。すべて英語で、基本的な語彙力がないと読み込めないのですが、何とかチャレンジしました。読むための本というよりも、ドリルのような本でした。語源に着目して、語彙を増やしていくという考え方が基本でした。

社会人になってから、この本のことはすっかり忘れていたのですが、先日、ユーチューブを検索していたら、この本を紹介している動画がいっぱいあって驚きました。しかもさらに驚いたことには、ほとんどがインド人ということでした。





インド人が、インドの言葉で、解説をしたり、この本を使ってそのまま授業したりしているのです。

ここ数年、インド人と仕事をする機会が多く、インドにも何度か出張で行っていたのですが、インド人ビジネスマンの英語の語彙力の豊富さには感心することが数多くありました。インドの英語の新聞もやたら難しい単語が使われていると感じていました。だからこの本がこんなに人気なのも納得できる気がしたのです。

インドで出世をするためには、きちんとした英語を話せる必要があり、語彙力が必要なのだと思いました。インド人は数学や論理では優れていますが、英語力も優れています。そのため、グーグルや、マイクロソフト、アドビやマスターカードなどの国際企業の経営者として活躍しているインド人が数多くいます。

で、日本の人にもこの本のことを伝えたいと思い、自分でYouTube動画を作ってみました。技術的には、完璧ではないかもしれないのですが、トライアルとしてやってみました。それがこちらです。



最初に取り上げたのは、"egoist"という言葉なのですが、まだこの先、言葉が続々と出てくるので、どこまでいけるか先が思いやられます。(笑)



この後、これを続けるべきかどうかは、皆様の反応次第ですので、よろしくお願いいたします。
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カタカナ英語を使うときは正しく使おう

2020-07-07 15:04:28 | 英語

会話や文章の中にカタカナ言葉を使うのは、カッコつけるためだけに多用するのは顰蹙を買いますが、ある程度は許容できます。しかし、間違った使い方の場合は別。知ったかぶりで、カッコつけているのを見るのはとても悲しいです。何が正しいかは、時代ととともに、変わっていくのですが、その時代に世間で認められた標準的な言い方があります。それをフォローしながら、また元の発音もリスペクトするということが必要かと思います。

まずしばしば気になるのがこれ。



テレビでもタレントがよく「シュミレーション」と発音しています。以前、テレビコマーシャルでも「シュミレーション」を使っているのがありました。でもこれは「シミュレーション」です。有名人が堂々と「シュミレーション」と言っているので、それを誰も否定できず、視聴者もそれが正しいと洗脳されてしまいます。でも、テロップが出る場合は、タレントが「シュミレーション」と発音していたとしても、「シミュレーション」と表記されているので、メディアの規定では「シミュレーション」が正しいと思っているのだろうと思います。

続いてはこちら…



「フューチャリング」です。これはとてもイライラします。「フューチャーする」というのもよく聞きます。「フューチャー」は「未来」(Future)です。



正しくは「エンターテイナー」です。「ティナー」いうのはとても気持ち悪いです。



これは、まあいいんですが、一般的には、「デザイン」となっているのに、敢えて「ディザイン」と発音するのが、気に障ります。



「リラクセーション」ですね。「ゼ」と発音するとなんかリラックスできなさそうな感じですね。



「エキシビション」が正解ですね。展示会には大型ビジョンが沢山あるので、ビジョンと言いたくなる気持ちはわかりますが。



「コミュニケーション」です。「コミニケーション」という人も多いですね。



パン種のことですが、「サワードウ」です。「ドウナツ」と同じ「ドウ」ですね。「ドゥ」と書いて、英語の"do"と同じような発音をしているのを聞くと、気持ちが悪くなってしまいます。SNSを検索すると「サワードゥ」だらけですね。



「ブッラータチーズ」です。元はイタリア語なのですが、「ブラッター」というのは間違った表記です。SNSでは、「ブラッター」が蔓延しているので、それを正しいと信じている人がかなりいるのですが、機会があれば、それは間違いだと叫びたい。いつか「ブッラータ派」と「ブラッター派」が対決をする場があった場合、「ブラッター派」が数で勝ってしまう気もします。ポピュリズムですね。

このへんのことはいつもモヤモヤしていたので、この機会にアップさせていただきました。ご賛同していただける人がおられることを祈ります。
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