あの日から20年が経った。2001年の9月11日のあの事件が起きる約一ヶ月前の金曜日の朝、私はニューヨークのワールドトレードセンターの展望台にいた。この上の写真が110階の展望台から私が撮影した写真だ。
朝霧がかかった景色の中央に、エンパイヤステートビルがかすかに見えていた。そのずっと上はセントラルパーク。手前の低い建物が立ち並ぶ地域は、グリニッジビレッジや、ソーホー、トライベッカと呼ばれる地域。右手はチャイナタウン。
ここはマンハッタンがまさに一望できる場所であった。まさか、この一ヶ月後にこの場所が消えてなくなるなんて誰が予想できただろう。このビルの中にいて、命を失った多くの人たちは、こんな景色を見ながら仕事をしていた。やがて恐ろしい事件が起こるなんて想像することもなく。
もしも、その日が一月ほど早まっていたとしたら、あるいは、私のニューヨーク出張の予定が一月ほど遅れていたとしたら、と考えると恐ろしい。この展望台を訪れていることは、どこにも記録に残っていないから、行方不明者リストにも載らずに、失踪ということになっていたのかもしれない。
この階から少し下のほうに飛行機が突っ込み、火炎が迫ってくる。窓から真下を見下ろすと、目がくらみそうな高さだ。このビルにいて、亡くなった方達の目に、この景色はどのように映っていたのだろう。考えるだけでも恐ろしい。同時多発テロで犠牲になった多くの方々のご冥福をお祈りいたします。
その出張で私がニューヨークに入ったのは8月3日。広告写真の撮影のためだった。前日までインドで某カメラメーカーのコマーシャルの撮影をしていたが、シンガポールで一泊し、東京トランジットでニューヨークに到着した。
ニューヨークは以前、出張ではよく来ていたが、もう5年ぶりくらいになる。これまで何度もマンハッタンに滞在したが、この時初めてマンハッタンの南の地区のトライベッカに宿を取った。撮影場所がまさに、ワールドトレードセンターだったので、その近くがよいということで、コスモポリタンホテルという小さなホテルに宿泊した。
その撮影は、某日系ビジネス機器メーカーのインド向けの広告キャンペーンのものだった。国際的なイメージをアピールするために、様々な国籍の人間を100人集めて、ワールドトレードセンターをバックに撮影するというものだった。ニューヨークに入ってから、キャスティングの調整で、数日かかっていたが、撮影は8月6日の月曜日に無事に行われた。
広告は9月頭にインドの新聞や雑誌で出稿することになったが、同時多発テロを受けて、すぐに背景のワールドトレードセンターの画像を、別の建物に差し替えるということになった。この作業は淡々と行われ、広告はすぐに差し替えられ、広告はまもなく出稿された。
ホテルのそばに、消防署があった。何度もその前を通ったが、訓練をしている姿も目撃した。同時多発テロの時、この消防署の署員は真っ先に救助に向かったに違いない。救助に向かって命を落とした消防署員も多数いたと聞いている。
撮影の前に日本から来たスタッフと一緒に、ワールドトレードセンターの展望台に上がり、展望台のカフェで打ち合わせをすることにした。トップの写真はその時のものだ。建物に入る時、飛行場にあるようなX線チェックがあった。テロに対する警備がすでに強化されていたようだ。
スタッフの一人が持っていた日本からのお土産の缶入りのお菓子がX線でひっかかり、けたたましい音が鳴った。お菓子だということを説明し、建物に入れてもらえた。こんな厳しい警備をしていたが、飛行機が直接建物に突っ込んでくるなんて誰が想像できたろう。
110階の展望台には、土産物屋があり、コーヒーショップもあった。私たちは、クリームチーズのベーグルとコーヒーを飲みながら、そこで撮影の段取りの打ち合わせを行った。まだ朝の時間だったので、人はあまりいなかった。
911が来ると、その時のことをいつも思い出す。あれから20年。この事件で命を失った多くの人々のことを思うといたたまれなくなりますが、こういうことは二度と起きないことを祈ります。
朝霧がかかった景色の中央に、エンパイヤステートビルがかすかに見えていた。そのずっと上はセントラルパーク。手前の低い建物が立ち並ぶ地域は、グリニッジビレッジや、ソーホー、トライベッカと呼ばれる地域。右手はチャイナタウン。
ここはマンハッタンがまさに一望できる場所であった。まさか、この一ヶ月後にこの場所が消えてなくなるなんて誰が予想できただろう。このビルの中にいて、命を失った多くの人たちは、こんな景色を見ながら仕事をしていた。やがて恐ろしい事件が起こるなんて想像することもなく。
もしも、その日が一月ほど早まっていたとしたら、あるいは、私のニューヨーク出張の予定が一月ほど遅れていたとしたら、と考えると恐ろしい。この展望台を訪れていることは、どこにも記録に残っていないから、行方不明者リストにも載らずに、失踪ということになっていたのかもしれない。
この階から少し下のほうに飛行機が突っ込み、火炎が迫ってくる。窓から真下を見下ろすと、目がくらみそうな高さだ。このビルにいて、亡くなった方達の目に、この景色はどのように映っていたのだろう。考えるだけでも恐ろしい。同時多発テロで犠牲になった多くの方々のご冥福をお祈りいたします。
その出張で私がニューヨークに入ったのは8月3日。広告写真の撮影のためだった。前日までインドで某カメラメーカーのコマーシャルの撮影をしていたが、シンガポールで一泊し、東京トランジットでニューヨークに到着した。
ニューヨークは以前、出張ではよく来ていたが、もう5年ぶりくらいになる。これまで何度もマンハッタンに滞在したが、この時初めてマンハッタンの南の地区のトライベッカに宿を取った。撮影場所がまさに、ワールドトレードセンターだったので、その近くがよいということで、コスモポリタンホテルという小さなホテルに宿泊した。
その撮影は、某日系ビジネス機器メーカーのインド向けの広告キャンペーンのものだった。国際的なイメージをアピールするために、様々な国籍の人間を100人集めて、ワールドトレードセンターをバックに撮影するというものだった。ニューヨークに入ってから、キャスティングの調整で、数日かかっていたが、撮影は8月6日の月曜日に無事に行われた。
広告は9月頭にインドの新聞や雑誌で出稿することになったが、同時多発テロを受けて、すぐに背景のワールドトレードセンターの画像を、別の建物に差し替えるということになった。この作業は淡々と行われ、広告はすぐに差し替えられ、広告はまもなく出稿された。
ホテルのそばに、消防署があった。何度もその前を通ったが、訓練をしている姿も目撃した。同時多発テロの時、この消防署の署員は真っ先に救助に向かったに違いない。救助に向かって命を落とした消防署員も多数いたと聞いている。
撮影の前に日本から来たスタッフと一緒に、ワールドトレードセンターの展望台に上がり、展望台のカフェで打ち合わせをすることにした。トップの写真はその時のものだ。建物に入る時、飛行場にあるようなX線チェックがあった。テロに対する警備がすでに強化されていたようだ。
スタッフの一人が持っていた日本からのお土産の缶入りのお菓子がX線でひっかかり、けたたましい音が鳴った。お菓子だということを説明し、建物に入れてもらえた。こんな厳しい警備をしていたが、飛行機が直接建物に突っ込んでくるなんて誰が想像できたろう。
110階の展望台には、土産物屋があり、コーヒーショップもあった。私たちは、クリームチーズのベーグルとコーヒーを飲みながら、そこで撮影の段取りの打ち合わせを行った。まだ朝の時間だったので、人はあまりいなかった。
911が来ると、その時のことをいつも思い出す。あれから20年。この事件で命を失った多くの人々のことを思うといたたまれなくなりますが、こういうことは二度と起きないことを祈ります。