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旅行記、世相独言

行ってきました,一乗谷,三国温泉,紫ゆかりの館 (1)日本のポンペイ「一乗谷」

2023年07月18日 22時35分03秒 | 異文化体験_日本
行ってきました、朝倉家一乗谷、越前三国温泉、越前市紫ゆかりの館

その1,日本のポンペイ「一乗谷」

2023年7月6~7日


 コロナ禍が少し収まり、ラッキーにも梅雨間の晴れ間が拝める7月初旬、過去幾度となく近くを素通りしていた「朝倉氏ゆかりの一乗谷」を訪れました。その日の宿舎は全国旅行支援を利用して越前三国温泉、翌日は来年の大河ドラマ主人公ゆかりの武生「紫式部と国府資料館」を訪問、ちょうど600kmのドライブでした。
(写真は、クリックで拡大します)

【一乗谷朝倉氏遺跡】

              

 越前一乗谷は、1400年代から1500年代、朝倉孝景、氏影、貞影、孝景、義景の5代当主のもと約100年間、戦国時代に大いに栄えた城下町だが、1573年信長の侵攻を受け朝倉氏は滅亡。侵攻により木造の城下町全体が遺跡となり、一夜にして街の姿を変えたポンペイ同様、日本のポンペイともいえる遺跡である。過去多くの観光客が、450年前の往時の生活に思いを馳せながら巡った遺跡からは2343点もの重要文化財が出土している。

        
             2022年秋に開設された一乗谷朝倉氏遺跡博物館

 そんな一乗谷の入り口近くに2022年秋、実に立派な「一乗谷朝倉氏遺跡博物館」が開館した。従前は城下町遺跡の散策だけであったが、博物館の完成で出土品を中心に往時の様々な資料や遺構を見物し、また体験等を通じてより深く一乗谷の生活を知ることが出来る。
入館料は大人700円、復原町並とセットは820円。我々夫婦で1640円払おうとすると、係の女性から70歳以上ですかと尋ねられ、それだとお二人で720円ですと案内されビックリ。館内で様々な資料を入手することが出来る。

        
       館内2F展示風景(往時の街並みも再現され数多くの出土品が見て取れる)

       
           
 一口に一乗谷と言っても、朝倉義景ら当主は平時は山麓の城下町に住んでおり、朝倉氏の本城「一乗谷城」は標高473mの一条城山に築かれた城山で、大小複数の曲輪から成り立っている。一条谷城での戦闘記録は残っておらず、なかったと考えられている。麓から約1時間の登山で行くことが可能だが、山城まで行く人は少ないようだ。

 一条谷城へは1時間程の登山、多くの曲輪跡があるようだ 

 一乗谷朝倉氏遺跡約278haの谷地形城下町は、大きく4つの地区に分けられる。
◉下城戸地区(町の内外を区切る巨石を積み上げた土塁石垣があり、町の玄関口)
◉寺院・町屋地区(八地谷川沿いの道路沿いに職人の町家群、山裾に寺町が帯状に連続)
◉武家屋敷地区(川の南側に家臣名に由来する地名が続く地区、戦国城下町を体験できる復原町並もこの中にある)
◉当主館地区(川の北側に越前国の政治・文化の中心であった朝倉館を核とする当主一族の館・寺院跡が集積している。朝倉館入り口の唐門が有名)


      一乗谷の四つの地区(ハンドブックの裏の印は五代当主義景の花押と家紋)

 とりわけ武家屋敷地区の「復原町並」は多くの観光客に親しまれてきた。全国でも6例しかない国の三重指定(特別史跡、特別名勝、重要文化財)を受けた遺跡は、およそ50年以上続く発掘・保存に基づくもの。

        
                 復原町並でもらった案内書

        
        復元されたまちなみ         武家屋敷(屋外雪隠の穴解明に手間どったとか)

        
         武家屋敷の内部          路地裏の休憩所(風鈴の音に癒される)  

       
     復原町並から見た当主館地区          朝倉(当主)館への橋と唐門

       
        朝倉館の礎石跡            五代当主義景公の墓所 

資料館で手に入る一乗谷ハンドブックを手に、あるいは定時ガイド(10時、12時、14時 500円/人)を利用して散策されることをお勧めする。新たに出来た遺跡博物館から周遊バスも出ているが、運行は事前に調べること。


行ってきました、ブラタモリで玄武洞と竹野海岸

2022年10月20日 22時19分17秒 | 異文化体験_日本
行ってきました、ブラタモリで玄武洞と竹野海岸
 
2022.09.15-16

(写真はクリックすることで拡大します)

 城崎温泉に行くたびに円山川の対岸の玄武洞を遠目に見ているのだが、立ち寄ったのは数十年ぶり。さらに城崎温泉街を抜けて海まで少し足を延ばすと竹野海岸に至る。宿は休暇村竹野海岸。ブラタモリ風に紹介しよう。

            
 豊岡 玄武洞 城崎温泉 竹野海岸の位置関係        玄武洞の名の由来と玄武洞公園

《天然記念物・玄武洞》
玄武洞は、約160万年前の火山活動で、流出マグマが冷えて固まる際に収縮して、溶岩の表面から中心部に向かって規則正しい割れ目を創り出し、柱状節理を形成して誕生したとされている。この玄武岩の大露頭は、地磁気逆転の発見にもつながった場所でもある。

江戸時代:この洞周辺の岩石は灘石と呼ばれ、採石場として利用されたようだ。
1807年:儒学者柴野栗山は、この洞の岩石が作り出す節理や断面模様から、中国の妖獣「玄武」を連想し、玄武洞と命名した。
1884年:小藤文次郎がこの岩石を玄武岩と命名した。
1925年:以前は洞内に入ることが出来たようだが、この年に発生した北但大地震で大きく崩落し、崩れた玄武岩は城崎温泉街を流れる川の護岸等に利用されている。
1926年:京都大学松山基範が、世界に先駆け「地磁気の逆転」を発見
(玄武岩に含まれる鉄分は、溶岩が冷却固化する際、地球の磁石の方向に磁化されるが、玄武洞の岩石が逆向きに磁化されていることを発見、その後多くの火成岩の磁気調査を行い、1929年地磁気逆転の可能性を示す論文を世界に発表)
1931年:玄武洞・青龍洞が国の天然記念物に指定される

      
    天然記念物「玄武洞」             天然記念物「青龍洞」

   
    横向き節理の「白虎洞」と拡大写真

玄武洞公園の中心にあるのが、天然記念物「玄武洞」。人工的に作られた洞穴と掘り残された柱との対比が圧巻の景色を醸し出している。
天然記念物「青龍洞」は、柱状節理の美しさを堪能できる見ごたえのある洞である。
「白虎洞」では、水平方向に延びた細い柱状節理の断面を見ることが出来る。一般的に柱状節理はゆっくり冷えたところほど太くなるので、この付近は溶岩が早く冷え、溶岩の外縁部に近いことが分かる。

  
    「北朱雀洞」       玄武洞の成り立ちが分かる「南朱雀洞」と拡大写真 

「南朱雀洞」「北朱雀洞」は、比較的小さな洞であるが、南朱雀洞では節理形成に至らないごつごつした溶岩流の先端部分と、その先に節理の見られる部分を見ることが出来る。

《休暇村・竹野海岸と猫崎半島》
今日のお宿は、休暇村・竹野海岸。海の幸と温泉を堪能した翌朝、宿舎の周りの遊歩道を散歩する。海水浴の季節は終わっているが、大浦浜にはカヌー教室の親子カヌーが豆粒の大きさできれいな水面をゆっくりと移動している。沖合の3つのこぶが特徴の「猫崎半島」は、兵庫県の最北端で但馬海岸の原風景を形成する樹種スダジイ、タブノキの原生林があり、ブラタモリ風に解説すると半島左二つのこぶは固い流紋岩、右の低いこぶは柔らかい砂岩・礫岩で構成され、3つのこぶを形成しているとのこと。

     
宿舎の部屋から見た光景(沖合の3つの丸いこぶが猫崎半島)   秋の旬彩会席(前菜)

     
    宿舎周辺の遊歩道          大浦浜方面(透き通った海面でカヌー遊び)

      
エメラルドグリーンの海が広がる第2展望台からの眺望    兵庫県最北の猫崎半島


行ってきました、県民割りで休暇村南淡路と淡路島の歴史探訪

2022年07月15日 19時56分11秒 | 異文化体験_日本
行ってきました、県民割りで休暇村南淡路と淡路島の歴史探訪

2022年7月7日-7月8日


(画像はクリックしていただくと、拡大します)
 台風一過の七夕の日、7月14日まで延長された県民割りを利用して「休暇村南淡路」に車を走らせました。2年前に同じく淡路島の「ホテルニューアワジ」に旅行したのがまさしくgo to travelが始まった10月1日で、淡路島にはお得感を味あわせてもらっている。
            
        淡路島ガイドマップ            淡路ハイウェイオアシス

 今日も明石海峡大橋を望む淡路ハイウェイオアシスは、大いに賑わっている。小休止のあと、神戸淡路鳴門自動車道を津名一宮ICで降り、最初の訪問地伊弉諾神宮に向かう。

《伊弉諾(イザナギ)神宮》
 古事記や日本書紀の冒頭に国生みの夫婦神として登場する男神・伊弉諾(イザナギ)大神(主祭神)と女神・伊弉冉(イザナミ)大神(配祀神)を祀る日本最古の神社。
              
                  伊弉諾(イザナギ)神宮の参道

 神宮略誌によると、境内地は、神代の昔に初めて夫婦の正道を契り定められ、大八洲の国々を修理固成され、更に万物万象と神々を生成された伊弉諾大神が、御子神なる天照皇大御神(お伊勢さま)に譲位され、淡路の多賀の地に御自ら幽宮(かくりのみや、終焉の御住居)を構へられたと傳へる故地で、「日之少宮(ひのわかみや)」ともいう。
 淡路国一宮、旧官幣大社の格式で、伊勢神宮と同緯度に位置している。御朱印をいただいたが、確か今までいずこも300円であったが、今回は500円に。
 境内にはご神木の樹齢約900年の「夫婦の大楠」があり、延命長寿、縁結び、子授けの信仰が篤い。この日も多くの参拝者があり、境内の放生池の周りでは結婚記念写真の撮影が行われており、白無垢の新婦はさぞかし暑かろうとお察し申し上げる。

        
          茅の輪くぐり(左回り、右回り、最後にまっすぐくぐり抜ける)

        
          神宮本殿           境内放生池(左手木陰でカップルの撮影が)    

            
 ご神木・樹齢約900年の「夫婦の大楠」   御朱印(500円、これもインフレ?)

 この辺りはお香づくりが盛んなようで、沢山の工場がある。島の西岸を走るR31を少し南下すると「ウェルネスパーク五色」がある。別名、高田屋嘉兵衛公園。淡路島が世界に誇る郷土の偉人である。5年ほど前、この公園に隣接する「スプリングゴルフ&アートリゾート淡路」でプレイ&宿泊した際に初めて知った高田屋嘉兵衛にまつわる施設である。

          
    ウェルネスパーク五色(地図下方に菜の花ホール)  高田屋嘉兵衛顕彰館

《高田屋嘉兵衛顕彰館 菜の花ホール》
 高田屋嘉兵衛をお忘れの方も司馬遼太郎の長編小説「菜の花の沖」の主人公で、2001年1月からNHKで全5回シリーズで放映され、江戸時代、北前船で命をかけて海に生き、たった1人で大国ロシアと外交を繰り広げ、波乱万丈の生涯を送った大商人と言えば思い出す方も多いのでは。

          
    顕彰館の入場案内パンフ    司馬遼太郎「菜の花の沖」(S57.7.25 第1刷 文藝春秋)

 1769年現洲本市五色町の農家の長男として生まれ、北方に着目し、函館を拠点として上方への商品流通に注力、幕府にも協力し択捉島―国後島間の航路を開拓し、北方漁場開拓も行った。嘉兵衛が北方で活躍していた時に、ゴローニン事件が起こり、航海中の嘉兵衛はロシアに捕らえられたが、この機に彼はたった一人で日露両国の交渉に尽力し、ゴローニン釈放に漕ぎ着けた。江戸期に日露民間外交の先駆者として偉大な功績を残し、50歳で郷土都志に戻り、1827年59歳で生涯を閉じた。

  
館内展示例(北前船等、高田屋嘉兵衛とピョートル・リコルド像)   館外:高田屋嘉兵衛とゴローニン提督像

(休館日:火曜日 入館料:大人500円)
(ゴローニン事件については、今日の北方領土問題とも関連する出来事で、ウィキペディア等を参照されたし)

 高田屋嘉兵衛顕彰館からR31をしばらく南下すると2.5kmの白砂が続く日本の渚100選にも選ばれた慶野松原海水浴場がある。周辺民宿が多数あり、40数年前幼い子供たちを連れて海水浴に来たのを思い出す。この辺りは有名な淡路瓦の名産地でもある。ここからは一路福良へ。

《休暇村南淡路》
         
     高台に建つ休暇村南淡路            部屋から見る福良港

 鳴門の観潮船が発着する福良港を見下ろす高台に位置する休暇村シリーズの宿舎。コロナの影響で近場の休暇村を利用した旅が多いが、今回は紀州加太、南紀勝浦に続く3件目である。
 今回の楽しみは温泉、グルメ、天体観察。食事は旬のはも三昧か牛ぎゅう懐石か迷ったが、牛ぎゅう懐石に。結果、旬のものを食べるべきであったと反省。
         
       牛ぎゅう懐石          七夕に期待の400mm天体望遠鏡

         
       7月8日の福良港の御来光          露天風呂から見る大鳴門橋

 当館ご自慢の400㎜天体望遠鏡は、七夕、天の川はおろか雲に邪魔されて月さえも見ることが出来ず、これまた残念。
チェックアウトまでに、大鳴門橋を遠望する露天風呂・大浴場に都合4回の温泉入浴を堪能した。

 帰路は、国生み伝説の「オノコロ島」と言われる沼島(ぬしま)が見れる東海岸沿いをドライブ。福良からR76で洲本まで、途中時期は過ぎたが水仙郷や淡路島モンキーセンター等もある。あいにく昨日と違って今日は曇天、視界も悪く沖合4.6kmの沼島は島影を見る程度で、更に対岸の友ヶ島や加太方面は認識できず。
        
     国生み伝説の「オノコロ島」と言われる沼島(友ヶ島、加太方面への視界は開けず)

 単調な海岸線を走っていると、モンキーセンターのところで、海から4匹の猿が路面を横切って山に戻るところに遭遇。しばし睨み合いのあと、山の方に消えていった。
ハイウェイオアシスで、二人で4000円の商品券を使って沢山のお土産を買い、無事帰路につきました。


行ってきました 雄琴温泉と比叡山周辺の秋を求めて

2021年11月29日 21時41分27秒 | 異文化体験_日本
行ってきました 雄琴温泉と比叡山周辺の秋を求めて

― (その1)近江神宮・坂本城址・日吉大社 ―

― (その2)雄琴温泉・比叡山ドライブウェイと延暦寺 ―

2021.11.18-19

 コロナの影響も和らいできた11月、近くにありながら行ったことのない雄琴温泉をベースに周辺の紅葉を求めてドライブしてきました。写真の関係で2回に分けて投稿します。写真はクリックで拡大します。


(その2)おごと温泉・比叡山ドライブウェイと延暦寺

【おごと温泉】
 かつての滋賀県最強の風俗街・雄琴も、昨今はすっかりイメージチェンジをして家族連れも多い「おごと温泉」として活況を呈している。初の訪問で少し高台の「里湯昔話 雄山荘」に投宿。お湯は単純温泉でPH9とアルカリ度が高く、まったりしたお湯である。寺社参りで石段昇降に疲れた足にはもってこいの温泉である。

        
湖畔の夕暮れの雄琴(おごと)温泉(HPより借用)       雄山荘の部屋からの眺望

    
        宿舎自慢の大浴場と露天風呂(女風呂は混雑、男風呂は2,3人)       本日のお品書き

【比叡山延暦寺】

        
  比叡山延暦寺ガイドマップ          比叡・奥比叡山ドライブウェイの見どころ

 雄琴温泉のすぐ近くの仰木ゲートから奥比叡ドライブウェイに入る。今が盛りの紅葉を楽しみながらゆっくり走らせる。
まず最初に到着するのが、延暦寺三塔の中で一番北に位置する横川(よかわ)地域。源信、親鸞、日蓮、道元などの名僧が修行に入った地である。
遣唐使船を模して造られた横川中堂と、おみくじ発祥の地とされる元三大師堂に参拝。鐘楼でひと突き、山々に響く音色が心地いい。高野山と違って比叡山は坂や石段が多い。昨日からの昇降で足の疲れが頭をもたげる。

  
横川地域は、親鸞、日蓮、道元等が主に修行  紅葉に彩られる横川中堂の舞台    横川中堂(聖観世音菩薩)     

  
鐘楼(山に溶け込む余韻の長い鐘音)   元三大師堂(四季講堂)       おみくじ発祥の地だそうです 

 ドライブウェイが次に導くのが西塔地域だが、その途中に琵琶湖を一望する峰道展望台があり、根本中堂の方向を見つめる巨大な伝教大師像も設置されている。残念ながら琵琶湖は靄がかかり湖東地区を明確にとらえることが出来ない。

      
琵琶湖を一望する展望台の伝教大師像       薄くもやがかかり展望はいまいちだが鮮やかな紅葉が  

 西塔地区には三井寺の金堂を移築した延暦寺最古の建物、釈迦堂があり、その手前ににない堂がある。ここも階段がきつい。ドライブウェイに並走して東海自然歩道が整備されており、健脚な信心深い参拝者が歩いている姿が林間に見受けられる。

  
駐車場からにない堂へのアプローチ      釈迦堂(釈迦如来)    釈迦堂への下り階段(昇降階段・坂の連続)
  
 延暦寺の中心地域、東塔地域はさすがに多くの参拝者とバス・車で混雑している。大講堂、延暦寺総本堂の根本中堂、文殊楼を参拝、最後に大講堂前の鐘楼(平和の鐘)で諸祈願のひと突き、もはや足の限界である。根本中堂は2016年から60年ぶりの大改修中で、終わるのは令和8年3月を予定。ご本尊薬師如来像の前には1200年以上「不滅の法灯」が輝き続けている。延暦寺を代表して根本中堂で御朱印をいただく。御朱印所は全山15ケ所あるので、全部いただくと4500円必要。

  
延暦寺バスセンターに近い大講堂    改修中の根本中堂へのアプローチ  60年ぶりの改修、令和8年3月末までを予定

    
延暦寺の諸堂巡拝券(1000円) 根本中堂の御朱印(釈迦如来ゆえ医王殿) 根本中堂前の文殊楼

 帰路は、比叡山ドライブウェイで田の谷峠ゲートを経て、西大津バイパスから名神高速道路、近畿自動車道、大した渋滞もなく夕刻までに帰宅出来ました。


行ってきました 雄琴温泉と比叡山周辺の秋を求めて

2021年11月29日 12時17分30秒 | 異文化体験_日本
行ってきました 雄琴温泉と比叡山周辺の秋を求めて

― (その1)近江神宮・坂本城址・日吉大社 ―

― (その2)雄琴温泉・比叡山ドライブウェイと延暦寺 ―

2021.11.18-19

 コロナの影響も和らいできた11月、近くにありながら行ったことのない雄琴温泉をベースに周辺の紅葉を求めてドライブしてきた。写真の関係で2回に分けて掲載します。写真はクリックで拡大します。



(その1)近江神宮・坂本城址・日吉大社

 おりしも阪神高速・環状線の工事封鎖で、連日近畿自動車道は大渋滞。この日も普段45分で行ける岸和田・和泉ICから吹田ICまで2時間ほどかかったが、名神高速は渋滞なく最初の目的地「近江神宮」に10時半頃到着。

【近江神宮】
        

 年初に行われる全国競技かるた大会や6月第1日曜に行われる鏑流馬神事で有名なこの神宮は、御祭神が天智天皇、667年大津近江京への遷都の跡地に昭和15年鎮座された。
 第38代天皇・天智天皇(626-672)は、中大兄皇子としても知られ、我が国法律の源をなす「近江令」の制定や、国民教育の道となる学校制度を創始、更には漏刻(水時計)を設け、社会生活の基盤となる時刻制度を確立したことでも有名である。
 藤原定家選(諸説あり)とされる小倉百人一首の選定に際し、その巻頭を飾るのが、天智天皇のこの歌で、歌かるたの祖神として広く仰がれている。
「秋の田の刈穂の庵の苫をあらみわが衣手は露にぬれつつ」
(あきのたの かりほのいほの とまをあらみ わがころもては つゆにぬれつつ=秋の田に作った仮小屋にいると、屋根を葺いた苫の目が荒いので私の袖は夜霧に濡れてしまう)
ちょうどこの時期、七五三詣での親子づれも散見された。

            
近江神宮楼門(境内側から見てます、七五三詣でもちらほら)    外拝殿(内拝殿 本殿と続く)


年頭のかるた祭りは有名       6月第1日曜日開催の鏑流馬神事  天智天皇が漏刻(水時計)を設置し時刻制度を確立

【坂本城址公園】
      
坂本城址公園に建つ明智光秀の像         琵琶湖の湖面に渡来した沢山の水鳥たち

 1571年、信長の命により琵琶湖水運による交易、比叡山延暦寺に対する抑えとして、明智光秀が築城した坂本城は、初の瓦葺き天守を持つ水城。本能寺の変後焼け落ち、丹羽長秀により再建されたが1586年廃城となった。
 坂本城の最南部と思われる辺りに城址公園があり、光秀の石像が立っている。この公園の北方に湖中に没した本丸の石垣と胴木が見つかっている。

      
 坂本城の配置図と復元模型(この公園より北側にあり、湖の中に本丸の石垣と胴木が見つかっている)

【日吉大社】
      

 近くのすし屋で昼食後、日吉・日枝・山王神社の総本宮である日吉大社に詣でる。
 東西二つの本宮があり、東本宮は大山咋神(比叡山の山神様)、西本宮は大己貴神(大津宮遷都の際三輪山よりお迎えした国家鎮護の神)を祭神とし、両本殿は国宝。

      
山王鳥居(神仏習合の信仰を表す「合掌鳥居」)   日吉大社の花手水(季節の花々でもてなしてくれる)

      
西本宮楼門(重要文化財) さるは神様の使い「神猿(まさる)」=魔が去る、何より勝る   楼門の四隅に棟持ち猿が(〇印)

          
西本宮本殿と東本宮本殿(共に国宝、屋根が独特の形(日吉造(ひえづくり)、床下に仏事を営んだ下殿(部屋)があった

            
4月の山王祭の桃山~江戸時代に制作された7基の神輿(重文)の一つ   秋には境内3000本のもみじ祭り

 平安遷都の際には、当地が都の表鬼門(北東)にあたることから、都の魔除・災難除を祈る社として、また伝教大師(最澄)が叡山延暦寺を開山後は天台宗の護法神として、今日に至っている。4月には春の訪れを告げる湖国三大祭「山王祭」が行われる。11月1日から12月5日まで、境内3000本の紅葉まつりが行われている。


行ってきました、孫とコンサートと温泉とお城と (東京・河口湖・松本城)

2021年11月24日 15時49分40秒 | 異文化体験_日本
行ってきました、孫とコンサートと温泉とお城と

東京・河口湖・松本城

(写真はクリックで拡大します)
2021.10.13-15

【10月13日 東京】
 新幹線に乗るのは何年ぶりであろうか? 遠出の旅行はほとんど飛行機とレンタカー、近場の旅行はマイカーというのが、ここ5,6年のスタイル。
 不思議なことに最近1ケ月はコロナ感染数がみるみる減少し、東京キューバンボーイズの結成71周年特別コンサートも昨年から3回の順延を経てようやく開催にこぎつけた。昨年であれば結成70周年記念コンサートだったのだが。
 品川で下車し昼食の後、山手線渋谷駅から東京メトロ副都心線で新宿三丁目へ、小雨の中、新宿文化ホールへ。午後2時からの公演を前に楽屋を訪れご挨拶。会場はコロナ対策で隔席観賞ではあるが満席のファンで、この楽団の根強さをうかがわせる。日本を代表するラテンバンドの実に楽しい2時間少々のステージに、大いに満足して会場を去る。

     
    見砂和照と東京キューバンボーイズ結成71周年特別公演      二子多摩川の金沢まいもん寿司「珠姫」

 コンサートの後は2年ぶりに世田谷・深沢に住む息子一家との会食。残念ながら平日のため翌日は夫婦も孫も夫々勤務と学校があるので、息子の家に比較的近く、かつ新宿三丁目の会場を乗り換えなしで結ぶ祐天寺駅前の東急ステイ目黒・祐天寺に素泊まりステイ。
 ホテルに息子の迎車で、二子多摩川の金沢まいもん寿司「珠姫」で会食。2年ぶりに会う小学4年生の孫は、コロナ禍でやや運動不足のようだが、大きく成長し頼もしく育っている。コロナが落ち着けば、来年は大阪で会えそうだ。

【10月14日 河口湖】
 ホテルに食事提供サービスがないので、駅前のマクドナルドのモーニングセットをお持ち帰りで、10時にホテルをチェックアウト。渋谷駅で中央本線経由の大阪までの乗車券を購入。有効期限は4日間。新宿発11時23分発の特別快速で高尾へ。高尾から単線となって大月へ。大月で富士急に乗り換え河口湖駅に13時56分着。14時のホテル迎車でラビスタ富士河口湖へ。昨日とは違って、今日は晴天である。
 共立リゾートが運営する旅館やホテルは、個人客がメインで食事の質も高く、無料の家族風呂を複数設置し、湯上りのアイスやヨーグルトサービス、就寝前の夜泣きそば等々、共通したサービスを提供している。今回のラビスタ富士河口湖は、本格的なフランス料理を提供する宿。
 河口湖と富士山を望む高台の最上階の部屋から、刻一刻姿を変える雲間の富士の写真撮影も忙しい。先客のいない大浴場の露天風呂からコロナ対策でマスクのように雲する富士の変貌を楽しむ。
夕食はフレンチのフルコース。メインを家内はロブスター、小生はフィレ肉フォアグラ添えの8品。就寝前の夜泣きそばももちろんいただいた。

     
    共立リゾート ラビスタ富士河口湖               夕食フレンチお品書き

 
              刻々と姿を変える富士山ゆえ、その姿に一喜一憂

【10月15日 松本城】
 今日も快晴。朝の露天風呂から富士の全容を期待したが、霧で視界が遮られる。8時からのブッフェ方式の朝食を済ませ、9時半の送迎バスで駅へ。富士急で大月まで戻り、中央本線でブドウ畑の続く甲府まで普通電車、甲府からは特急あずさ17号で松本へ。途中下車しようとすると、追加料金を請求される。塩尻―松本間は篠ノ井線で中央本線に含まれていないようだ。240円の片道追加を支払い、松本城へ。
 松本城はブラタモリを見た妻のリクエストで、途中下車。小生は3度目の訪問。おりしも、近隣の中学生達の課外写生授業がお堀の周りを取り囲んでいる。天守閣へは待ち時間20分の表示。なんで?と思いつつ列に並ぶと、靴脱ぎ場の混雑と城内密回避だと言う。お城もちょうどお色直しで、月見櫓は漆塗作業が行われている。
 国宝松本城の天守閣への階段は、なかなか高齢者にはきつい代物。階段のピッチが一定でなく、かつ踏み段の幅が狭いとあって、年寄りや子供には注意が必要。そのため、係員が上り下りの人数制限を行っている。以前来た時はさほど気にならなかったが、それだけ歳を取ったということだろう。


                    国宝「松本城」 いつ見ても美しい外観

 城から駅までゆっくり歩いて15分ほど。再度240円の切符を買って、松本から特急信濃ワイドビュー18号で名古屋へ。名古屋からは新幹線で21時前に無事帰宅。電車の度もいいものだ、再発見!!


行ってきました 温泉と世界遺産・熊野三山を巡る旅(2)

2021年04月27日 11時16分43秒 | 異文化体験_日本
行ってきました 温泉と世界遺産・熊野三山を巡る旅(2)

熊野那智大社・熊野速玉大社・熊野本宮大社

2021.04.22-23

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《休暇村・南紀勝浦》
 休暇村・南紀勝浦は、いわゆる勝浦温泉街から離れた宇久井半島の高台にある一軒家。
ナトリウム・塩化物泉の4種の浴槽で足の疲れをほぐした後は、南紀くろしお会席の夕食。マグロの町勝浦らしく七種盛りの潤沢なお造りと熊野牛のメイン料理に加え、ミニブッフェコーナーから釜めし・天ぷら・郷土料理のサンマ寿司・めはり寿司等々、休暇村の食事には大いに満足である。加えて誕生祝として写真とケーキのサービスまでいただいた。

        
宇久井半島の高台に立地する休暇村・南紀勝浦       部屋から見る波静かな太平洋


(左より)ナトリウム・塩化物泉の大浴場   露天風呂   くろしお会席(いずれもホームページより)

 翌朝の日の出は5時18分。太平洋からの御来光を期待したが、雲が邪魔をして雲間からの御来光となった。超大型台風2号の余波か、やや波も高く、風も強い。

        
   この日の日の出は5時18分         宿舎の鯉のぼりでなくマグロのぼりが元気に泳ぐ

《熊野速玉大社》
 宿舎から30分ほどで新宮市の熊野速玉大社に到着。初めてお参りする神社である。熊野大神が三山に祀られる以前、最初に降臨されたのがゴトビキ岩(巨岩の御神体)の神倉山で、これを元宮とし、現在地に新しく宮を遷されたことから新宮(にいみや)と呼ばれ新宮市の語源となっているようだ。主祭神は、熊野夫須美大神(イザナミノミコト)と熊野速玉大神(イザナギノミコト)。

       
     神倉山のゴトビキ岩              新宮の熊野速玉大社         

      
          イザナギ・イザナミノミコトを主祭神の熊野速玉大社 と 御朱印

               
   境内の御神木樹齢約千年の梛(なぎ)の大樹       大社ゆかりの武蔵坊弁慶

 速玉大社から本宮大社へはR168で35km45分ほど、紀伊山地の奥へ熊野川沿いに走る。途中には瀞峡ウォータージェット船や川舟の発着場がある。

《熊野本宮大社》
熊野本宮大社の主祭神は、家津美御子大神(スサノオノミコト)。古代本宮の地に神が降臨したと伝えられ、三本の川の中州にあたる聖地、大斎原に社殿が建てられたのは、崇神天皇65年(紀元前33年)のこと。奈良時代には仏教を取り入れ、神=仏としておまつりするようになった。明治22年の大洪水により、今の8倍の規模を誇っ大斎原は大被害を受け、明治24年に上四社が現在地へ移され、今なお大斎原には中四社、下四社、境内摂末社の神々がおまつりされている。

            
                      三度目の参拝 熊野本宮大社

 
             御朱印と本宮大社(主祭神スサノオノミコトは左から3番目)

 本宮大社へのお参りは、今回が3度目。しかし、今回重大な失敗に気づかされた。
今回も含め過去3回は、主に正面一番左の祭殿にお参りしていた。しかし、お参りの仕方をよく見ると主祭神は左から3番目。やり直しである。結局4度お参りしたことに。

       
      本宮のお参りの仕方(間違っている人が多いようで、いままでなかった案内図が)

《八咫烏》
本宮大社のいたるところに見られる3本足のカラスは、日本サッカー協会のシンボルとしても有名な「八咫烏・やたがらす」。
八咫烏は、日本書紀・古事記の神武天皇が、宮崎県(日向)から奈良県(橿原)に都を移し、大和朝廷を開いて初代天皇に即位するまでを描いた物語「神武東征」に登場し、神武天皇が熊野に到着された時、神の使者である八咫烏が奈良まで道案内をしたというエピソードから、熊野三山に共通する「導きの神鳥」として信仰されるようになった。

            

《熊野古道・白浜》
三山のお参りを済ませ、R311で55km、約1時間かけて白浜方面に走る。R311はかつて歩いた熊野古道の中辺路ルートと並走し、牛馬童子の道の駅でサンマ寿司と草餅をゲット、白浜ではいつも立ち寄る「えびせんべいの里」でコヒーブレイクとえびせんべいをゲットして、午後4時に無事帰宅。総行程500kmの1泊2日の旅であった。

            
  熊野詣には階段がつきもの(健脚のうちに)        熊野古道・中辺路の牛馬童子近くの道の駅



行ってきました 温泉と世界遺産・熊野三山を巡る旅(1)

2021年04月26日 23時23分31秒 | 異文化体験_日本
行ってきました 温泉と世界遺産・熊野三山を巡る旅(1)

熊野那智大社・熊野速玉大社・熊野本宮大社

2021.04.22-23

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 我が家では家族の誕生月は皆で会食を行っている。3月生まれは誕生祝会食を行ったが、4月生まれはイギリス型変異株の蔓延で、さすがに中止。代わりに夫婦で1泊2日の温泉旅行に行くことに。行先は休暇村・南紀勝浦。併せて熊野三山も詣でることに。勝浦投宿は4度目だが、三山を一気に周るのは初めて。初日と二日目に分けての投稿です。

          

《古座の一枚岩》
 家から阪和道で白浜まではおよそ1時間45分、目下白浜まで片側2車線の拡幅工事が精力的に行われている。白浜からすさみ南まで片側1車線の高速道路が無料開放されており、勝浦・新宮方面も便利になった。和歌山県人が二階氏を頼りにするのもうなずける。
 勝浦への道中、古座の一枚岩に立ち寄る。ナビが選んだのが和深から39号線の細い細い道、無事古座川の一枚岩に到着。1400万年以上前の火山活動で出来た古座川弧状岩脈の一部で、その活動規模は現在の阿蘇カルデラをはるかにしのぐものと推定されている。河岸にそそり立つ幅500m、高さ100mの巨大な岩壁は、見る者を圧倒する。

             
   一枚岩の対岸に道の駅がある 

《熊野三山》
熊野の神々は自然信仰に根ざしており、奈良~平安時代にかけて熊野は仏教・密教・修験道の聖地となった。神=仏であると考えられ、その影響を受けた三山は結びつきを深め、同じ12柱の神々(=仏たち)をお祀りしたことで、熊野三山の神秘性は益々高まり、平安時代の末には「浄土への入り口」として多くの皇族や貴族がお参りするようになった。「浄土へお参りし、帰ってくる=死と再生」を意味し、「よみがえりの聖地」として、今なお多くの人々の信仰を集めている。
          

《熊野那智大社・青岸渡寺・那智の滝》
一枚岩から古座に出てしばらく海岸線を走ると、市屋から那智勝浦新宮高速道路が無料開放中で、那智勝浦ICで降り大門坂のそばを通って熊野那智大社へ。ちょうどお昼時。和か屋本店の無料駐車場に置いて、お参りと滝見物に。確か3度目のお参りと記憶しているが、那智大社までの石段(段差のかなりある467段!)にわが身の年齢を実感させられる。以前はもっと楽に、そう!ポメラニアンの愛犬まで一緒にお参りしたのだが。

 
           熊野那智大社・青岸渡寺・那智の滝周辺図        那智山郵便局横の467石段参道の始まり

      
 参道途中の鳥居(もう少し)          大社境内から眼下の和か屋本店駐車場のマイカー(赤字表示)

 熊野那智大社は、熊野信仰の中心地として古来多くの人々の信仰を集め、平安末期には蟻の熊野詣とまで言われるほどの盛況だったようだ。しかし標高500mに位置する社殿への表・裏参道は、いずれも厳しい。夫須美神(ふすみのかみ=いざなみのみこと)を主祭神とし、万物の生成・育成を司る神様で、樹齢約850年の大楠がある。

  
  熊野那智大社本殿          熊野那智大社御朱印        本殿前の胎内くぐり   

 一方、青岸渡寺は988年に御幸された花山法皇が西国三十三ケ所第一番札所と定めたと言われ、如意輪観世音を祀る本堂は1590年秀吉が再建したもの。境内から見る朱色の三重塔と那智の滝との調和が素晴らしい。

       
    青岸渡寺                大クスのある境内からのお馴染み眺望

 
   青岸渡寺の御朱印         青岸渡寺の朱色の3重塔と那智の滝

 那智の滝は、那智大社の別宮飛瀧神社の御神体で、落差133m、銚子口の幅13m、滝壺の深さ10mの落差日本一の名瀑。銚子口から三筋に分かれて流れ落ちることから三筋の滝ともいわれる。神武天皇の御東征の折りに見つけられ、これを神としてお祀りされたようだ。

    
銚子口から三筋に分かれて落下   那智大社の別宮飛瀧神社の御神体  落差133mは日本一  

 参拝を終えたのは午後2時頃、駐車している和か屋本店の名物お滝もちを味見して、紀伊勝浦の旅館街から少し離れた宇久井半島の休暇村・南紀勝浦に。この宿舎は2月の加太に次ぐ2度目の休暇村である。



大阪府和泉リサイクル環境公園とチューリップ

2021年04月05日 22時18分29秒 | 異文化体験_日本
大阪府和泉リサイクル環境公園とチューリップ

《写真はクリックで拡大します》                                             
2021年4月3日


          

 大阪府和泉市にある和泉リサイクル環境公園では、色とりどりのチューリップが満開の時期を迎えています。行ったのは4月3日(土)の午前8時半。この公園は、入場無料、午前8時から午後5時(入園は午後4時まで)で、無料駐車場も完備されています。ただ、ペットの入場は禁止されているので要注意。

 この時期、眼前に広がる色とりどりの多様な品種のチューリップは圧巻です。また、チューリップを取り囲むようにラッパ水仙も咲き乱れ、円形花壇には芝桜も満開です。一方で、係の人たちがラベンダーの苗木の植栽に取り組んでおられました。
 また、これらの花壇から少し離れた日本庭園では、今年は開花の早かった桜が散り始めていました。紅白の枝垂れ桜も見事です。
 また、売店では近隣農家からの野菜等も手に入れることも出来ます。

        



          

          

          

  
 

行ってきました 和歌山・加太(かだ) ひな人形の行方

2021年02月27日 18時07分24秒 | 異文化体験_日本
行ってきました 和歌山・加太(かだ)

ひな人形の行方

2021.02.25-26


(写真類はダブルクリックで拡大します)

 コロナも少し落ち着きを見せ、我が家の祝い事もあって、近場に一泊でグルメと温泉を楽しんできました。場所は、和歌山市の加太。紀淡海峡を望み眼前に友ヶ島が横たわる鯛の一本釣りで有名な漁師町。その高台にあるのが「休暇村・紀州加太」。

【活魚料理屋いなさ】
 我が家を正午に出て1時間弱で加太に到着。早速、漁港前の活魚料理屋「いなさ」で海鮮丼の昼食。2階の部屋から晴れ渡った漁港の先の60年ぶりの友ヶ島を眺めながら、具沢山の海鮮丼を賞味。


    活魚料理店「いなさ」        新鮮な具沢山の海鮮丼セット    2階の窓から見る加太漁港      

【淡嶋神社】
 お店で淡嶋神社を尋ねると「すぐ近く、徒歩2分。車を置いて歩いて行ったら」!
 淡嶋神社は、薬の神様とされる「少彦名命(すくなひこなのみこと)」をご祭神とし、婦人病や安産祈願など女性のための神様として、古くから信仰を集めているようだ。
 また、毎年3月3日には、全国各地から奉納された雛人形と願い事を書いた形代を3隻の白木の小舟に乗せて、宮司のお祓いののち、加太の海に流す「雛流しの神事」が行われる神社として有名。和歌山市広報サイトによると、現世の穢や災厄を撫物である人形に祈りをこめ、流し送る行事は、3月上旬に行われた禊の古風を今日に伝えるものと考えられており、この信仰と江戸時代に盛んとなったすべての流し雛は加太の淡嶋神社に流れ着くという淡嶋信仰とが結びつき、雛流しの行事となったといわれている。
 神社の正面拝殿にはおびただしい雛人形が出迎え(?)、拝殿を始め境内には所狭しとありとあらゆる人形がぎっしりと並んで、幻想的かつ神秘的な雰囲気を醸し出している。
 残念ながら、今年はコロナの影響で雛流しのイベントは行われないようだ。


 淡嶋神社本殿                おびただしい雛人形がうず高く山をなす異様な光景


雛人形のみならず右手には市松人形が  本殿下には花嫁衣裳の人形が    神社前から右手丘の上の宿舎を確認   


     例年3月3日に挙行される「雛流し神事」(今年はコロナの影響で中止だそうです)

【友ヶ島】
 大阪湾の太平洋側入口の紀淡海峡に横たわる友ヶ島は、沖ノ島、地ノ島、虎島、神島等からなり、最大の島沖ノ島にのみ加太から定期船が通っている。明治政府が紀淡海峡防備のため由良地区(淡路島)、友ヶ島・加太、深山地区(和歌山市)に築造した要塞の砲台跡が残っている。友ヶ島には第2次大戦まで使用されて6つの砲台跡があり第3砲台跡が最大の規模。
 今回は友ヶ島まで足を延ばしていないが、60年ほど前、高校生の時に夏キャンプで訪れた。訪問直前に、和歌山下津港(石油コンビナートがある)に入港した外航船でコレラが発生し、コレラ菌が海に流れ出たので、友ヶ島を含む周辺海域が遊泳禁止となった。まあ、大丈夫だろうと級友6人で訪れたが、島外からは我々だけのようだった。さすがに、海には入らず、漁師に頼んだ釣り船で朝釣りを楽しんだが、数名がげえ、げえやり出した。すわ!コレラ感染の症状か!と大いに心配したが、船酔いと熱中症だったようで、印象深い思い出となっている。


4つの島からなる友ヶ島(沖ノ島のみ加太漁港から定期船が運航)    奥が淡路島、真ん中が沖ノ島 手前が地ノ島 

        
60年ほど前、コレラ騒ぎの最中キャンプ訪問     今ほど観光化されておらず薄気味悪かった第3砲台跡

【休暇村・紀州加太】(宿舎の写真を一部転用してます)
 今宵の宿は友人からの情報で加太の町を見下ろす高台の休暇村・紀州加太。休暇村の利用は初めてであったが、正直国民宿舎のイメージがあって、あまり期待していなかったが、大いに認識を改める結果となった次第。
 部屋からの、またナトリウム-炭酸水素塩・塩化物温泉の浴場と露天のインフィニティ風呂からの紀淡海峡の刻々と変化する眺望。質・量とも申し分のない料理(今回はスタンダード会席の葵)、そして何より素晴らしかったのはスタッフの皆さんの細やかなサービス。大変コスパの高いお薦めの宿舎である。
 今回は参加しなかったが、第2木曜日午後4時からノルディックウォーキング体験会や朝7時からの大阪湾を一望する早朝散歩他、様々なプログラムも用意されている。


  高台に建つ休暇村   4階の部屋から紀淡海峡を展望(中:友ヶ島と明石方面、右:加太漁港方面を望む)


晴れていれば夕日がきれいのだが、明日は雨の予報  楽しみの夕食(スタンダード会席の葵、質・量とも大満足)

        
客室(和室、様々な客室があるようです)       宿舎ご自慢の露天インフィニティ風呂 


きれいな眺望の素晴らしい食事会場  朝食は和・洋選択(会席膳に加え自由にお惣菜等ミニバイキングの品々が楽しめる)