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旅行記、世相独言

スタンフォードの街歩き -ハロアルト&メンロパーク- (異文化体験4 Leap, Leapの旅1)

2010年03月30日 09時45分00秒 | 異文化体験_北米
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技術立国を目指す日本、企業も技術立社を目指して・・・
今回はLeap!Leap!(飛んで!飛んで! ただし、発想を)の旅。


スタンフォードの街歩き -パロアルト&メンロパーク- 1983.4.5~10


 Stanford Research Institute(SRI)の上空写真

 技術立社を目指す社内プロジェクト(DATE21)が発足した。今回の出張はサンフランシスコの南、サンノゼとの中間にあるパロアルト、メンロパークにあるスタンフォード・リサーチ・インスティチュート(SRI)と、このプロジェクトの進め方の打ち合わせを行うのが目的である。SRIは1946年創設の世界最大級の研究機関である。

 SRI本部玄関にて


  
  (左)西の名門スタンフォード大学の広大なキャンバス    (右)大学のQuad Memorial Church         

 名門スタンフォード大学のあるこの街は、若さで溢れている。SRI日本代表のT氏の定宿マーメイド・インというモーテルに直行したが、手違いで初日の夜だけ大学の前にあるホリデイ・インに泊まることに。ホテルに着くなりT氏が眼鏡を落として割ってしまったため、車の運転上、急遽眼鏡屋探し。このことがあって以降、小生も海外に出るときはスペアの眼鏡を持つように心がけている。

   
(左)初日の宿 ホリディ・イン   (右)昔の駅舎を改造したマッカーサーパーク

 初日の夜は昔の木造駅舎を改造した板張りのレストランで、名を「マッカーサーパーク」と記憶しているが、ロブスターの塩焼きを特別注文。常連客の注文に厨房も心よく応えてくれる。T氏が夜の雑誌を買いに行こうという提案に大賛成。ペントハウスを買ったが、これが後で思わぬ事態を招くことに。

 初夏を思わせる太陽が燦燦と降り注ぐカリフォルニア。ホテルから徒歩15分のSRIでの打ち合わせを終え、マーメイド・イン周辺を散策する。
 お隣は「PAYLESS」というスーパーマーケット。庶民の生活を知る上で中を見て廻るのは結構楽しいもの。しかし、最近の急速なグローバライゼーションは置いてある商品にも表れている。日本にないものを探すのが難しい状態である。

         
(左)ペイ・レスのロゴ (右)スタンフォード・ショッピングセンター

 次なるお隣は、スタンフォード・ショッピングセンター。歩いて30分程度かかるがお隣さんである。ブランドものこそ少ないが、学生相手にしては結構粋な造りで軒を連ねている。ご近所さんも利用するのだろうが、お店の数の割りには、お客は少ない。

 今度は、モーテルの逆方向に足をのばす。お隣は一般の本屋さん。さすが大学の町の本屋さん。数々の専門書が所狭しと並べられている。英々辞典はこちらでは国語辞典、立派なものが随分安く売られているのでこれをゲット。
 そのお隣はステンドグラス屋さん。インテリアに最適な大きさの素敵なステンドグラスが多数並べられているが、本日は既に閉店。

 今夕はSRIの副社長の自宅に招待されている。高台にあるF氏の自宅に7時に到着。ラズベリーのシロップに始まり、奥さんの手料理にカリフォルニアワインが加わり、食卓は常に笑いが絶えない。食後は10畳ほどの居間で、歌も飛び出してどんちゃん騒ぎ。昨秋訪問したポールマッソンワイナリーの話しをすると「あそこは中級だ」とか、暗くて分からないが氏の裏山一体はブドウ畑が広がっているそうで、「ここのワインが世界最高!」と自慢話もなかなか終わらない。

 SRI副社長宅にて

 帰途に着いた時間は誰も覚えていないが、兎に角かなりの酩酊運転。道路をまっすぐ走った記憶がないが、何とか無事にマーメイド・インに辿り着いたのだから、神様ありがとう!
 翌朝、同行のM氏がおでこにたんこぶを作っていたが、昨夜車のどこかでぶつけたのだろう。




楊麗萍(ヤン・リーピン)の世界

2010年03月30日 09時37分24秒 | イベント
楊麗萍(ヤン・リーピン)の世界

 2010年3月26日、大阪・梅田芸術劇場で「ヤン・リーピンのシャングリラ」公演を見た。というよりは、体験したと言ったほうが正確だろう。

 大阪公演の案内パンフより

 中国・雲南省を中心とする少数民族の歌と踊りをベースに、民族衣装、大太鼓、竹笛などが加わり、まさに少数民族に伝わる伝統芸能の「シャングリラ=原生態」を見事に進化させた舞台を創造している。それは、聴衆の五感の深淵に響くものであり、とりわけヤン・リーピンの「孔雀の舞」は究極の踊りと言えよう。

 クリスティーナ・オヨス大阪公演時のパンフレット表紙より

 あの踊りの中で彼女の手の動きが創り出す世界は、私にスペインが誇るフラメンコ・ダンサー「クリスティーナ・オヨス」を思い出させる。1992年大阪・フェスティバルホールでの「フラメンコの夢」と題する彼女の舞台をはじめて見た私は、フラメンコを手で表現するダンサーとの強烈な印象を受けた。

 今日またヤン・リーピンの踊りを見て、二人のダンサーに共通する手の魔術師とも言える素晴らしい表現力を持った踊りが瞼に焼き付いて離れない。


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美女と魚とハロウインと(2) -サンディエゴ&ティファナ-(異文化体験3 コージェネの旅7)

2010年03月25日 00時35分28秒 | 異文化体験_中米
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美女と魚とハロウインと(2) -サンディエゴ&ティファナ- 1982.10.29~31
 
サンディエゴのオールドタウン

 HALLOWE'EN. それが出張最後の日となった。街の至る所にかぼちゃが口を開けている。メキシコ国境まで車で20分のサンディエゴ。旧市街にある「オールド・タウン」はまさにメキシコそのもの。

  
                  メキシコ色の強いオールドタウンのアトラクション

 19世紀初期の面影を残す建物は、土産品屋、料理店、博物館等に化けている。その建物界隈で人々が民族衣装を身に纏い、マリアッチとメキシカンダンスに打ち興じている。昼食代わりのタコスとエスプレッソで、しばしこの華麗な踊りと音楽を楽しむ。

 タコスとエスプレッソの昼食


 午後は楽しみにしているメキシコ・ティファナ(Tijuana)観光である。

 メキシコ国境の検問所 行きは良い良い、帰りは大渋滞

 国境に隣接する街、それがメキシコ・ティファナ。国境を越えると言語、風俗が極端に変わる。赤土むき出しの道路。お粗末な造りの商店が両側にひしめいている。貧しいメキシコの風景がそこにある。革製品がお買得との噂。定価の概念がないので交渉次第だと言う。約半値で毛皮のベストを買ったが、作りはお粗末であった。夕刻の闇が近づくと上空では国境警備隊のヘリがサーチライトを照らして不法入国者を監視している。貧しい国から富める国へ。不法入国者が後を絶たない。

  
     ティファナの街角 右は定番のお土産の一つ ミニ・メキシカンハット

 観光客が一斉に引き上げる夕刻、検問所は車の洪水。パスポートを提示すると「アメリカにどれほどいたか?」と聞かれ「2週間」と言うと、何と入国はダメ!と言う。冗談ではない、明日の飛行機で日本に帰るのだ。よくよく聞くと「アメリカにどれほどいるのか?」。私にもO氏にもそうは聞こえなかった。無事に再入国しサンディエゴのダウンタウンに戻ったのは午後8時頃となった。

 かつての名帆船「STAR OF INDIA」

 ウォーターフロントに帆船「STAR OF INDIA」が係留されている。1863年、イギリスで建造された鋼鉄帆船で、インド・ヨーロッパ航路で活躍、その後アメリカに売られ「スター・オブ・インディア」と改名され活躍するも、1900年代蒸気船の時代になりスクラップにされるところを市民から保護運動が起こり1976年に完全修復され、現在も堂々とその美しい威容を誇示している。

 今日はハロウィン!! 夜はまだまだ続く・・・

 その帆船「STAR OF INDIA」の脇の海上レストランで最後の晩餐をしようということに。店に入ると異様な熱気が伝わってくる。そうだ!そうだ!今日はハロウインなのだ!薄いドレスでセクシーボディを惜しげもなく見せつけ踊り狂う女性もいれば、仮装姿でダンスを楽しむカップルもいる。じっと座って食事などする人はいない。最後の夜は少し贅沢にと大きな海老に舌鼓。

 ハロウインの夜はまだまだこれから・・・。



美女と魚とハロウィンと(1) -サンディエゴ&ティファナ- (異文化体験3 コージェネの旅6)

2010年03月20日 09時59分42秒 | 異文化体験_北米
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美女と魚とハロウインと(1) -サンディエゴ&ティファナ- 1982.10.29~31
 
 サンディエゴの町(Wikipediaより)

 夜の11時というのにサンディエゴ国際空港は人でごった返している。ホットパンツのヤンキー娘やTシャツ姿の若者、南カリフォルニアに来たという実感が押し寄せる。この空港、別名をリンドバーグ飛行場とも言い、リンドバーグが単独大西洋横断飛行を成し遂げた際、元々ここからに飛行を始めたからということらしい。


 
    シャチのスーパースター「Shumu」のいるシーワールド(左:パンフ、右:園内風景)

 サンディエゴのシーワールド。コージェネがここでも活躍している。キャタピラー社がVIPコースを用意してくれているという。大きな期待を胸にシーワールドを訪ねると、おじさんが我々をプラントサイトに案内し、園内のエネルギー関連情報を1時間ほど説明してくれた後、ここで少し待てと言う。

 
  園内案内のVIPコース                様々な鮫が泳ぐバックヤード

 何がVIPコースなのだ?とやや憤慨しかけたその時、超美形のお嬢さんがやってきて、これから我々を園内の案内をしてくれるという。一般入場者が入れないところ、例えばペンギン宿舎の中やイルカの調教現場等々、を懇切丁寧な説明で案内してくれる。約1時間半かけて園内をくまなく見て回り、「これで一通りの案内が終わりましたが何かリクエストはありますか?」と聞いてくれる。儀礼的にというよりは本音で昼食に誘ったが、仕事が待っているのでとやんわりお断り。

 
    スーパースターの「Shamu」、脇役の「Namu」「Kandu」によるシャチのショウ

 シーワールドは大きなシャチのショーが有名で、TVにもよく登場するスーパースター「Shamu」、脇役の「Namu」「Kandu」の3頭が演ずるショーは圧巻であり、水槽被り付きの席が真っ先に埋まるのがアメリカらしい。今日もずぶ濡れになりながらキャッキャ騒いでいる陽気な人たちで満席である。午後3時頃まで我々だけで更に遊んでシーワールドに別れを告げる。


 
      新作水着の撮影???                ホテル「パサダ・イン」 

 ロマ岬方面へのドライブを楽しみながら、ホテル・パサダインに戻る。10月の終わりだというのに海水浴を楽しむ人もいるし、ビキニ姿のモデルを使った雑誌の撮影が行われていたりして、気分が明るくなる。

 ホテルの部屋からは一面の林立する帆柱の眺望


 市営ヨットハーバーに道一つ隔てた高台のホテルからは、見渡す限り林立するヨットの帆柱とその後方傾斜地の高級住宅街が一望できる。時折海軍の船が目に入るが、ここは軍港でもあるのだ。

 南国ムード一杯の美しい街。 I love San Diego!!



ベイビーはジャンボ - クリーブランド - (異文化体験3 コージェネの旅5)

2010年03月16日 09時55分48秒 | 異文化体験_北米
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ベイビーはジャンボ -クリーブランド-  1981.10.28~29


 エリー湖に面したオハイオ州クリーブランド。湖面に吸い寄せられる様にNW機が下降する。ホテルに電話すると今から迎えに行ってやると言う。ホリディ・イン Strongsvilleは、またまた国道に面したモーテルに近いホテル。周りには何もなく今夜も又PAY TVのみがお慰みかと田舎の旅にいささか不満感を覚え始める。

 
(左)機窓から見たクリーブランドの街 (右)今日の宿舎「Holiday Inn Strongsville」

 1時間後にN.Y.駐在のO氏が合流。野中の一軒家、他に食いに行く所もなく、ホテルのレストランでやや遅い夕食をとる。機内食で若干お腹の足しになるものが出たので、少し軽めにいこうとメニューと相談する。あるある、ベイビーステーキ。これだとばかしに、念のため「これはミニサイズか?」と聞くと、そうだと言う。

 ホテルのレストラン、ジャンボなベイビーステーキ

 待つこと、10分。 ん? ん? ウエイター殿が持ってきたのは何とお皿一杯のジャンボステーキ。しかもよくよく見ると通常のビーフステーキではない。この代物は日本で言うレバーステーキである。「これがベイビーか?」と聞くと「そうだ!」と答える。どうなっているんだろう。

 クリーブランドの郊外には美しい森が広がり、この時期丁度色づき始めた木岐の間をハイウエイが走る。美しい川、それがオハイオという意味だそうな。農業州であり、また五大湖沿いは工業も盛んな州でもある。EAST OHIO GASという同業の会社を訪ねる。コージェネとCNG自動車(天然ガス自動車)の見学であるが、先輩達の交流のお蔭か、我々を大いに歓待してくれる。

 
      (左)クリーブランド郊外の紅葉、黄葉     (右)訪問した研究所のガス燈

 紅葉の木々に囲まれた森の中を更に車を走らせ、アメリカガス協会の研究所を訪ねる。事務局長が自ら案内役をしてくれるが、このおやじさん、どことなく英国人風なしゃべり方としぐさで一見偉そうに見えるが、結構気はよさそうな人。もっとも日本からの来訪者も結構多いので手馴れたものである。この研究所のエントランスゾーンには左右の芝生の中に日本にはまだ少ないガス燈が誘導路灯のように設置されている。なかなか風情があって良いものだ。

 
(左)再生中のクリーブランド(1992年) (右)昔の面影を残す現在のクリーブランド(いずれもWikipediaより)

 クリーブランド、鉄鋼の町と認識しているが、市内の火力発電所や製鉄所も、見た目にはそれほど汚らしく感じられない。紅葉の木々がうまくこれらの設備や煙突を人の目から遮蔽しているからであろうか。3年前の1978年12月、この街は全米の主要都市では世界恐慌以来初の債務不履行に陥り、The Mistake on the Lake(湖岸の過ち)と言われたようだ。(注、その後見事にダウンタウンの再建、都市再生がなされComeback City(復活の街)
としてメディアにも評価されている)。

 ナイアガラのすぐ傍まで来ていながら行けないのは残念! でもまた太陽一杯の西海岸に戻るのだ!



高級ホテルはラブホテル? - シカゴ - (異文化体験3 コージェネの旅4)

2010年03月12日 15時58分07秒 | 異文化体験_北米
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高級ホテルはラブホテル? -シカゴ- 1982.10.26~28

 ミシガン湖岸道路とシカゴの街

 ミルウオーキーの南、ミシガン湖に面するイリノイ州の中心都市シカゴ。オヘア空港に着いたのは夕刻。ホリディ・インの「シティ・セントラル」が今日の宿、レートは今回のホテルの中で最高値。ホテルリムジンを空港で探すが、待っているのは他のホリディ・インのリムジンばかり。タクシーは沢山客待ちしているが、ここは節約しなきゃ、と客のいない他のホリディ・インのリムジン運転手に声をかける。少し考えて、「10$イーチでOK」と言う。タクシーより少し安い程度だが、安全でかつ広いということもあって、商談成立。


 
(左)キングサイズベッドの枕の上部も、ベッドサイドにも大きな鏡が (右)掃き出し部からガラスの窓、下を見ると怖い

 「シティ・セントラル」はダウンタウンに出来た新しいホテル。最上階に近いフロアーの部屋に通されてビックリ。3人が余裕で寝れるジャンボベッド、そのベッドの頭の方と側壁がなんと鏡張り。独り寝の私に何の価値もないこの鏡。我が裸身を見つめて何としよう。カーテンを開けるとこれまた掃出し部から全部ガラス窓。ここはラブホテルか? 
この部屋から1969年竣工のオフィス兼住宅ビルとしては世界最高(343m)、100階建てのジョン・ハンコックセンターやミシガン湖の眺望は最高。女性同伴であれば・・・と想いがめぐる。

1969年竣工のジョン・ハンコック・センタービル(343m) 



 1973年竣工の世界最高442mのシアーズタワー(2009年7月よりウィリスタワーに改称)を見ながら、車で1時間ばかり西に走るとペオリアという町がある。石炭火力の発電所に隣接してキャタピラー社の工場があり、大型ガスエンジンのコージェネレーション設備が稼動している。
 更に車で走ること1時間。見渡す限りのトーモロコシ畑の中に全寮制の学校がある。コージェネが独立電源として稼動している。

今日の宿舎は国道沿い「Pheasant Run」というモーテル

 シカゴに近いジョリエットにあるPheasant Runというモーテルが今日の宿舎。ここでもコージェネが独立電源として稼動しており、地下の機械室に機械の事なら俺に任せろと言うおじさんが一人、運転員として頑張っている。
 ホリドームともいうこのホテル。ドームの下に温室プールとレク施設がある。夕食にフランクフルトで難儀したオニオンスープに再チャレンジ。所変われば品変わるという格言があるがこれは嘘。日本のようなグラタン・オニオンスープは世界標準ではないようだ。しかし、ウエイター氏にくれぐれもチーズは少しと言ったのが良かった。何とか食える代物であった。

 排熱利用の温水プール

 翌朝、オヘア空港のすぐ側に立地するヒルトンホテルのコージェネ設備を視察する。キャタピラー社はしっかり勉強できるようスケジューリングしてくれたものだ。もっとも我々が電力会社の送配電系統から独立したコージェネ・システムを見たいというリクエストに忠実に応えてくれたのだが。ここのヒルトンも客商売ではあるが電気は自給自足である。商用電源は送電線すら来ていない。ほんとに大丈夫?という私の質問に、運転員は何をぬかすかと怖い目。
 これがアメリカなのだと感心させられる。もっとも電力会社に対する不信感がその根底にあるのだが。至る所でコージェネは独立電源として機能しているようだ。

 ずっとアテンドしてくれたキャタピラー社の若い米国人の新婚社員さんともここでお別れである。随分と英会話の勉強をさせて貰った。



フォックス・リバー - ミルウォーキー - (異文化体験3 コージェネの旅3)

2010年03月08日 09時54分57秒 | 異文化体験_北米
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フォックス・リバー -ミルウオーキー- 1982.10.25~26

 ミシガン湖に面したウィスコンシン州ミルウォーキーは、10月の末ともなれば日本の気候と一致してくる。札幌、ミュンヘン、ミルウォーキー、世界の3大ビール産地として小学校の社会で習ったものである。

  マリオットホテル

 サンノゼからデンバー経由7時間。夜の10時40分にミルウォーキーに到着。マリオットホテルにチェックインして一息つくと、もう日付が変わっているという気ぜわしい旅である。

 翌朝、郊外の機械工場のコージェネレーション設備を視察する。
 酪農が中心のこの辺りは、地平線の果てまで一面のトーモロコシと小麦畑が広がり、所々に集落が点在している。突然田舎の真っ只中に来て捉えどころのない景色に、アメリカを実感すると共に、見たことのない風景に少し戸惑いをおぼえたものである。
 昼食に連れて行ってもらったところは、恐らくこの辺りではとびきり上等のレストランなのであろう。精一杯の歓待を受ける。

  広大な畑に農家が点在する郊外の風景

 点在する集落も広大な土地柄だけに、2階建ての家は滅多にお目にかからない。家と家の境界も定かでない。そんなおおらかな景色の中に、小さな小川が風景画のように流れている。名を「フォックスリバー」という。先住インデイアンが名付けた小川だそうだ。
何故か郷愁を誘うこの川の名前だけが強く印象に残るミルウオーキー郊外である。

 
                先住インデイアンが名づけたと言う「フォックスリバー」(Wikipediaより)

 帰国後気になってこの川のことを少し調べると、結構有名な川のようである。小生が見た小川はミルウォーキー市内では大きな川になってリバーフロントは賑わい空間になっているようだ。郊外では「South Elgin Riverfest by the Fox River & Village Hall」というお祭りが開催され、フォックスリバーの畔で音楽を聴きながらの夏祭りには花火も上がるようだ。

 また、シカゴ周辺の穀物地帯には、様々な農場体験・遊園が可能なものがあり、とうもろこし畑を利用した「The Richardson Farm cornmaze(リチャードソン農場のとうもろこし迷路)」が有名とか。

 「The Richardson Farm cornmaze(リチャードソン農場のトウモロコシ迷路)」 

 今度は、広大な風景を背景にゆったりと時間が流れる旅をしてみたい



霧の金門橋と幻のカリフォルニアワイン -S.F.&サンノゼ- (異文化体験3 コージェネの旅2)

2010年03月03日 09時04分06秒 | 異文化体験_北米
霧の金門橋と幻のカリフォルニアワイン -サンフランシスコ&サンノゼ- 1982.10.24~25


 サンノゼ空港からサンフランシスコへ午後のショートトリップ。坂の街サンフランシスコの名物、ケーブルカーが何年に一回かのオーバーホールとかで街中に全く見られず、車が我がもの顔で軌道の上を走り回っている。坂の上から一望するフィッシャーマンズワーフ、入り江、その上に架かる金門橋は何か心を掻き立てるものがある。

 SFの絶景が車から見れる「ロンバード・ストリート」

花壇に彩られた七曲の急傾斜の道、「ロンバード・ストリート」を車は一気に駆け下り、先程見た景色を現実に自らの足で確かめる。ボードデッキのフィッシャーマンズワーフには、多種多様な店が連なり沢山の人達で常に賑わっている。海辺に面したレストランでやや遅めの昼食をとる。

 
   ウォーターフロントの開発で一躍観光スポットとなったフィッシャーマンズ・ワーフ界隈


窓の外には霧の合間をぬって金門橋が見え隠れしている。かと言って霧がこの辺りに漂っているかと言うと、ここは全くの晴天である。入り江の橋の架かっている辺りだけが常に霧がかかるという。それだけにあの橋が神秘的なものになっているのだろう。

 
(左)サワドゥブレッドで有名な老舗のBoudin(HPより) (右)酸味の強いフランスパンもどきのサワドゥブレッド

 私はフランスパンが好きである。焼きたてのあの香ばしさと皮の固さ加減と中味の柔らかさ加減のコントラストが好きなのである。サンフランシスコには独特の酸味の強い“サワドゥブレッド”というフランスパンがあるという。イースト菌を使わず、代わりに“サワドゥスターター”という穀物と液体(通常は、小麦粉と水)を発酵させて作るようで、やや多めに入れるとこういう味になるという。Boudinというレストランでも一人このパンを引き受けていた次第である。

 霧のサンフランシスコ、金門橋にはよく霧がかかる

 霧がなければこんな感じ 


 金門橋を渡る頃になると、少し雲も出てきたようで橋を支える鉄塔の上部は雲というか霧というべきか分からないが、隠れて見えない。それだけに海の青さと橋の赤い色が一層浮き出て見える。

            
(左)ダウンタウンはゴーストタウンのようだ      (右)本来ならこんな光景が・・・・

 ケーブルカーが止まったため、町の治安は悪化しているという。移動が車に偏り、人通りが少なくなったためというのがその理由らしいが、確かにダウンタウン近辺には夕刻になると人っ子一人見られぬ寂しさである。


    
(左)「PAUL MASSON CELLARS」の案内書        (右)ワイナリー・ツアーがあるようだが・・・

 サンフランシスコの南、車で30分位の所に、カリフォルニアワインのメッカ、サンノゼという町がある。「PAUL MASSON CELLARS」という名の通ったワイナリーのコージェネレーション設備の視察が訪問の目的である。異国のワイナリーなんぞ滅多に行けるものではないと、訪問前から期待が大きく膨らむ。工場に着くとここの設備を手がけた会社のおじさんが出迎えてくれる。さっそく説明を受け設備を見学するが、ワイナリー側の人間は誰も出て来ない。
 1852年に創設されたこのワイナリー、アントニオ・カルロス・ジョビンが作曲したボサノバの曲で「イパネマの娘」という有名な曲があるが、そのプロモーションビデオをここで撮影したとか、結構有名なワイナリーである。ここではシャンペンとワインを生産し、毎日ワインの試飲ツアーがあるという。
 にもかかわらず、我々の期待が甘かったのか、とうとうワインとは無縁の形でここを去る羽目に。アポの取り方を間違ったようだ。

 今後は直接ワイナリー側にアポイントを取ろうっと!!