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旅行記、世相独言

東北・山形の旅 (その3)羽黒山・五重塔 特別拝観 と 三神合祭殿

2018年08月22日 23時17分51秒 | JALどこかへマイル
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東北・山形の旅

その3.羽黒山・五重塔 特別拝観 と 三神合祭殿

2018.07.22



         庄内地方をドライブ(温海温泉-羽黒山-温海温泉-新潟へ)

 温海温泉から昨日通った日本海東北道を鶴岡西ICで降り、羽州浜街道等を経て羽黒山・随神門に午前11時前に到着。およそ45㎞のドライブ。日曜日ということもあり、随神門周辺の駐車場は満杯。いでは文化記念館の駐車場に空きを見つけ駐車。

 出羽三山詣では、羽黒山が現世、月山が前世、湯殿山が来世を表すとされ、平成28年「出羽三山生まれかわりの旅」が日本遺産に選定されている。
 羽黒山は、1425年前に第32代崇峻天皇の第一皇子・峰子皇子が開かれ、それが出羽三山の始まりで三山の神々を合祀する山であるとともに峰子皇子が創立した「羽黒派古修験道」の道場でもある。
 そんな羽黒山が、本年「奉祝天皇陛下御在位30年、三神合祭殿再建200年」を記念して国宝・五重塔が特別拝観されている。五重塔は、930年代平将門が建立し、幾度かの修復を経て現在の塔は建築様式から室町前期のものと見られている。

             
  出羽三山(羽黒山・月山・湯殿山)の解説        羽黒山・五重塔(国宝)の特別拝観

 随神門から急な石段を下り、秡川に架かる神橋を渡り、爺杉を過ぎた所に、高さ29.4m、素木造り、柿葺、三間五層の均整の取れた姿の五重塔が聳え立っている。ここで、特別拝観料500円(羽黒三所大権現の秘仏公開拝観料とセットは700円)を支払って、お祓いを受けて初重(一階)に入り、平安時代の三跡 小野道風筆と伝える額等を拝観、次に外部特設階段を使って二重(二階)の窓から心柱を中心とする内部構造を拝観した。塔内は心柱とそれを支える4本の柱等で、ゆとりのある空間ではない。

  
羽黒山参拝口・随神門       五重塔御朱印はここの社務所で     随神門からの参道案内

    
階段を降りる途中から見た秡川周辺の光景      爺杉          国宝五重塔

          
  五重塔と秘仏の特別拝観券               券売所でお祓いを受け堂内初重へ

         
  平安時代の三跡 小野道風筆と伝える額(南に「応身」、東に「法身」、西に「報身」、北に「化身」)

  
  五重塔の構造図       外部階段を使って2階から内部観察  見事な柿葺屋根(写真上方向が山頂への石段) 

 三神合祭殿のある出羽山頂へは、五重塔に隣接する一の坂の登り口から2446段の石段を登って行くか、随神門に戻って羽黒山有料道路を使ってのドライブか、という選択になる。
石段選択すると三の坂近辺に芭蕉と曾良が訪問時の句碑「有難や雪をかをらす南谷」がある。
我々は、当然?随神門に戻って(これも結構階段を登る)のドライブ。冷房の効いた「いでは文化記念館」で休息の後、山頂に向かう。

            
参拝者が禊をした祓川(はらいかわ) 黒く光る須賀瀧(1654年人工の滝)  再び随神門へ登りの石段

 三神合祭殿は、月山、羽黒山、湯殿山の三神を祀る豪壮な建物で、古来月山・湯殿山が冬季積雪のため参拝できないことから羽黒山に三神を祀ると伝えられているとか。解説によると、神仏習合時代の名残をとどめる特異な造りで、高さ28m、厚さ2.1mの萱葺屋根、更に内部は総漆塗、平成12年に国の重要文化財に指定されている。
 三神合祭殿の前に鏡池がある。古くから羽黒神が姿を現すことからそう呼ばれているが、平安時代以降の銅鏡が多数出土している。

          
随神門にある出羽三山の案内地図             鏡池(手前)と三神合祭殿

  
               三神合祭殿(中央に月山、右手に羽黒山、左手に湯殿山)

 羽黒三所大権現の秘仏を拝観した後、出羽三山の開祖蜂子社に参拝する。
芭蕉が「おくの細道」で詠った羽黒山所縁の句は二句あり、一つは前述の三の坂近辺の句碑「有難や雪をかほらす南谷」、もう一つは羽黒山頂境内に芭蕉の銅像と共に句碑がある。「涼しさやほの三か月の羽黒山」。
芭蕉が羽黒山に登ったのが6月3日。随行日記によれば、この日の天気は晴れで、一の坂の手前を流れる祓川の辺りで暗くなったという。参道脇の杉並木も、当時はまだ若木の内であり、一の坂から南谷へ向かう登山の途中、足を止めて振り返れば、木々の間から沈みかけた三日月が見えたのであろう。

  
出羽三山の開祖蜂子社(はちこしゃ)   松尾芭蕉像     像の傍の句碑「涼しさやほの三か月の羽黒山」

 羽黒山を13時半頃出発、鶴岡西ICから日本海東北道で温海温泉ICと往路の逆を走り、そこからは羽州浜街道を南下して朝日まほろばICから再び日本海東北道で新潟空港へ。約210㎞のドライブである。

 総じて東北の人達の運転は、速度制限を+10㎞程度で遵守する運転で、無謀な運転をする車は少なかったように思う。
最後の休憩をとった「朝日道の駅」では、観光物産館や産直販売所に加え、温水プールにフィットネスセンター、ホールでは午後4時からプロレス興行があるようで、周辺に娯楽施設の少ない地方だけに大勢の人で賑わっていた。
山形県花が、実は紅花だそうで、中世17世紀辺りは上方文化や山形の経済的発展を支えたようだ。旅の途中の芭蕉も「まゆはきを俤(おもかげ)にして紅粉(べに)の花」と詠んでいる。

          
  山形県花は?  紅花                  新潟空港で海鮮丼

 新潟空港に着いたのは午後4時過ぎ。オリックスの空港詰め所には人がおらず、キイを所定のボックスに返却して、おおらかな仕事ぶりを実感。
ターミナルには、ゴールドカード専用ラウンジがあるが、JALのさくらラウンジはないとのことで、お土産を物色したり飲食街の寿司屋で海鮮丼の夕食を取ったりして、19時05分発JAL2250便で無事大阪伊丹空港に20時20分着。

          
新潟空港にて 翼に沈む夕日               赤く染まる日本海の雲海

雨女の女房との旅で珍しく晴天が続き、初めて訪れる米沢や庄内地方の山形の旅を終えました。

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東北・山形の旅 (その2)銀山温泉 & 最上川下り & 温海温泉・萬国屋

2018年08月21日 17時23分28秒 | JALどこかへマイル
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東北・山形の旅

その2.銀山温泉 & 最上川下り & 温海温泉・萬国屋/font>

2018.07.21


 上山温泉・古窯を10時に出発、山形上山ICから東根ICまで建設中の東北中央自動車道を走り、そこからは山形北バイパスを一路北へ尾花沢まで、そこから347号で銀山温泉を目指す。銀山温泉までは74㎞、1時間半ほどのドライブである。
 東北地方は今、至るところで高速道路の整備が進んでいるので、最新のナビが役に立つ。また、無料開放区間も多いので、旅行者にとっては大いに助かる。
 尾花沢はスイカの一大産地のようで、道路の両側にはスイカを売る店が多々見受けられる。

 赤囲いが今回の訪問地(今日は上山温泉-銀山温泉-最上峡-温海温泉)

 駐車スペースに一抹の不安を抱きながら銀山温泉に車を進めると、案の定渓谷沿いの温泉街には駐車場がない。
Uターンして日帰り入浴利用者専用駐車場に車を置き、徒歩で車道を下っていくと、突如渓谷沿いに軒を連ねる温泉街が出現する。
 銀山温泉は、かつて江戸時代初期の大銀山として栄えた「延沢銀山」の名称に由来し、大正2年銀山川の大洪水で壊滅的被害を受けたが、新たなボーリング等で湯量も確保し、大正末期から昭和初期に洋風木造多層の旅館が銀山川の両岸に建てられ、今日大正ロマンの独特な景観を醸し出している。
 延沢銀鉱洞は、江戸時代初期には日本3大銀山の一つとまで言われ、廃坑ながら現在国指定史跡となっている。他ではあまり見ない焼き掘りという採掘跡が見れるようだ。また、銀山温泉は江戸時代の「諸国温泉功能鑑」にも名を連ねている。

  
車道を下っていくと渓谷沿いに屋根が    銀山温泉散策マップ           よく見慣れた銀山温泉の景観

            
         大正ロマンを売り物にする家並         若い女性に衣装貸し出し  
 
            
         一際立派な能登屋旅館     江戸時代の温泉番付(右・東国上から4段目「最上銀山湯」)
 
 現在13軒の旅館が軒を連ねているが、正直各旅館の維持管理には大きな程度差が見られ、今後の景観維持に苦労されるのではないかと心配する。

  
  風格のある古山閣        古山閣の͡鏝絵(こてえ) 左手前はガス燈       鏝絵の解説

 今回は行っていないが温泉街の奥に白銀の滝、さらに延沢銀山見学坑(無料)がある。また、山形が生んだ近代歌人斎藤茂吉も当地に投宿時「蝉のこゑ  ひヾかうころに 文殊谷 吾もわたりて 古へおもほゆ」という歌を詠んでいる。

            
      銀山温泉入口に近い和楽足湯         散策マップ     

  
     延沢銀山見学坑(無料)         白銀の滝          山形が生んだ歌人斎藤茂吉の歌碑

 銀山温泉から再び尾花沢に戻り、東北中央道で北上、新庄あたりから47号線で最上川沿いにJR陸羽西線髙屋駅に向かう。約55㎞、1時間ほどのドライブである。
 髙屋駅の下の岸辺が今回利用する「最上川舟下り義経ロマン観光と仙人堂」の発着所である。到着したのが13時5分。なんと13時発の船が出た直後。次は14時とのことで、車で数分先に白糸ドライブ・インがあると言うのでそちらで時間調整する。最上川に流れ落ちる白糸の滝が対岸のサービスエリアからよく見える。
 最上川下りには、もう一つ候補があった。それが「最上峡芭蕉ライン観光」で、髙屋駅の一つ上流側「古口駅」から髙屋駅の下流、白糸の滝より更に下流側「草薙港」まで約12㎞を1時間で下る航路だ。ただ、これを選択すると草薙港で下船後、古口駅まで路線バスで戻る必要がある。一方、義経ロマン観光は、乗降所が同じで、航路は短いが仙人堂に立ち寄る1時間のプラン、マイカー利用の我々には有難い。値段はほとんど同じで2400円ほど。
 
  唯一山形県内だけを流れる最上川、全長229㎞は全国7位。平安時代から始まったとされる最上川の水運は、山形の経済発展に大きく寄与してきた。

          
最上川下り 2つの手段                「最上川舟下り義経ロマン観光と仙人堂」のコース

      
髙屋駅(無人駅)駅前駐車場    白糸ドライブインから見る白糸の滝    乗船場辺りの水量

 午後2時の便には、数名の男性客と我々夫婦と1組のカップルのみ。芭蕉が「五月雨を あつめて早し 最上川」と詠んだ最上川であるが、ここ2か月近く雨らしい雨が降らないので水量が激減、日本3大急流(球磨川、富士川)も形無しで、来月の東北祭りに向け沢山の予約が入っているが、このままだとどうしようもない、とこぼすガイドのおばさん。それでも、饒舌なユーモアたっぷりの案内・解説は大したものだ。
 出港した舟は、川をさかのぼりしばらく行くと早瀬に遭遇、ここで旋回して流れに乗って下るのだが水量が減っているため船底が岩を擦ることしばしば。水しぶきを浴びながら川を下り、出航場所の対岸の仙人堂に横付けされる。仙人堂は義経一行が立ち寄り従者の常陸坊海尊が建立したといわれ、一方松尾芭蕉は、紀行文「奥の細道」に「白糸の滝は青葉の隙々に落ちて、仙人堂、岸に臨みて立つ。水みなぎつて舟危し」と記している。

  
水量を嘆く話術巧みなおばさん     上流から最上峡芭蕉ライン観光の船が  先方は満席状態(車でなければお勧め)

  
水量が通常レベルだと結構迫力が         舟は仙人堂へ      義経従者の常陸坊海尊が建立した仙人堂

             
             源義経像             芭蕉も奥の細道で仙人堂に立ち寄った

 最上川下りを午後3時に終え、庄内地方を日本海に向け鶴岡街道を西進、鶴岡西ICから日本海東北自動車道で温海温泉ICへ、およそ60㎞のドライブで、午後4時15分頃に今宵の宿舎「温海温泉・萬国屋」に到着。
 萬国屋は、翌日の羽黒山詣でとの関連で、多くの旅行代理店が高評価を与えていた旅館なので選定したが、正直ただ規模のでかい並みの温泉宿に過ぎず、コスパは極めて悪いと感ずる旅館であった。
 例えば、これは使ってみて初めてわかったことだが、1階と3階にある大浴場。1階は沢山の浴槽と大きな露天風呂を有する男女入替制の桃源山水、3階は男女別の普通の大浴場。
 夕食前に女房と3階のお風呂に行ったが、男はこのままだと1階のお風呂が使えないと思い、3階を早めに切り上げて1階へ。すると3階とは比べ物にならない気持ちの良い大きなお風呂が待っていた次第。そう言った案内・説明は一切なし。
 また、食事は一応会席料理なのだが、会場が広くて沢山の人の出入りで落ち着いた食事ができない等、とてもいいおもてなしが得られる旅館ではない。

  
温海(あつみ)温泉・萬国屋        お品書きと風呂案内        ブッフェ会場の如き会席料理のスタート

 翌朝、10時にチェックアウトし、最終日の目的地「羽黒山」に向かった次第である。


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東北・山形の旅 (その1)米沢・上杉神社 & 蔵王・お釜 & 上山温泉・古窯

2018年08月20日 22時58分15秒 | JALどこかへマイル
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東北・山形の旅

その1.米沢・上杉神社 & 蔵王・お釜 & 上山温泉・古窯

2018.07.20


 大阪・伊丹7時10分発JAL2241便で新潟空港に降り立ったのは、すでに9時前。伊丹での整備遅れで、定時発着を自慢するJALとしては珍しい遅延。

 予約したレンタカーは、オリックスのSクラス。有難いことに空港駐車場での受け渡しですぐに出発できた。更に、車種がホンダのフィット、全くの新車である。カーセンサーが沢山装備されており、わがカムリ・ハイブリッドより乗り心地は劣るが、最新のナビとカーセンサーに守られてのドライブとなった。
 しかし、オリックス側が速度設定を50㎞/hとしているため60㎞ぐらいから「速度超過を検出、安全運転!」と叫びだす、更に蔵王のいろは坂では「急ハンドルを検知、安全運転」、車線を少しでも踏もうものなら緩やかながらハンドルを元に戻そうとする力が働く等々、最後まで賑やかなドライブとなった。

              (クリックして拡大して見て下さい)

 新潟空港からは日本海東北自動車道を利用、荒川胎内ICで降り、113号線で米沢まで122㎞2時間少々のドライブ。上杉神社に到着は午前11時頃。

  
米沢訪問時の必需品 ガイドブック      上杉神社・周辺マップ      ガイドブック「よねざわ」最初のページ

 山形県の南端に位置する米沢は、上杉の城下町として知られている。戦国の雄上杉謙信は米沢藩上杉家の家祖であり、その子(養子)景勝は1598年秀吉の命により120万石を与えられ会津に入り、米沢には景勝の重臣直江兼続が入った。関ヶ原の戦いで西軍に味方した景勝は、会津120万石から米沢30万石に減封されたが、米沢藩初代藩主上杉景勝の誕生となった。幕末13代藩主茂憲まで272年間、米沢は上杉の城下町として発展した。現在の町の区画の原型は重臣直江兼続によって築かれたとか。

   
上杉家家祖・上杉謙信の像         上杉景勝・直江兼続主従像       米沢藩中興の祖・上杉鷹山の像

 上杉神社の境内は、米沢城址本丸跡でその6割を占め、約6300坪ある。御祭神は上杉謙信公、境内には米沢の基礎を築いた景勝・直江兼続の主従像(NHK大河ドラマ「天地人」のモデル)、米沢藩中興の祖10代上杉鷹山の像など、まさに上杉一色である。上杉鷹山は、「なせば成る なさねば成らぬ 何事も 成らぬは人の なさぬなりけり」、及び「伝国の辞」で有名な9代藩主である。
 周辺には、上杉記念館や上杉博物館や伝国の杜、少し離れて上杉家廟所等がある。

          
      上杉神社                       上杉神社の由緒記 

  
    上杉神社・本殿            謙信公家訓十六ケ条          上杉神社参道

 お昼時、米沢牛と行きたいところだが、手が出ない。幸い上杉記念館(上杉伯爵亭:国指定登録有形文化財)で米沢の郷土料理が食べられるようなので訪れる。伯爵亭は、元二の丸跡に上杉14代茂憲伯爵亭として建設されたもの。(お気づきの読者もおられようが、茂憲公は藩主としては13代なのだが、上杉**代という数え方だと14代。これは家祖謙信を上杉初代と数えるためで、藩主とは代が一つ異なるのだろう。)
 上杉記念館で戴いたのは、「献膳料理」。米沢牛のいも煮、丘ひじき辛子和え、うこぎご飯、館山りんごの寒天、鯉のことこと煮、塩引寿司、冷汁、味噌汁、おみ漬けの9品からなる伝統の料理膳である。確か2000円ほどであった。

               
       上杉記念館(上杉伯爵亭)                  伯爵亭の庭園
           
     米沢の9品からなる伝統の郷土料理「献膳料理」        その解説

 午後1時過ぎ、米沢を出発。建設中の米沢南陽道路を北上し一路上山市へ、更にエコーラインを経て蔵王ハイラインでお釜に午後2時45分頃到着。およそ100㎞のドライブ。
 快晴である。熊野岳(1841m)、五色岳(1674m)に囲まれた深緑色のお釜がくっきりと姿を現して、我々を迎えてくれている。我々が立っている所は刈田岳(1758m)で、山頂には刈田峯神社がある。宮城県側、刈田岳東麓の遠刈田温泉にある「刈田嶺神社」と対になっており、山頂を「奥宮」、麓を「里宮」と言い、神体は、夏季に「奥宮」、冬季は「里宮」と、両宮の間を季節遷座している。主祭神は、天之水分神、国之水分神で、水の分配(水源地や水路の分水点など)を司る神である。

  
 蔵王ハイライン(有料道路)        刈田岳から見る眺望          刈田峯神社「奥宮」

          
             蔵王のお釜とそれを取り巻く熊野岳・五色岳(パノラマ写真) 

 山頂には伊達崇高公命願の碑(政宗七男で、1623年刈田岳噴火の際、刈田岳に上り天に命願しこれを鎮めた)があるが、昭和54年7月落雷で台石が破壊され倒壊、今も碑石に電流が走った跡が痛々しく残っている。

          
 最初訪問時はお釜近くまで下りました           落雷で損傷した伊達崇高公命願の碑

 往路と同じ道を引き返し、上山(かみのやま)温泉・古窯に到着は、午後4時半ころ。
 上山温泉は、湯町・新湯・高松・葉山などの地区からなる温泉で、古窯は蔵王連峰を望む高台の葉山地区にある。古窯は20数年前に一度職場旅行の団体で利用したが、日本の旅館100選の常にトップクラスに挙げられる名旅館である。

  
  古窯外観と名物女将            古窯の案内書        8階の部屋から見る上山市街と蔵王連山

 8階の大浴場でメタケイ酸リッチなNa・Ca・塩化物・硫酸塩泉のまったり湯に浸かりながら、先ほど行ってきた蔵王連峰を眺め、午後6時からは2階の料亭平安の個室で「蔵王膳」を頂いた。大昔一度利用して感動し女房にも体験させたくて、と予約時に言ったようだが、それをちゃんとおもてなしに具現化し、1年遅れのサファイア婚ということで祝いの膳のしつらえで用意してくれた。更に、女将から私に祝箸、女房にポシェットがプレゼントされた。

  
8階の蔵王連山を望む露天風呂    寿のしつらえで用意された会席の始まり     蔵王膳お品書き

 古窯という名は、建設時に1300年前の須恵器が沢山出てきて窯跡ということで付けられたようだが、わが和泉市にも巨大な窯跡が沢山見つかっており、須恵器の一大流通・集散地であったというお互いの共通点がある。古窯には多くの有名人が投宿しているが、楽焼ギャラリーにその足跡を残している。

  
   女将からのプレゼント       著名人の楽焼ギャラリーの一部        ロビーの立派な胡蝶蘭

 心に残るおもてなしを受け、出発時には朝刊と絵葉書とお菓子もいただいて、銀山温泉に向けお見送りを後にした。

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東北・山形の旅(序)

2018年08月18日 16時48分32秒 | JALどこかへマイル
(写真はクリックで拡大します)

東北・山形の旅(序)

2018.07.20-22


 2018年7月、アメリカの大自然を満喫して帰国するとJALのマイルが1万マイルほど7月末で期限を迎えると知り、急遽有効利用策として「どこかにマイル」という特典航空券を使って、それこそどこかに行こうと計画。 

 この制度は、一人6000マイルでJALが指定する空港の往復が可能な制度。指定される空港は旅行日と時間帯を決めるとJALが4つの空港を提示し、それらの空港であればどこになってもOKであれば、了承するとJALが空港を指定してくる。もし、4空港以外の空港にしたい場合には日時を変更すると、別の4空港となる。

 7月20日の早朝大阪出発で、提示された4空港は「青森、花巻、新潟、鹿児島」であった。
 
 東北辺りに行きたいと思っていたので、青森、花巻は即OK、鹿児島は篤姫の時に行っているが西郷どんで再び行ってもいいかな、新潟は仕事で一度行ったが正直何もないものの、東北へ拠点にできる、ということで、これならどこを指定されても行きたいところがあるので、OKで返答すると、指定してきたのは「新潟空港」。
 というわけで、女房の分と合わせて12000マイルを使って新潟発着の東北旅行を計画した次第である。

 まずは今まで行っていないところ、行ってはいるがもう一度行きたいところ、さらに温泉とグルメ等々を検討して、以下の旅程を決定し旅館とレンタカーの予約を完了。

初日 :新潟-米沢(上杉神社他)-宮城県蔵王(お釜等)-上山温泉・古窯
二日目:上山温泉-銀山温泉-最上川下り-温海温泉・萬国屋
三日目:温海温泉-羽黒山(五重塔、三神合祭殿)-新潟


                  
          新潟-米沢-蔵王-上山温泉-銀山温泉-最上川下り-温海温泉-羽黒山-新潟

  
米沢・上杉神社 上杉謙信像        蔵王・お釜          上山温泉・古窯

  
      銀山温泉            最上川下り          温海温泉・萬国屋

  
 羽黒山・五重塔       羽黒山・鏡池と三神合祭殿      羽黒山・芭蕉の像

 以下、3回にわたり東北・山形の旅を掲載します。

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異文化体験50 アメリカ大自然紀行の旅(その9)金と鉄道とカジノとホテル、そして核実験場 ラスベガス

2018年08月12日 00時30分55秒 | 異文化体験_北米
(写真はクリックで拡大します)

異文化体験50 アメリカ大自然紀行の旅

その9.金と鉄道とカジノとホテル、そして核実験場 ラスベガス(Benjamin Siegel)

2018.07.01


                      

 アリゾナ州ペイジ→ユタ州セントジョージ→ネバダ州ラスベガスと3つの州、総距離445kmのバス移動ともなれば5時間くらいはかかるだろう。
現地ガイドのF氏が、ユタ州はモルモン教徒が盛んな州、ネバダ州はかつての地下核実験場で地下水汚染のため土地の多くが国有地、等々皆を飽きさせない話で繫いでいく。

 そんな彼が話してくれたラスベガスの歴史を少々。(wikipediaで補足しつつ)
 スペイン語で「肥沃な土地」を意味するvegasが固有名詞となったラスベガスは、1820年代後半、ネバダ砂漠の中で窪んだオアシスとなっているのをモルモン教徒が発見。1840年代末にカリフォルニアでゴールドラッシュが起こると、砂漠の中の中継地点として定住者が現れ、1905年、ユニオン・パシフィック鉄道の開通に伴って、水の便の良いラスベガスは蒸気機関車の給水地となり、駅も造られた。
 ゴールドラッシュも終わり、1929年の大恐慌で産業のないネバダ州は税収確保のため1931年賭博を合法化した。丁度街の南東48kmにフーバーダムが着工され、1936年に完成。労働者の流入と安価な電力の供給で、街は大きく発展。第二次世界大戦中にはネバダ砂漠に軍事基地や核実験場(ネバダ核実験場)が続々と建設され、その関係者も町に住むようになった。街の北西約105kmの距離にネバダ核実験場がある。

 ネバダ核実験場(ラスベガスからわずか100kmほどの距離にある)

 人が集まるとギャンブルも盛んになる。終戦後の1946年、「ベンジャミン・シーゲル」が「The Pink Flamingo Hotel & Casino」を6百万ドルで建設、カジノが収益を上げることが判ると、マフィアが続々とホテルを建設し、集客のためにフランク・シナトラやサミー・デイヴィスJr.などのショーを行い、街の建設資金の大半をモルモン教徒が融資した。

    
 Benjamin “Bugsy” Siegel 1946年のThe Pink Flamingo Hotel & Casino  1952‐53年ころのホテル

          
  現在のフラミンゴ・ホテル               L.V.ストリップとダウンタウンの主要施設

 しかし1960年代後半頃から当局の取締りが厳しくなり、マフィアは次々とホテルの経営権を手放し、ハワード・ヒューズのような大富豪などがこれらのホテルやカジノの経営権を引き継いだ。その後も、限定的なマフィアの介入はあったが、ゲーミング・ライセンス(カジノ開設、運営の権利を定める一連の州法など)の厳格化に伴いその影響力は漸減し、1990年代にはほぼ払拭された。1980年代末頃から巨大テーマホテルブームが起こり、市街は南方に大きく拡張し現在に至っている。現在、客室数ベースで世界12大ホテルのうち11軒がラスベガスに存在する。一定規模以上のカジノの建設は、客室数200室以上のホテルの付帯施設としてしか認可されない。
 なお、ネバダ州の人口はわずか270万人、そのほとんどがラスベガス周辺に居住している。
ラスベガスの人、それはやはりフラミンゴのベンジャミン・シーゲルであろう。


 今宵のラスベガスの宿舎は、「サーカス・サーカス・ホテル・カジノ&テーマパーク」。ダウンタウンに近いストリップ大通りの北部にあり、ファミリー層をターゲットにした巨大ホテル。
 午後7時ころ、バス移動から解放され、ホテルチェックイン後、ただちにオプショナルツアーの「和食ディナーとイルミネーションツアー(何と$165、高い!)」に出発。
 まずは、腹ごしらえ。Oodle-Noodleという日本食の店。所詮はうどん屋なのだが、一応会席風の料理がすでに並んでいる。どう高く見積っても$30、残り$135は?と思いつつ食事を済ませる。

  
アンテロープ・キャニオンから5時間、L.V.に到着    今宵の宿舎サーカス・サーカス   サーカスのアトラクションを併設 

          
                   日本食の店「Oodle-Noodle」と店の名刺 

 最初に向かったのは、15号線に乗って右手にネオンキラキラのホテル群を見ながらダウンタウンのフリーモントストリート。お目当ては日没後1時間おき約8分の映像と音楽をハイテクアーケードで見るのだが、いやはや大変な人出である。丁度9時前に到着して、1260万画素、60フレーム/秒、2.2MW(発光体)、0.55MW(サウンド)、220台のスピーカーからなる芸術作品?を鑑賞。ストリートの人々の頭上を時折3列のジップラインが走る。

  
15号線でダウンタウン方面に(右手にサーカスサーカス) フリーモントストリートのジャズライブ  どこかで見たような海賊さん

          
ハイテクアーケードのショーの始まり     時折アーケードのジップラインを人が飛んでいく(写真の黒い人影がそれ)

 次なるは、高さ350mのストラトスフィア・タワー(Stratosphere Tower)からの夜景見物。インサニティ、エックス・ストリーム、ビッグ・ショットの3種類の高さを売りにしたアトラクションがあるが、お金をもらっても御免被るアトラクションだ。正直、東京や大阪の夜景と寸分違わない夜景だが、空中遊覧のヘリコプターが結構目線で飛んでいる。

              
高さ350mのストラトスフィア・タワー     夜のタワー            入場チケット

  
      L.V.の夜景        地上300mの3つのアトラクション  幸いこのアトラクションは乗客なし

 最後に向かったのが、ベラッジオの噴水ショー。コモ湖を模したというホテル正面の人造湖で夜は15分ごとに繰り広げられる。パリス、バリーズを背に見るのとベラッジオを背に見るのとでは、幾分雰囲気が異なるのかも。ショーの後はベラッジオのロビーに入りアメリカ人好みのけばけばしいイタリアン装飾を見て、11時頃ホテルに戻る。

          
パリス、バリーズを正面に噴水ショーを待つ       コモ湖を模したというホテル正面の人造湖

          
15分ごとに繰り広げられる噴水ショー         湖の周りはそぞろ歩きの人でいっぱい

  
ホテル・ベラッジオのエントランス   ロビーを飾る米国人好みにしつらえたきんきらきんのイタリアン装飾

 ちなみに1996年春、女房と行ったコモ湖から船で1時間、岬の突端の高級リゾート・ベッラージオとは似ても似つかぬL.V.のべラッジオ・ホテルであった。
 食事とタワー入場料(平日$20)以外は無料のショー、3時間半ほどの車と案内・手配で約1万円強、なかなかの商売である。

          
            1996年コモの町から船で1時間、岬の突端のベッラージオの町にて

 翌朝なんと4時にホテル出発、ラスベガス発7時20分のAC1899便でバンクーバーに。乗り継ぎで12時50分のRV-1951便で関空に無事到着。
バンクーバーでのトランジットの間、ワールドカップ・ノックアウトステージの初戦「日本対ベルギー」、後半日本が2点先取で大いに盛り上がっていたが、搭乗時刻となり機上の人に。お隣のH氏とこれで3点も取られことはないよね!と勝ちを信じて関空に降り立ったら、まさかまさかの結果。
 ラスベガス帰りだけに、カジノ同様一瞬喜ばせて最後はやはり負け。

 17名の皆さんと一緒にたくさんの写真を土産に50回目の海外渡航の旅を終えました。
 今回の国際線飛行マイルは11639マイル。生涯国際線飛行マイルは、469059マイルとなった。
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異文化体験50 アメリカ大自然紀行の旅(その8)光の乱舞 アンテロープキャニオン

2018年08月11日 11時29分12秒 | 異文化体験_北米
(写真はクリックで拡大します)

異文化体験50 アメリカ大自然紀行の旅

その8.光の乱舞 アンテロープキャニオン(Tse bighanilini)

2018.07.01


               

 ホースシュー・ベンドからアンテロープ・キャニオンまでは車で10分の距離。正式名称はアンテロープキャニオン・ナバホ・トライバル・パーク。ロゥワー(Lower)とアッパー(Upper)の二つのキャニオンがあり、我々が向かうのはアッパーキャニオンのトレイルだ。
 ここは、モニュメントバレー同様ナバホ族居留地域内にある。予約時刻に事務所からキャニオン入り口までナバホ族のドライバー兼ガイドが運転するジープで、細かい砂状の凸凹道(多分川床と思われる)を砂煙をあげながら約15分ほど走ると、キャニオンの入り口に到達する。
 どんなところだろうと種々想像していたが、全く想像と違った形でその入口はあった。ここでは、いくつかの約束事がある。内部は狭いので右側通行、フラッシュ撮影は禁止、往路に撮影・復路は直帰、等々である。

  
Powell湖とペイジの町周辺MAP(赤枠が訪問地)川床砂地をアンテロープへ(別会社の車)  真っ青な空とおっぱい山

          
          アンテロープキャニオンの入り口(中央の岩の裂け目)

 一歩、その裂け目に足を踏み入れると、さんざん写真で見てきたあの光景が出現する。赤茶けた砂岩とは対照的な真っ青な空から降り注ぐ陽光が、渓谷内を照らすことで、様々な形の岩壁とその複雑な岩肌模様と入射光との三者のコラボレーションが幾千、幾万の芸術を生み出している。
 最高の芸術が見られるのは、夏場の晴天、正午前後の数時間の太陽が真上にある時というのをガイド本か何かで読んだが、今がまさにその時である。
運転手兼ガイドのナバホの男性が、ここぞというスポットで撮影条件を設定して写真を撮ってくれるというので、自らはデジカメ、ガイドには一眼レフを渡して、著作権無視の撮影に徹する。(解説は不要、沢山の自然アートをご覧ください)

  
     AC06         AC07            AC08

  
    AC09           AC10             AC11

  
        AC12             AC13            AC14

  
        AC15              AC16              AC17

  
    AC18             AC19              AC20

  
        AC21              AC22             AC23

  
    AC24           AC25          AC26

 それにしても、高さがおよそ20m、全長が約150mのこのキャニオンが、上流からの鉄砲水で多くの時間を経て創られたようだが、水の威力を再認識させられる。渓谷の中の岩の上部に枯れ木や流出物が引っかかっているのが散見される。(ちょっとピンボケですがAC18を参照)
ここアッパーではないが、1997年8月12日、ロゥワー・アンテロープ・キャニオンを訪れていた欧州からの11人の若者グループがこの鉄砲水に襲われ命を落としている。うち2人の男性の遺体は未だ見つかっていない。

  
 出口の外も川床のような景色       欧州11名の若者の慰霊碑         事故時の捜索風景

 我々は運よく来るタイミングが良かったのか、渓谷出口まで行って入口に戻る頃には、渓谷内は沢山のグループが撮影ポイントで順番待ちの状態になっている。
 想像以上の大自然の創造芸術に感動するとともに、沢山の写真撮影もできて満足のうちに渓谷を後にする。

 空腹を覚える時間になっている。Pageの街のLake Powell通りに面したGONE WESTというファミリーレストランで昼食をとる。夜7時からのカントリーウエスタンのライブを売り物にしているようだが、オーナー自らランチ時の我々に特別サービス。

  
ペイジの町のファミレス「GONE WEST」 結局お昼はハンバーガーの今回の旅  店主サービスのカントリーウエスタン

 さて、この地の人は?となると思いつかない。アッパー・アンテロープ・キャニオンは、ナバホの言葉で「ツェー・ビガニリニ(Tse bighanilini)」、「水が岩を流れる場所」という意味だそうで、ナバホに敬意を表してこれを充てることに。

さあ、いよいよこの旅行の最終目的地ラスベガスに向け、445kmのバス移動だ。

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異文化体験50 アメリカ大自然紀行の旅  (その7) 蛇行するコロラド川 ホースシュー・ベンド

2018年08月09日 22時59分50秒 | 異文化体験_北米
(写真はクリックで拡大します)

異文化体験50 アメリカ大自然紀行の旅

その7.蛇行するコロラド川 ホースシュー・ベンド(The Platters)

2018.07.01


          
                 蛇行するコロラド川が生み出したホースシュー・ベンド

 窓ガラスの破損したバスの代車がやってきて、午前8時に5日目のスケジュールがスタート。予定ではアンテロープ・キャニオン、ホースシュー・ベンドの順だが、逆になるという。両者の距離は10分ほどの距離だそうだ。

 Lake PowellとPAGEの町周辺の観光スポット(ホースシューベンドは左下赤囲い) 
 
 荒野を走ること約2時間、前方に町と発電所らしきものを視認。川が近くにあるのだろうと思っているうちにアリゾナ州ページの街に到着。

          
車窓に3本煙突の発電所(地図にも記載)            前方にPAGEと思しき町が

 ホースシュー・ベンド(Horseshoe Bend)は、グレン・キャニオン国立レクリエーション・エリアにあるコロラド川が蹄鉄(horseshoe)の形に穿入蛇行している場所の名前である。駐車場からなだらかな下りの赤砂の道を500mほど進むと、眼前に写真で見慣れたあの自然の造形が現れる。すべてをカメラに収めるのが難しい巨大な自然のアート作品だ。

          
駐車場からなだらかな赤砂の下り斜面を10分ほど      ホースシューベンドはまだ見えない

 馬蹄形の褐色の岩肌をコロラド川の緑青色で縁取った巨大なオブジェ。コロラド川にはボート遊びをしている人が小さな点となって見受けられる。過去、ここから落下して命を落とした人もいたとか。それでも、迫り出した岩の上に乗ってポーズする。若者が後を絶たない。それほどに、自らをこの景色で包みたい絶景なのだ。

          
眼前に広がる巨大なオブジェ(パノラマ写真)           川面に浮かぶボート

          
              全容を一枚の写真に収めるのが難しい

 そのためか、説明書きによると「目の前の岩はナバホ砂岩で米国でも指折りの大きさの砂岩層。ジェラシック期に生成され610mの厚さがある。ナバホ砂岩自体は非常に硬いのだが、脆いところもある。それは露出している上部と側部。あなたが立っている所は大丈夫と思うかもしれないが、個々の砂を凝結している炭酸カルシウムは水に溶けるので、岩を弱くさせ貴方を谷底に落とすかもしれない。決して岩の端に立たないで下さい。」との説明書きのような注意書きがある。

          
  岩の淵に立つべからず!の注意書き        それでも撮りたいこの景色 自己責任の国らしい光景

 ホースシュー・ベンドを情報検索すると、ホースシュー・ベンドの戦いという1814年クリーク族インディアンと白人入植者の間のクリーク戦争が終結した闘いがヒットする。ここでそのような戦いがあったのかと思ったが、これは間違いでこの「ホースシュー・ベンド」はアラバマ州中央部のタラプーザ川の屈曲部近くで、このような川の蹄鉄形の蛇行はあちこち見受けられる。

          
アラバマ州のホースシューベンド(クリーク戦争の場所)     四国祖谷渓の「ひの字渓谷」

 コロラド川(Colorado River)は、コロラド州ロッキー山脈に源を発し,ユタ・アリゾナ・ネバダ・カリフォルニア州を経て,カリフォルニア湾に注ぐアメリカ西部の大河。
 全長2330km。そのうち1600kmが深い峡谷をなす。その代表格がコロラド高原を浸食して最高1600mの絶壁をもつグランドキャニオン。峡谷出口に1936年に建設されたフーバーダムやその他のダムが建設され,電力や用水が遠くL.A.やS.D.などに供給されている。
 このホースシュー・ベンドに関連する人としてザ・プラターズ(The Platters)を挙げたい。高校生の時、初めて買ったザ・プラターズのLPレコードに収録されていたのが「コロラドの月(Moon Light on the Colorado)」。美しい民謡曲だ。

 高校時代に買ったThe Plattersのアルバム、コロラドの月を収録

 10分ほどで降りてきた赤砂道を、倍ほどの時間をかけて駐車場へ。温度は40℃を超えているようだが、湿度が低いので日本のように汗まみれにはならない。
          
            戻りは赤砂土のだらだら上り坂、結構暑いが湿度は低い

          
      遠方を目を凝らしてみると、コロラド川が見える。(右は左の拡大写真、クリック拡大)

 さあ、いよいよ大自然紀行・最後にしてお目当てのアンテロープ・キャニオンへ
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異文化体験50 アメリカ大自然紀行の旅 (その6) モニュメントバレーのドライブ

2018年08月07日 16時11分14秒 | 異文化体験_北米
(写真はクリックで拡大します)
異文化体験50 アメリカ大自然紀行の旅

その6.モニュメントバレーのドライブ(John Ford & John Wayne)

2018.06.30


          
                  「モニュメント・バレー・ナバホ族公園」

 Cameronから2時間ほど走ると車窓にお馴染みの西部劇の景色が広がる。モニュメントバレーは国立公園ではなく、正式名称は「モニュメント・バレー・ナバホ族公園」。
 アリゾナ州北部からユタ州南部にかけての約1万2千haが1958年国定記念公園に制定され、そのうちナバホ居留地は約640haで年間を通じて約300人のナバホが住んでいる。

    
  代表的な景観             多国語解説書      ナバホ族の昔の丸屋根住居

 第一次世界大戦の終わりに、丸屋根住居のナバホ族の生活域にハリー・グールディング夫妻がやってきて交流が始まり、交易所の設立等を通じて信頼関係が構築され、夫妻は病院の設立や飲料水の確保等にも取り組んだようだ。
 大恐慌の折、ナバホの経済も大いに悪化し、夫妻が採った行動がモニュメントバレーへの西部劇のロケ誘致だった。これが実現し、ナバホの経済的危機も救われ、夫妻の名も世界的に知れ渡るようになった。かくて、1938年モニュメントバレー初の西部劇映画「駅馬車」が制作された。

  
    Mr. Goulding              John Ford        駅馬車の一場面(John Wayne)

 そのグールディング夫妻のロッジ(Mr&Mrs Goulding’s Lodge)から、モニュメントバレー・ドライブが始まる。勿論、最初の家や交易所を復元した出発点である。
 ロッキー山脈から浸食によって流出した沈殿物が低地帯に蓄積し、それが砂岩や石灰岩の間に流れ込んでセメント状態になり、その後その低地帯が約300mの高さに隆起し岩の台地となった。その後5千年もの間の様々な浸食・風化で今日のモニュメントバレーが形成されたとか。

  
(2)出発点グールディング夫妻のロッジ   今日のバレードライブ走路     赤土砂塵の中マスクをしているのは日本人

 ここでのキイワードは、メサ(テーブル上の台地)とビュート(岩峰)。様々な自然の造形が、生物や偶像の形を連想させる。年間降雨量200mmの乾燥赤土大地から巻き上がる砂埃の中をトラックの荷台に揺られながら通り過ぎるメサとビュートを観察する。(写真解説番号は地図上の番号と符合する)

   
(15)ビジターセンター辺りの景観        (18)Sentinal Mesa              (19)Left Mitten

 一番の見どころは、ジョン・フォード監督がこよなく愛したというフォード・ポイント。岩盤の上に馬に跨る西部の男が絵になるシーンということで、客待ちしている。モニュメントバレーの代表格の写真である。様々な西部劇やバック・トー・ザ・フューチャー等々の映画撮影舞台になったモニュメントバレー、最後にフォレストガンプポイントで記念撮影して、今宵の宿舎ヒルトン系の「ハンプトン・イン・カイエンタ」に。


(25)J.Fordがこよなく愛したという景色  絵になる写真(馬の客待ち、確か$10)   (21)Elephant Butte

  
   (7)Merrick Butte             (24)Three Sisters             (22)North Window


           
(27)Thunderbird Mesa方面                    (2)Goulding's Lodgeへの帰路

               
フォレストガンプ・ポイント(車が高速で通るので危険)   トム・ハンクス主演「フォレストガンプ」

 今宵の夕食はシーフード!と添乗のC嬢の説明に一瞬喜んだが、こんな砂漠の中でシーフード?、出てきたのはサーモンでした。明日は観光最終日。ラスベガスでの宿泊も、翌4時のホテル出発とあって、皆さん荷造りに忙しいのか、食事の後は早めに部屋へ。

  
Hampton Inn(左は代替バス)      生野菜が不足気味で有難い         メインの魚料理

  
   ヒルトン系のホテルロビー     ロビーの壁を飾るナバホの画         ホテルの名刺

 モニュメントバレー、今日の人は、Mr&Mrs Gouldingと、John Ford & John Wayneで決まり!

 明日は、ホースシューベンドとアンテロープキャニオン、そしてラスベガス。
 どんな撮影ポイントが待っているのか、楽しみだ!
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異文化体験50 アメリカ大自然紀行の旅(その5)奥行感が出せない! グランドキャニオン

2018年08月06日 18時07分33秒 | 異文化体験_北米
(写真はクリックで拡大します)
異文化体験50 アメリカ大自然紀行の旅

その5.奥行感が出せない! グランドキャニオン(Mary Elizabeth Jane Colter)

2018.06.30


        
            グランドキャニオンの航空写真(赤字Mhaマーサポイント、Dはデザートビューポイント)

 今まで雑誌やTVの映像で幾度となく見てきた巨大な崖が、圧倒的なスケールで眼前に広がっている。
 長さ446km、幅6km~29km、平均深さ約1200m(最深地点は1800m)に及ぶ巨大な峡谷が、どのようにして出来たのか、諸説あるようだが、一般的には「約6600万年前コロラド高原岩層の隆起が始まり、海底よりその姿を現した。 この岩層はグランドステアケース(大階段)と呼ばれており、 グランドキャニオン~ザイオン~ブライスキャニオンまで1連となっている。約1000万年前現在のコロラド川の源流を形成。 その後も侵食を続け、現在のような大渓谷となった。」ということらしい。
 しかし、年間降雨量はサウス・リム (South Rim) で380mm、最深部では年間200mm程度の雨量でこんな渓谷が形成できるのか、と不思議がる小生だが、これは今の話。1000万年というとてつもない長い間の地殻変動、気候変動や雪解け水等々、自然の力には想像を絶するものがある。

  
    MAP(赤枠が今回のビューポイント)             グランドキャニオンの地層図            公園入り口の車列

 グランドキャニオンの巨大な谷は、北の壁をノースリム、南の壁をサウスリムと言い、サウスリムはビレッジを中心にして西にウエストリム、東にイーストリム(リム、Rim:淵、崖の意)と続き、谷を見下ろす数多くのビューポイントがある。
 我々が最初に立ち寄ったのはサウス・リムのマーサ・ポイント(Mather Point)。マーサはこの公園誕生に尽力した初代アメリカ国立公園局長の名前で、Stephen.T.Matherの銘板が展望台に置かれている。

          
                     マーサポイントからのパノラマ・ビュー

  
基底部までは千数百メートル          カラスも一服            自らの立ち位置は知らぬが仏

           
窓ガラス破損で機敏に対応した添乗員のC嬢            初代アメリカ国立公園局長Stephen.T.Matherの銘板

 ここは1、2を争うビューポイントのようで、グランドキャニオンの実に1/4が見渡せるポイントのようだ。しばし静かに大自然の造形と息吹を感じたいところだが、声高のお隣の国の方々も到着してそれどころではない。自らの立ち位置を知らずに絶景に酔いしれているが、そこは谷底まで千数百メートルはあろうかという絶壁に張り出した岩の上。

          
ここからグランドキャニオンの1/4が見渡せるとか   写真では奥行感が出ない     ショットポイントの公園碑


 サウス・リムの東の端にデザート・ビューポイント(Desert View Point)があり、渓谷の底を流れるコロラド川の様子がよくわかる。ここには、先住民族の見張り塔を再現したウォッチタワーがある。高さ21mの鋼構造のタワーで設計者はメアリー・エリザベス・ジェーン・コルター(1869-1958)。1932年の作品だ。コルターの傑作の一つに、1923年建設したニューメキシコ州のナバホの砂の絵を取り入れた近代的なエル・ナバホ・ホテルがある。

         
先住民族の見張り塔を再現したウォッチタワー       コルター設計の高さ21mの鋼構造のタワー

   
    タワー最上部からの眺望          渓谷の底を流れるコロラド川の様子         基底部をちょっと拡大

 タワーの中には、ナバホ族伝統の織物ナバホラグ等の土産品も売られており、壁画を楽しみながら螺旋階段を上がり最上階からはグランドキャニオンと蛇行するコロラド川も一望できる。さすがに、ここまでは声高の隣人たちも来ていないので、静かに大自然を楽しむことが出来る。

          
螺旋階段を上がるタワー内部             ナバホ族等先住民の独特のアートが見れる

  
     パノラマ写真            断層の所々に穴住居のようなものが          複雑に断層が入り組んで

         
               デザートビューポイントからのイーストリム方向の眺め     

          
後方窓ガラスを破損した痛々しい我々のバス              環境問題に配慮した天然ガスバス

 1時間程走って、Cameronのギフトショップ兼レストランで昼食。メニューはスープととてつもなくでかい揚げパン。スープの味が出された皿ごとに異なっていたようで、隣のテーブルでは辛い!とひと悶着。

  
Cameronのギフトショップ兼レストラン         スープと揚げパンの昼食            レストラン内部の様子

 アメリカ・インディアンやカナダ・インディアンのファースト・ネーションの文化的アイデンティティーの象徴と見なされるものに、眠っている子供を悪夢から守ってくれる魔除けのお守り「ドリームキャッチャー」がある。クモの巣状の目の粗い網が組み込まれ、羽やビーズなど独特の神聖な小道具で飾られたものだ。悪夢は網目に引っかかったまま夜明けと共に消え去り、良い夢だけが網目から羽を伝わって降りてきて眠っている人のもとに入ると言われている。小さいのを一つゲット(8.11ドル)。

          
 ドリームキャッチャー($7~)         お隣のレトロっぽいCAMERON郵便局

 グランドキャニオンの人は、やはりこの人。建築家兼インテリアデザイナーの「Mary Elizabeth Jane Colter」。先住民の文化とグランドキャニオンをこよなく愛した人。

  
    Mary Elizabeth Jane Colter         ウォッチタワーの傍の解説銘板        コルターが愛したナバホの砂の画デザイン

 食事の後は、モニュメントバレーへ。此度の旅もいよいよ終盤戦だ。



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異文化体験50 アメリカ大自然紀行の旅 (その4) バスの窓ガラスをも打ち砕くセドナのパワー

2018年08月04日 17時15分27秒 | 異文化体験_北米
(写真はクリックで拡大します!)

異文化体験50 アメリカ大自然紀行の旅

その4.バスの窓ガラスをも打ち砕くセドナのパワー(ベンジャミン・ロントリー)
2018.06.29


 アリゾナ州とユタ州の境にあるパウエル湖を中心に半径約225km円をグランドサークルという。この中には、グランドキャニオンはじめ10近い国立公園が包含される。セドナは、このサークルの南端に位置する。

           
   グランドサークルとは                グランドサークルと国立公園

 午後5時過ぎ、バーストーから610㎞走って標高約1310mに位置する町、セドナに到着した。
 水や空気の渦巻きを一般的に「ボルテックス(Vortex)」と言うが、セドナには不思議なボルテックスがあり、パワースポットとして注目を集めている。また、「癒しの聖地」として世界中から芸術家、エコロジスト、宗教家、リタイア組などが集まり、生活している。

          
セドナのMAPと「ベルロック」「エアポートメサ」(赤枠)     ホテル提供のハガキ 
     
 
 ボルテックスの中でも一際強いエネルギーを放つボルテックスが4つあり、「ベルロック」「エアポートメサ」「カセドラルロック」「ポイントキャニオン」が4大ボルテックスと言われている。
 早速、その中の一つ「ベルロック」を訪ねる。小生の感度が鈍いのか正直パワーを感じることはないが、赤茶けた岩肌が織りなす景色には圧倒される。

          
         ボルテックスの中でも最強と言われるベルロック(1)(クリックで拡大)

          
         ボルテックスの中でも最強と言われるベルロック(2)

 自由時間に各自夕食を取り、その後もう一つのポイント「エアポートメサ」を訪ね、陽の入り(午後7時過ぎ)を見るというので、「Canyon Breeze」という店でピザを食して街を散策する。パワーストーンを扱う店が多く見受けられる。

          
                街を取り巻く様々なレッドロック

  
フードコート「Canyon Breeze」         店内の様子           店の奥のテラスからの眺望

  
       様々なお店が(左:パワーストーンの店 中:ロウソクアートの店 右:チョコレートのお店)

          
                  街を演出するアート作品

 エアポートメサはセドナの街を見下ろす高台にあり、すでに多くの陽の入り見物客が集まっている。ここエアポートメサは男性的なエネルギーがある場所と言われているが、空を赤く染めてゆっくりと太陽がフェードアウトする様は、女性的でもある。

      
               エアポート・メサから見るセドナの街

          
                エアポート・メサの日の入り

 セドナの宿舎は、「The Andante Inn of Sedona」。これまた、申し分のない宿舎である。セドナの名前は、当地にやってきた白人夫婦の夫人の名前であるが、先住民との物語は別に譲りたい。セドナを語るには、ベンジャミン・ロントリーを挙げたい。今日なおパワースポットの源泉・強度を探索継続中とか。成功を祈る。

  
セドナの宿舎「The Andante Inn of Sedona」     食事に期待は禁物           ホテルの名刺    

 しかし、パワーが強すぎるのも困ったもの。翌朝、バスでセドナのいろは坂を下山中、小生の座る窓ガラスが粉々に割れた。幸い2重窓で外側の紫外線除けの窓が破砕され、内窓はひびが走る程度だったので、けが人もなく事なきを得たが、セドナのパワーは強しである。落石説、突起岩接触説等々、一瞬の出来事に諸説紛々。

  
ホテル前を7時半に出発     いろは坂を一路グランドキャニオンへ、突然!! 二重窓の外ガラスは粉々、内ガラスには大きなクラック

 ノルウェイ人運転手の心理状態を心配しつつ、安全運転で、いざ!グランドキャニオンへ!!!
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